君が死ぬまで、待っている 4
――エミリアは公爵家の一人娘として、何不自由なく生まれ、育った。優しい父に、厳しいけれど、暖かい母。
高い身分を生まれながらに持ち、美しい衣装も、珍しい品も、手に入らないものはなかった。
エミリアの周りは大好きなものでいっぱいだった。
大きなぬいぐるみのティム、美しい音色のオルゴール、かわいい桃色のリボン。
みんなかわいくて、ベッドの近くにいつも置いていた。
エミリアが恋をしたのは、九歳の時だ。いくつか年上だけれど、将来の夫となる人だ、と父には言われた。
うれしかった。きれいな髪の素敵な人が、愛する夫となるのだから。
婚約者となった少年は、エミリアに白い小さな花をくれた。エミリアの宝物が増えた瞬間だ。
ありがとう。目いっぱいの感謝を込めて微笑む。少年も、はにかむように応えた。
その時、エミリアはこほ、と小さな咳をした。
はじめての出会いから、六百年が経った。
あれから、彼とは一度も会えていない。彼は、明確な意思を持って己の前から姿を消したのだ。
それを悟るのに、百年がかかった。
彼には会えないまま、相変わらず自分は短い生と死を繰り返している。
彼女が生まれたのは、海風が心地よい港町だった。父は漁師で、母は食堂を営んでいる。
彼女に、エミリアと言う名を付けたのは顔も見たことがない祖母だ。それがなつかしい、彼女の一番最初の名前だったのは、ただの偶然だろうか。
エミリアたち家族は決して裕福ではないが、風の強いこの町は近隣同士団結し合うのが通常で、一家は気の良い近所に助けられながら、日々をしのいでいた。
そうして、彼女が九つになる頃。
「エミリア、はす向かいに新しく越してきた人がいるから、ご挨拶にこれを持って行っておくれ」
そうして手渡されたのは、母手製の魚料理だ。燻した魚を煮込んだもので、二、三日は保存も効く。
こんな田舎に越してくる人がいるとは驚きだ。
はす向かい、と言えば、少し前まで腰の曲がったおばあちゃんが住んでいた。
享年七十五。昔、人間の寿命は六十歳だったが、今ではそれを越える人もぽつぽつ見られるようになった。
医学と言うものが、進歩してきたのだろう。
おばあちゃんは、唯一の息子を戦争で亡くひている。一人暮らしだったのだ。
母は、当のおばあちゃんが亡くなってから主を失った家が埋まり、嬉しそうだった。
「人の住まない家ほど、寂しいものはないからね」
と、そう言う。エミリアにはよくわからない。
母のお使いを引き受けたエミリアは、料理の入った皿を持ち、慎重に運んだ。おばあちゃんの家ははす向かいだったので、たいした距離ではない。
白い石を積み重ねた小さな家は、長年の海風で少しぼろついていた。
「ごめんくださーい」
ドアをノックして一歩下がる。ぺたぺたと、中からゆっくりと足音が近づいてきた。
「はい、なんでしょうか」
出てきたのは、くたくたの服を着た背の高い男だった。
すらりとした雰囲気で、顔の整い方がこんな田舎町にはそぐわない。強い風に、老人のような白い髪がさらわれる。
エミリアは、目を丸くした。
それは、間違いなく、彼だった。
彼はエミリアには気づいていなくて、あの愛想笑いを浮かべている。
それでも、いつまで経っても動かないエミリアを不審に思ったのだろう。
笑みはほどけて、少しづつ、その瞳が鋭さを増していく。
「オスカー……」
名前を呼ぶと、彼はうめくように息を飲んだ。
エミリアの目元に、じんわりを涙がたまっていく。
オスカーは、びくりと肩を震わせた。
「やっと……やっと会えた」
皿が足元に落ちる。エミリアは、たまらずオスカーに駆け寄ってその腰に両手を回した。百年ぶりに味わう暖かさに、涙が止まらない。
「よかった……会えた」
何度もつぶやいて、しがみつく。
オスカーは、躊躇うように、そっとエミリアの肩に手を添えた。