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あの空の果て、戦火にありし君を想う  作者: 夜野うさぎ
転の章 わが夫(つま)が戦いいますは彼方(あなた)かと 南の空を見つめたたずむ
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48 昭和19年10月上旬、夏樹、白骨街道

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 平野部から再び山間部に入る。ミトハ川の北岸にある道路を、多くの撤退(てったい)する傷病者たちとともに、俺は秀雄くんを負ぶって歩き続けた。


 例年ならば雨季明けが近づいてくる季節というが、今日もまだ、空はどんよりと閉ざされている。野戦病院と同じく血と泥、そして死臭の入り交じった空気が、停滞してあたりにただよっていた。


「空襲だっ」


 かすれたような誰かの声が聞こえる。すぐに俺の耳にも飛行機のエンジン音が聞こえてきた。


 くそっ。こんなことをしている場合じゃないのにっ。


 苛立(いらだ)ちながら、すぐに街道を外れて林の中に突っ込む。しゃがみこんで茂みに隠れ、一度、背中の秀雄くんをおろした。

 もうすっかり元気を無くしてぐったりしている。水筒の(ふた)を開けて手渡してやった。


 姿を現したのは爆撃機の編隊だった。空の高いところを飛んでいる。どうやら攻撃目標は俺たちじゃないようだ。もっと遠くへ行くのだろう。

 亡者のように地上を()いずる俺たちに対し、空を行く銀色の機体。物量の差、戦力の差をまじまじと見せつけられる。


 秀雄くんのところに戻ろうと振り返ると、少し離れたところの茂みで、俺たちと同じようにしゃがみ込んでいる兵士の姿があった。

 空襲(くうしゅう)恐怖症になっているのか、その危険は無さそうだがピクリとも動かずに隠れている。

「俺たちが目標じゃないみたいだぞ」

 そう声を掛けたとき、鉄帽の下の顔が見えた。……そいつすでにガイコツとなった兵士だった。


 気がつくと、その脇にも5、6人の兵士が横になっている。ほぼ、全員が骨になっていた。


 さらにその奥にも6人ほどの集団が。その隣にも。注意をして見れば、あちこちに同じような死者の集団がいた。


「夏樹さん。……もういいですよ。俺を、置いていって下さい」

 呆然(ぼうぜん)と彼らを見ていた俺だったが、秀雄くんの言葉に振り変える。飲み終わった水筒を腹の上に載せ、秀雄くんは仰向けになったままで俺を見上げている。


「お願いです。もう」

「馬鹿野郎。そんなことができるかっ」


 駆けつけて叱りつける。身動きする力もないことをいいことに、そのまま腕をつかんで背中に負ぶった。


 立ち上がりながら、

「お前はそのまま負ぶわれていろ。あとは俺に任せておけ」

と言うと、泣き声交じりで、

「もう迷惑をかけられません。どうか。置いていって」

「バーカ。何にも食っていない君なんか軽いもんだ。こんなのなんてこと無いぞ」


 本当に軽い。だが同時に、とても重い。この手に感じるのは、秀雄くんの命の重みでもある。

 手に震えが伝わってくる。秀雄くんは俺の背中で泣いていた。



〝そうだ。もう少しでカレワだぞ〟

〝俺たちのようにはなるな〟


 不意に見知らぬ声が聞こえた。

 周りを見渡すが、人影は見当たらない。


〝街道荒らしが来る。このまま林を東に行け〟


 そうか。この声は――、ここで死んだみんなの声か。


 目に神力をまとわせると、あちこちの草むらから、立ち上がってこっちを見ている将兵の半透明の姿が見えた。


〝あの山を越えればカレワだ〟

〝俺たちの分もがんばれ〟

〝さあ行け。諦めるな〟


「あ、ああ」

 戸惑いながらも、その声のままに俺は林を東に行く。死んでしまった戦友たちの間を縫うように。

 次々に掛けられる声。俺の胸に熱いものがこみ上げてくる。いつの間にか涙が流れていた。


「ほら。秀雄くん。みんなが励ましてくれているぞ。がんばれ。諦めるな。もうすぐだって」


 ――みんな。ありがとう。……俺は諦めない。だから安心して輪廻(りんね)の流れに行ってくれ。


 そう心の中で願う。もう安らかに、次の(せい)に向かってくれ。あれだけ苦しんだんだ。戦ったんだ。もういいじゃないか。


〝そういうわけにはいかないさ〟


 俺の心の中の声が聞こえたのだろうか。誰かがそう言った。


〝お前たちみたいに、まだ誰か来るかもしれない〟

〝最後の1人がここを通り過ぎるまで、俺たちはここにいるよ〟

〝迷う奴がいるかもしれない。寂しがる奴もいるかもしれないからな〟

〝なに俺たちも大丈夫だ。ここにはみんないるんだから〟


 ――ばか、野郎。…………だが、そうか。寂しくはないか。みんないるもんな。



「俺はまたここに戻ってくる。全員が撤退したって。必ず、みんなに言いに来る」

 いつか必ず。戦争が終わったって、伝えに来るよ。


〝頼んだぞ。それまで待ってるぜ〟

 そう言っただろう兵士の幻がニカッと笑った。(ひげ)づらのままで。


〝お前たちが無事にカレワまで行くことを祈ってる〟

〝最後まで頑張れよ〟


 俺は泣きながら「ああ」「ああ」と言いながら、彼らの間を進んだ。



 それからも俺は歩き続けた。

 昼だけじゃなくて夜も。ひたすら林の中を。死んでしまったみんなの遺体が、ずっと並んでいる山の中を。


 そして、ようやく眼下にカレワが見えてきた。その向こうにチンドウィン川が見える。雨季のまっただ中で、茶色く濁り、圧倒的な水量になっている。


 川岸にたくさんの日本軍の兵士がいるようで、人の群れがアリのようにうごめいているのが見える。どう見ても師団の撤退は順調とはいえないようだ。

 それもそうだろう。いつの時代も、敗走の時はごちゃごちゃになってしまうだろうから。


 しかし、今はそんなことよりもカレワだ。あそこに行けば薬がある。秀雄くんのために、そう信じている。


「秀雄くん。もうすぐだ。もうちょっとの辛抱だぞ」


〝夏樹さん。もういいんです〟


「ばか。なに言ってるんだ。すぐに薬をもらってやるからな」


 俺はそう言いながら、早足で林の中の獣道をたどる。ゴールが目の前に見えてきたからか、足取りが軽い。道も、草や木の根が張り出しているものの、そのせいだろうか、ぬかるんでいるところも少ないようだ。

 この調子なら、本気で走ればすぐに到着できそうだ。


〝本当に。もう、いいんですよ〟


 背中の秀雄くんがそういうが、もうすぐじゃないか。


 だが、その時、俺は違和感を覚えた。俺は……、どうやってしゃべっている?

 ふと足を止め、背中の秀雄くんを肩越しに見ると、力なくうなだれている。


「秀雄、くん?」

〝……だから、もういいんです。俺は〟


 まさか。


 丁寧(ていねい)に秀雄くんの体をおろす。おい。その口で返事をしてくれよ。


「おいおい。冗談は止めてくれよ。それとも寝ちゃってるのか」


〝だから、そうじゃないんですって〟


 俺の目に涙がにじんでくる。指先がしびれたように細かく震える。

 すぐ隣に立っている兵士を見上げた。うっすらと半透明で、さっきから俺にしゃべりかけているその兵士は、秀雄くんの顔をしていた。


 俺に向かって、寂しそうに微笑んでいる。


〝俺はもう死んでしまいました〟


「馬鹿な。なんでだ? だって、もうすぐそこなんだぞ!」

 あとほんの少しだって言うのに! 嘘だろ。冗談だと言ってくれよ!


 ……しかし、俺にはわかっていた。秀雄くんは、間に合わなかったのだ。俺の背中で、すでに事切れていたんだ。


「あ、あああ。ああ。……うわあぁぁぁぁぁ」


 叫んだ。とにかく叫んだ。もうわけがわからない。ただひたすらに、俺は叫んだ。


 ふざけんな。なんで、死んだ。なんで死んじゃったんだよ。


 理不尽だとはわかっている。だけど、やり場のない怒りに突き動かされるままに、俺は叫び続けた。


 上を向いたとき、雨雲から雨が降り出した。すぐにザーッと強くなる。


〝すみません〟という秀雄くんの声は、しかし、今の俺の耳には入ってこなかった。


 大粒の雨が俺の顔ではじける。俺は秀雄くんの前に突っ伏して、地面を何度も殴りつけた。

 握りしめた地面が、泥となって指と指の間からこぼれる。その手が震えた。



 ああ、春香! なんて。なんて地獄なんだ。ここは……。



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