林檎飴
私が今、何故こんなにも、鬱蒼とした気分でいるのか。
夜を照らす煌々とした灯りが幾つも並び、甘い匂い、香ばしい匂いに食欲がそそられるはずなのに、何故かそれらは私の鼻孔を通り抜け、人の熱気に紛れ消えていく。周囲では笛や太鼓の祭囃子が心地好いリズムを刻み、別の通りでは若者達の笑い声がこれでもかと聞こえてくる。
通りをひしめく出店の数々も黄、赤、茶、黒等の様々な色合いが歩道を埋めつくし、その光景は幼少期に母親に手を引かれ歩いた、当時の祭りそのものであった。
そういった本来なら私を嬉々と高揚させるあらゆるものが、今は水面に落ちる木の葉の如く静かな波紋を心に広げるのみとなっている。
理由はもう分かっている。
約束をしていたのだ
そう、本来なら私の隣には亜麻色の髪をお団子に纏め、女性らしい起伏がある体に良く似合う、華やかな浴衣に袖を通した人がいるはずであった。
愛らしい口元はたこ焼きなどを頬張り、慣れない下駄に戸惑いつつも、兎のように可愛らしく付いてくる女性が、隣にいるはずだったのだ。
祭りに誘う時、私は勇気という言葉が稚拙に思えるほどの勇気で彼女に声をかけた。
「良かったら数日後の祭りに一緒にいきませんか?」
「いいですね~楽しみです~実は私も毎年行ってるんですよ! 一緒に行きましょ~!!」
彼女は実にアッサリと、母親が作った夜ご飯を、いらないの四文字で片付ける思春期の子の如く、実にアッサリと承諾してくれた。
無駄に語尾か長くなる口調であっさりと、それに比べ、私は声をかける言葉を考えるのに五日間。声をかける為の勇気を振り絞るのに六日間。実際声をかけられず自分の意気地のなさに枕を濡らす日々が二週間。計二十五日も悶々としていたにも関わらず、四秒で返答を貰えたときは、私の二十五日はなんだったのかと少し悲しくもなったほどだ。
周りの連中からは「先輩あの娘狙ってるんすか! フゥー」や「あの女、結構魔性の女らしいぞ、まあ、頑張れ」などと言われ、最終的には「会社でナンパするな!」と上司に怒られたのは今でも良い思い出だ。
「すいません」と上司に頭を下げるが、嬉しさのあまり、冷静という仮面を付けられず、終始笑顔だったのは気付かれてはいないはずだ。 祭の開催期間を待つ私は、絵に描いたような、それこそ子供のような心持ちで待っていた。
浮かれていた。非常に浮かれていた。通販番組で筋肉トレーニングマシンを買うほどには浮かれていたのだが。
「ごめんなさい~。今朝お婆ちゃんが倒れちゃって、今病院にいるので今日の予定キャンセルでお願いします~。」
スマホに表示されたあの人からの連絡を見て、一瞬にして時が止まり、世界が崩壊したような感覚に襲われた。
部屋の隅に蹲り、ジツと一点を見ていると、身体と精神が離れ離れになり、一生この二つが同じ肉体に戻ることはないのかもしれない。という自分でもよく分からない考えになっていく。そんなことを悶々と考えると気が狂いそうになったので外に出た。
出たはいいが、特にどこともいく当てが無い。ふらふらと歩き、気づけば一緒に行くはずの祭りの入り口に立っていた。 賑わい、華やいでいた。大人も子供も笑い、目尻の深さをより深く刻んでいく姿が、妙に心を揺さぶる。何故、私以外の人間はこうも幸せそうなのか。本来なら祭りというのは楽しい所。気が重くなるのがおかしいのだ。しかし今は、祭りそのものが私を地獄の責め苦へと追い込んでいるように思う。
太鼓の音、笛の音が私の肉体と精神をゆっくりと切り刻み、煌々とした明かりが私の心を燃やしていく。
重い足を引づるように歩いていると、ある店が妙に気になってしまう。見た目はどこにでもある出店だ。目の前で足を止める。
林檎飴を売っている出店など珍しくはない。ないのだが、単純な色彩、寸詰まりな扁円型、なまめかしい香りなどが、どうにも私の心を弾ませた。
私は林檎飴を買い眺めながら祭囃子の中を歩く。気付くと祭りの喧騒が遠のいていた。どうやら私は祭りの区画を出ていたようだ。
途端に気が動転し、その場を右往左往しているうちに、一つの考えが浮かび即座に実行した。
私は林檎飴を足元に置くと、なにかに追われるようにその場を後去る。やけに白々しい夜、祭りで盛り上がる通りの反対に林檎飴だけかポツンとその場に取り残された。
距離をあけ、期待を込めて林檎飴に一瞥をおくる「もしあの林檎飴が――」と想像を膨らませ私は駅の方角に歩いていく。
祭囃子の喧騒がより一層賑わいをみせていた。
檸檬を自分風にするとです。