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椅子をめぐる4つの話

椅子をめぐる4つの話 第1話

(プロローグ)その日、椅子は現れた



 僕はハッとして、否、ぎょっとして足を止めた。遊歩道の脇、えのころ草やヒメジョオン、その他名も知れぬ雑草が茫々に茂っている草っ原に、唐突に、椅子が置かれている。焦げ茶色の艶々とした革張で、クッション部分は縫い目が深く食い込み、どっしりとした大きな背もたれが、天に向かって正々堂々と伸びている。まさに、“鎮座している”と言うべき風格だ。

 そう、それは、横倒しになるでもなく、正しく在るべき向きに、置かれているのだ。

「・・・こら、マフィン、やめろ」

 つんつんと引っ張られる感触で我に返り、僕は草むらに鼻先を突っ込むコーギーを引き戻した。マフィンは姉の飼い犬で、オーストラリアに一ヶ月研修に行っている間、僕が預かっている。ダニやノミがつくから、草むらに入れるなと注文されているのだが、とかく犬はそういうところが好きだ。世話をしてくれたらお礼にお土産ははずむ(・・・)と言っていたけれど、何をくれるんだろう。

 閑話休題。

 僕は、3日前の午後へと転がっていった思考を、現在に引き戻した。椅子のそばを通りながら、まじまじと観察してしまう。

 社長椅子、と呼ぶのが、いちばんイメージを掴みやすいだろう。昭和50年代に制作された安手のドラマに出てきそうな、まあ、言ってしまえば陳腐な社長椅子。クッションは厚みがあり、重厚で、夏には背筋や尻が蒸れること確実だ。

 この、中小企業ではまだ活躍していそうな社長椅子から、こんなにも眸を離せない理由は、ただ草っぱらにいきなりあるからだけではなく、きちんと上向きに、置かれているからだ。横倒しに転がされていれば、ただの不法投棄。倒産だか買い替えかで不要になった社長椅子を誰かが捨てに来たのだと容易に想像がつく。そのうち市役所の担当者が、“不法投棄”のシールを貼り、しばらく放置された後片付けられるのがオチだ。けれども、こうも整然と置かれていると、草っぱらと社長椅子という取り合わせの珍奇さがさら増幅されて、否が応にも視線を惹きつける。

 しかも、その社長椅子は目立った傷みもなく、そのまま社長室に置けそうな状態の良さなのだ。戸外に放置されているわりに、水も溜まっていない。

座ってみようか。

 好奇心がむくむくと頭をもたげる。これは普通の状況じゃない。子供だましの怪談なら腰を下ろそうとした途端、座面がぱっくりと裂けて、鋸のような歯で食いつき、呑み込んでしまう。はたまたファンタジーなら、目をつぶって開けたときには、異世界に・・・・。

って、社長椅子が?

 どんな物語の作者だって、もっとましな小道具を出してくるだろう。

 幸か不幸かあたりに人目はなく、いつも散歩で会う老人会も、今日に限って見当たらない。冷静と妄想を行きつ戻りつする頭に、理性という奴がちらりと顔を覗かせた。

 座ったところを目撃されたら・・・。

「・・・まぁ、また、明日もあったら、な?」

 マフィンに言い訳するように話しかけて、僕はとりあえずその日をやり過ごした。またとないシチュエーションを前に、不甲斐ない気はするけれども。



(1) 万里の場合


 鍋にこびりついた焦げが取れない。

 私はいらいらして、ちからの限りスポンジでこする。当然、そんなことではぴったりと貼りついた焦げはびくともしない。たとえば湯を張って重曹を入れ、沸かしてふやかすとか、何らかの()を打たなきゃうまくいかないことは、頭ではわかっている。

けれども、とても、面倒くさい。今日は朝から忙しかった。納期が早まって、事務の私までコピーと製本と、手伝わされた。このうえ、焦げた鍋のために重曹を出してきて、水を張って、湧かして、・・・・ああ!

 私はボダムの片手鍋を投げ出した。

 一見、美しいステンレスの輝きを保っているように見えるけれど、鍋肌がうっすらと焼け茶色がかっている。結婚祝いに贈ってもらって、丁寧に扱ってきたつもりでも、生活の痕跡?こちらはもう何をしようと歯が立たず、仕方ないけれど、少しくやしい。

 戦意喪失、戦線放棄して、私は対面キッチンの向こうに広がるリビングを見やった。娘の陽菜の姿がないリビングは、閑散としてとても寂しい。沈黙したままの薄型テレビと、食事その他すべて兼用のローテーブル。ソファは置いていない。ダンナと協議(口論?)の結果、私の意見を通して置くのをやめた。子どもが小さいうちは、お菓子をこぼしたり、跳びはねて壊したりするから、いいものは買えない。ダンナは欲しいらしく、ホームセンターでは、よく未練たらしく眺めている。

 陽菜が居れば、ラグに寝そべってアニメのDVDを流しているか、塗り絵を塗りつぶしているか。アニメをだらだらと流していれば、絵本でも読んでくれたらと思うし、塗り絵に没頭していれば、クレヨンがテーブルやラグにはみ出してやしないか、気が気じゃない。その陽菜も今日は“ばあば”の家にお泊まり。5年目の結婚記念日だから、二人でゆっくりレストランにでも、と、お義母さんが気を使ってくれたのだ。

 でも、それもおじゃん。

 私は皮肉げに、洗剤の泡が浮いたボダムに視線を戻す。レストランでディナーが実現していれば、こうしてキノコのソースを作って、鍋を焦がすこともなかったのだ。

 昼休みのメール、『夜、残業になるかも』。終業直前に、『ゴメン、やっぱ、無理』。

重要な点検が近々入るから、休みにくいとは、前から聞いていた。日頃からイクメン・カジメンでならしていても、いざとなるとまだまだ仕事社会。プライベートはいつでも後回しにされてしまう。

 カジメンって言ってもさ・・・。

 私はスポンジを放り出して、リビングに回った。脱ぎっぱなしの靴下、昨夜のビールの空き缶とグラス。こういうこまごまとしたものの片付けが、一番面倒だ。食事を作る、ごみを出す、そういう明確に名 前のついたものでない家事は、依然として女性の手を離れていない。

 多くを望みすぎかな?

 靴下をつまんで、バスルームに持って行き、洗濯機に投げ込んだ。お知らせランプが目につく。ご指摘に従って、乾燥フィルターを引き出し、私はがっくり肩を落とした。乾燥フィルターもたまには掃除が必要と、ダンナは知っているだろうか。

 私はフィルターの掃除を次の休日に回すことにして、リビングに戻った。昼休みのメールを見たときから決めていたことがある。もし、休めないようなら陽菜のいない間に、部屋の衣替えをしようと思ったのだ。ラグやカーテン、ランチョンマットやティッシュケースを、冬ものに変えよう。掃除機をかけて、夏物は物入れに収納して。ホットカーペットを出して、オイルヒーターも。

 そう、まだ力尽きるわけにはいかない。

 そう思って、リビングに入ったときだった。私は、愕然と足をとめた。

 

 はぁ?何でこんなものが我が家にあるの・・・・・・?


 椅子。・・・・社長椅子だ。

 ダークブラウンの革張りが艶々と照る、ちょっとふるくさい・・・・。


 ついさっきまでは無かったはずだ。こんな大きな物、誰かが運び込むわけはないし。いや、ダンナも陽菜もいない、マンションのこの部屋には私一人だ。

 私はかなり、不快な気持ちになった。インテリアにはこだわって、とにかく不要なモノは置かないようにしている。ダンナの意見も(ちょっと)無視して、ソファだって置いてないのに。

 不似合いだ。

 私は、大股にソレに歩み寄った。()れられる。幻じゃない。少し圧してみると手触りは硬く、クッションもへたってない。ベージュメインに淡いカラーリングでまとめているリビングに、異様な闖入者。

 センス悪・・・・・。こんなものに座ってふんぞり返るって、どういう気持ちなんだろ。

 けれども、社で働いている男達のどれくらいかは、こういった少しでも“上等な椅子”を目指して、あくせく胡麻を擦っているのだ。

 興をそそられて、私はソレに座ってみた。しっかりした座り心地。背もたれもどっしりとしていて、体を預ける安心感がある。

 目を閉じて、深い呼吸をした。照明の明るさがまぶたを通して、視界を白くそめる。たまには、悪くない。ゆっくりと息を吐ききったあと、目を開いて、私は再びぎょっとさせられた。

 目の前に、こびとが居る。わらわらと、その数、7人。サイズは、そう、何というのだろうか。立ち上がっても、頭が私の膝あたりか。

 茶色いローブに、三角帽子。アーモンド型の目がぎょろりと大きく、まばらな髭をひょろりと伸ばしている。全体的にちょっとくたびれた印象。一人だけ、三つ指をついてお辞儀をしているが、あとの6人はわいわいやっている。

 そのリーダー格らしい一人は、すっと頭をあげて、私を見据えた。

「では、何から始めましょうか、ご主人様」

「・・・・・・・・・・・・何って、」

 私は、衝撃から立ち直れないままに、そのこびとと、彼の背後でわいわいやっている仲間達を呆然と眺めた。

 仲間の小人は、どこからいつの間に持ち出して来たのか、手にはたきやブラシを持って走り回っている。

「・・・・・もしかして、家のこと、してくれるの?」

「もちろんです、ご主人様」

 仰々しく肯って、彼は、後ろでばたばたと落ち着きのない仲間に、静かにするよう声をかけた。

 何が何だか、わからない。

 けど、ラッキー、と私は思った。ブラウニーという妖精のことが、頭をよぎる。ハリーポッターに出てきた、屋敷のしもべ妖精。家事全般をこなしてくれる妖精のことだ。

 この椅子、この椅子が見せてくれる幸運な幻かもしれない。

 私は高々と足を組んだ。

「じゃあ、まず一人はキッチンをおねがい。焦げ付いた鍋をきれいにしてね。最後にシンクを磨くのを忘れないで。それとね、今日はラグとカーテンを変えたいの。まず掃除機をかけて・・・・その前にテレビやライトの埃を払って!」

 面白いようにこびとたちは、部屋中に散っていく。好き勝手にやっているように見えるが、目まぐるしく走り回りながらもちゃんと分業している。指揮を取るのは、あのリーダー格のこびとだ。

 すごい。瞬く間に、ぴかぴかだ。

 まずカーテンレールにはたきがかけられる、夏物のカーテンが外され、冬物の厚地のものと取り換えられる。どこに直してあるのか、訊かれることもない。今度は掃除機だ。また、キッチンでは、1人がボダムの鍋を磨き、1人はコンロに取り掛かっている。ものすごいスピードで、換気扇まで外されてクリーンアップ。

 と思って見ていると、4人が走ってきて取り囲み、ひょい、と椅子ごと持ち上げられた。リビングの端に移動する。

 リビングに敷いている夏物のラグが目の前で巻かれ、物入れから出てきた冬物のラグが広げられる。その上に、ホットカーペット。ローテーブルも磨き上げられたのが、セッティングされる。

 そして再び、元の位置へ移動。

 リーダーの指揮のもと、こびと達がいっせいに集まって来た。

「いかがでしょうか、ご主人様」

「すごいすごおい!!」

 私ははしゃいで拍手した。

「どうぞ、キッチンもご確認下さい」

 こびとは手をさしのべ、私は少し居丈高に、誘われるままついていく。といっても、対面型キッチンだから、少し回り込むだけなのだけど。

 キッチンもキラキラと見違えるようだった。焼け色のついたボダムの鍋肌は、使いはじめた当初の輝きを取り戻していた。

 私は満足して、社長椅子に戻った。こんなに気持ちがいいなら、社長椅子も(センスは別として)悪くないかもしれない。

 7人のこびとが勢揃いし、リーダーのこびとがしかつめらしく咳払いをした。

「お気に召していただきましたでしょうか。」

「もっちろん!こんなにきれいになるなんて、感動!」

「では、私どもをお雇いいただけますね?」

 ずい、っと、こびとが一回り大きくなった気がした。

 ──は?傭う?

「えーっっと、・・・どういうこと?」

「ご主人様は私どもを使われて、気に入られた。ですから、傭っていただけると」

 ──もちろん、こんなに家事をしてくれるなら、居てほしいのは山々だけど。

「あの・・・ぅ、傭うって、お給料がいるの?」

「いいえ、お金などは要りません。ただ、私どもは、大食漢です。一日に、5㎏の小麦を要します」

「5キロ!?」

「お米でも結構です」

 間髪入れず、返してくる。5キロって、大きい方の米袋1つ分じゃない?

「それ・・・・、もし家になかったら、どうするの?」

「飢えてどうしようもなければ、柱や床をかじります」

「・・・・・や、それ、冗談でしょう、」

「いえ、私どもは十分に食べなければ、働けません。ご主人様は私どもをいたくお気に召した様子。私どもも、そのような方の家で働くのが気持ちよい。

 傭って、いただけますでしょうな」

 こびとが、更に大きくなった。

「え、ちょっと困るって、そんなに食料買えないし置いとけない・・・・っ!」

 私はかなり焦って、必死に言い訳した。更にこびとが巨大化して迫る。

「これは困りました、私どもは一度働くと、すべてのエネルギーを消耗してしまうのです、この体格で大きな道具を使うものですから」

 リーダーの背後で、こびと達が騒ぎ出した。

 おなかすいたー、おなかすいたー、おなかすいたー・・・・・・・・。

「ちょっ、ちょっと待って、」

 冗談!絶体絶命じゃない、家をかじられたどうするの!

 めまぐるしく頭が働いた。ブラウニーは、屋敷のしもべ妖精はどうしたら出て行く!?

 おしりの下に、何か違和感があった。手を突っ込んで引き出すと、靴下だ。さっき洗濯機に放り込んだそれの、もう片足。

 わたしは、えい、とその靴下をこびとに突き出した。家の妖精ブラウニーは、衣料品をもらうと、家から出て行く。

「これ!!コレあげるから!ごめん!」

 :

 :

「万里、まーりー?風邪ひくよぉ?」

 つんつん、突かれて、起こされた。

「ごめん、これ、俺の靴下だね。申し訳ない」

 私は寝転んでいて、その一生懸命伸ばした手に握っていた何かを引き抜かれる。床は暖かく、心地よく眠気を誘う。

「・・・・幸博?帰ったの?」

 私は、ぼうっとする頭に檄を入れ、何とか起き上がった。ローテーブルには、プラスチックパックの入ったビニール袋。

 ラグの、手触りが違う。そして、床が暖かい。ホットカーペットだ。

 慌てて見回す。ラグが、毛足の長い冬物に替わっている。私はゾッとしてキッチンに走った。ぴかぴかのシンク、ボダムの鍋は洗って水切りのため、逆さまに置かれている。おそるおそる裏返すと、焦げは跡形もなかった。

「ごめん、万里も疲れてるよね。それ、お土産。もうメシ食ったかもしれないけど。焼き鳥屋開いてたから」

 ぱたぱたとスリッパを響かせて、幸博がリビングに戻ってきた。ふかふかのあったかスリッパ。

「・・・・ゆきひろ、鍋、洗ってくれた!?」

「はぁ?俺、いま帰ってきたんだけど」

 そう言って、冷蔵庫からビールと、食洗機から二つグラスを取り出した。細長い皿に、プラスチックパックの焼き鳥を移して、パックは濯いでリサイクル袋に入れる。

 ローテーブルに、焼き鳥とビールが並んだ。プラスチックパックからお皿に移す一手間がいい。

「万里ちゃん、乾杯しよ?」

 もちろん、リビングには社長椅子など、ない。夢、にしては、現実に部屋は掃除され、衣替えが済まされている。

頭の整理がつかないながら、ローテーブルの向かいに座り、幸博が注いでくれるビールを受けた。ホットカーペットは暖かくて、心がほぐれる。

 私は、絶対に信じてもらえないと思いながら、社長椅子が現れてからいままでの顛末を話した。

「うーん、家事をしてくれるのは嬉しいけどさ、米5キロはちょっとねー・・・・」

 幸博は砂ズリを囓りつつ、グラスを傾ける。

 緩い!この話を聞いた感想がソレ!?

 私は、何だか馬鹿馬鹿しくなって、テーブルにほおづえをついた。

「・・・・ねぇ、ソファ、買おっか?」

 ホットカーペットは暖かくて気持ち良いけれど、所詮フローリングだから、寝ると体が痛い。

「んー?いーよ、もうちょっとカネ貯めてさ、いいの買おう」

 ますます肩の力が抜けて、私はグラスのビールを一気飲みした。


 後日談。翌朝、私は買い置きの食パンの袋が、空になっているのを発見した。


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