現実の続き1
円奈の足を濡らす血だまりも、矢羽を床と背中の間に挟んで矢尻を天井に向けて貫かれた死体も、火に取り囲まれている、と気付けばどちらの臭いも感じなくなった。
早く、出ないと。
石壁は火を通さなくとも、熱は今でもすでに感じている。
煙はどこからだって入り込む。
出口は仰向けに転がった少女の死体の向こう側に見えた。
鉄製の檻だ。
幸い、その外側に火の手は見えない。
さっきまで、生きていた、その死体を放っておくことに躊躇を覚える。
ほんの少し見知っただけの他人だ。
躊躇うだけ、自分は逃げられなくなる。
思っても、自分の中に生じたものを無視することができなかった。
さっき突き放したばかりの、少女の側にかがみこむ。罪悪感から、そっと、手を伸ばして、
「近づくなッ!!」
壁を揺らすほどの声に、円奈は手を引っ込める。
その、手首を下から強い力で掴まれた。
見下ろした先で、目を見開いた青い顔の死体がにたり、と血濡れた唇で笑みをかたどる。
「ひっ!」
生ぬるい体温の指も、笑みに似た異質な表情を浮かべる顔も、なにもかもが真下の『何か』を忌むべき物だと警鐘を鳴らす。
「やだ!やだ!放して!放してっ!!」
思い切り腕を振っても、ぐにゃぐにゃとした指はがっちりの円奈の手首を囲ったまま離れない。気味の悪い弾力をした指は、その感触に反してぎりぎりと円奈の手を痛むほどに締め付けている。
「……やだあっ!」
ますます半狂乱になって振り回しても、拘束を外そうと両手を使ってもびくともしない。
怖くて、円奈の手を掴む少女の形をしたそれの顔は見れない。見れるはずもなかった。
ガン、と背後で耳が痛むほどの金属音が鳴る。
誰か、助けが。
さっきの声の人物か、と振り返りかけた円奈の頭が押さえつけられる。
地面に頭を打つことはなかったが、衝撃はあった。痛みも、あった、はずだ。
そのどちらも感じなかったのは、円奈の眼前を太い矢尻とその先に延びる木製の胴体部分が過ぎたからだ。
少女の背中から胸を貫通した矢に。
続けて円奈を打ちつけようとしていた。
「くそっ、忌々しい異界の化け物が!」
「…っあ、いっ…!」
円奈の頭を誰かが憎々しげに握って、苛む。
万力で頭を締め上げるように、腕の力だけ円奈を殺そうとするように、誰かが力を入れる。
「余計な真似を、時代遅れの巫女が……っ!?」
急に、力が緩む。
と同時に、大きな物が倒れる音がした。
「大丈夫か?」
痛みのせいか、目の前が良く見えない。暗くてぼんやりとした視界に影が横切る。
円奈の身体を引いて、彼、あるいは彼女は抱きかかえた。
その手と、体は生ぬるくはない、が。
円奈の耳元で、どうやら助けてくれたらしい人物が言う。
「時代遅れはどっちだ。
異界の、我々とは違う、人ではないモノでもこの世界を救うたった一つの手段だ」
心中したければ、お前たちだけでしておけ。
冷たく吐き捨てたすぐ後に、ぼう、と炎の巻き上がる音がした。
炎越しに、悲鳴が上がる。
「そのまま、凭れいて」
円奈は顔を上げられない。
怨嗟の声にも歩みを緩めることなく、炎を連れて歩く人物に抱えられたまま、目を地面に落とす。
その人が歩くと、血の足跡が付く。
その足跡に、炎が点る。
火が点くとも思えない石の床に、炎の花が咲く。
円奈を大事そうに抱える手は、確かに温かくて、声は助けるように呼びかけてくれたものだった。
けれど。
体からは血の臭いが立ち込めていた。