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君が死ぬまで、待っている 1

 外へむき出しにした鼻が、きんと凍える。手袋越しに愛馬の手綱を握る指先の感覚は、今にも冷えてなくなりそうだ。凍った空気は胸にまで届いて、締めるような痛みすら感じさせる。


 ――まったく、なんたることだろう。


 麓からこの村へと続く山道は、馬の足を半分埋めるほどの雪が積もっていた。

 これではまともに前へ進むだけでも一苦労である。


 四方を山々で囲まれたこの地は、まるで冬将軍の寝床だ。都ではもう花の蕾が目で見えるほど春が近づいていたというのに、ここは未だ冬の空気が色濃い。

 故郷からほとんど休むことなく旅路について、早七日。

 ため息をついて、エリィは軽く頭を振った。


(……ううん、無事にたどり着けたことだけでも幸いと思おう)


 ここは、故郷の隣国――その広大な領土から南西に国境線を引く山脈の中腹にある村だ。特産品も観光名所も特にはなく、人口も百に満たないと聞く。詳細なものでなければ、地図にも乗らないような田舎の小村だと。

 恐らく今回のことがなければ、エリィとて、知ることすらなかったところであろう。


 エリィは村を覆う丸太作りの簡素な壁の門前で、愛馬の背から降りた。

 櫓やぐらの門番とは、既に雇った案内人が話をつけている。


 門番はエリィの素性に、遠目にも目を白黒させて顎を引いた。村の守護となる扉も、すぐさま開かれる。

 櫓から降りてきた彼は、そのまま平伏しかねない勢いでこうべを垂れた。

 獣の皮を継ぎ合せた分厚い防寒着をまとい、これまた厚い帽子との間にわずかに見えた目と鼻周りの皮膚は、雪焼けの為か赤黒かった。

 純朴な、まだ青年に足をかけたばかりといった年頃の男だが、ここまで露骨に恐れられると、まるで己が冷徹な魔物にでもなったかのように感じる。


「田舎者なのです」


 隣で、案内人がからりと笑った。彼はここよりもっと麓の街で雇った行商人だ。

 門をくぐり、すぐ側の馬小屋に手綱を引く。


「外からの客が珍しいのですよ。ああ緊張するのも仕方がないことでしょう」

「そういうものかしら」

「この村を覆う山脈は、皇帝ですら行軍の際は迂回するというほど、過酷で辺鄙なところですからね。此処ら一帯の村々は、よそ者と顔を合わせる機会がほとんどないのです。それぞれの村落同士の交流と、後は、手前の様にたまに来る決まった行商人くらいでしょう」

「ましてや私の様な者など、なおさらってことね」

「はい。ですから、無知ゆえの慇懃な無礼を許してやって頂きたいのです」

「もちろん」


 馬を小屋に括り付けて、エリィは頷いた。護身のため、腰元に刺した短刀の柄をつるりと撫でる。


「私は聖職者ではなくて、ただの貴族だから。よその国で人々の言動をいちいち説教する気も、権限もないわ。国境はとっくに越えてしまったのだし」


 そう伝えると、案内人はとん、と帽子の上から頭をはたいて笑った。


「いや、そうでしたそうでした。手前こそ、差し出がましいことを」

「……かまいません」


 エリィは微笑み、長く白い息をふう、と伸ばた。


 そう……この旅は、貴族としての役目などでは決してない。もちろん、ただの休養目的にこんな所にまで足を伸ばした訳でもない。


 エリィには、どうしても確かめなくてはならないことがただ一つ、あった。

 そのために、様々な準備を進めて、両親をだますように領地を離れてここまで来た。

 もしかしたら、そろそろエリィを追う者たちが来るかもしれない。それでも、あきらめるわけにはいかない。


 エリィはそっと目を伏せて、案内人の後ろに続いた。




 目的の人が住むのは、周囲の家々とも何一つ変わらぬ、土と藁で組み上げられた小さな民家だった。エリィからすればみすぼらしいと言っても過言ではないほど、頼りない造りをしている。

 代わりに木の柵で囲まれた庭は馬を遊ばせることすらできそうなほど広い。

 庭には、既に雪かきされた道が一本、家の扉まで続いている。

 本来ならば家畜を飼うためにあるのであろう隣の小屋からは、生き物の気配が一切なかった。


「寒がっだでしょう。先生ば、奥にいらっしゃいますから」


 そこにエリィを招き入れたのは、独特の抑揚で話す少女だ。頭一つほど高い位置から、青い双眸がエリィを見下ろす。


「ありがとう」


 扉を開け、入った家の中にはもうひとつ、扉があった。そこもくぐり、中に入ると、空気が格段に暖かい。

 それまでの冷たい空気に半分麻痺した鼻を効かせると、獣くさいが甘い臭いがした。


「しがし、お嬢様のような身なりのいいお方が、なしてごんなどころへ?」


 少女はおずおずと尋ねた。エリィはなるべく友好的に映るように頬を緩ませる。


「少し興味深い噂をお聞きいたしまして。先生という方に直接お話をお聞かせいただきたいの」

「はぁ……」

「とにかく、事前にお手紙はお送りしているはずです。先生はどちらにいらっしゃいますか?」

「あ、すびません」


 少女が慌てて「こぢらです」とエリィを先導した。


 薄暗く、外観通りこぢんまりとした室内は、中央に大きな円卓があり、四角い木箱と、小指ほどの太さの枝がいくつも並んでいる。木箱の中にはそれぞれ砂が入っていて、机にもその粒が少し散らばっていた。

 紙の代わりに、ああして砂で文字の練習をするのだろう。


 少女は床に小さく積まれた本をひょいとよけ、布と土壁で仕切られた部屋の奥へと分け入った。


「先生、お通ししました」


 少女の明るい声が、薄暗い室内によく響く。

 その円らな瞳が見つめるのは、安楽椅子に腰かける、すらりとした白髪の男性だ。

 この地方では珍しい眼鏡をかけ、その奥にある瞳は知的な光を含ませている。


 男はエリィを見つめ、うっすらと口元に笑みを浮かべた。

 エリィも身を引き締める。はやる気持ちを抑え、男に向かい一礼した。


「エリザベス・ゴドルフィンです」


 名を名乗り、懐から彼とやり取りをしたはずの手紙を取り出した。


「アナトリー・ロギノフ様でいらっしゃいますね?」

「はい」


 男は小さく頷いた。


「お待ち申しておりました。エリザベス様」

「――要件は、先に手紙でお伝えした通りです」

「はい。どうぞ、まずはそのお召しになった外套と手袋をお脱ぎ下さい。雪でだいぶと濡れてしまわれたようだ。そこのニーナにお預けくだされば、暖炉の前に干しましょう。すぐに乾くと思います」

「お気遣い、感謝いたします」


 にっこりとほほ笑んで、言われたとおり、少女に外套と手袋を渡す。

 受け取った少女はぎいぎい、床を鳴らしながら退室した。


「どうぞ、おかけください」


 同時に、男は机を挟んだ向かいの椅子をエリィにすすめた。


「このたびは遠方からはるばるお越しくださいまして――」

「そのような前置きじみた挨拶は良いのです。早速本題に参りませんか?」

「……結構ですよ」


 そう言うと、男は困ったように笑んだ。エリィもしゃんと背筋を伸ばす。


「その昔、北の王国にオスカー王子とおっしゃる方がいました。ところがある日突然姿を消し、その後の行方は知れぬままになっています。私は、あなたこそがそのお方ではないかと言う噂を聞きつけ、お手紙をしたためました」

「私の答えはお返事に書きました通りです。歴史上、そのような方がいらっしゃったのは事実のようですが、私とは何も関係ありません。あなたは決して納得してくださらなかったが……」

「実際にお会いして、確信いたしましたわ。昔見たお姿は、もう少し年若くいらっしゃいましたけれど」

「見た、と言われましても」


 エリィの物言いに、男は深く息をつく。その一挙手一投足、エリィは見逃さまいと鋭く見つめた。


「オスカー王子という方は、もう二百年も前の方ですよ」

「ええ、そうですね」

「エリザベス様……まだお若いあなたにこんなことを申し上げるのもなんですが、人には寿命というものがあります。どのような者も六十を迎えるまでに亡くなるのです。あなたがご覧になったお姿というのも、昔の肖像画でしょう。多少、私と似通ったところはあるかもしれませんが、ただの偶然です。――世の理に則れば、王子はもうとっくの昔にお亡くなりです」


 手紙にもそう書いてあった。

 そしてそれくらいは、エリィにもわかる。


「ええ、普通に考えればそうなのでしょう」


 エリィはゆっくりとうなずいて、瞼を閉じた。


「私が聞いた噂をもう一度お伝えいたしましょう。……この様な寒村に、不釣り合いな教養を持つ白髪の男性。あるとき突然流れ着いて、住み着いた。三十年以上見た目を変えず、若々しいまま。その見た目、気品から高貴な身分の物であることは間違いなく、二百年前に謎の失踪を遂げた王子に生き写し。きっと彼は不老不死の妙薬を手に入れて、今を生き続ける王子自身なのだ、と、こんな感じの内容です」

「非常に馬鹿馬鹿しく思います」

「やはり、否定なさるのですね?」

「当然です。人の噂とはいい加減なものですから」

「確かに」


エリィは、鷹揚に頷いた。


「それでもなお、確信しているのです。あなたはオスカー王子だと。――だって、アナトリー様は死んだことがありませんでしょう?」


 目の前の男が、小さく息を飲んだ。

 それが、彼とエリィの、出会いだった。


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