乙女ゲームの世界は、やっぱり私に優しくない。
乙女ゲームが書きたかった!のです。
ここが以前プレイしていた乙女ゲームの世界だと知ったのは、中途半端な時期にやって来た転校生を見た瞬間だった。
「初めまして!杏崎 萌です」
風にたなびく度に、日の光を浴びてキラキラ輝く極上の絹のような金色の髪。
小動物のような大きな庇護欲をそそられる瞳、はにかむような控えめで、それでいて魅惑的な笑顔。
5月病はびこる気だるげなこの季節に、目が覚めるほどの美しい天使が降り立ったっ…!とクラス中がざわめく中、私の心は別の意味でざわめいていた。
『君と奏でる協奏曲』という、主人公と6人の少年たちが、オーケストラ部を通じて甘酸っぱい青春恋愛物語を繰り広げる、いわゆる乙女ゲーム。
絵がものすごく綺麗だったのと、話題の声優さんが出ていたこともあり、その人気ぶりにシリーズ化した伝説の乙女ゲー。ちなみに私もそんなゲームの信者だった。
そのゲームの舞台となる学園の1生徒に転生しちゃってる!?と、気付いてしまったのだ。
だけど悲しいかな。私が生まれ変わったのは主人公ではなく。ゲームのヒロインは、目の前でキラキラとしたオーラを携えて立っているあの転校生だ。
この世界での私の名前は、ヒロインのクラスメイト、天王寺 葵である。
成績も運動神経もよくて、街中でスカウトされる程の美人さんだけど……。
彼女もオーケストラ部所属だが、ルートによっては彼女は悪役となり、ヒロインと攻略対象との仲を引き裂こうと潰しにかかる。そして結局は悲惨な返り討ちにあい破滅するという典型的な悪役キャラ。最悪、学園を追放されるルートもある。
…………………うん、それはいい。
この際どうでもいい。この際だろうがどの際だろうが問題はない。
容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群、それらがあって何が悪い。人生勝ち組じゃないか。むしろラッキー。
私の心のざわめきの理由はただ一つ。
ということは、脇役キャラでもある、あの、『田中君』もこの世界にいるってこと、だよね?
田中君…とは、最後まで下の名前が明かされなかったモブキャラだ。
ヒロインや葵とクラスは違う。確か攻略キャラの一人と同じクラスだったはず。その子の友人という立場だった。
何を隠そう、私が信者になった理由は彼を攻略したかったからに他ならないんだけど…。
追加ディスクや続編、最終章まで購入したが、ついぞ彼のルートどころか名前も、声優さんの声すらも当てられることのなかった、モブ。
彼に会えないと知ったとき、ひそかに涙したものだ。
それが、ついに、転生した世界でまさかの再会ですか!?
これが落ち着いてなんていられる!?
いまだに冷めやらぬクラスの中で一人違う意味で鼻息荒くしていた私は、席に着く杏崎さんがすれ違いざまに私に意味ありげな視線を寄こしていたことに気付くはずもなかった。
休み時間になると、話題の美少女転校生を一目見ようと他のクラスからも見物人がやってきたけど、私には関係ない。
それより、田中君だ、田中君。
初めは断片的だったゲームのことも徐々に蘇ってきて、プレイしていた記憶を呼び起こせば、確か彼は隣のクラスだったはず。
そっと教室を覗いてみると、そこにはヒロインと同じく、ナチュラルな日本人にはあるまじき銀色の髪を持った人物が机に突っ伏して寝ていた。
どう考えても、あれ、攻略対象の一人だ。
はい、それはいい。用があるのは、そんな彼の体を揺さぶって起こそうとする、平凡な容姿の少年の方。
あぁぁ、あれこそ、私が探し求めていた田中君…!
作品中で、田中君はサボり癖のある攻略対象に散々振りまわされており、彼が留年しないよう甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
その姿になぜか私の乙女心がキュンキュン発動して、気付けば私の一番のキャラは田中君ただ一択だったという…。
あぁ、緊張する。
しかし、ゲームと同じ世界とはいえ、ここは今の私にとっての現実だ。攻略本もパラメーターも見られないし、セーブも無理。
一発勝負の戦いなのだ。
私はごくりと息をのむと、意を決して彼の元へと足を踏み出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「明君、今度海行かない?」
あれから紆余曲折あったが、私は田中君と―――――――田中 明君とお近づきになることができた。
合同授業では常に彼の隣に座り、彼と同じ園芸部に入り、委員会もおなじ図書委員になり、偶然だねぇとか言いながらひたすら会話重ね、じわりじわりと距離を詰めてきた甲斐があったものだ。
あ、ちなみに、オーケストラ部なんてものには近付きすらしない。
ヒロインと美少年たちは、仲良く全国制覇を目指してくれてたらいいと思う。
ただ、唯一明君の友人であるあの銀髪頭、犬神正宗とは何かと絡みが多い。
なぜなら結構な頻度で明くんと一緒にいるから。
超がつくほどぐうたらですべてにおいてヤル気なし。しかしピアノの才能と顔だけは一流というギャップ設定が受けたのか、ゲームでは一番人気だったけど、今の私からしたら目の上のたんこぶ的な存在。
しかも私の恋心に気付いてるにもかかわらず、空気を呼んで二人きりにしてくれるということもない。
仕方がないので最近は諦めの境地で、明くんとうまくいくためのお助けキャラ的な存在として扱っている。
「ねぇ、明君って海と山、どっち派だと思う?」
「知るか、本人に聞けば?」
「そんな気軽に聞ける訳ないでしょう!?だから明君の友人というポジションにいるあなたに相談してるんじゃない!本気で私の相談に乗ってくれる気あるの、この役立たず!」
「耳元でキーキーうるさい!俺の貴重な昼寝の邪魔しやがって!ていうか役立たずとかお前にいわれる筋合いはないんだけど。大体俺はお前のくだらない相談に乗ると言った覚えはない…」
「まあこの際仕方がないから聞いてあげるけど、あなたは海と山、どっち?」
「……相変わらず俺の話、『だけ』は聞かない女だな。そうだな、俺は木陰にハンモックひっかけて思う存分惰眠をむさぼりたいから山…」
「よし、海にしよう」
「……いつか痛い目合わせるぞ、マジで」
そんな彼の親切なアドバイスにより、今こうしてお誘いしているのである。
明君は私の質問に、花壇の水やりをしながら「うーん」と考えるように遠くを見つめた後、
「うん、いいね。海」
そう言って極上スマイルを下さいました。
太陽の日差しよりも、ましてや攻略対象の笑顔なんかよりもよほど破壊力ががある、この神々しさよ。
思わずその眩しさによろけると、すかさず明君が私の体を支えてくれた。
「大丈夫!?」
熱中症かな、休んだ方がいいよ、と心配してくれている彼をよそに、私の心は「心配してくれている表情も素敵~☆」と密かにニタニタしていた。
ごめんね、せっかくこんなに心配してくれてるのに…。
だけど駄目。嬉しさがこみ上げて来て頬が緩みっぱなしになってしまう。
「大丈夫だって明。その女、熱中症で倒れるようなタマじゃない」
「……あら、犬神君、いつからそこに?」
「最初からだ。白々しい演技しやがって」
うん、いたね。ほんと、お邪魔虫もいいところだ。
今日は私たちが園芸部の仕事をしている横で、呑気に日陰で寝転んでいる。どうやらオーケストラ部の活動から逃げ出してきたらしい。
まあいいのだ。彼は空気のようなもの。
サボり魔の存在は軽く無視しながら、私は明君に話しかける。
「本当に大丈夫、ありがとう。ちょっと日差しが目に入って、眩しくてついよろけちゃっただけだから」
「そう?それならいいんだけど…」
だから、そんな至近距離で私を見つめないで下さい。
このままだと、嬉しさと恥ずかしさで体温が上がって、ついでに鼻血出しながら本当に熱中症で保健室直行になってしまう。
「ちょっと飲み物買ってくるね」
明君と離れるのは心苦しかったが、いかんいかん、冷静になれ、私。
なんとか自力で立ち上がると、側にあった鞄から財布だけ取り出す。
「ついでに明君の分も何か買ってこようか?」
「僕はあるからいいよ、ありがとう」
「俺はコーラ」
「あなたには聞いてないわよ」
芝生に寝転がってるだけのお邪魔虫の頼みごとを聞く義理はない。
それでも無視しなかっただけ私は優しいなと、自分で思いながら、自販機まで向かう。
お気に入りのメーカーの商品を選んで、ついでにコーラのボタンも押してあげる辺り、私は本当に優しい。
なんだかんだ言いながら話を聞いてくれるので、そのお礼というやつだ。
無論代金は後で請求する。
と。
「天王寺さん、ちょっといい?」
鈴の音がなるかの如く美しく澄んだ声。
振り返るとそこには、地上に舞い降りた奇跡の美少女大天使という、常人には口を出すことすらこっ恥ずかしいあだ名で呼ばれているヒロインが立っていた。
「杏崎さん」
私と彼女は同じクラスだが、親しい友人という訳でもない。
もしかしたら私を学園追放ルートに引きずるかもしれない相手と仲良くするなんて、自殺行為もいいところだ。
そんな彼女が私に何か用だなんて、嫌な予感しかないんだけど。
しかも本日のヒロイン、いつもの愛くるしい笑顔は身を潜め、なぜか私のことを敵意に満ちた瞳で見つめているし。
「…………………………」
「…………………………」
いや、なんでそんなに無言で睨んでくるの?私、ゲームの時と違ってあなたの邪魔なんてしていないんだけど。
「え、と、あの、何か私に用でも…?」
沈黙の圧力に耐えられなくなった私は、たまらず声をかける。
すると。
「…んで、」
ようやく。彼女は口を開いた。
だがしかし、その声は、屋上で練習をしている応援部の声にかき消されてまったく聞こえない。
「?あの、よく聞こえなかったんだけど」
それでも懸命に聞き取ろうと彼女との距離を詰めた私だったが。
それが間違いだった。
あんな細い足のどこにそんな脚力が秘められているのだろう。すさまじいスピードで一瞬にして私との距離を詰めると、突然強い力で胸倉を掴まれた。
そして耳がつんざくほどの金切声で叫んだのだ。
「なんであんたは!!あんたはあたしの邪魔をしないのよっ!!!!!」
そう怒鳴りかけてきた彼女は、もはや私の知るゲームのヒロイン、杏崎萌ではない。
色々な意味で困惑して思考が停止した私をよそに、美少女ヒロイン(だったもの)は更にまくしたてる。
「あんた、本当にあの天王寺葵!?あんたの役割は、あたしとイケメン達の障害になって最後はボロボロになって破滅する悪役でしょう!?あたしの輝かしい人生の踏み台にならないといけないってちゃんと分かってるの?あんたが邪魔してこなきゃ、あたしはハーレムエンドを迎えられない訳。分かるでしょう!?天王寺葵という巨悪があるから、あたしたちの愛の絆が強まって、真のエンディングに辿り着くの。それなのに、園芸部?草むしり?花の水やり?はん、笑わせないでよ。泥にまみれた仕事をするのは、このあたし、最強の愛されヒロイン杏崎萌に敗北してからでしょうが!」
キャラ、ハーレム、エンディング……。
え、もしかして、彼女って私と同じ、あのゲームをプレイした記憶を持つ転生者!?
考えてみれば、私がゲームの記憶を持ってこの世界に生まれてきたのなら、ヒロインに生まれた少女が転生者である可能性もまたゼロでじゃない。
しかも彼女は、あのゲームの最難関であるハーレムエンドを達成しようとしているらしい。
知らなかった……っていうより、明君にしか興味がなかったから、杏崎萌とオーケストラ部に近付かなかったら大丈夫だろうって安易にしか考えてなかった。
そうかそうか、それなら彼女はさぞかし御不満だろうな。
ハーレムエンドの達成には、天王寺葵が悪役としてヒロインを潰しにかかるイベントが必須条件だったからね。だけどさ、何が悲しくて自分が不幸になるような選択肢を選ばないといけないんだ。それに好きでもない男にちょっかいかけるほど、私は暇ではない!
「あ――、えっと、杏崎さん。つまりあなたはあのゲームの信者で、ハーレムエンドに向けて突き進んでいる真っ最中ということでOK?」
「!?あんた、まさかあたしと同じ…」
どうやら彼女も、私が転生者だと気付いていなかったみたい。
「道理で必要イベントに登場しないわけね。ゲームの時とあんたの印象が全く違ったからバグかと思ってはいたけど」
「私もあのゲームはプレイし尽くしたから、天王寺葵というキャラクターがどういう役割を持つのか、理解はしているわ。だけど自分が破滅するのを知っていて、敢えてそれにのっかる訳にはいかないでしょう。だから申し訳ないけれど私はあなたに協力はできないわ。ま、あの世界では悪役だった天王寺葵の性格が違うように、ハーレムエンドを達成するための方法も違う可能性だってあるんじゃない?その道を模索するのはいかが?私はあなた達に関わるつもりはないから安心してあなたの思うエンディングを迎えればいいと思うの」
だから頼むから巻き込んでくれるな。そう言いたかったのに、なぜだか杏崎萌はさらに逆上して、とんでもなく斜め上方向な言いがかりをつけてきたではないか。
「は―――――っ!?ふざけんじゃねえよ!ちゃっかりあの犬神君の攻略しておきながら、どの口がそんな大法螺ふくつもり!?」
「………………………は?」
ぽかんと。開いたお口がふさがらない。でも杏崎萌の暴走は止まらない。
「今更とぼけるの!?犬神君のとこに行ったらいっつもあんたがベッタリだし、好感度はいつまでも上がらないからいまだにこのあたしのこと、誰それ?っていう認識だしっ!!本来ならこの時期は口ではなんだかんだ言いながらもこっちを気にかけてくれていて、照れながらもそろそろ下の名前で呼ばれる頃なのよ!他のキャラは順調だってのに、犬神君だけどうやったって進まないのよ!?あたしの一番のお気に入りを独占しておいて安心しろとか、あんた頭のネジぶっとんでんじゃねぇーーのかオラ!」
杏崎萌の作っていた、薄っぺらいヒロインキャラの下に隠されていた柄の悪さは今はおいといて。
確かに、常に明君とべったりだったなあの男。そんな状態だから、そもそも攻略ルートにすら入れないわな。
だとしてもだ。
声を大にして言いたい。
なにが悲しくて、そんなとんでもない憶測になるのだ。
大体、私があの男にベッタリなんじゃない。
彼が愛しの明くんにベッタリなのが悪いんだ!
「あの、杏崎さん、それ激しく誤解してるから」
「誤解?そんな言葉で済まそうとするの!?」
「いや、だから」
「うるさい!!とにかくっ」
キッと睨む目つきは緩めずに、突然杏崎さんは私から手を離した。
「あたしは諦めないから。必ずあなたから犬神君を奪って見せる。そして、なんとしてもハーレムエンドに辿りつく。そのためならあたしはあんたをどんな手を使っても地獄に叩き落としてあげるわ!」
そう言い残すと、最後にぎらりと一睨みして、杏崎さんは姿を消した。
あとに残された私はといえば、とりあえず、締め付けから解放され安堵のため息を漏らしていた。
それにしても、神様は転生の配役を間違ったのではと思ってしまう。彼女は愛されヒロインよりも悪役の方がお似合いな気がする。
まあ、彼女のことは後で考えるとして、とりあえず、明君達のところに戻るか。
来た道を引き返すと、そこで待っていたのは頭に芝生の葉っぱをくっつけた、寝ぼけまなこの男、一人だけ。
「遅かったな」
「明君は?」
「一緒じゃなかったのか?お前の帰りがあんまり遅いから、さっき捜しに行った」
何と……!!行き違いというやつか。
「あーあ、最悪。せっかくの二人きりのチャンスだったのに…。なのになんでよりにもよってあなたとこの場に二人でいなきゃいけない訳?」
肩を落としながら、私は若干冷たさを失ったコーラ缶を犬神君に渡した。
「お、ありがと」
それにしても、明君がいないなんて悲しい限りだ。あんな嫌なことがあったので、真っ先に明君に会って心を癒そうと思ったのに。
するとそんな様子に気付いたのか、
「…心配しなくても、すぐに戻ってくるだろう。俺だってお前と二人きりなんてできれば勘弁してほしい」
「なにそれ?こんなに美人を前にして、失礼なことを言うじゃない」
「先に失礼なことを言ったのはどっちだよ」
鼻で笑いながら、彼は一気にその場でコーラを飲み干した。
炭酸飲料を、よくもまあ一息に飲めるものだと、ある意味感心しながら、私は自分用に買ってきたお茶をごくりと飲む。
あー、生き返る。
ようやく落ち着いた私は、さっきの杏崎さんとの会話を脳内で思い出す。
彼女の暴走を止めるのに、一番手っ取り早いのは、彼を―――犬神正宗を、さっさと杏崎萌とくっつけることなんじゃないか?
ハーレムエンドのことに関してはまったく解決してないけど、彼女の1番のお気に入りがこの犬神正宗なら、彼が手に入ったら考えを改める可能性もゼロではない。ついでに明君と二人でいる時間も増えるし。
ほら、そうしたら、私も幸せ、杏崎萌も幸せ、まあ犬神君は……あんな中身が性悪そうな女の子に捕まってしまうのは同情を禁じ得ないが、私の平穏な学園生活の為には背に腹は代えられないじゃないか。
私は犬神君に体を向けると、単刀直入に言ってみた。
「ねえ、犬神正宗。私の安定した人生と幸せのために、今すぐ杏崎萌と付き合いなさい。そして以後私に、極力近付かないようにして」
彼はゆっくりと起き上がり、一瞬目を点にした後、静かに口を開いた。
「つっこみどころが満載だが、とりあえず言わせてくれ。杏崎萌って、誰だ?」
「…………」
どうやら彼女が言っていたことは本当らしい。
「5月に転校してきたうちのクラスの子よ。ほら、とびきりの美少女で、学校中が騒然となったじゃない。しかもオーケストラ部よ?担当楽器もあなたと同じピアノ」
「…………………いたような気がするな、そんな生徒。で?俺がその子と付き合えと?なぜお前にそんなことを言われなきゃならない。それに、俺はお前に自主的に近付いたことはない。あんたが勝手に俺のいるところに顔を出してくるんだろう」
「誤解を招く言い方はやめてちょうだい。私は明君に会いに行ってるんだから。…なら、あなたも少しは明君離れしなさいよ。大体なんでいつも一緒にいるのよ。しかも私が明君に会いに行く時を見透かしたみたいに、毎回毎回タイミング良く!」
すると、なぜかうっと言葉を詰まらせてバツが悪そうに頭を掻いた。
「それは、まあ、なんというか、その」
明らかに、彼は動揺していた。私としてはかねてからの不満を軽く言ってみたにすぎないんだけど……。
「なに、もしかしてわざとなの?あえてなの?私と明君の仲を邪魔するようなタイミングで現れるのは、偶然じゃなかったっていうの?」
私と明君の邪魔が目的…?だとすればその理由は?
仲のいい友達が、違う誰かに取られることへの嫉妬…?それって……。
「まさかあなた、明君のことを……え。そ、そういう目で見ているの?」
「おい待て。そういう目って何だ!言っておくが、俺は明に対して友達以上の特別な感情なんて抱いていないぞ」
「だったらなんでそんなに動揺するのよ。……は、まさか、実は私のことを」
「そうなるくらいなら俺は明とそっちの道に進む方が何倍もましだ」
迷いない瞳できっぱりと否定してくれてよかったよ。なんだか、こうも真正面からばっさり斬られると若干腹立たしい気もするけど、私にだってそんな気は一ミリもないのでよしとしよう。
しかし私が更に深追いしようと口を開きかけると同時に、素早く犬神君は立ち上がると、
「部活行ってくる」
そう短く告げ、そそくさとこの場を立ち去ろうとするではないか。
「ちょっと逃げるの?」
「そろそろ行かないと、部長にどやされるんだ」
なら、最初からサボるなよ…と思うのだが、それを口に出す前に既に彼は視界から姿を消していた。
逃げ足の速い男だ。
まあ、彼が邪魔をする理由はおいおい問い詰めるとして。
うふふ~明君がいる~、なんて脳内お花畑で、自分が敵役であること、そしてヒロインの存在をないがしろにして楽観視してる場合じゃなかったらしい。それほどに今回のこの状況はまずい。
ヒロインがこれからとる行動は、大体読める。
杏崎萌を蹴落とそうと裏で糸を引いて嫌がらせを行っていた天王寺葵を、一堂に会した攻略対象達が責めたてる。ついに観念した葵が自らの罪を白状し、彼女は学園を追放される…。
これがゲーム終盤、ハーレムエンドを完成させるために必要な、天王寺葵追放ルートだ。時期的には今から1月後。これを、絶対に仕掛けてくるはず。
勿論私が杏崎さんに嫌がらせなんてするはずもないから、なんか適当に嘘をでっちあげて私を追い詰めるんだろうな。うん、目に浮かぶようだよ。
あの様子だと犬神正宗以外は順調にルートに入ってるみたいだし、このままだと私はどん底ルートまっしぐらだ。さて、どうしたものか。
まあ、手はない訳じゃないんだけど。私には、ゲーム時にはなかったある設定が付与されていた。それを使えば私の学園追放ルートくらい軽くいなしてみせるんだけど、それじゃあ本当に悪役になってしまうしなぁ。できれば穏便に済ませたい。
と。
首をひねりながら見上げたとある視線の先に、私はあるものを見つけた。お、そっか、そういえばこの学園には『あれ』があった!
なら私のこの学園生活は安泰だ。いくら杏崎さんがヒロインパワーで私を追い出そうと画策しても、『あれ』のお陰でそれはきっと徒労に終わるだろう。
何も仕掛けてこないならそれでよし。
もし、ゲームと同じルートに乗せようとするのなら…その時はきちんとお相手してあげよう。
ヒロインは知らない。現実世界の天王寺葵という存在は、ゲームの設定とはまるで違うということを。それは中身が転生者、というだけではない。自分の潔白を証明できる方法を、現実世界の天王寺葵は持っているんだから。
私はその日まで、安心して明君との距離をもっと縮める方法でも考えようじゃないか。
というわけで、悠々自適に午後のティータイムを楽しんでいた私は、すぐ近くでこんな会話がされていることに気付きもしなかった。
「やっぱり隠れてたな、明」
「なんだ、ばれてたのか。そういえばさっき彼女を迎えにいった時に、とんでもない会話を聞いちゃった」
「どうせ盗み聞きだろう?」
「ふふふ。あの顔だけ転校生、どうやら天王寺さんに何か仕掛けるみたいなんだ。話から察すると、これからひと波乱起きそうな感じかなぁ。これに参加しない手はないと思わない?君も勿論協力してくれるでしょう?」
「転校生…って、もしかしてあいつがさっき言ってた奴のことか?勘弁してくれ。今でさえ面倒くさいのに。大体俺にいつまでこんなことさせるんだ」
「僕に貸しがあるのを忘れたの?授業中寝てばかりの君が進級できるのは僕のおかげでしょう?僕がいいって言うまでだよ。それにこれは君の為でもあるんだから。あの転校生の毒牙にかからない為にね。…それにしても正宗ももう少し上手にごまかしてよね」
「俺は誰かさんと違って、上手に嘘なんて付けないから。全く……お前って本当に、人のいい顔してえげつないのな」
「褒め言葉かな?どうもありがとう」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
さて、あの、宣戦布告から1カ月が経過した。
あれから杏崎さんの周りでは、教科書や体操服がなくなったり、音楽祭で着る衣装に縫い針が仕込まれたり、階段から突き落とされたりという事件が多発しているらしい。
そしてついに、ヒロインの計画が実行に移される時が来たみたい。
「君は彼らに金を握らせて、杏崎萌に対して執拗な嫌がらせを行い、著しく彼女の尊厳を傷つけ、学園の風紀を著しく乱した。他にも色々と彼らが吐いてくれたぞ。これでもう言い逃れはできまい」
そしてオーケストラ部部長兼生徒会長が眼鏡をカッコ良く指で押し上げ、私にびしっと指を突き付けた。
「天王寺葵。会長権限でお前を今日限りで退学処分とする」
ここは音楽室。
中では、杏崎萌を取り囲むように攻略対象者のイケメン達が、私を睨みつけて立っている。その横には、私がお金を渡して嫌がらせをするよう指示をしたらしい男子生徒数人が頭をうなだれている。
うん、素晴らしい。見事なまでに予想通りだ。
唯一の例外は、犬神正宗が杏崎親衛隊の中にいないこと。
しかし音楽室内にはおり、いつものごとく、眠たそうな目をしながら、ピアノの椅子にだらんと座っていた。
なんでいるのかと尋ねたら、
「部長に呼び出されたんだ。来ないと退部にするって脅されて。まったく、権力行使もいいところだ」
だそうだ。
おそらくヒロインの指示だろう。
彼女を見ると、勝利を確信しているのか、勝った!とばかりに口元に下卑た笑みを浮かべている。
だけどね、杏崎さん。あまりにも予想通り過ぎる展開だと思うの。だからこうなることを見越して先手は打ってあるのだ。
部長がカッコいいポーズのまま固まっているのをよそに、私は鞄に入れてきた1台のノートパソコンを開く。
「おい!俺を無視して貴様、何をするつもりだ!」
「後で説明しますので、ちょっと黙ってて下さい」
私の行動の意図が掴めず質問を投げかけてくるが、まるっきり無視をして、私はイケメン達全員が見える位置にパソコンを置いた。杏崎萌が目を白黒させながらこちらを見てくるが、それも無視。今からすぐに分かるのだから、黙ってそこで指をくわえて見ていればいい。
よし、完了だ。準備が終わると私は彼らに向き直る。
「さて皆さん、頭から私が犯人だと決めつけてますよね?なので、私はこれから自分の身の潔白を証明しようと思います。これからお見せするのは、私が彼女に対して嫌がらせなど行っていないという証拠映像です。まずは……杏崎さん、あなた、階段から突き落とされたんでしたっけ。いつ?どこで?」
「え、え、えと、昨日の…お昼休みよ!2階から3階に上がる、西校舎の階段よ!」
「西校舎…時間は確かこのくらいだった、かな」
カチカチキーボードを打ちこみ、お目当てのものを探し出す。やがて画面に映し出されたのは、西校舎の階段部分。日付は昨日の昼休み。
「な、なによこれ!」
「これは防犯カメラ。学園の敷地の至るところにに取り付けられているわ」
「…原作にはそんな設定なかったはずなのに!こんな展開知らないわ!そんなもの、いつのまに!?」
「御存じなくても無理はないですよ。最近世の中は物騒ですからね。だからもしもの時の為に、学園内に防犯カメラが設置されたんですよ。今年の春のことです」
ぱっと見ただけでは分からない超小型カメラ。見つけられなくても仕方ないと思う。これが私の持っている、対ヒロイン用の丸秘小道具。
ここに写る映像が、私の無実を証明してくれるはずだ。
「疑問は解決しましたか?なら、本題に移りましょう。画面を見てください。今映っているのは杏崎さんですよね?」
その言葉に皆、混乱を抱えつつ視線をパソコン画面に移す。そして写っている人物を見た途端、目が釘付けになった。
そこには確かに彼女が立っていた。高画質なので、顔もばっちり。これなら人違いだと言い逃れもできまい。
杏崎萌は周囲を注意深く疑いながらゆっくりと下る階段の前に立つ。
そして一つ、ゆっくりと深呼吸をすると、自ら階段から転げ落ちたではないか。
「!?」
勿論、辺りに人影はない。
「あれ?おかしいですね。この映像を見る限りでは、誰かに背中を押された様子は見受けられませんね。それともカメラにも写らない人物に落とされたとか?でもそれって非現実的な話ですし」
「う、嘘よ!だって、確かに突き落とされたのよ!?」
杏崎萌が金切声をあげながら、実行犯と言い張る1年生達のもとに駆け寄る。
「ねえ、そうでしょう?あなたたちが私を突き落としたのよね?天王寺さんに言われて」
「は、はい、そうです!」
「なら次はこんなのはどうかと。…あなたの教科書が隠されたのは、いつですか?」
「………先週よ」
「日にちは?それから時間も」
「お、覚えてないわよそんなもの!」
ふむ。時間も場所も日付も分からなければごまかせるとでも思っているのか。
残念。こんなこともあろうかと下調べは既に終わっている。私は先週の木曜日の放課後、裏庭のごみ焼却場に画面を切り替えた。
焼却炉の前に立っているのは杏崎萌、ただ一人。
彼女は鞄から教科書を取り出すと、何の躊躇いもなくそれをごみを処理している最中の中に投げ入れた。
「これは、これはそう、何かの間違いよ!」
「言い訳は後で聞きます。あとは…あ、こんなのもありましたね。あなたの衣装に細工がされたというのは?」
「そんなに細かく、いつだったかなんて覚えてる訳ないじゃない!!」
「覚えていないんですか?では私が答えましょうか?3週間前の金曜日、17時33分、場所はこの部屋…………あったあったこれだ」
私の指定した時間。
音楽室に置かれていた杏崎萌の衣装に何やら細工を施す人物の姿が、確かにはっきりと映し出されていた。
美しい金色の長い髪をたなびかせた女子生徒の姿が。
「どうやらこれも私ではなかったようね。他には?この際だから私にかけられた疑い、全部晴らしたいのだけど。一つ一つ挙げてくれないかしら?全て映像を出しますけれど」
「待ちなさいよ!その映像、本当に信用できるの!?あなたが細工したものじゃないっていう証拠はある訳!?」
まだしらを切るつもりなのか。私はため息をつくと、すぐさま別の映像を画面に映してみせた。そこでは杏崎萌と、例の嫌がらせを実行したらしい男子生徒が階段の陰でなにやらこそこそしている。ここからでは何か話をしていることしか窺い知れないがが…。私はパソコンの音量を最大ボリュームに上げてみる。すると彼らの会話が鮮明に聞こえてきた。
「――――――つまり、僕らが杏崎さんを突き落としたりっていう嫌がらせを、天王寺さに言われてやったって証言すればいいんですね?」
「ええ、そう。お願いできる?」
「勿論です!杏崎さんの頼みならなんだって聞きますよ」
「………これが細工しているとでも?」
「ぐぐ……」
にっこりと朗らかに微笑めば、反対に杏崎萌は顔面蒼白になりながらその場にうずくまった。
そんな彼女にイケメン達は動揺を隠せないのか、彼女を信じられないという目で見つめていた。
そして私はちらりと、例の自己申告実行犯1年生達にも視線を向ける。すると彼らは怯えた瞳でこちらを見て、言い逃れが不可能だと考えたのか一目散にドアへと走り去っていった。
「う、嘘っすよね。これは何かの間違いっすよね?ね?」
「萌さんがそんなことをするようには見えないよ。……ねえ、一体これはどういうことなんだい?何かの冗談だよね?」
杏崎ファミリーのイケメン達は矢継ぎ早にそう言いながら彼女に詰め寄るが…。
彼女は何も答えない。いや、答えられない、の間違いか。
「これで疑いは晴れましたね。では私はこれで失礼します」
これ以上大事にするつもりはない。私は別に彼らを学園から追放したい訳じゃないし、自分の無実を証明して楽しい学園生活を継続できればそれでいいのだ。後は彼らの問題だろう。
さー、終わった終わった。さっさと花壇に行って明君と園芸部の活動に勤しもうじゃないか、と部屋を出ようとした私を、部長が呼びとめた。
「ちょっと待て。百歩譲ってカメラの設置の件は偶然知り得たとしても、映像を入手するなど普通はできないだろう。……お前は一体何者だ!?」
部長の言葉に、皆が一斉に疑惑の目を向ける。
「何者って……。ただの学園に通う平凡な女子高生ですが」
「見え透いた嘘をつくな!」
まあ、平凡、っていうのは確かに違うかもしれない。するとその質問に答えたのは、私、ではなく、なぜか犬神正宗だった。
「この女は、世界有数の大企業、天王寺薬品創始者一族の直系の現社長の一人娘、天王寺葵お嬢様だよ」
「っな、なん、だ、と!?」
「いやちょっと待って、なんであんたがそのこと知ってんのよ!」
みんな揃いもそろって目が点になってるけど、それは私も同じだよ。
確かに彼の言ったことは本当だ。
そう、実はこの天王寺葵というキャラクター、実家は世界に名だたる大企業という、超お金持ちな家に生まれたお嬢様だったのだ。
一番びっくりしてるのはヒロインだろう。ええ、そうでしょうとも。だって原作ではそんな設定なかったからね。
ちなみにこの防犯カメラの設置は、お金持ちの子息子女の集まる海外の学校なんて遠いから面倒くさいという理由で、家から最も近いこの学園に入学した際に、学校内で可愛い娘の身に何かあっても大変だから…という親馬鹿な父の元行われた1大プロジェクトだったりする。無論費用は天王寺家持ちで。
なもんだから、カメラの映像を拝借するなんて余裕だった。
いやいやそれはともかく、私の素性の事は一応秘密なのに。悪い人に狙われないようにっていう配慮の元、普通の学生として扱ってくれって学園長にも父様が伝えてたくらいだし。
「で、なんであんたが知ってるの!?」
「あいつが言ってたんだよ」
「あいつって誰よ!?」
本当に誰よ!って感じだ。私の事はそんな訳だから学園長しか知らないことなのに…。だけど私が彼に詰め寄るよりも早く、この会話を遮った人物がいた。
「天王寺葵。お前の目的はなんだ。彼女を陥れて一体何が楽しいんだ!」
生徒会長様が庇うように杏崎萌の前に立ちふさがり、こちらに噛みついてきた。
これで勝負はついたも同然なのに、杏崎萌に攻略されたイケメン達はしかし、それでも彼女のことを信じたいのだろう。
私への敵対心はいまだに残っているようだった。
今はそれどころじゃないんだけどなぁと内心思いつつ、いったん彼への追及はやめると再びハーレム軍団と対峙する。
「目的というか……。先に喧嘩を吹っ掛けてきたのは、そちらの杏崎さんですよ?私はただ、平穏な自分の学園生活を守るために、自衛行動を取ったにすぎません」
「自衛だと!?天王寺家の財力を餌に学園長を丸めこんで、校内に仕込んだカメラを彼女を貶めるために利用して…。それでも君はそんな戯言を抜かすのか!?なぜ彼女に対してここまで卑劣な行動をするんだ!!恥を知れ!!」
彼の言葉に、皆、一様にうんうんと頷いて見せた。
えーと、うん、何この展開。
そもそも卑劣な嘘をついて私を破滅させようとしているのは彼女の方だったし、それはあの映像で十分に証明されたはずなのに。
例え事実がそうだとしても、悪いのは私、ということになるらしい。
乙女ゲームヒロインのパワーがここまで強力とは、さすがに予想の範囲外だよ。
最悪家の力を借りて、例えば学園を買い取って天王寺家所有にして、彼らを無理やり退学処分にする……なんてお金持ちならではの方法…つまり伝家の宝刀を抜いた最終手段も取ろうと思えばできるけど、そんなことをしたら私は本当の意味で悪役キャラじゃないか。だからそれを避けるため、こんな、監視カメラの映像で身の潔白を証明するという、わざわざまどろっこしい方法まで使ったっていうのに。
これは、もうちょっと真剣に対策を練ってた方が良かったかな。うーむ、どうしようかなぁ……と頭を抱えていた矢先だった。
「部長!大変です!!」
すごい勢いでドアが開いたかと思うと、部員らしき生徒が手に何かをいっぱい抱えながら走ってきた。
「何だ、今忙しいんだ!」
「それどころじゃありませんよ!今これが学園中にばらまかれていて…」
そう言いながら、ばさっと床に手にしたそれを放り投げた。
何枚かこちらの足元にも落ちてきたので手に取ってみると、それは写真だった。とりあえず2,3枚見ると、写っていたのはどれも一組みの男女の姿。
男の方はまちまちだが、少女の方は全て共通した人物だった。
―――――――――それは、ヒロインと攻略キャラ達がいちゃこらしている写真であった。
しかも角度といい、タイミングといい、ゲーム内ではファンにとって御褒美とでもいえる、攻略キャラ達との甘甘ラブラブなスチルそっくり同じものに撮られたものだし。
「これが空から一杯降って来てるんです!!」
パニックからか半泣き状態の部員の言葉に、私は窓のところに駆け寄ると思いきり開き上を見上げる。
まるで紙吹雪のように、彼らの写真が学園中に降り注いでいる。
今度は下を見ると、写真を手にした生徒たちが騒いでいる。女の子たちの中には甲高い悲鳴を上げながら倒れる子もいるし。
ちなみにこれは私の仕業じゃない。一体誰がこんなこと…もう一度上を見上げるけど、太陽の光に遮られてよく分からなかった。
だけどパニック状態なのは外だけじゃない。彼女の毒牙に侵されていた、イケメン達もだ。
「………萌、これはなんなんだ?」
「萌ちゃん、君って子は………俺たちの気持ちを弄んだのか!?」
「待って、これは違うの、本当に違うの、」
何をどう違うといいのか。
写っているのは間違いなく、杏崎萌本人。
彼女と彼らが、校舎内で風紀を乱す行為を行っているのはこれを見れば一目瞭然である。
ちなみにゲームは全年齢対象だったせいか、写っているのはあはんやうふんという行為ではなく、キスしているだけだ。
相変わらず馬鹿の一つ覚えみたいに、違う違うと繰り返しながら嗚咽を挙げる悲劇のヒロイン。その姿はむしろ憐れみを覚えるほど。
ハーレムにも色々な形があるけれど、このゲームでのハーレムは、表向きはみんなと友達以上恋人未満の関係を持ちつつ、各人に本当に好きなのはあなただけと悪魔の囁きをしながら作り上げていくタイプのもの。
しかし各人と関係を持っていたことが知られれば、この関係は確実に崩壊するのだ。
さすがにこんなものを見せられては、彼らの目も少しは現実を見ざるを得ない。
彼らなりに与えられた少ない情報で今の状況を整理して、彼女が思っていた人物ではなかったことに怒りや悲しみ、憤り…様々な感情を抱いているようだ。
全員が杏崎萌から距離をとり、彼女に負けず劣らずその顔色は皆一様に悪い。
大声を上げ真っ先に飛び出していったのは1年生の男子生徒。続いて一人、また一人とこの場から立ち去る。
会長だけは最後まで残り、私に一言、「すまなかった」と告げて頭を下げたが、その後は杏崎萌を振り返ることなく足早に立ち去った。
「あー、えーと、言っておくけど、この写真は私じゃないわよ?犯人に心当たりもないけど…。あなたのハーレムの夢が潰えたことは少しだけ同情するけど、私だって自分の身が大事なの。こんな結末になってしまったけど悪くは思わないでね」
対する彼女は何も言葉を発しず、俯いているだけ。
さて、とにもかくにも用事は済んだ。これ以上ここにいてもどうしようもない。
というか、犬神君に例の事、しっかり問い詰めないと…そう思いくるりと踵を返した瞬間、か細い声が私を呼んだ。
「……………待ちなさいよ、天王寺葵」
杏崎萌が声とは裏腹に、人を射殺してしまいそうなほどの鋭い眼光で私を睨みつける。
しゃがんだままだというのに、ものすごい迫力である。思わずこちらがたじろいでしまうほどに。
「私、ハーレムエンドの為に今まで、心血を注いできたわ。ピアノだってあまり好きじゃなかったけど頑張ったし、勉強だって手を抜かなかった。そのおかげで私はゲームのヒロイン『杏崎萌』としてようやく花開くところだったの……。なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのにっ!!!!!」
気付いたら私は彼女に、思い切り頬をぶたれていた。
勢いに押され、思わずその場に尻もちをつく私。
頬が痛い。ひりっとする。親にもぶたれたことないのになぁとか呑気に思っていると、更にもう一発顔に平手が入り………
「おいやめろ」
入る前に誰かの手がそれを防ぐ。そのまま手を掴まれ、腕をひねられた彼女はうぅとうめき声をあげた。
そしてその主に向かって罵倒を浴びせようとして……、相手が誰だか分かると、さっきまでの威勢のいい態度はどこへやら、顔面蒼白の状態でその場に立ち尽くす。
大きな瞳をわずかに震えさせながら、風に溶けそうなか細い声でなんとか言葉を絞り出した。
「ぁ、あ、い、い、ぃ、犬神、君!?」
「大丈夫か?」
相変わらずダルそうな声でそう言葉をかけてくれた彼にお礼を言いながら、手を貸してもらって立ち上がる。
「後で保健室行って来い。少し腫れてるぞ」
「あら大変!私の綺麗な顔に傷でも残ってしまったら、お父様が嘆き悲しむわ!」
「それだけ冗談を言えるなら大丈夫だな。それより、おい、あんた」
ここで再び杏崎萌に向き直る犬神正宗。
彼女の体がびくりと震えた。まるで捨てられた子犬のように哀れさを誘う姿だ。
しかし、そんなものはこの男には通じない。
「俺としてはうっとおしい部長やうるさいだけの部員達に手を出してハーレム築くのは一向に構わないんだが。許せないのは、天王寺を陥れようとして、挙句の果てにいちゃもんつけて手を出したことだ。あんた、最低だな。顔は綺麗でも心はまっ黒だよ」
犬神君が、威圧感のある眼ですごむと、杏崎萌がひぃっと小さく声を漏らした。
珍しい。彼がこんな表情をするなんて。
生気のかけらもないだらけた顔が標準装備なこの男がこんな目をするときは、かなり怒っている。
ゲームの中でも彼のそんなレアショットが見られるのは、大切な人が―――――――ヒロインが誰かに傷つけられている時だけだった。
「あら、そんなに私の為に怒ってくれるなんて、もしかしてあなた、実は私に惚れてるの?」
「馬鹿も休み休み言え。いくら大金を積まれても絶対に彼女にはしたくないが、それでもお前は俺の大事な友達だろうが」
「あらまあ」
どうやら彼の中で、私は友達認定されていたらしい。
なかなか嬉しいことを言ってくれる。私には明君がいるので、彼と恋人になるなんて死んでもごめんだけど、それでも犬神君は私にとっても、大事な友人だ。
で、肝心の杏崎さんはというと、すっかりお怒りモードの犬神君にビビっておられた。
うん、いくらレアショットが見られたからと言っても、その視線の先にあるのは自分だからね。きゃー、素敵、とか心の中で萌死にする余裕はないだろう。
それでも愛しの君を目の前にしてるからだろうか、口調もさっきまでとはうって変わって、いつの間にか元のヒロイン杏崎萌に変貌を遂げていた。
愛されか弱いヒロインよろしく、唇を噛みしめながら涙目で犬神君に訴えかける。
「ぅ、う、それは、それは、この人が悪いのよ……」
「呆れた性根だな。この期に及んでまだ自分を正当化させるのかあんた」
「違うわ!……確かに私のしたことは最低かもしれない。でも、私が本当に好きなのは犬神君、あなたなのよ!?なのにその天王寺葵がいつも邪魔をしてきて……」
「だから邪魔なんてしてないってば!しつこいわね」
「そうだ、それじゃあまるでこいつが俺のことを好きみたいじゃないか。……考えただけで寒気がしてきた」
「あら?風邪?おかしいわね、馬鹿は風邪を引かないものだというけれど」
「ほらそうやって!!夫婦漫才みたいなものを見せつけてくるじゃない!なによ、なんだかんだ言いながら、やっぱりその仲のよさは普通じゃない!」
「だからしつこいなー、違うって言ってるでしょう?」
「じゃあなんであなたは犬神君と一緒にいるの!?クラスも違うし、共通点なんてないじゃない!なのになんでなの?」
「な、なんでってそれは……」
「ほら、やっぱり説明できないんじゃない!」
「ちが、それはその…」
「なによ、答えなさいよ!」
「うるさ―――――い!しつこいわね!いい!?私が好きなのはこの男じゃない!この男の常に傍にいる…ううん、犬神君がべったりくっついて離れない田中明君の方よ!!!!」
しーん、と。
その場が沈黙に包まれた。
あんなにまくしたてていた杏崎さんが、虚を突かれたような表情で私を見やる。
そして一言。
「誰、それ」
「誰って…いつも犬神君と一緒にいるでしょう?彼よ」
「……………は?もしかして……あの、モブ?」
モブ。
ええ、そうね、ゲームの中では確かに彼はモブだった。でも、でも、
「私にとっては、彼はモブなんかじゃない!あなたの中で犬神君や部長さんが輝いて見えたように、私にとってはあの人が誰よりも輝いて見えるのよ!」
ゲームの中でしか知らなかったあの人。
でもこうしてこの世界で出会って、下の名前を知って、彼と会話したり遊んだり色々なことを一緒に経験していく中で……彼のことを知れば知るほど、私の明君のことを好きだという想いが強くなっていった。
きっかけはゲームかもしれない、けれどこの気持ちは本物だ。
ここまで言えば彼女も分かったはずだ。
私が彼女の邪魔をしなかった理由も、本気で邪魔をするつもりがなかったことも。
そして、犬神正宗を攻略するつもりではなかったということも。
「嘘、でしょう…?なら、私は今まで、なんのためにこんな…。私がしてきたことは、すべて無駄だったっていうの…?私は一体、あ、ぁ、あああああああ」
今度こそ、彼女は膝から崩れ落ち、大声で泣いた。
だから初めから言っていたのに。それを素直に信じてくれてたらよかったのだ。
どんなときだってイレギュラーは存在する。
私がゲーム通りの天王寺葵ではないことだってそう。なら、犬神正宗という人間の行動だって、ゲーム通りではなくてもおかしくないはず。
ということは、当初の推測通り、私なんて敵がいなくったってハーレムは築けたんじゃないかって思う。犬神君の攻略も、ゲームの記憶に頼らなかったら少しは、ましな結果になったかもしれないし。
乙女ゲーム、という世界に固執しすぎたことが、彼女の敗因なんだろう。
しかし、私は泣き崩れる彼女を黙って見つめている場合ではなかったのだ。
ドアが、音を立てながらゆっくりと開いた。
その音に反応してそちらに目を向ければ、そこにいたのは何と。
「なんだかお取り込み中みたいだけど、いいかな」
明君が立っているではないか!?
「え、ぇ、え、えぇぇぇぇっ!?!?!」
「天王寺、ちょっと落ち着け」
隣で犬神君が冷静な声色でそう言うが、これが落ち着いてなんていられるものか!!!
「な、なんで、え、どうしてここに、っていうか、ま、ちょっと待って!待って、あの、その、もしかしてあれ聞こえてたりしないよね!?」
しかし私の懇願も虚しく、明君は申し訳なさそうな表情になりながらもきっぱりと一言。
「ごめんね、聞こえちゃった」
「!?!?!?!?」
嘘でしょう!?え、聞こえてたって、あれだよね、あの反応から見るに、間違いなく私が、明君が好き…とかなんとか大声で宣言した、あの部分だよね!?
だけど、明君は慌てふためく私に、更なる爆弾を投下して下さいました。
「というより、ここでの天王寺さんたちのやり取り、校内放送で学校中に流れてたんだよね」
「!!!!!!!!!」
校内?
学校内?
と、いうことは、校舎にいる全員に?
今は放課後だけど、早い時間なので部活などで多くの生徒がまだ校内に残っている。
つまりは、これってもしかして……。
公開告白ってことなの!?!?
「いや―――――――――――っ!!!」
今度は私が床に崩れ落ちる番だった。
「もしかしてこれか?コホン、わぁ、こんなところにマイクが落ちてる。しかもそのコードは……隣の放送室のマイクに繋がってるぞー」
ピアノの下に屈んでいた犬神君が、右手に何かを握りながら立ち上がる。
その手には確かに、マイクがあった。
なんで!?なんでそんなところにこんなものがあるっていうの!?
「これはあれかな。そこにいる杏崎さんが、天王寺さんが悪者だって学校中に知らしめるために設置したんじゃないのかな?でも、残念ながら校内に知れ渡ったのは、杏崎さんが天王寺さんを貶めようとした悪者だったという事実。策士策に溺れる、というところかな」
明君がそう推測しているが、いや、この際誰がどうして何のために、というのはどうでもいい。
この時、少しでも冷静だったら、犬神君の台詞が棒読みで嘘くさいっていうことに気付けたかもしれない。
しかし私の頭の中を占めていたことは、私の明君への恋心が、こんな形で、あろうことか本人にばれてしまってもう死んでしまいたい!!っていう羞恥心のみ。
「天王寺さん」
「ふぇい!?」
声が裏返る。ていうか恥ずかしすぎる。
思わず下を向くけど、ゆっくりと明君が私の方に向かって歩いているのが分かる。
どくどくと尋常ではない早さで脈打つ鼓動。早すぎてむしろ痛いほど。
あぁ、あんなに会いたかった明君なのに、今は顔なんて見られない。というか、こんなみっともない顔見せられるはずもない。
しかし、私の動揺とは裏腹に、彼は確実に一歩ずつ、足を進めている。そして気が付けば、私の視線のすぐ先に、彼の上履きの先があった。
目の前に明君が来ているのだ。
顔に体中の血が集まっている。鏡を見なくても分かる。今私の顔は、真っ赤になっているに違いない。心臓が口から飛び出しそうだ。頭は真っ白で何も考えられない。このまま意識が飛んでしまったら楽になれるのに。
彼は何も言わずに黙って立っていた。
どれくらいの時間が経ったんだろう。ふっと顔に風を感じた。
明君がしゃがんだせいだった。そして彼は優しく囁いた。
「天王寺さん、……ねえ、葵さん、お願い、顔を上げて?」
「!?!?!?!?」
今、下の名前、初めて呼んで……。
突然の事態に思わず顔を上げてしまった。
「あ」
「あはは、やっと顔が見られた」
そう言って嬉しそうに微笑む明君は神々しすぎて、あまりの眩しさに目を瞑りたい衝動に駆られたけど、それは無理だった。
大好きな明君の笑顔だ。目を離せるはずがない。
「葵さん。さっき杏崎さんに言ってたことって、本当?嘘じゃない?」
「あう、あ、その、あの、う、う、嘘な訳ないじゃない!その、私は、ず、ずっと前から明君のことが、すすすすす、好きでしたっ!!!」
もうこうなればやけだ!どうにでもなれ―――!
当たって砕けたっていい。だってばれてしまったものは仕方がないのだから。
恥ずかしすぎて死にそうだ。こんな状況で告白なんて…せめてもっと距離が近づいてからとか思っていたからこんな、まさかの急展開すぎる!!
ていうか、ふられたら私どうしよう!?立ち直れない。無理、絶対に。
自分から学園去るよ!
「あははは。葵さん、面白い顔になってるよ?葵さんって、いつもはとっても美人さんなんだけど、見てるとたまに今みたいな表情がくるくる変わってすごく愉快な時があるよね。そういうところもひっくるめて、僕も君のことが好きだよ」
「お、お、女の子に向かって面白いとか愉快っていうのはちょっと……っていうか、え?と、今、何て…………?」
聞き間違い、じゃ、ないよね?
面白い顔、というところに思わず反応してしまったんだけど、確かに今……。
すると明君は、今まで見た中でも一番の、とびきり優しい笑顔でこう言ったのだ。
「僕も君のことが好きです。よかったら付き合ってくれませんか?」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あれから時間は少しだけ進み、今日は1学期終わりの終業式。
杏崎萌はあの事件の後、自主退学をした。自分がしでかしたことが学校中にばれてしまったのだ。彼女の為にも、賢明な選択だったと思う。
すっかりやつれた彼女はまるで別人のようだった。愛くるしい笑顔も美貌も見る影もなくなっていた。願わくは次に通う学校では、ハーレムとかゲームとかに囚われないで真っ当に人生を歩んでくれたらと思う。
彼女に弄ばれた形となったハーレムのメンバーたちはというと。
ヒロインが来る前から、彼らは生徒たちからの人気が高かったのだが(なにせイケメンだから)、あの一件以来人気は急降下。特に写真は絶大なパワーを持っていたようだ。
マイクの設置の件だけど、関係者はみんな自分じゃないと最後まで言い張っていた。
念のためにと防犯カメラの映像をちょちょっと見てみたんだけど、残念ながらちょうど死角になっていたため結局真相は闇の中。
分からないと言えばもう一つ。あの写真ばら撒きの犯人は誰なのかということ。
どれだけ調べてもなぜそんなことになったのかはついぞ突き止められなかった。
まあ、今更いいんだけどね。私に不利益なことはなかったんだし、結果的に学園に残れるのはあのお陰だから。
私の学校生活も至って順調。実家がお金持ちだと知られたけど、別にこれと言って変化はない。ただ一番厄介だったのは…。
実は明君とのあの恥ずかしすぎるやり取りの最中も放送室の電源はonになっており(犬神君も消してくれてたらよかったものを!)、私と明君の仲はいまや全校生徒公認だ。
今でこそ下火になったが、当初は囃したてられて恥ずかしいことこの上なかった。
まあいいのだ。明君と恋人同士にも慣れたし、ヒロインももういないし。
結果オーライに違いない。
さて、明日からは夏休みが始まる。
今日は用事があるとかで、明君は先に帰ってしまった。正直寂しい。
が、明日は一緒に一日中遊ぶ約束をしている。あんなにあった犬神君の妨害もぴたりとやんだし、幸せすぎる…と緩みっぱなしの頬を押さえながら下駄箱の靴を取りだしていると、
「何一人でにやついてるんだ?気持ち悪い」
「げ」
呆れ果てた顔でこちらを見やる犬神君が通りかかった。
「明日から夏休みだもんな。明と好きなだけ、時間気にせずいちゃいちゃできると。なるほど。よかったな幸せそうで。で、肝心の明は?」
「今日は用事があるとかで先に帰りましたー。そっちは練習?」
「まあな。来週に大きな大会があるから、最後の追い込みだ」
そう言って苦笑しながら手にした楽譜を広げてみせた。
ある意味、犬神君が一番変わったかもしれない。
あんなに練習嫌いだった彼が、今や毎日熱心に音楽室に出向いているというのだから。そして一心不乱にピアノを弾いていると。
その姿がまたかっこよくて、今や彼は押しも押されぬ学園の王子様なんだと。本人は騒ぎ立てる周囲なんてどこ吹く風なようだけど。
しかし、練習サボり常習者が、人が変わったように練習ね…。どこかで聞いたことがある話だ。大きな大会の練習なんて言ってるけど、本当は…。
「それにしてもあのあなたがねぇ。熱心に練習、ねぇ?あれかしら、例えばあなたの弾くピアノの音に誘われてやってきた女子生徒と、ひょんなきっかけから会話をするようになって、その彼女ともっと話をしたくて音楽室にこもってる…とか?」
「!?ぐ、え、お、お前なんでそれ」
「図星か」
これは、ゲーム内でヒロインと恋に落ちる時のルートそのまま。相手が誰かは分からないが、杏崎さんよりはましだろう。
「な、なんでお前がそれを知ってるんだ!見てたのか!?それとも監視カメラの映像か!?」
「あの時は仕方なく使っただけよ。今はきちんと監視カメラとしての機能を果たしてるから、私用で覗き見なんてしないわ。さっきのはカマをかけただけ。よかったわね、成就することを願っているわ。友達としてね」
生温かい瞳でぽんと肩を叩くと、顔を真っ赤にさせていた犬神君が急に真顔になった。そしてこの私の顔を見て、深くて長いため息をつく。
「……お前は俺よりも自分の心配をした方がいいと思う」
そう言って、同情するような面持ちでこちらを見やる。
「あなたに心配されなくても、明君との仲は至って順調よ?」
「そうじゃない。お前はあいつの本性を知らないからそんな呑気に構えてられるんだ」
「???本性?なによそれ」
「確かにあいつは、表向きは人当たりも良いしいつもにこにこしていて虫も殺さぬような顔をしてる。だけど腹の中は相当真っ黒だぞ。そのことを、友人として一応忠告しといてやるよ。いいか良く聞け。そもそも杏崎のしでかしたことが校内放送されてたのも、写真が出回ったのも、俺がお前の邪魔をしてたのも全て明の……」
その時何かが振動する音が聞こえた。どうやら犬神君の携帯らしい。彼はそれを取りだしメッセージを確認した瞬間、真っ青な顔になった。
「あいつどこかで俺の行動見張ってんのか…?」
「ちょっと犬神君、どうしたのよいきなり黙って。というか顔色悪いわよ?練習のしすぎじゃないの?」
しかし私の心優しい気遣いの言葉なんて耳に入っていないようで、急いでこちらから距離をとると、
「こんなところで立ち話をしている暇は俺にはなかった。ピアノが俺をよんでいる、じゃあまたな」
早口でそれだけまくしたてると足早に音楽室の方へ向かっていくではないか。
あまりの身の変わりようについていけなくて、彼に一体何があったのかと背中を見つめるけど、声をかける暇もなく彼は廊下の角で姿を消した。
ただ私の横を通る時に、小さな声で「ま、頑張れ」と呟いたのだけは聞きとれた。
なんだったんだ、一体。
あ、そういえば、結局私の事、誰に聞いたのか問いただすの忘れてた。まあいいか。また今度会った時に聞けば。あと、私の邪魔をしてた理由も保留のままだったっけ。
そう思いながら私は校門の外へ出ると、目の前には帰ったはずの明君がいるではないか。
「あれ?どうしたの!?」
「用事が早く終わったから。で、せっかくだから葵さんと一緒に帰ろうかなって思って引き返してきたんだ」
ああ、なんてこと!ヤバい、嬉しすぎて発狂しそう。
「そうだ!どこか寄り道でもしようか」
「あ、うん!」
こんなに幸せでいいのだろうか。二人で並んで歩きながらピンクのオーラを出してると、ふとさっきの犬神君の台詞が頭の中でリピートされた。
『お前はあいつの本性を知らないからそんな呑気に構えてられるんだ』
『確かにあいつは、表向きは人当たりも良いしいつもにこにこしていて虫も殺さぬような顔をしてる。だけど腹の中は真っ黒なんだよ。そのことを、友人として一応忠告しといてやるよ。いいか良く聞け。そもそも杏崎のしでかしたことが校内放送されてたのも、写真が出回ったのも、俺がお前の邪魔をしてたのも全て明の……』
明君の本性って言ってたよね?
彼が見た眼通りの優しい人間じゃなくて、実は腹黒いって……。なんか、杏崎さんの一件にも、彼が関わっている…みたいな風に言ってるように聞こえたんだけど…。
せっかくの明君との帰り道だっていうのに、私の心がもやもやとする。
一体あいつは何が言いたかったの…?
そんなもやもやが顔にも出てたのか、
「葵さん、さっきから難しい顔をして歩いているけど、具合、悪い?」
と、明君に心配される始末。
「!?あ、そ、そんな顔してた?」
「うん。つい今まで元気だったのに急に沈んだ顔になったから。……もしかして、僕と一緒に帰るの嫌だった…?」
「!?まさかまさか、そんな、滅相もない!!」
いけない、彼にあんな悲しい表情をさせてしまうなんて、私ったら彼女失格じゃないか!
「違うの、明君と帰るのはとても嬉しいの!嬉しいんだけど、その」
思わずその場で足を止めてしまう。
それに合わせてか、隣の明君も足の歩みを止めてこちらを窺うように見つめる。
別に犬神君の言うことを信じている訳じゃない。
うん、そうだよ、きっとあれは彼の冗談だ。自分の恋路があまり進んでいないからって、ラブラブな私たちに八つ当たりをしてるに決まってる!
仲のいい明君を奪ってしまった私への嫉妬もあるかもしれない。
ていうか、なんでこんなにこちらが気にしないといけないのか。せっかくの二人きりの時間なのに。考えてたらだんだん腹が立ってきた。
こんなジョークに振りまわされるなんて冗談じゃない。なので、さっきの彼の意味不明な言葉を私は笑い話に変えて明君に言ってみることにした。彼ならきっと笑い飛ばしてくれるに違いない、と思いながら。
「ごめんね、なんか犬神君が帰りがけに変なことを言ってきたからさ。おかしいのよ、明君が実は腹黒だなんて言ってきてね。この前の杏崎さんの写真がばら撒かれたりマイクが設置されてたのも、明君の仕業だなんて言うのよ!?…まったく、練習のしすぎで気が立ってるのかしら。ホントおかしいよね。…あ、別に信じてる訳じゃないのよ?」
あはははと笑いながらそう言うと、明君もにっこりと笑顔を見せてくれた。
「そうなんだ、でもね葵さん、正宗の言ってることは全部、本当のことだよ?」
「でしょう?嘘をつくにしてももっとましなのを……って、え、今」
きっと蝉の大合唱のせいで私の耳がおかしくなったに違いない。なんかとんでもない言葉が明君の口から飛び出した気がする。
しかし、私の聴力は極めて正常だった。明君はいつもの爽やかスマイルをキープしながら、
「杏崎さんが何を仕掛けてくるか予測してたからね。あとは君の行動もね。マイクは、正宗に設置を手伝ってもらったんだ。あ、告白は予想外だったな。本当は僕から告白したかったんだけど…。まあアレのお陰で君に手を出そうなんて輩も一掃できたからいいか。写真は、校内にカメラがあることは知ってたからちょっと君のお父さんに頼んで映像をダビングしてもらったんだ。で、正宗にも手伝ってもらってあの人たちの恥ずかしい画像を抜き出して写真にしてみたんだ。屋上からばら撒いたのは僕だ」
と、あっけらかんとそう言ったではないか。
待って、情報処理能力がついていけなんだけども。
なんで杏崎さんが仕掛けてくる内容を知ってるの?しかも、私のお父さんにカメラの画像頼んで…って言ってたよね?え、え、なに、それ。
「お父さん…と、知り合いなの???」
「うん。総一朗さんとは今ではお茶飲み友達だよ」
いつの間に!?お父さん一言も言ってくれなかったし!ていうか、ということは犬神君が言ってた、私の素性を教えてくれた相手って明君のこと!?一体どんな手を使ったの!?!?
「杏崎さんの計画、知ってたっていうのは……」
「それは君と同じ理由。僕には以前、このゲームを鬼プレイしていた妹がいてね。毎日毎日妹のゲーム談義、攻略に付き合わされたお陰で、全てのルートとエンディングが頭に入ってる」
もう何が何だか分からない。頭の中は爆発寸前。じゃあ明君も私たちと同じ、転生者?ゲームの記憶を持った、仲間?なら、杏崎さんの行動の先読みも納得だけどもっ!
喧嘩を売られたのは私のはず。
「なんでそこまで……、そんなことまで、したの?」
「なんで?そんなの決まってるじゃない。僕の大事な葵さんを傷つけようとしたんだよ?みんなの前で制裁なんて生温い方でしょう?本当は社会的にも抹殺してやろうかと思ったんだけど、正宗にそれはやりすぎだって止められちゃったからあれくらいで勘弁してあげたんだけど」
明君はやはり、いつもと同じように邪気の欠片もない、爽やかな顔で笑っていた。確かに笑っている。
なのにおかしいな、いつもはその笑顔を見ると後光が差してるとか思えるのに、今、彼の背後からどす黒いオーラが滲みだしているようにしか見えない。
「………じゃあ、犬神君が私の邪魔をしていたのは、明君が仕向けたって、いうのは」
「ふふふ。だって葵さん、正宗がいると、困ったような怒っているような、やきもきしているような顔になるんだもん。その顔があまりにも可愛くて。だから正宗に邪魔するように頼んだんだ。後は、親友がヒロイン気取りの彼女の毒牙にかかるのを防ぐため、っていうのもあるけど」
困った顔が、可愛い?
はい、爆発しました。私の頭。容量オーバー、誰か私に新しい脳みそ下さい。情報処理に長けた優秀な頭を。
私の知っている、あの優しい明君はどこに行ったの?
わざと困らせた顔をして楽しむってサディスティックというのではないですか?
困惑のあまりその場から動くことができず固まった私に、
「まったく、正宗も勝手にばらすなんてひどいよね。…後でお仕置きしなきゃ。あれ、どうしたの?葵さんさっきよりも顔色悪いよ?」
そんな風に心配しているような口ぶりで近付いてくる明君。
「可愛そうに、やっぱり彼らから受けた心の傷がまだ癒えない?じゃあ今からでも遅くないから、抹殺してあげようか。えーと、まずは……」
「待って、違うから、そうじゃないしそんなこと望んでないし!」
いや―――、明君、とんでもない人間だったよ!!あのゲームはもっとソフトなものだったよ!?キャラ設定もこんなえげつないの出てこなかったんだけど!?
「そう?ならいいけど。でも困ったことがあったら何でも言ってね。これから僕たち、長い付き合いになるんだし」
「へ?」
すると明君、私の手を取ってその場で跪くと、鞄から何やら小ぶりな箱を取りだした。そしてそれを開けると、中に入っていたものをそっと、私の左手薬指にはめた。
「総一朗さんとの約束なんだ。君との結婚の条件は、僕が天王寺グループの総帥になれるほどの実力をつけることだって。今はこんな玩具みたいなものしか用意できなかったけど、10年待ってて。僕は君のところの会社を継げるくらい、立派になって帰ってくる。そうしたら本物の指輪を用意するから」
そして彼はキラキラ輝く瞳でこう言った。
「僕と結婚して下さい」
あの父親はなんで勝手に話を進めてるんだとか、この前付き合いだしたのにプロポーズとか色々ぶっ飛ばしすぎて訳分からんとか、私の意思は無視かとか、もう言いたいことは山ほどあったけど、とりあえず、分かったことは一つ。
私、もしかして攻略するキャラ間違えた…?
だけどそんな疑問を口にする元気すらなく、今度こそ本当に色んな意味でオーバーヒートした私は、頭から煙を噴出させながらその場で意識を失った。
私はまだ知らない。
今から10年後の未来、彼はその宣言通り、天王寺グループのトップに昇りつめ、父様に私との結婚を認めさせることを。
そして私は彼との間にサッカーチームができるほどの子宝に恵まれ、末長く幸せに暮らすことを。
一応のキャラ説明
○天王寺 葵
原作ではただの厭味な美人の女の子。現実では、実は超が付くほどのお金持ちのお嬢様。全てが揃った完璧人間だが、しっかりした見た目とは裏腹に抜けたとこもあり、そこがまたいいと皆から慕われている。彼女が明の事を好きなのは周囲にバレバレだった。明との交際が校内放送された時、彼女のことを好きだった男性陣は密かに涙したという。自分が好きになった相手がまさかこんなにも腹黒だったとは……と、彼が自分に向けてくる大きすぎる愛情に恐怖を感じて何度か逃亡を試みるも失敗。最終的には現実を受け入れ、なんだかんだで葵も彼のことが大好きだったので、喜んで彼のプロポーズを受けた。
○田中 明
ゲームではまったく目立たないモブキャラ。現実では見た目こそ地味だが、人当たりの良さと抜群の社交術で人をたらしこむのが得意。そのため実は校内の女子からの人気は高い。見た目が爽やかなので皆騙される。本性を知っているのは正宗と葵だけ。実は葵の事は入学時から知っており、彼の方が先に葵を好きになっていた。そのため彼女を何とか自分のものにしようと調査していく最中、葵の素性を知った。葵の事は病的なほど愛している。
○犬神 正宗
顔と声と性格と攻略ルート、全てにおいてゲーム内でぶっちぎりの人気を誇った。この世界でもそれは変わらない。成績はあまり芳しくなく、常に学年1位を取り続ける親友に助けてもらう代わりに、労働力を要求される。割と世話を焼いてくれる優しい奴。なんだかんだ言いながら、二人には幸せになってほしいと思っている。ちなみにゲームと同様のルートで、ヒロインではない例の音楽室にやってくる少女と結ばれた。