「森を抜けると……」
「ところでさ、どうして女の子になってるの?」
そう言いながら鏡花は女になったオレの体を上に下にと、じっくりと見ていた。
「神様が間違えたんだってよ。ってか、あんまり見るなよな」
その話題にいまさら感がありつつもそう説明したが、そんな事よりも彼女の視線がなんだか恥ずかしく感じた。
「えー、これは女子でも見ちゃうよ。すっごい可愛いし、それに……」
なんだか視線が胸に向いているような……
「えいっ」
胸を人差し指で突いてきた。
「なっ、なにを!?」
「うわー、すごい。こんなの……」
咄嗟に胸をかばうように、腕を胸の前に組む。
「……うらやましい」
「うん?」
鏡花が何かを言った気がしたのだけど、気が動転して聞き取ることが出来なかった。
「なんでもない!」
「なんだよ」
「なんでもないってば!」
なんでか鏡花は急に機嫌が悪くなった、こういう所は前からよく分からない所だった。
「それにしても、街についたら服を着替えないとね」
「うん? 着替えるの?」
彼女が何を言いたいのか分からなかった。
「そうだよ。ちょっと汚れちゃってるし、なにより生地が薄すぎ。あと、その胸元も……ね?」
言われて、胸元を見ると……
「ちょっと!? なにを見てるの?」
鏡花はまたも機嫌が悪くなった。
「いや、なんでもないです」
咄嗟に目を背けて謝ったけど、いまや自分の一部なのだから怒られる事ではないはずだと思うけど、そう反論すると火に油を注ぎそうなので止めておく事にした。
「あんまり前が開きすぎだから、気をつけないと」
そういうものなのか、と思いながらも女性歴の長い先輩の話は聞いておく。
「あと。ほら、肩に」
と、目覚めた時に横になっていたからか付いていた葉っぱを取ってくれた。
「あ、サンキュ」
「ほら、顔にも汚れがついてるよ」
頬についた汚れを指て拭う鏡花。
「それにしても長いまつ毛だね。それに肌も白くて綺麗」
鏡花の顔が目の前にある、それにいい匂いも……なんだか、気まずい。
そ、そうだ。うん。そうだ。
「な、なあ? 街の大体の方角ってのも分からないのか?」
鏡花はこちらをまっすぐに見るとビクッと肩を跳ねて、少し後ろに体を引いた。
「そ、そうだね。どっちだったかな?」
なんだか、鏡花がよそよそしく話す。
うん。
と、とりあえず良かった。いや、ちょっと惜しいとも思うけど。今は、とりあえず良かった。そうだ、うん……たぶん。
「えーと、大きな道があって」
彼女はほんのり赤くなった頬を押さえながら話す。
「それで、その道を行った先にプリートがあるんだよ」
「大きな道、か。それなら、それを目標に歩くか」
「う、うん! そうだね」
パタパタと顔を手で仰ぎながら鏡花は頷いた。
しかし、そうは言ったけどどちらの方角に進んで行けばいいのかすら分からないのではどうにもならないし。
そう思いながら、周囲のあちこちを見回していると一本の小枝を見つけた。
「これで決めるか」
枝を手に取って、地面に立てた。
「こんなのに命を預けるのはバカみたいだけど、仕方ないよな」
倒れないようにして抑えていた指を放すと、その枝は自然に倒れた。
「おっし、じゃあ行くか」
そう言ってオレはその枝の先端が示す方を指さした。
「そんな大雑把な決め方でいいの?」
「良くはないけど、これといって見当もつかないしさ。とりあえず、いいんじゃないかな」
こんな所で、ただ立っていても事態は良くならないしな。
「さあ、行こう」
「うん!」
ガサッ!
進もうとした方向から、なにかが出てきた。
「あ」
熊だ、どこからどう見ても熊だと認識できる程の熊だった。
「なあ、アレってヤバいヤツ?」
オレの質問に鏡花は声を震わせながら、
「うん」
と、答えた。
「逃げるぞー!」
結局、オレ達二人は何処とも分からない方向へ全速力で走り出した。そして、なぜだか二足歩行で迫ってくる熊。
「な、なんでついて来るんだ! というか、なんで立ってるんだ!?」
「あれは、チェイスベアっていって目があった生物の後をずっと追いかけてくるんだって」
「だから、知ってるなら早く言えって……ハァハァ……」
もう息が上がってきた。間違いなく男の体だった時よりも体力が落ちているぞ、オレの体。
「けどね。チェイスベアは追いかけっこが好きなだけでね、相手を追い越すと帰っていくんだって」
「だから、そういう事は早めに行ってくれよ!」
それなら走らないで止まればいいんじゃないか?
よし、止まろう。今すぐにでも止まろう。
ゆっくりと走る速度を抑え……
「あ、止まったら駄目だよ。本気じゃないと爪でひっかいてくるから」
後ろを振り向くと、熊は両手を上げて光る爪をこれ見よがしに掲げていた。
オレは速度を落とし始めていた足を、必死に動かす。
そう言う事は早めに! ホントにお願い!
「うぉー!」
死ぬ! せっかく生き返ったのに、一日も経たないうちに死んでしまう!
「あ、大丈夫?」
なんで鏡花はこんなに普通なんだ、疲れてないのか?
「大丈夫じゃない!」
本当に大丈夫じゃない! なんせ、鏡花に追いつくので……もう、体力が……
あ! 足がもつれて……!
「倒れ……!」
崩れていく姿勢をなんとか立て直そうとするオレの横を、チェイスベアが清々しい顔で駆け抜けていく。その表情は晴れやかで、さっきまで爪をこちらに向けていたのと同じ熊だとは到底思えなかった。
さらに熊は鏡花をも追い越して、森の中へ去っていった。
「いってぇ……」
転んでいるオレに鏡花が駆け寄って、手を差し伸べてくれた。
「大丈夫?」
「まあ、なんとか」
全速力で走って転び、足を擦りむくだなんて小学生以来だな。
鏡花の手を取り、立ち上がる。
「そうだ。これでも飲む?」
そういうと鏡花は、腰につけた小さな袋の中から緑色の液体の入った小さな小瓶を取り出した。
「な、なにそれ?」
緑の液体は少し濁っていて、なんだか小学生の時に見た洗っていない水槽を連想させた。
「これはね、こっちに来てから助けてもらってる友達に貰ったんだ。栄養剤みたいなものだって」
栄養剤? 本当に?
小瓶を受け取り、中を覗くと、
「なんか……動いてない?」
「そんな事ないよ。ただ、原料は微生物だっては聞いてるけど」
微生物? ミドリムシ的な?
「味も悪くないよ、まるでキウイジュースみたいで」 と、飲んでみてよと再度勧めてくる。
「お、おう」
小瓶の蓋を外してにおいを嗅ぐと、思ってたような水槽の臭いはせず、甘い香りがした。これならいけるかもと、くちびるに小瓶をつけてひと口、ゴクリ。
「悪くない」
「でしょ? ただね」
グビグビと飲み干す。
「だけど……おトイレが緑になるから、そこだけはちょっと嫌かな」
いや、だから!
「ゴホゴホッ! そういう事は先に言えって!」
むせながらも、こっちに来てから何度も言った言葉を繰り返した。
「だから、いま言ったんだよ。まだ、おトイレには行ってないでしょ?」
「あ、そうか」
確かにそうだと思ったが、
「じゃなくて! せめて飲む前に教えてくれよ」
「ご、ごめんなさい」
本当に反省している表情だった。
「ったく。すまん、言い過ぎた」
前途は多難そうだけど、
「ごめんね?」
鏡花の顔を見ていると、自然と仕方ないかと思えた。