名前
短編「悪役」の「彼」視点です。
どんな名前で呼ばれようとも、たいした問題じゃないと思っていた。
東の国のA卿の所にいるときにはエリック。
南の国のB伯のもとで働いた時にはトリスタン。
西の国のCに厄介になっていた場合には……忘れた。
ともかく仕事の度に名前を変えていたからどのように呼ばれても執着なんてなかった。いろいろな国を諜報活動で飛び回り、時には暗殺なんて仕事もあって身なりや髪型や声色まで変えていたから―――変えていた筈なのに。簡単には見抜くことなんて出来ない筈なのに、初めて彼女を見た時から彼女の瞳はいつだってまっすぐに俺の姿を捕らえていた。動悸が激しくなるのは正体がばれてるのを恐れてか、それとも……
彼女の名がソフィアと言う令嬢だと知ったのはXXX国の大臣のもとへ戻った時だった。クーデターを起こすために王位継承権を持つ彼女を担ぎ出したいので協力してほしいと言う。孤児であった俺を拾い上げてくれた恩人に報いたいと努力した結果……。
「俺が女装して王子を誑し込むんで、そしたら流石に諦めて下さいよ。お嬢様」
とんでもない事を口にしていた。王子の事を好いているようには見えないのに、それでも殺すのは忍びないと言う彼女に対して出た言葉は少しばかりの嫉妬も混じっていた。もっと冷静に事を進める筈だったのに彼女が絡むとどうしてこうもうまく行かないんだろう。
ああ、腹が立つ。あんな美人で優しい婚約者がいながらなんでこんなに王子はチョロいんだ?普段は俯き気味にして王子を見かけた時だけ顔を上げ(背丈を誤魔化すため)必要以上に声を出さない様にして(ヘタをすると裏返ってしまうから)少し困ったようにはかなげに微笑む。(本当に困っているんだが……)気位の高いお嬢様とは正反対の女性を演じ「でも、婚約者がいるのでしょう」と言えば、あっけなく目的が果たせた。
王子の首と胴体が離れた時には、彼女の前で女装している羞恥と危機を乗り越えた安堵で本気で泣いた。だが、遺体を無言で見つめる彼女にとっては終わりではなく始まりに過ぎない。横顔に強い意志が宿る瞬間を見た。そんな状態でも、腕を引っ張り上げて彼女が部屋まで連れて行ってくれた優しさは、思い出すとじんわり胸が熱くなる。
「絞首と斬首、どちらがお好みかしら?」
ぞくりとするような艶っぽい声が悪徳領主に死刑宣告を下した。悪役を演じるときの彼女は本当に色っぽくなる。口角を上げて少し首を傾げ無邪気に残酷な言葉を告げる姿は、さして実害の無い兵士たちには密かに人気だ。でっぷり太って脂ぎったハゲ親父は、不作を装って国へ納める税金を自分の懐へ入れていた。つい先程まで領主の側仕えを装っていた俺には、全く気付いていない。
「おかしい、こんなはずでは……レイモンド、レイモンドはいったいどこへ行ったっ」
あなたの目の前に居りますよ、なんて口が裂けても言えるわけがない。しれっとした顔で陛下の傍に控えていると、悪徳領主はみっともなく喚き散らしながら、兵士に両脇を抱えられて処刑場の方へ連れて行かれた。
陛下がこちらをじっと見て先ほど領主が呼んでいた名前を口にする。
「レイモンドって、あなたの事かしら?」
「さあ、何の事ですかねぇ?」
思い切りばれている。悪役状態の彼女の視線に射抜かれて明らかに挙動不審になってしまい冷や汗ものだったが、彼女はそんなことを気にも留めずに処刑場へ向かって行った。処刑を楽しみにしている様に装うのが、彼女なりの悪役らしい。ため息をついてはみたが、別にばれたところで何の支障もないことに気付く。……怖かった。全部終わって一緒になれたとしても浮気だけは絶対にするまいと心に決める。いろんなことをすっ飛ばして先走っている自分の考えに苦笑していると、彼女が戻ってきた。
「何やっているの、レイモンド。行くわよ」
「だから違いますってば」
偽名で呼ばれたくはない。あんなハゲ親父に呼ばれていた名前を、彼女の口から呼んでほしくない。できれば、特別な名前で呼んでほしい。いつの間にか名前に対して執着を持ち始めた自分が、すでに戻れない道を歩み始めていることに気が付いた。
彼女を最期まで見届けたい。たとえそれがどんな形だったとしても。
巨大船は着々と準備が進み、進水式も終え、予言の日まであとわずかとなった晩の事。
「なあ、大臣。陛下は本当はあんたの子供なんじゃないのか?」
「どうしてそう思った」
知ったからと言って俺を消そうとするほど、大臣が浅はかでないことは知っている。名前こそ付けられなかったものの、長い付き合いだ。昔に比べると頬のあたりがかなり痩せこけている。
「あのままクーデターを起こせば王子の婚約者として王子もろとも殺された。王位継承権を持つ姫君として祭り上げれば助かる可能性は少しだけ高くなる。クーデターの立役者としてあんたが前面に出て玉座に付けばいいものを、そうしない理由を考えて調べてみた結果だ」
彼女の両親は幼いころに他界している。先代国王には弟が二人いて、一人は彼女の父親、下の方の弟が現国王だ。本来なら彼女の後見人となるべき男は彼女を貴族に預けて自分が玉座に納まり、息子に嫁がせることで徐々に湧き上がっていた周囲の反感を防いだとされる。だが、預け先にはもう一人、亡くなったとされる出自を明かせない娘がいた―――
彼女の齢は大臣からすると子供と言うより孫の齢だ。きっといろいろあったんだろう。
「報酬の話をしていなかったな。陛下が役を終えた後、娘を幸せにしてやってくれ。頼む」
「娘さんを俺にくださいと頭を下げるつもりだったのに、先を越されたか。遠くで見守るだけになると思うけれど、それでいいか?」
「もとより覚悟の上だ。本人だって知らんのだからな」
育ての親が義理の親になるだけだ。今の状態と何ら変わりは無い。彼女の出生の秘密は彼女自身にも伝えずに墓場まで持っていこう。大臣の顔は娘を思うやわらかい表情になっている。
「問題はあの子の気持ちなんだが……」
「処刑がつらくなった時に俺の胸で泣いてくれたんですが、どうですかね」
大臣と二人でため息をついた。陛下が俺に誑かされているなんて嬉しいことを言ってくれた奴もいたが、彼女に近い人物ほど微妙な顔をする。王子に全身全霊で好意を示していた彼女を見てきたから、らしい。死んだ後だと言うのに本当に厄介な相手だ。もしも自分を選んでくれた時には必ず幸せにすると約束をして、大臣の部屋を離れた。
予言の日、脱出する間際に城の窓から大臣の姿が見えたので、彼女がそれを見ない様に担いでいる手を少しずらした。
「ちょっと、どこ触ってんのよっ」
「すみませんっ責任は取りますから暴れないでくださいよっ」
死ぬ必要がどこにあるんだ。『遠くで見守る』って、何もあの世まで遠くに行かなくてもいいだろう。船にたどり着くまで彼女に顔を見られないのが幸いだ。涙を流さないように必死でこらえて歪んでいるだろうから。
少しずつ遠ざかっていく島を名残惜しそうに眺めている陛下。火口から出ている噴煙に、石が混じり始めている。手漕ぎの小舟とは言え、速度が出るように設計されているのでかなり速い。
落石による波の影響を受けないところまで離れた頃、次にやるべきことを彼女に告げた。
「さて、上陸する前に着替えて下さいよ。流石にそのなりだと一目で身分が高いとばれてしまう」
「え、ここで?」
ここは小さな船の上、見渡す限り一面は海。身を隠すものなどない場所で着替えろと言うのは年頃の娘に対して酷な事だってのも分かっている。船に用意していたのは町娘が着る様な簡素で小奇麗な服。彼女に渡すと向きを変えて後ろを向いた。
「見ないでよ」
「見ませんよ」
「見たくないの?」
「見て良いんですか?」
「ダメ、今はまだ」
今は、って事はそのうち見られる間柄に……なんて思っていたら「着替え終わったわ」と声が掛かった。町娘の格好にしては何か違和感がある。まじまじと見つめて理由を探していると、居心地悪そうに身じろぎをした。
「髪はほどいて後ろで結ぶ程度にしてください。それから、コルセットは取らないんですか」
「船の上だと安定が悪くて難しいのよ。そう言えば、あなたの本名はなんていうのかしら?いろいろな名前で呼ばれていたのでしょう?」
自分の髪を手櫛で整えながら誤魔化すように話題を変える彼女に、少し考えてから答えた。
「どうせなら陛下が、いや、国が滅んだから陛下ではないか。ソフィアがつけて下さいよ」
初めて名前を呼ばれて、ソフィアの顔がうっすらと赤くなっている。予想通りの反応に満足しながらも、自分に付けられる名前に期待が高まる。今まで適当な名前を名乗ってきたからこそ、名前を付けられると言うのは自分の存在が認められ相手のモノになるような気がして、ヘタな愛の誓いよりも高揚感が増した。
「私なんかでいいの?そうね……ではマリアで」
「勘弁してくださいよ、まだ根に持っているんですか」
俺が情けない声を上げると、企みが成功したと喜ぶソフィア。声を上げて笑うのを初めてみた気がする。やっと気が緩んできたのか、だんだんと年相応の顔を見せるようになってきた。
「生まれはどこなの?」
「孤児であちこち移動してたらしくて、知りません」
「そう……名づけの参考になるかと思ったのだけれど、難しいわね」
今度は難しい顔をしてうんうん唸り始めた。城に居た頃よりも表情が豊かになっていく。これが彼女の本来の姿なのだろう。懸命に考えてくれるその姿が、嬉しくて、可愛くて。
「ゆっくり考えて下さいよ、時間はまだたっぷりあるんで」
再度、船を漕ぎ始めた。巨大な船が付く大きな港町とは別の漁村に近いような小さな港を目指す。思考を邪魔しない様に無言で漕いでいると、噴火の轟音も徐々に遠くへ消えて行った。
「ソロンで良いかしら?」
「頭の良さそうな名前ですね。ちなみに由来はどこからですか」
「昔飼っていた犬の名前。すごく可愛がっていたんだから」
絶句した。犬、よりにもよって犬。微妙に自分の立ち位置にはまっている所が何とも言えない。ふてくされてそっぽを向くと、ソフィアは犬にするように頭を優しく撫でてきた。
「ソロン」
ソフィアがあまりにも優しい声で呼ぶので、俺は一声、わんっと返事をする。また、彼女の笑い声が聞けた。
聖竜歴547年、ソフィアに名前を付けられて、やっと自分が誕生した気がする。諜報活動の報酬で、港町に家を一軒買ってある。さてと、ここからが正念場だ。




