第十五章 人化
「詳しく説明しますと、あの日死んだ貴方達の魂はそのまま輪廻転生の輪に還る……筈でした」
疑問が無いため彼女は話を続ける。
実際の所2匹は理解できずに呆けていただけだ。
「しかし、あの日は数多の異世界が重なり合った日。世界が重なる衝撃の余波が、輪へ還る貴方達を弾き飛ばしてしまったのです……世界の隙間へと」
「ああ、あの宇宙みたいな場所か」
言われて思い出すのは、悠兎が黒兎として目覚める直前の光景。
体験した悠兎からすれば、絶景では有ったがまた行きたいとは到底思えなかった。
「同時期に亡くなられた方々も同様に弾かれましたが、お二人を除いて救出は成功しています」
「……つまりボク達は違ったんだね?」
人が死ぬというのは身の回りというミクロな視点ではともかく、世界規模というマクロな視点からすると珍しい事ではない。
極論、数秒に一人は死んでいる事もある。
そう考えれば、あの死を迎えた一瞬で数え切れない人間が死んでいる事が考えられる。
そして複数の世界が原因で起こった現象という事は、その範囲は異世界にも及んでいる。
だが、目の前の妖狐の言う事を信じるのならば、そんな無数を人間を把握し、救助を済ませているという。
個人か組織の規模かは知らないが、それが可能な地力を持ちながら、たった2人だけが救えないというのは考え難い。
そんな意図を籠めた言葉はしっかりと彼女に伝わる。
一呼吸の間を置いて、彼女は言葉を続けた。
「世界の隙間……あの場所を構成するのは物質ではなく、情報。世界を構成する為の基礎情報が漂っている場所。故に魂という存在でしか入ることが出来ない空間。更には、そこにある情報は文字通りの全てであり、真理であります。ただ、人がその情報量を受け止めるのは瀑布から釣瓶で水を汲むが如く、本来ならば魂という器が砕け散る事になります……ですが、情報との相性が良ければ少量ですが自身の糧にできます。事実、救助者の中にはその様な方が何名か居りました」
暗闇の世界に輝く大小様々な光。
あの一つ一つが何かしらの情報。
だとすると、あの光に飛び込んだという事実が意味する事は。
「成る程、そうなるとボク達は器が砕けずに水を汲めた訳だ。そうなるとボク達のこの体もそれが関係しているのかな?」
「そう、です……」
どこか歯切れの悪い返事に2匹は嫌な予感を感じた。
「……本来ならば、川下りの様に流れに逆らわずに少量の情報を汲み取るのが精一杯なのです。しかし、汲み取るどころか飲み干すとなると話は変わります」
話しの流れからして飲み干したのは2匹という事。
「今の貴方達の魂は、人というより神話や伝承に現れる英雄や神霊に近い存在なんです。故に自力で転生してしまった為、お二人を見失う事となってしまったのです」
どうやら、知らぬ間に完全に人ではなくなっていたようだ。
「必死の捜索にて、お二人がこの近辺に転生する事が判明し、お二人の体として素体を用意していたのですが……手違いで魂が角兎と大鴉に転生してしまいました」
そう鞠は申し訳無さそうに語る。
「助けようと尽力してくれたみたいだし、俺は気にしてないよ」
「ボクも悠兎と同じだよ。確かに人だった時と比べると不便だけど、この体も案外悪くないしね」
「……ありがとうございます。――ですが、世界を融合させた元凶は私達なので」
「へ?」
「まぁ、その辺は説明すると長くなってしまいますのでまた後ほどに」
かなり気になる話であったが、次の言葉に2匹の意識を持っていかれた。
「お二人にお詫びではないですが、人に成る方法を教えたいと思います」
●
「人……に?」
呟いたのはどちらだったか。
少なくとも2匹の心は一緒であった。
現状の体に不満は無いが、人間としての体に未練が無いとは言えない。
かといってそう簡単に見つかるはずも無いと考えていた。
それがあっさりと目の前に出されてしまうと困惑してしまう。
「はい、幸か不幸か今のお二人の存在はどちらかというと妖怪に近いものと成っています。虚と実、日常と非日常の境目、そこに在って無いもの。その特性を活かせば人に成るのは不可能ではないでしょう」
そう言って袂から取り出すのは二本のチョーカー。
白と黒のそれには装飾なのか幾何学模様が刻まれていた。
「このチョーカーは人化の術の補助具です。お二人の元々持っている素質を支援するものなので、慣れれば自力で変化する事ができるようになるでしょう。ああ、サイズは変化時に自動で調節するので安心ですよ。あと、色はこの2色しかないのでどちらか好きな方を選んでください」
「んー、じゃあボクは黒が良いかな。白だと羽毛に隠れちゃうだろうし。悠兎もそれで良い?」
「別にどっちでも構わないぞ」
特に好みも無いためすんなり決まると鞠が立ち上がる。
「では首を出してください。着けてあげます」
「ん、手伝う」
自力で巻けない2人の為に鞠とクローフィズの手によって巻かれる。
「どう、悠兎? 似合ってる?」
「少なくとも野生動物とは思えないわな」
巻かれたチョーカーを見せるようにアピールする鴉弥。
立ち振る舞い落ち着いている事と土汚れの無い純白の羽毛の為か、どこかの飼い鳥の様に見える。
「それでは人化の方法を教えます」
鞠から教えられた方法は単純だった。
「成りたい姿を思い浮かべてください。しかも、ハッキリと詳細にです。本来ならば術者の本質や性質が人の姿として形作られますが、お二人の場合は生前の体を思い出す方が確実でしょう。ある程度のイメージが固まればチョーカーが補助しますので多少は容易なはずです」
単純ではあるが、難しい。
十何年も付き合った体とはいえ、いざ思い出そうとすると曖昧になってしまう。
「むむ、なんだか難しいね」
「自分の体をじっくり見た事なんてそうそう無いぞ」
「体の動作感覚も変化の手助けになりますよ」
鞠からアドバイスを貰いながらも悪戦苦闘する。
「動作感覚って言われてもなぁ。体を本格的に動かしたのなんて学校の体育の時間ぐらいだぞ」
悠兎はインドア派の趣味であったためか、体を動かす機会がそうそう無かった。
休憩を挟みながらもある程度時間が経った時、ただただ呻る悠兎を見かねたのか、鞠が声を掛けた。
「そこまで根を詰めなくても大丈夫ですよ。補助具があるとはいえ、人化の術は高等術式です。元々、変化できるまでこちらに滞在して貰う予定でしたので一度お茶でも飲んでリフレッシュでも――」
「あ、成功しそう」
鞠の言葉を遮ったのは鴉弥だった。
見れば首のチョーカーの模様が淡く光っていた。
チョーカーの機能から考えてそれが証明する事は。
「……補助が有るとはいえ、こんな短時間で変化するなんて」
驚愕する鞠を横目に悠兎は気付いた。
鴉弥は今まさに人化を成功させようとしている。
……悠兎の背の上で。
「ちょっと待って降りて! 降りて!」
「ゴメン、何故か体が動かないんだ」
「体が変化しようとしているので硬直しているのでしょう。慣れれば一瞬で変化できるのですが」
悠兎の必死の訴えも虚しくその時は訪れてしまった。
「――おっと」
背に感じていた重みがフッと消える。
視界の半分を埋めていた“白”は掻き消えた。
しかし、替わりに現れた色が視界を覆う。
それはまた違う、血の気が通った“白”だった。
「この体……たった一週間ぶりなのに酷く懐かしいな」
その“白”は悠兎を跨ぐ様に存在していた。
「それに、こうも目線の高さが替わると違和感が強い、か……な?」
広い視界を持つ兎の身であったのは幸か不幸か。
“白”の稜線越しに赤く煌めく二対の宝石と目が合う。
「――っ!?」
直後、衝撃と共に視界が一回転し、意識が闇に消えた。
●
「――はっ!?」
気が付けば畳の上で横たわっていた。
室内に届く光はまだ白く、それ程時間が経っているわけでは無さそうだ。
誰かの気遣いか体の下にタオルが敷かれていた。
「あ、起きた」
すぐ傍から掛けられた言葉。
それは聞きなれた声だ。
一日にも満たない付き合いであるが信用できる相手だ。
「あれ、俺は一体何を……」
人化の術を習得するために意気込んでいた筈だ。
何故、こんなところで寝転んでいるのか。
目覚める前の記憶が曖昧だ。
「あ、あはは。ちょっと根を詰めすぎたんじゃないかな?」
「そう、なのか? 何か頭と尻が痛いんだけど」
「ナ、ナンデダロウネー」
声が震えているのは何故なのか。
だが、人化の術が思うように行っていないのは確かだ。
「しっかし、人化の術ってホントにできる、のか……」
そこで初めて気付いた。
傍に居るのが白鳥ではなく人だという事に。
その姿には見覚えがあった。
あの日、コンビニで働いていた少女だ。
ただ、あの時と違い、制服は袴姿に、肌は色白く、髪は新雪の様に白い、逸らされた目は宝石の様に紅くなったという所か。
特に顕著なのは背中から伸びる白の双翼。
無意識に動いているのか、パタパタと落ち着きが無い。
「……その姿は?」
「これ? 人化が成功したんだよ。髪の色とか変わっちゃったけれど、どう? 変じゃない?」
「変じゃないけど……」
元々、美少女であったが、今の姿は神秘的とも言えた。
「目を覚まされたようですね」
見れば家主である鞠が何かを持ってやって来た。
手に持つそれは直径一メートル程の輪だ。
「申し訳ありません。初めての人化では服を纏えない事を忘れていました。目隠しとしてコレをお使い下さい」
言葉と共に輪を投げる。
輪は床から2メートル近い高さまで届くと、その場で横になって制止する。
見えない紐で吊るされた様に浮かぶ輪からは、輪に沿って布が床まで垂れ下がる。
どうやって布を内臓しているかは分からないが、あの筒状の幕の中ならば裸を見られる心配は無いだろう。
輪が回転する意味は分からないが。
「昔、宴会の早着替えに使った小道具があって良かったです」
「ああ、時間が経つと幕が落ちるアレね。って一体何をやっていたのさ……」
かつてのペットの変貌振りに動揺が隠せない。
「時間設定は切ってありますから幕が巻かれる心配はありませんので安心して使ってください」
「それはありがたいんだけど、そうなると服が無いんじゃないか?」
少なくとも家主が女性だ。
男物の服が有るとは考えにくい。
もし、女装しろと言われるのなら黒兎のままでいい。
「それについてはキュロが今用意して――」
「たっだいまー!」
何やらテンションが高い声が聞こえてきた。
「いやー倉庫を探したら良いのがあったあった。フリーサイズみたいだし大丈夫じゃない?」
誰かと思えばクローフィズだった。
透き通るような白い肌は血流が良くなったためか赤くなっており、良い笑顔を浮かべていた。
その姿には先程までの人形という印象は無くなっていた。
「和服しかありませんが、その分質の良い物が揃っていますのでどうぞ。それとキュロ、台所に報酬の残りのお酒を置いてあるので持って行って下さいね」
「ヒャッホウ! それじゃ、ここに置いておくね。――お酒が私を待っているー!」
悠兎の前に衣服を並べると瞬く間に広間から出ていった。
「あれ……誰?」
「……悠兎が驚くのも分かるけれどクローフィズさんだよ。ボク達を連れてきた報酬って事で貰ったお酒を一杯呑んだら、ご覧の通りの有様だよ」
「彼女、コップ数杯で酔うのに潰れないですからね。ドワーフという種に見られる傾向ではありますが、彼女程の人はそうそう居ませんよ」
酒精による変貌を間近で見たであろう二人の苦笑に、掛ける言葉もなかった。
「よし、じゃあまた人化の術に挑戦するわ」
とりあず、見なかった事を選択する。
「あ、そうそう鞠からアドバイスがあるんだって」
「アドバイス?」
視線を鞠に向けると彼女は頷いた。
「はい、悠兎さんは生前、部活や運動の機会が少なかったと鴉弥さんから聞きました。ですので考え方を変えてみましょう」
鞠の申し出は何の手応えも無い状況が続くよりマシだった。
「貴方が世界の隙間で膨大な情報を糧とした瞬間。その時に強く念じた事を思い出してください」
「強く念じた事……」
「ええ、少なくともその思いが貴方と情報が結びつけ、その魂を変容させました。つまり、今はその思いこそが貴方の魂の本質――姿を表すのです」
そのアドバイスがすとんと胸に落ちた。
前世の姿を思い出しても曖昧だった感覚がピタリと定まった。
「うん、ありがとう。多分いけそうな気がする」
礼を言って幕の中に入る。
果たして、一時間も経たないうちに新たな姿を得る事となった。




