「街道だった」
※
緑の液体を飲んでから十分程経ったろうか、それまで鬱蒼と生い茂っていた木々が途切れているのが見えた。
「ふぅ」
結局チェイスベアに追いかけられたせいで、どこへ向かってるのか分からなくなり、適当に選んだ方角へただ真っ直ぐに歩いてきた。その間は変なのに襲われる事がなかったのは幸いだった。
それにしても、あの液体を飲んでから少しだけ疲れがとれたみたいで、今は思ったよりも疲れていない。それと転んだ時に擦り傷が出来た膝もあんまり痛みがないのも、もしかしたらあの液体のおかげなのかもしれない。
見た目はアレだったけど、効果は間違いなかった。
「お! あれじゃないか、大きな道って」
眼前には今まで通ってきた獣道とは明らかに違う、整備された街道のような道があった。
「うん、ここで合ってるよ!」
オレ達は自然と早足になり、舗装された街道の土の道に立って辺りを見回す。
「さてと」
道は左右に広がっていた。片方は木々の間を抜ける道、もう一方は平野を真っ直ぐに進む道。
「たぶん、あっちじゃないか?」
オレが鏡花と会ったのは森の中だった。横道にそれて出会ったあの場所に居たのだというのならば、たぶん森の向こう側へと続く道の方が正解なんじゃないだろうか?
その事を鏡花に伝えると、彼女は頷きオレ達はそちらの方へ向かい歩き出そうとした。
ガサガサ。
「あ」
森の中から出てきたのは、またもやあの熊だった。
「グオォォ!」
その熊はまるで道を塞ぐように立ちはだかり、目のあってしまったオレの方をその黒い目で睨みつけてくる。
「やばい! 逃げるぞ、鏡花!」
「うん!」
全速力の二足歩行熊に追われながら、目的の道とは反対の方向に走っていく。どんどんと遠のいていく目的地。けど、仕方ない!
「逃げろー!!」
※
緑の液体のせいか、森の中で追われたよりも今の方が長い距離を走れた気がする。
そうはいっても、
「はぁはぁ。しんどいぞ、本当に……」
心臓の音が聞こえる、異常に大きくドクドクと早鐘のようになっているのが分かった。
「だ、大丈夫?」
流石に今回は疲れたのか、鏡花も息が途切れ途切れになっている。
「キツいけど、なんとか……大丈夫」
一日にこう何度も限界まで走らされると、流石に疲労感が凄い。乳酸が溜まっていく。一刻も早くどこかで休みたい。
「で? ここはどこだ?」
顔を上げると目の前には灰色のレンガで作られている立派な、まるでお城のみたいな建物があった。
「あ、ここは……」
鏡花の顔色がみるみるうちに悪くなっていくのが分かった。
「どうした? ここってなにがあるんだ?」
彼女は首を横に振り、拒絶を見せた。ふと、今まで明るかった日差しが弱くなってきた事に気づき見上げると、晴天だった空はどんよりとして、今にも一雨降って来そうな天気になっていた。
「早く逃げないと!」
急に慌て始めた鏡花。
「どうしたんだ、急に?」
オレは驚いたが、彼女はオレの服の袖を思いっきり引っぱってくる。
「早く! 急いで!」
なんだ? この慌てようは? あそこはそんなに問題があるっていうのか?
「ここは魔王の城なんだよ!」
「はぁ!?」
そんなバカな!?
それじゃ、なんだ? 街と魔王の城が森を挟んだだけの一直線上にあるっていうのか!? そんな立地だったら、すぐに襲われてしまうんじゃ? いや、ここまでただただ流されてきてしまったけど、モンスターだの魔王だのと、ゲームじゃないっていうのに意味が分からない。まず第一、あの自称神様がオレを生き返らせた意味ってなんだよ?
急なファンタジー感あふれる『魔王』 という単語に混乱しすぎて、妙に冷静に混乱してしまう。
「ほら早く!」
グイっと強めに袖を掴まれ、思考が止まる。
そうだ、今は逃げないと! 考えるのは後でも出来る。今は、一秒でも早く逃げないと! ゲームの世界で見た事あるような魔王だったら、見つかっただけでオレ達の命は危ないはずだ!
振り返って森の方へ走り出そうとした時。
「ふん……そう容易く逃がすと思うか?」
背後から誰かに声をかけられた、首筋から伝った冷たい雫が背中へと垂れるのを感じた。
「囲め」
どこからか現れたスライムやチェイスベア、それと顔色の悪いローブを着た人型のナニカに逃げ道を塞がれた。
「まったく。チェイスベアからの報告をうけて出て来てみれば、馬鹿がふたりもいるじゃないか」
ポツポツと雨が降ってきた、まるで背後にいる存在に空までが怯えているかのように。
「こちらを見ろ、痴れ者め」
オレと鏡花はゆっくりと、振り返った。
「ほう? その身なり、ただの農民か? その程度の者がここに来るとは……舐められたものだな?」
正面に浮かんでいる男のこめかみからは禍々しい角が生えており、黒に赤の装飾が施されたマント姿は威圧感を感じさせた。
ただ、なにか……?
「もうひとりの方も、こちらを向いたらどうだ?」
俺の袖を握る手が離れ、鏡花はゆっくりと振り向く。時折りするカチャカチャという音は、彼女が震えて鎧が鳴っている音だと気づいた。
「ほう? その出で立ちは勇者か。 ん!?」
今までこちらに睨みを利かせていた魔王は、驚いたいたのか変な声を上げる。
あれ?
「お前、鏡花か?」
「え?」
そうか、道理で違和感、いや既視感があると思った。魔王は、いやコイツは!
「海斗!」
オレと鏡花の声が重なる。
「本当にお前たちなのか!? こんな異世界で親友に会えるだなんて思ってもなかったぞ」
魔王、もとい海斗はゆっくりと地面に降り立ち、駆け足でこちらに向かってきた。
「鏡花!」
と、手を差し伸べて握手をする。
「今までどこにいたんだよ?」
「すぐそこの街のプリートだよ」
「本当に? それじゃ、前に会ってたんじゃないか? ほら、あのパレードの時だよ」
「パレード?」
「あれだよ。4か月くらい前に魔王の誕生報告に行った時の」
「そんな事してたんだ。けど、私がこっちに来たの先月だから」
「そうなのか。それなら知らないのも無理はないな。まあ、いいや。こんな所で立ち話もなんだから、ウチに来いよ」
そう言って歩きはじめる海斗。
「そこのお友達の方も一緒にどうですか?」
と、さっきまでの威圧感はなりを潜め、いつものように話していた。ただ、なぜか他人行儀で。
ああ、そうか。
「海斗、オレだよ」
「え? なぜ俺の名前知ってるんです? もしかして、鏡花から聞いているんですか? イケメンの親友がいるって? それは困るな」
ハハハ、と笑う。まったくコイツの俺様と調子のいいは変わらないな。
「オレだよ、信吾だ」
「は?」
海斗は間の抜けた声を出した。
「信吾、乙桐信吾だよ。海斗」
「へ? けど、その姿……?」
こちらに向けている指が震えている。
「ホントだよ、海斗。彼女は信吾なんだって」
「はぁ!?」
異常な大声に耳を塞いだ。
「本当に? 嘘だろ、お前? なんだって、そんな。プッ!」
フハハ、と大声で笑いだした。
「マジかよ、なんでそんな事に。クフフ、ホントに? アハハ、ヤバいなこりゃ」
しまいには、フハハと腹を抱えて笑う。
「おい、そんなに笑うなよ。こっちは困惑してるんだからさ」
そうオレが言うと、海斗は「ふーん」 と、言いながら、
「まあいいや。とりあえず、来いよ」
そう言って、城の方に歩き始めた。
「それで? 信吾はいつこっちに来たんだ?」
「さっきだよ。森の中で倒れてたら偶然、鏡花の声が聞こえてさ」
それから、熊に追われた事を説明した。
「あー、それお前達か。聞いたよ、森の中でイチャイチャしてる人間がいたって」
イチャイチャって。鏡花の方を見ると顔が赤くなっていた。
「そ、そんな事してねぇよ」
「ほんとに?」
ニヤニヤと笑いながらも海斗は前を歩く。
「お、おう!」
「ふ-ん。じゃあ、そういう事にしておくわ」
なんだか含みのある言い方をする。
「ほら、着いたぞ。門を開けてくれ」
彼がそう話すと、門がゆっくりと左右に開かれる。
「ようこそ、我が家へ」
※
「!?!?!?」
顔色の悪いローブを着た性別不明の老人(とはいえ、人ではないのは分かる) が、山盛りのパンのような何かを木のお盆で持って来てくれた。ニヤっと笑い、こちらに差し出せてくれたから食べろという事なのだろうけど、オレには彼女の言葉は叫び声のようにしか聞こえず、理解できなかった。
「魔王城自慢のパンです、って言ってるんだよ。どうぞ、好きなだけ食べてくれ。本当に美味いから」
さっきまでつけていたマントを外して魔王城の大広間に現れた海斗は、一番奥にある大きくて豪華な椅子に座った。なんでも、そろそろお昼だったらしく「一緒に食おうぜ」 と、昼食に誘われた。
「うん? なんでそんなに遠くにいるんだ? こっちに来いよ、ほら」
パンパンと海斗が手を叩くと、彫像だと思っていた石像がひとりでに動き出して、
「うおッ!」
「きゃあ!」
オレと鏡花の椅子を持ち上げて移動し、玉座のそばまで移動させた。
「サンキュな、二人とも」
二体の石像はゆっくりとオレ達を降ろすと、お辞儀をして元の位置に戻っていった。今度は入れ替わりで、さっきのお盆を持っておばあさんが部屋に入ってくると、オレ達の元へと一瞬にして移動してきた。
「ええ!?」
その事にビックリしているオレを気にもせず、海斗はグラスへと手を伸ばす。
「そんなに驚く事はないさ、ただの瞬間移動だ」
そう言いながら、グラスを傾けて中に入った濃い赤紫の液体を口にした。
「って、それワインじゃないのか!? おいおい、未成年の飲酒は駄目だろ?」
「そんなの当たり前だろ? こっちの世界だって、俺達はまだ未成年だ。それにこれは、近くで採れた「ホボブドウ」を絞って作ったジュースだよ。って、さっきから信吾さ、変じゃないか? パンもなんか奇妙な物を見るみたいにしてたし、口もつけていない。なんだか知らないが、食べ物に警戒し過ぎだろ?」
たしかに海斗の言う通りだった。さっきの緑色の液体のせいで、この世界の食べ物に関する第一印象が悪く、どうしても構えてしまっていた。
それにしても、こういう変に細かい所に気づくのが多いんだよな、海斗は。
「ここの食べ物は安心してもいい。人の舌にも、モンスターの舌にも合うように何度もレシピ作りをしたからな。料理は魔王城の誇りだ、絶対にマズいとは言わせないさ」
「ほら、食おうぜ」 と促され、少しだか怖かったが目の前に置かれたパンをひと口だけ恐る恐るかじった。
「うまい……!」
ほんのり暖かいパンはふんわりとしていて、甘い。バターも何もつけていないというのに、甘みが強くてひと口噛むごとにその風味はどんどんと口の中に膨らんでいく。
日本でも食べた事がないような美味しさだった。
「ほんとだね、プリートではこんなパンは食べた事ないよ」
「そうなのか? あんなに大きな街だというのに?」
「うん。美味しい料理はたくさんあるけど、パンは少し硬くてフランスパンみたいなのしか食べてなかったな
「そろそろ街に行ってパンの製造法を教えた方がいいのかもな」
「いや、お前って魔王なんだよな? なんで魔王がそんな事……いや、その前になんで魔王?」
魔王という割には威圧的だったのは最初だけで、それからは単なる海斗だ。しいていえば、モンスターを従えている事だけで、それ以外にはオレの知っている海斗そのものだった。
そんな海斗が魔王だと言われても、違和感しかない
「それか。どこから説明するかな……その前に」
海斗は玉座の横に立っていたマスクをつけた銀髪の……人? に、ごにょごにょとなにかを伝えると、彼はお辞儀をしてその場から消えた。
「とりあえず、みんなにも休んでもらわないとな。働きっぱなしは体に悪いからな」
魔王ってのはホワイト企業の社長かなにかなのだろうか。
「さて、じゃあ話すか。とりあえずは、俺がここに来た時の事からだな」