「こっちに来てから、まだ一日か……」
※
「ごちそうさまでした」
オレは食べ終えると箸を置いた、箸があるってのも女将さんが転生者だからなんだろう。
それにしても美味かった。鶏ガラベースの澄んだ色をした醤油スープに、もっちりとした縮れた麺。味はねぎなのだけど、食感がサクサクとした日本、いや地球では見た事のないナニカ。白身まで黄色い卵。
やっぱり食べなれたラーメンとの違いが気にならない訳ではないけど、美味しいラーメンだった。
「うん。美味かった」
海斗も食べ終えたらしく、そう感想をつぶやくように言った。
「しかし……」
なにかを考え込んでいるようだった。
「さてと。明日の予定も決まったし、今日はもうそろそろ寝ますか」
ソフィーさんが腰を上げる。
「そうだね」
鏡花も立ち上がり、それにオレと海斗も続く。ソフィーさんは食器をカウンターに持っていく、それにオレ達もならった。
「ありがとね。どうだい? ウチの料理は?」
忙しい時間を越したのか、女将さんは椅子に座ってお客さん達を見ていた。
「美味しかったです」
オレがそう言うと、彼女はニコリと笑い、
「そうかい。それなら、良かったよ。今後ともごひいきに」
そう言って手をひらひらと左右に振った。
※
宿屋に戻り、仮住まいの部屋のベットに横になる。いつもより少し長い、とはいえ女性としては短めの髪を撫でた。
(まだこの体になって一日と経っていないのか……)
何度かトイレに行ったのだが……慣れるのはまだまだかかりそうだ。
(コレに慣れる事なんて来るんだろうか? それに……)
やっぱり先の事を考えるだけで気が重くなってしまう。
「ハァ……」
オレのため息を消すように、コンコンと扉がノックされた。
「おい、起きてるか?」
声の主は海斗のようだ。
「ああ」
体を起こして簡素な、倉庫についているようなカギを外した。
「邪魔するぞ」
そう言うと、海斗はオレにコップを手渡す。
「お邪魔します」
その後ろを色々なお菓子が入った器を持った鏡花が遠慮しがちに入って来る。
「なんだよ、ふたりして?」
海斗は椅子を引くとそこに腰掛けた。オレはベットに、その隣に鏡花が座った。
「いやな。自分だけ戻れないって、いまだにウジウジと考えてる奴がいるんじゃないかと思ってな。そんな女々しいヤツの顔を見ようと鏡花を誘ってきたんだよ」
図星だ。
「違うでしょ、海斗。ふたりで信吾と話そうって来たんでしょ?」
鏡花は少し怒ったようにそう話す。海斗の言葉がいつもの軽口だって彼女も理解しているから、本気で怒ってはないのが分かる。
「信吾」
海斗の口調が急に真剣さを増した。コイツの本心は長年一緒にいたオレでも分からない事がある、それは今みたいに本気の目で話をする時だ。これは海斗が大きな製薬会社の息子で、小さな頃から大人の好機の目にさらされ続けているからなのだと、なんとなくだが思えていた。
「さっきも言ったけどな。お前だけをこっちに置いていくなんて事は絶対にありえないからな」
ふたりがオレを置いていく事を進んで選ぶ事がないのは分かっている。けど、オレの為にふたりが帰れないってのもなんだか違う気もする。
「お前が逆の立場だったらどうする? 俺か鏡花を置いていって、向こうに帰るのか? 違うだろ?」
まあな。
オレがふたりだったらどうするか? こんな簡単な事も思いつかない程に混乱していたのかもな、オレは。
「安心しろよ。俺達が帰れる時が来ても、お前も一緒じゃないと戻らないって神様達に言ってやるよ」
鏡花も力強く頷いた。
「……ありがとな」
本当にその時が来たらどうなるかなんて、いまはまだ分からない。けど、今のオレには二人の言葉だけで十分だった。
「当たり前だろ……バカが」
海斗は照れているのか、こちらを向かずそっぽを向いていた。
「うん、決めた!」
オレの言葉にふたりは顔を見合わせる。
そうだ、先の心配なんて目標がないから浮かぶんだ。
それならば……
「オレはお前達を戻すために協力するよ」
その事だけに邁進する、それでいい。
「まあ、鼻っからお前の手も借りるつもりだけどな。俺は」
海斗は居たって当然かのようにそう反応する。
「一緒に頑張ろうね、信吾」
鏡花は笑ってそう話していたが、
「きゃー!」
急に悲鳴を上げて、オレに抱きついてきた。
「な、なんだ!? グゥ……!」
首に回された腕のせいで呼吸が苦しい……! コイツ、こんなに力あったっけ!?
「ア、アレ!」
鏡花が指さす先に、黒い小さな生物が歩いていた。蜘蛛だ。
「わ、分かったから」
彼女の腕を剥がして蜘蛛を指先でそっと掴み、窓の外から逃がしてやった。
「こ、これでいいだろ?」
いまだに背中に掴まっている鏡花の方を見ると、涙目でスンスンと鼻を鳴らしていた。
彼女は小さい頃から虫が苦手で、オレと海斗が何度も追い払っていた。
「あ、ありがと」
オレの身長が縮んだせいか、やけに鏡花のとの距離が近い。普段はロングの髪の毛を動きやすいようにかお団子にしていた。
なんだかいい匂いがする。
鏡花が顔を上げ、涙目でこちらを見返してくる。
「おふたりさん? 俺も居るのを忘れちゃいないか?」
バッと、服から音がするくらいにオレと鏡花は離れた。
「イチャイチャするのもいいけどさ。今はとりあえず明日の話をしようぜ」
海斗はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
※
「よし。とりあえずこんなもんだろう」
海斗は持って来たカップの中身を一気に飲み干した。
「じゃあ、そろそろ本当に寝るか」
ソフィーさんに教えてもらった職業鑑定をした後の事を少し話した。
「そうだね」
ふたりはコップを持って立ち上がった。
「じゃあ、明日な」
海斗が部屋を出て行く。
「ああ。おやすみ」
「おやすみなさい」
その後ろを鏡花は手を振って部屋を出た。
「そうだ、忘れ物」
海斗はそう話しながら、すぐさま部屋に戻ってきた。鏡花は「先に寝るね」 と、扉の向こうから声がした。
「なんだよ?」
「これ」
と、お菓子を数個つまむ。
そして、扉を閉めた。
「……あのさ」
海斗は動きを止めた。
「お前、鏡花に自分の気持ちを伝えないのか?」
「……は?」
急な事になにを言われたのか分からなかったが、言われた事を理解して顔が火照ってくる。
「な!? はぁ!?」
「告白しないのか? って、聞いてるんだよ」
海斗の顔は真剣だった。
「そ、それは……」
オレは……鏡花に対するこの気持ちが何なのか分からなかった。一緒にいて楽しいし、ずっと居たいとも思うけど、それが海斗に対する友情と何が違うのか、人と付き合った事のないオレには分からなかった。
「ほら、こんな体になっちゃったしさ」
そうやってごまかそうとしたが、
「そんなの関係あるのか? 鏡花の事が好きなんだったら、それでいいんじゃないのか?」
そう話す。
「気持ちの問題だろ?」
なんだか海斗の言っている事が正論のように思えてくるし、実際そうなのかもしれない。
「まあ、いいさ。ただ後悔はするなよ、こっちの世界はお前が思うよりも過酷なんだから」
そう言って、部屋のドアノブに手をかける。
「お前は……」
オレはその背に言葉をかけた。
「お前はいいのか?」
「何の事だ?」
背中を向けたままの海斗はそう答え、部屋を出て行った。
「……お前の鏡花への気持ちは、それでいいのかよ?」
オレの言葉は誰もいなくなった部屋の中で、ただ消えた。




