姉ばかり損をする
「さて、ミサを見学されてどうでしたか? やっぱり少し退屈でしたか」
「えっと……お話は面白かったです」
いろいろ言いたいことはあるけれど、無難な返事をしてみた、という雰囲気。わたしが無言で眉を上げ、ほほう、それで?――と促すような顔をすると、陽美さんは頬を赤らめてうつむいた。ちょっと意地悪だったかな。わたしは失笑しそうになったのを堪える。
陽美さんはうつむいたまま、何度か口を開きかけてはやめ、それからごまかすように礼拝堂の中をぐるりと見回した。
「ここ、懺悔室ってないんですか」
「……?」
唐突な質問にわたしが目をぱちくりさせると、陽美さんは両手の指で空中に四角を描いて繰り返した。
「懺悔室。っていうんですよね? あの、仕切りのある小さい部屋で、悪い事したのを告白したりする……」
「ああ、告解室ですね。懺悔というのは古い言い方です。大抵の教会には設えられていますが、ここは小さい教会なので専用の部屋はありませんね」
「そうなんですか。えっと、じゃあ……こういうところで普通に告白……告解? するんですか」
「最近はそういう教会もありますね。暗くて狭い部屋でひそひそ話すような、陰気なものではなくて、神に赦される秘跡なのだからもっと明るくていいはずだ、という考えで、開けた場所に簡易なついたて一枚を立てて話すとか。もちろん他の人には聞かれない状況で、ですけどね。ここの教会では、奥の別室を使っていたようですよ」
オープン告解が登場した時にはさすがに、それはどうなんだと思ったけれど。まあ、こういうのも慣れだろう。廃れるか主流になるかは今後の人々次第。
わたしの説明に、陽美さんは少しがっかりしたような顔で、そわそわと視線をさまよわせた。やっぱりあの告解室は中二少女的に一種の憧れなんだろうか。映画などでも小さな窓越しのやりとりは緊張感と危うさをはらんでいて、画になるからなぁ。
入ってみたかったですか、と冗談を口にしかけてやめた。もちろん単純な好奇心ゆえの質問ではないだろう。この機会に話したいことがあるのだけれど、できるならああいう秘密の守られる特別な場所が良い、だからこその問いかけ。彼女が自分からそれを言い出すのを、黙って待つ。
ややあって陽美さんは、心を決めたように背筋を伸ばして言った。
「その告解って、わたしもできますか」
「残念ながら、洗礼を受けた信者さんでなければいけません」
わたしが首を振ると、陽美さんは傷付いた顔で怯み、視線を落とした。拒絶されることに慣れ過ぎた人間の、またか、という諦めと悔しさが全身を包む。
「やっぱり信者でなきゃ、赦してくれないし、救ってもくれないんですね」
「ああ、それはちょっと違います」
わたしは微笑み、うなだれた彼女の頭に軽く手を置いた。祝福ではなく、普通の慰めとして。
「陽美さん、あなたは中学生ですから、小学校から今までの間に、嫌いな先生の一人ぐらいには出会ったことがあるでしょう。嫌いとまではいかなくても、この先生はあまり尊敬できないな、好きじゃないな、というような人に」
「……はい」
少女が顔を上げ、小声で肯定する。わたしは、いいんですよ、とうなずいて続けた。
「そんな先生が、たとえばあなたが宿題を忘れたとか、何かの当番をすっぽかしてしまったりしたことを、叱りつけてお説教して、それから『まぁ今回は赦してあげます。次から気を付けるように』とか言ったとして……それであなたは、ああ赦してもらえた、と安心できますか? 悪いことをしてしまった事実は変わらないけれど、その罪はもう赦されたんだ、と肩の荷をおろせますか」
もちろん、陽美さんは首を横に振る。当然だろう。
「でしょう? それと同じです。慈しみ深い神様はいつでも、わたしたちに手を差し伸べてくださっていますが、それを信じられない人には見えません。悪いことをしました、ごめんなさい、と言いながらも、キリストの赦しの力を信じていなければ、赦されようがないんです。信者になれば救ってあげます、という入会特典みたいな話ではないんですよ」
言葉尻でわたしがおどけると、陽美さんがふきだした。わたしも笑みを返し、それから真面目な顔つきに戻して続ける。
「ですから、あなたの告解を聞いて、父と子と聖霊の御名によってあなたをゆるします、とは言えません。ただ、普通に悩み事の相談には乗りますよ。家族や友達や先生に話して解決すれば良いですが、近しい関係だからこそ話せないこと、というのもあるでしょう」
「じゃあ……進路の相談、とかでもいいですか」
うっ。さすがに返答に詰まった。恐らくこれは、告解室が使えるのなら言いたかった内容とは直接関係がない悩みだろう。切り出すまでのためらいや表情でわかる。秘密の場で吐き出したい、神の赦しを必要とするような暗い思いと接点がありながらも、開けたところで口に出せる類の安全な悩み。
もちろん、本命でないとは言え、これも真剣な相談には違いない。安易にどんと来いとは言えず、わたしは申し訳なさから苦笑する。
「昨今の受験事情には疎いので、あまり実践的な役には立てませんが。話を聞いて、陽美さんの考えを整理する助けにはなれるでしょう。行きたい高校と、現実的な条件とが釣り合いませんか?」
話しながら、ひとまず座るように手振りで促す。通路を挟んで向かい合うように、わたしも会衆席の端に腰を下ろした。陽美さんは膝の上で手を組み、訥々と言葉を押し出すように答える。
「まだ、そこまで決まってるわけじゃないんですけど。……なんとなく、理系に進みたいな、ってぐらいで。成績もそんな感じだし。ただ……うち、農家だから」
「跡継ぎの問題ですね」
「親は好きにしろって言うんです。好きな進路を選べ、って。大学も、東京の私立なんかは無理だけど、通学できる範囲の国公立なら行かせてやれるから、それを踏まえて高校を決めろって。……そのくせ、あたしが家のことを口にしたらいつも、『誰も継がなかったら廃業するだけよ』って。そういうこと言うの、卑怯だと思いませんか」
声は抑えているものの、語気は怒りを含んで荒れていく。卑怯、の一言は吐き捨てるように言って、彼女は手を拳に握った。
ああ、なるほどなぁ。
わたしはつくづくと、長子に生まれついた少女を見つめた。
「陽美さんは、責任感が強いんですね」
「……」
「自分が好き勝手にしたら、家業を継ぐ人がいなくなると心配している。妹さんに押しつけることはできないと考えているんですね。継ぎなさいとは言われてないけれど、だからってこれ幸いと家を出て行くのは駄目だ、放蕩息子みたいにはなれない、と」
陽美さんはこくりとうなずいた。すこしの沈黙を挟み、苦々しい声で答える。
「神父さんの説明はわかりやすかったですけど、あたしはやっぱり、あの弟はずるいと思います。だって、」
急激に感情が高ぶり、声が上ずった。恐らくその憎しみこそが告解室で吐き出したかった感情なのだろう。憎悪と妬み、そして自己嫌悪。けれどそれが言葉の形をとることはなかった。
まるで呼応するかのように、犬が激しく吠えたのだ。あきらかに何かを威嚇して。
堂内にいたわたしたちはそろって驚き、扉のほうを振り返る。まだ吠え声は続いていた。




