序章 プロローグ
改稿が遅れて申し訳ありませんでした。
季節は夏。
茹だるような湿気。
ジリジリと肌を焼く陽光に抜けるような青空。
どこかから聞こえてくるセミたちの大合唱。
まさに夏。といった住宅街の風景の中、1人の青少年が歩いていた。
左手でキャリーケースを引いている黒目黒髪のどこにでもいるような平凡な青年だ。
「暑っちぃ……。お天道様頑張りすぎだろ……」
その呻くような声に答えるのは、空のお天道様の光だった。
光を一身に受け、アスファルトに染みをつけながらヨタヨタと歩いていると、どこかコミカルな曲が聞こえてきた。最近流行りのアニメの主題歌だ。
彼はズボンのポケットに手を入れると、音源である物体を取り出す。
それはタッチ操作型の携帯電話だった。
画面には着信のお知らせと現在の時刻が表示されている。
「あちゃー、約束の時間を10分も過ぎてたのか……。こりゃ怒ってるかもしれんな」
時間を守れなかったことを反省ながら電話に出る。
『まだかー?』
携帯電話のスピーカーから聞こえてきた声は若い男の声だった。
その声は怒っているようではないことに少しホッとする。
「スマン。補習が長引いてな。今公園傍のコンビニの近くだ」
『あーハイハイ、あそこのコンビニね。結構近くまで来てるのか。というか補習って長引くもんだっけ?』
「体育の補習でな。最後に野球部と一緒に野球場10周ってのをやったんだよ。“終わるまで帰さない”って帰宅部の一生徒にやらせるモンじゃないぞアレは。顧問が体育の教師だからさ、『他校との試合が近い』って張り切っててな――」
その時の状況や感情を込めて説明すると話の折々でスピーカーから笑い声が聞こえてくる。
『ぶははははっ、そりゃご愁傷様。――でも遅刻は遅刻だから、罰として途中のコンビニでジュース買ってこいよ。菓子とかはもう用意してあるから。あと、家来たら即DVD観賞始めるからついでにトイレに行っとけよ』
「分かったよ。――そういえば3年ぶりか? お前の所に泊まるの。中学3年の夏休みに、ぶっ通しでアニメ観賞会をやってお互い様子見に来た母さんに張っ倒されたのが最後だっけか」
『そうそう、あの時のおばさん怖かったな……。まぁ、今回は高校最後の夏休みってことで解禁されたわけだしな。あ、そうそう、今回は劇場版とかも取り揃えてみたからな』
「……あれ? 前回と同じ事を繰り返す未来しか見えないんだが」
つい先日、友人が買った幾つものDVDBOXの持ち帰りを手伝ったことが脳裏に浮かんだ。
「――っとそろそろコンビニに着くから一旦切るわ」
『おう、俺は近くの公園で鯉に餌やりながら待ってるから。なるだけ早く来いよ』
通話が切れるプツッという電子音と共に画面が切り替わった。
「それじゃ何買って行こうかな?」
待たせている友人へのお詫びのために何を買うか思案しながら彼はコンビニへ向かう。
●
そこはまさに天国だった。
外の陽炎が立ち上る灼熱地獄から一転、体の熱を冷ますかのように冷房が適度に効いた店内。
出入り口近くのレジに設置されたコーヒーメーカから漂う独特の良い香りが鼻腔を擽る。
「いらっしゃいませ」
更には、バイト店員の美少女が挨拶してくれる。
少年は彼女が同じ学校に通う同年代の生徒だと噂で知っていた。
才色兼備、文武両道、温厚篤実と噂されている。
普段から噂に無頓着な少年が知っている程有名なのだ。
そんな彼女を目当てにこのコンビニに通っている生徒も多数存在している。
偶に強引に彼女に迫る者も居るが、そんな不届き者は筋骨隆々な店長によって強制退店させられている。
しかし現在、見渡す限り店内に客は少年以外おらず、所用があるのか常にレジで睨みを利かせている店長も居ない。
彼女と関わりを持ちたい者からすれば絶好のチャンスだ。
だが少年はそんな状況の中、彼女を一瞥しただけでドリンクコーナーに直行する。
……美人だけど下手に関わってファンクラブの目に留まったら怖いし……姿を観るだけで十分だな。
ただのヘタレなだけだった。
少年はキャリーバックが陳列棚にぶつからないよう気を付けて目的の場所へ向かう。
途中陳列された新しい漫画や雑誌に後ろ髪を引かれつつ歩みを進めていると、窓ガラスに一枚のチラシが張っていることに気付いた。
それは近頃出没する通り魔についての警告だった。
……確か2つ隣の町で出没しているんだっけか。今はまだ怪我人だけで死人は出ていないみたいだけど、それも時間の問題みたいだし。怖いからさっさと捕まって欲しいな。
そんな事を考えながらたどり着いたドリンクコーナーでは、多種多様の飲料水が冷やされていた。
友人と一緒に飲むことも考え、内容量の大きな物に目を向けるが、それでも種類は多くどれを買うかを迷ってしまう。
「――っと、そうだった。今の内にトイレ行っておかないと。……あいつ観賞途中に抜けても一時停止してくれないんだよなー」
そう決めたら一旦悩むのを止め、場所を確認した。
●
「ふぅ、スッキリしたー。……おや?」
用を済ませた少年が店内に戻ると、新しい客が入ってくるのが見えた。
そのバイト店員の挨拶を受ける客に少年は違和感を覚えた。
一見すれば、ジーンズに紅白色のパーカを着込んだ男性だ。顔はフードを深く被っているため確認はできないが体格から男だと分かる。
外の熱気の中を激しい運動でもしていたのか息が荒い。
おまけに汗でもかいているのか、歩いた後の床に水滴が幾つか落ちていた。
……まぁ、この暑い中でパーカーなんて着ていたらそりゃ汗も滴るわな。
流石に晴天の真夏日の中フードを被って行動するとは中々の剛の者だ。
シャイな人なのだろう、と見当をつけ、興味をフードの男からドリンクコーナーに移そうとした。
が、とあることに気付いた。
……あれ? 何であの床の水滴は赤いんだ?
それに気付くと同時に視線は無意識にフードの男に向かう。
男は雑誌コーナーを無視し、レジに置かれた商品にも見向きしない。
その歩みは迷いなく、真っ直ぐ進む。
男が向かう先にはバイト店員がおにぎりやサンドイッチを棚に陳列していた。
彼女は仕事に集中しているのか近寄る男に気付いていない。
普通に考えればお弁当かその先の紙パックの飲料を買おうとしているのだろうが、少年は焦っていた。
……危ない。あの男は危険だ!!
男の狙いはあのバイトの少女だと少年は確信していた。
そしてフードの男の正体にも。
だが、少年は動かない。動けない。
もし、今の考えが間違いならばもの凄い失礼なことであるし、当たっているならば男が自分に襲い掛かるかもしれない。
そんな思考がミキサーにでもかけられたかのようにグルグル回り、少年をその場に縛り付ける。
男は既にバイト店員の背後に迫っていた。
気のせいだ。
そんなことはない。
この考えは間違ってる。
あの男はただの一般人だ。
そんな少年の願いを嘲笑うかのように、男はパーカのポケットから何かを振り上げた。
振り上げられた肉厚な刃は所謂サバイバルナイフと呼ばれる物だ。
銀色に輝いていたであろう刀身は、今は赤黒い液体で濡れていた。
男はその刃を少女に突き出した。
「――っ、危ない!!」
叫んだのは無意識だった。
その必死な声が届いたのか彼女は俊敏な動作で男に振り向いた。
少女は刃を振り下ろす男に驚愕の表情を浮かべていた。
それでもその体は男から離れようと横に跳ねていた。
ナイフは一瞬前まで首のあった空間に突きこまれる。
少女がナイフを避けたと少年が確信した瞬間、赤い飛沫が舞い上がった。
飛沫の元は少女の首だった。
簡単な話だった。突いたナイフをそのまま跳ねた少女の首へ振り抜いただけ。それが余りにも速く、そして無駄がなかったために少年には見えなかった。それだけだ。
血の飛沫をあげる彼女と目が合った。
「が……はっ。……ぁ」
少女は溢れる血に息継ぎができず、言葉も発せられない。
それでも伝えようとした。最後の力を振り絞り、一般人の少年をこの男から逃がすために。
「……ぃ、……ぇて」
逃げて、と。
それが彼女の最期の言葉だった。
倒れる彼女を男は興味を示さない。
何故なら、まだ獲物がいるからだ。
呆然とする少年に、男はおもむろに顔を向けた。
新しい玩具を見つけた子供の様な純粋で、それでいて澱んだ、狂気の瞳を。
「うわあああああ!」
突如目の前で起きた惨劇に、そして向けられた狂気に少年は思わず叫んだ。
●
先に動いたのは少年だ。
キャリーケースを捨て、商品棚にぶつかりながらも出口に向かって走る。
それは無意識の行動だった。ただ、目の前の男から逃げるために本能が体を動かした結果だ。
彼が立っていた場所から出口までは一本道。ただ真っ直ぐ走るだけで逃げられる。
「ハイ、残念でしたァ」
ただ、それは男にとってもそうだった。
あと数歩、出口までたった数歩のところで回りこまれてしまう。
「――ひっ!?」
間近まで近づいたことにより少年は気付いてしまった。
男が着ているパーカの赤色は返り血だと。
乾き具合から先程のバイト店員の血ではないことがわかる。
そうなると、この男はコンビニに来る前に誰かを斬りつけたということだ。
男が持つ血に塗れたナイフが外からの日光を受け妖しく光る。
少年はその光から逃れるように一歩下がった。
すれば男も一歩踏み出す。
それからはどちらも動かず睨み合う。
虚勢を張る少年の目の前で楽しそうにナイフをちらつかせる男。
少年が男から逃れるためには男の背後に存在する出入り口からしかない。
いっそ、一回は斬られるは覚悟し男を押し退けて逃げようかとすら少年は考えはじめた。
狩られる側と狩る側の睨み合いは少年にとって永かった。
10分が過ぎたようで、その実1分も経っていないような奇妙な感覚の中続いた睨み合いを先に崩したのは男だった。
「おや? もう見つかってしまったか。意外と早かったな」
男の瞳はコンビニのガラスの向こうを見ていた。
つられて少年も視線を向けるが、目に入るのは人通りのない道路に自然公園を囲うように生える木々だけだった。
……これはチャンスか?
誰か見えているのか男はナイフをちらつかせるのも止めて外をじっと睨みつける。
少年が恐るおそる一歩下がるが男は見向きもしない。
……気付いていない。逃げるなら今!
自分への興味を失ったことを確信した少年はゆっくりと静かに男の背後を進む。
ちらりと男を横目で確認するが外を睨んだままだ。
……いける! このままなら逃げられる!
そう喜んだのは一瞬だった。
「あ……、れ?」
気がつけば少年は床に倒れていた。
床の冷たさがいつの間にか熱を持った首に心地よく感じられた。
「おやおや、黙って行こうだなんて酷いじゃないか。まぁよそ見していた私も悪かったか」
床がどんどん赤い液体で濡れてゆく様を見て少年は理解した。
自分の人生が終わったのだと。
「あぁ……綺麗な色だ。これならコイツも喜ぶだろう」
薄れ行く意識の中、どこか恍惚とした男の声が木霊した。
申し訳ないことに以前の投稿を読んでくれていた方々には、また最初から呼んでいただくことになります。
話のおおまかな流れや登場人物の名前など、改稿前と違う部分が大量にございますが基本的には同じです。それでも読んでいただければ幸いです。