表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/39

指示は具体的にお願いしたい(6月22日 土曜日)

 修理を始めて三週間あまり。

 礼拝堂も司祭館も、さすがに素人のDIYでこれ以上は直せないところまで来た。いやまぁ、天使マネーをどんどん使っていいのなら、まだやれることはあるけれど。


 上司にお伺いを立てたところ、

「大工仕事に励んで教会を修理したのは大変結構。次は進捗が思わしくない導きに力を入れるように。なお天使マネーの追加チャージはないから節約して使いなさい。あと食べ過ぎに注意」

 ……とかいう、ちょっと泣ける回答を頂戴した。


 司祭館のダイニングで朝食代わりの水を飲んでいたわたしは、スマホの画面を二度見してからテーブルに突っ伏した。


 いやいやサリエル、わたし頑張ってますよね? 杉田家の皆さんと信頼関係を築くために、大工仕事のかたわらせっせと出荷作業の手伝いに行ったり、駄犬の散歩を陽美さんに頼んだり、地道な努力を続けてますよ。昨日なんて、希美さんの宿題を見てあげたんです。

 それもこれも、彼らが“神父さん”に好感を持ち、喜美子さんが教会に行くのを喜んで認めてくれるように、と考えてのことです。まさか強引に喜美子さんを連れ出せってんじゃないでしょう?

 食事だって最初に頂いたトマト以外は、水しか口にしていませんよ。カプレーゼにしよう、なんて誘惑は退けましたとも。なんとなくオリーブオイルの小瓶だけ買ってしまったけど。


 と言うかですね。そもそも、導きを授けよ、という指示からして曖昧すぎやしませんか。進捗を合理的に計ろうとするのなら、指示も具体的にして頂きたいんですが!


『改善要求は声に出してはっきり主張しないと、なんにも状況は変わらないぞー』

「心を読むな!」

『わざわざ読まなくても、おまえさんはわかりやすいんだよ、正直者の天使サマ。どうせ上司から、進捗が遅れてるぞ、とか駄目出しされたんだろ? 世知辛いねぇ。どこの職場も、現場の負担と現実に必要な工数を無視した偉いさんとお客さんが、無茶な要求を押しつけてくるのさ』

「煽っても無駄だぞ」


 説明不足の無茶ぶりは天界のお家芸だ。

 主の下された(人間的に考えて無茶な)命から逃げようとしたヨナは、海に投げ込まれて魚に呑まれた末に渋々従った。清く正しく神を信じていたヨブさえ、わけもわからず過酷な試練に晒された末にやっと、主の意図を理解し信仰を深めた。

 わたしだって、曖昧な指示しか下されないのは今回が初めてじゃない。

 天界がそういう流儀であるのは、ある意味ごく自然なことだ。そもそも世にある“問題”のほとんどは、具体的かつ明確に解決への筋道を示せるものではないのだから。


 ――と、わかっていても上手く対処できるわけではないのが、つらいところ。

 テーブルに頬杖をついて、ぼんやり考える。


「礼拝堂も司祭館も、人を入れられる状態になったから、そろそろ次の段階に進めってことかなぁ。喜美子さんを教会に誘ってみるか」


 腐ってべこぼこしていた床板も直したし、隅っこに溜まった埃も蜘蛛の巣もきれいに掃除した。壁のひび割れも穴も全部ふさいだ。会衆席の座面が割れたり外れたりしていたところも補修したから、どこに座っても安心だ。

 壊れていたオルガンは、さすがに素人の手仕事では無理だったので、天使パワーで修理した。なんだかんだで持ち分をだいぶん使ってしまったから、しばらく奇蹟は控えないといけない。


 ともあれ、建物のほうは何も問題はなくなった。

 残る問題は……


「よし。そろそろ一度じっくり話し合おう」


 気を引き締めて立ち上がり、車のキーを取る。当然のごとく黒犬もついて来る。はたから見ればよく懐いた犬そのものなのが悔しい。

 玄関ドアを開けると、外はどんより雨模様だった。おっと、先に連絡を入れておかないとな。今日は土曜日だから出荷作業は休みだと思うけど、だからこそ家族で外出しているかもしれないし。

 わたしは浩平さんの電話番号をコールし、訪問の約束を取りつけると、いつものように黒犬を後部座席に乗せて走り出した。


 杉田家に着いて、門をくぐる前に念のため作業場を覗く。あれっ、今日は休みじゃなかったのか。美里さんと浩平さんがいるぞ。


「こんにちは、お邪魔します」

「あ、神父さん。母なら家のほうにいますから」


 声をかけると、せっせと箱詰めしていた美里さんがぱっと笑顔になり、朗らかに答えてくれた。同時に頭上が賑やかになり、わたしと美里さんはそろって首を反らせた。

 外から親鳥が戻ってきて、雛たちがいっそう激しく鳴き騒ぐ。巣の縁にずらっと並んだ大きな口が四つ、五つ。


「だいぶ大きくなりましたね」

「早く巣立って欲しいんですけどねぇ。親鳥が虫を捕ってくれるのは助かるんですけど、毎年、糞の始末が大変で」


 苦笑いした美里さんの表情は、言葉と裏腹に優しい。小さな生き物を慈しむ気持ちが伝わってくる。うん、良いな。

 わたしは二人にぺこりと会釈して、母屋のほうに回った。後から犬もついて来る。


『いまさら改めてなんだけどよ、結構でかい家だよなぁ』

「歴史の古い農家だからな」

『作業場に倉庫に、母屋と離れと物置と、あとあそこにあるのは蔵だろ。敷地内だけで充分かくれんぼできるぞ。家の者でもどこに何があるか、全部把握してないんじゃね? 夏場の怪談ネタも豊富だろうなぁ。俺がどこかに潜り込んでもばれなさそうだ』

「悪事をはたらくつもりなら……」

『冗談だって』


 小声でささやきながら、インターホンを鳴らす。じきに喜美子さんが出てきて、客間らしき和室に通された。犬が勝手に庭から縁側のそばに回ってきたのを見て、喜美子さんは目を細める。


「あらあら、賢いのねぇ」

「すみません、図々しいやつで」

「いいえ、ちっとも。来てくれて嬉しいわ」


 喜美子さんはにこにこしながら黒犬の頭を撫でる。さすがに悪魔も余計なことは言わず、気持ち良さそうに目を細めるだけだ。

 わたしがすすめられた座布団に正座したところで、陽美さんが冷えた麦茶を運んできてくれた。麻織物のコースターに水滴のついたグラスを置くと、カラン、と氷が涼しげな音を立てた。そのまま陽美さんは縁側へ行って犬を撫で始める。


 お孫さんがいても構いませんか、と喜美子さんに目顔で尋ねると、彼女はこくりとうなずき、居住まいを正して口を開いた。


「それで、今日はどういったお話でしょうか」

「教会のことです。やっと礼拝堂の修理が終わりまして、いつでも来ていただける状態になりました」

「まあ。それはそれは、お疲れ様でした」


 言って喜美子さんは胸の前で両手を合わせ、頭を下げた。わたしも礼を返し、改まった口調で続ける。


「好きな時にお越しくださって結構ですし、もし日曜の朝に来られるのなら、わたしがミサを立てましょう。事前に知らせていただけたら、車でお迎えに上がりますよ。ただ……やはり主日ミサは、ひかり台の教会に参加されるほうが良いのではないかと思うんです」


 案の定、喜美子さんは返答を避けるようにうつむいた。わたしは声を抑え、そのぶん聞き取りやすいよう身を乗り出した。


「ご家族の協力が得られないということでしたら、わたしからもお話ししましょう。もちろん、ただ一人の奉仕者と共におこなうミサであっても、祈りは一人きりで終わるものではなく、教会全体のそれに結びついて天に届くものです。ですがミサは皆と共に喜びをわかちあい、信仰の絆を確かめ合ってこそではありませんか?」


 沈黙が続く。わたしは返事を急かさず、じっと待った。

 この数年、教会に行くこともなかった喜美子さんも、恐らく時々は家で祈っただろう。その小さな祈りにも価値はあるし、決して否定するわけではないけれど、本来ミサは共同体的な性質のものだ。


 信仰の話に限ったことじゃない。皆でひとつの催しをひらき、全員が何らかの役割を果たすことで一体感を高めるというのは、太古の昔から人間がおこなってきたことだ。その集団に属していることの自覚を強め、愛着、奉仕精神を養う儀式。

 学校でも職場でも、それが理由で何かとイベントをやりたがる。


 仲間との連帯。それが人間の喜びである……はず、だけれど。


「おっしゃることはごもっともです。でも、すみません。あちらの教会には参りません」


 とうとう喜美子さんは、はっきり拒絶の言葉を口にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ