悪魔にだって主張はある
教会に帰り着くまで無言を貫き、車から降りたところで素早くリードを取って犬の首輪につなぐ。
「よし、聖水シャンプーの時間だ」
『犬殺し!』
「嫌なら余計なことを言うな、口の減らない駄犬め」
『中学生の心を掴むヒントをやったんじゃないか。活用しないどころか逆恨みするなんて、恩知らず。いーやーだー、シャンプーは嫌だ! やめろったら!!』
門のところで踏ん張って抵抗する犬とせめぎ合うこと、しばし。
「……ラブラドールは泳ぎが得意な犬種だろう。水に濡れるぐらいでガタガタ言うな」
『川遊びなら喜んでお供するけどシャンプーは嫌だ!』
「物質の肉体でもないくせに」
『霊魂が! 削られる!』
どうやら本当に心底本気でシャンプーを恐れているらしい。もういっそ聖水より効くんじゃなかろうか。知らない間にトラウマを植え付けられたのかもしれない。……わたしが飛ぶのに失敗したのは知られているのに、不公平じゃないか?
わたしは非難をこめてじっとり犬を睨んだ後、渋々リードを緩めてやった。
『ふー……助かった。そうそう、陽美ちゃんは中二だったよな。ってことはアレだ、世界史とか教養とか言うより、いっそ俺らの正体ばらしたほうが食いつくんじゃね? 天使とか悪魔とか大好きなお年頃じゃないか』
「やめろ。絶対にやめろ、それだけはやめてくれ」
『なんでだよ。天使だなんて恥ずかしい、悪魔のほうがカッコイイー、ってか』
「馬鹿。中学生が天使だ悪魔だって盛り上がるのは同級生か、せめて先輩後輩の間柄までだ。いい歳の大人がそんなこと言い出したら怪しすぎるだろう!」
犬ならいいさ、人語をしゃべれば悪魔ですと言っても信じられるだろう。だけどオジサン司祭が、実は天使なんですよ、とか言い出したら大惨事だ。教会全体のイメージまでも損ないかねない。想像しただけで顔が熱くなる。勘弁してくれ。
『なんだよ、つまんねーなぁ』
「おまえを面白がらせる義理はない。いいから本当に、余計なことは言うな」
『そもそも俺はずっと、もの言わぬ犬に徹してるじゃないか。陰でおまえさんをおちょくってるだけで』
「そういうのをやめろと言ってるんだ!」
ああまったく。
ヒヒヒ笑いする犬をその場に放って、わたしは憤然と歩き出した。悪魔の相手をしている暇はない。ミサの内容と説教の題材を考えないと。
司祭館の部屋に戻って机に向かい、聖書と通信端末をかたわらに置き、メモ帳を広げて鉛筆を取る。パソコンなんて贅沢なものはないし、このぐらいの作業は手書きで充分だ。
あと実際的な問題として、我々は一般的に電子機器と相性が悪い。
噂の心霊スポットに機材を持ち込んで測定や撮影をしようとしたら、機器が壊れた、なんて話はよく聞くだろう。天使に限らず、霊的な存在というのはどうもそういう傾向があるのだ。
生身の肉体を持っている今なら、致命的・破壊的な影響を与えることはないけれど、それでもやっぱり、できればあまり使いたくない。触っただけで画面が真っ暗になったりしたら、かなりへこむ。天界の支給品ならそれなりに問題なく使えるものの、うっかり人間の所持品を借りてバグらせた時はとても申し訳なかった。
……えーと。典礼書の総則は、と。
ミサの構成には決まった型があるけれど、時期や日付に応じて、捧げる祈りの種類や文言、進行手順に多少のバリエーションがある。今回のように、ただ一人の奉仕者が参加するミサについても規定があるんだけど、まぁ、喜美子さんは元気とはいえ高齢だし、本人も不安そうだったから、なるべく負担を減らして……。
そういえば以前、泰子さんに「神父さんはお祈りしてればいいのかと」とか言われたっけ。神父の仕事は多岐にわたるけれど、こうしたミサの準備も大事なつとめだ。大きな祝祭日ならもちろん、そうでなくともその日の守護聖人だとか、こまごました条件に照らして歌や朗読箇所を選び、説教の内容を考えるのだ。
いかに尊い教えでも、語りが退屈すぎたら何も伝わらないし、かと言って人気取りに走ったら教えが歪められてしまうから、バランスが難しい。今回は信徒である喜美子さんのほかにも、陽美さんという傍聴人の興味も惹かなきゃいけないし。
あれこれ検討していると、ダミアンが影のように入ってきてベッドに飛び乗り、身体を伸ばして悠々とくつろいだ。
『つくづくおまえさんは真面目だねぇ。そこまでしてやったって、どうせ喜美子ばーちゃんはもう教会には行かないぜ。あの言い方と態度からして、原因になった相手が先に死んだとしても、許しゃしないだろうよ。ここの修繕もそろそろ終わりだし、となりゃおまえさんともサヨウナラ。あとは元の木阿弥』
「そんなことはないさ。結果だけを見て経験の価値を認めないのは良くないぞ。ミサに与り、悔い改めて主を讃え祈れば、魂は清められる。二度と教会の扉をくぐらないとしても、だったらなおのこと、価値がある」
答えながら、自然に口元が笑みほころぶ。長らく教会から離れていた喜美子さんを、もう一度、神の家に招き入れられるなんて喜ばしい限りじゃないか。
『そこまでしてやるほどのもんかねぇ、人間ってのは』
ぼそりと悪魔がつぶやいた。わたしは手を止め、身体をひねって背もたれ越しに黒犬と向かい合う。
「どうしたんだ。おまえは人間が好きなんだと思っていたが」
『あぁ好きだとも。ずる賢さも怠け癖も、言い訳しながら堕落するところも、愚かさも弱さも下劣さも、みーんなひっくるめて愛してるさ。だからこそ思うんだ。なんで神は――悪魔ならともかく、なぜよりによって神が、こんな生き物をご贔屓なのかね」
悪魔が珍しく神妙な声音でつぶやく。わたしはまじまじとそれを見つめるばかりで、何も言えなかった。茶化すのはもちろん、嫌味を言ったり突き放したりもできない雰囲気。
結局そのまま、無言で仕事に戻った。
また聞きの話だが、そもそもかのルシファーが神に背いたのは、人間に嫉妬したからだ、という説がある。神が人間を愛され、天使たちにも人間に仕えるよう命じられたとき、己が仕えるのは神おひとりであって人間などに頭を下げられるものか、と拒んで背き、天から墜落したのだと。
真偽はわからない。
天界の最高位のお歴々か、あるいは地獄の玉座にいる本人ならば知っているだろうけれど。彼らは黙して語らない。
いずれにしても、そんな気持ちが今ここにいる自称下っ端悪魔にも、あるのだとしたら。
……ふむ。
朗読と説教の題材は決まったな。




