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07* 害虫

ライドールとレジーナは、部屋の入り口に立っていた。

白いレースと淡い色彩でまとめられた室内は、部屋の主に良く似合って可愛らしい。

気候の良い風華では、日中でも窓を開けていれば心地の良い風が吹きぬけていく。

今日も晴れやかな天気で、風や草木の精霊が朗らかな歌声を披露している。

気持ちの良い日である。

だが、部屋の中はあまり気持ちが良いとは言えない。

どちらかと言えば重苦しい。

いつも笑顔の耐えないレジーナも、はらはらとした表情で隣りのライドールの服の裾を掴んでいる。

そして、部屋の主であるリゼイラは困惑気味で客人を前にしていた。

正確に言えば客人ではない。

「こんなに可愛らしいお嫁さんを貰うなんて、お兄様は幸せものね」

ニコニコと部屋の空気など気にもとめずに笑っているのは、リゼイラよりも幾つか年上の少女だ。

深緑のドレスに身を包み、赤褐色の巻き毛を刺繍の施された共布の髪紐で少し大人っぽく結わえている。

まるで風華の花のように華やかな美少女である。

「それにしてもあたくしにまで紹介して下さらないなんて、よっぽどリゼイラ様がお大事なのね」

小鳥の様に話し続ける少女はマリーニエと名乗った。

けれど、止め処ないお喋りに彼女の名前すら霞んでしまいそうだ。

リゼイラは話す事は出来ないので、合間に相槌を打つだけだったが、話せたとしても口を挟む事は出来なかっただろう。

途中で紅茶を含むだけで精一杯だ。

「あ、そうだわ。今度、あたくしの誕生日の宴がありますの。ぜひぜひ、リゼイラ様もいらしてくださいな。そうすれば、皆にもリゼイラ様の可愛らしさをお披露目できますでしょう。まぁ、いい考えだわ。もちろん、いらして下さいますわよね」

聞いているだけでリゼイラは息が上がる。

落ち着こうと俯いて胸に手をあてていると、ありがとうございます、と朗らかな返答が上がって驚いて顔を上げた。

え、と思っている間にもマリーニエは楽しげに何かを数え上げている。

「うふふ、きっと楽しめますわ。宴には素敵な男性も来ますのよ。あら、いやだ。リゼイラ様は興味ございませんわね。お兄様ほど素晴らしい男性なんていませんもの」

困惑するリゼイラは首を傾げて、目の前に座る少女を見つめるしか出来ない。

まだ、その公爵様にさえ会っていないというのに。

どうにかして断ろうと思っても、言葉の出ないリゼイラにそんな事が出来る筈もない。

困ったすえにライドールたちを見つめるが、公爵の妹であるマリーニエにただの使用人である二人が意見を言えるはずもない。

レジーナなどは一人楽しげなマリーニエの後姿を早く帰れとばかりに睨んでいる。

「まぁ、もうこんな時間。そろそろ刺繍の時間になってしまいますわ。今、お兄様の上衣の刺繍をしていますのよ。今度の宴に是非お召しになっていただこうと思っているの。本当ならリゼイラ様のお役目でしたのに、知らなかったものだから。今回はお許しくださいね」

終始戸惑ってばかりのリゼイラの手を取って、マリーニエがニッコリと笑う。

華奢なリゼイラには強すぎるほどの力が込められる。

リゼイラはそこで初めてマリーニエの瞳を見つめた。

笑みなど欠片も存在していなかった。

暗い淵の様な瞳に、ゾッとする悪寒を感じずにはいられない。

怖い。本能の怯えのままスッと手を抜き取ったリゼイラに、公爵家の令嬢は底知れぬ笑みを浮かべて立ち上がった。

「それでは、長々とお邪魔いたしました。宴には是非お出でくださいませね」

あくまでも品良くマリーニエが部屋から出て行くと、リゼイラは緊張のあまり感じなかった疲労に力を奪われた。

一人掛けの椅子に埋もれるように倒れた主人にレジーナが飛んでいく。

「大丈夫ですか?すぐにお茶を入れなおしてきますから」

まったく口の付けられなかったマリーニエの茶器とすっかり冷めてしまった紅茶を持ってレジーナは慌しく出て行く。

いつもと変わらないレジーナに、強張っていた頬が緩む。

「お疲れ様でした」

そっとライドールから声がかけられた時には、ぎこちないながら微笑み返す事が出来た。

無理しているのが判ってしまう笑顔にライドールはそっと解れた髪を梳き上げる。

気持ち良さそうに目を閉じるリゼイラに、ライドールは不思議な感情が沸き起こるのを感じる。

「マリーニエ様は、公爵様の義理の妹様にあたる方です」

愛しい気持ちを紛らわせるように話し出す。

ぼんやりと見上げてくる胡桃のような大きな瞳に、そっと微笑みかけて公爵家について語った。

仕えている者たちには、半ば公然の秘密となっている事だ。

「先の公爵様と奥様の間には三人のご子息と二人のお嬢様がいらっしゃいました。他のお子様方は流行り病でお亡くなりになられましたが、奇跡的にマリーニエ様だけが病を得る事はありませんでした」

初めて聞く事柄にリゼイラは驚きに目を見張った。

「後継者となられるご子息を失くした前公爵様は、デイル様をお引取りになられたのです」

寄りかかっていた身体を起こしてライドールの話しに聞き入る。

その間に、戻って来たレジーナが黙って紅茶を用意してくれる。

甘い蜂蜜を少しだけ入れたのは、疲れを癒せるようにと言うレジーナの心配りだ。

一口に飲んでリゼイラは、その甘さにビックリしながらも、もう一口飲んで美味しさに思わず顔がほころんだ。

ライドールは、幼い主人の反応に公爵家の歪んだ実態など知らせて良いものか迷いを巡らせた。

けれど、遅かれ少なかれ知るようになるだろう。

たとえ名ばかりの花嫁であっても、デイルの妻と言う立場にたったのだから。

純粋な眼差しで見上げてくるリゼイラに、わずかに苦い表情を浮かべて続く言葉を口に乗せた。

「デイル様がお屋敷にいらしたのは十歳の事です。マリーニエ様は二歳でした」

気付けばレジーナがそっと一歩下がっていた。

「お二人は同じ屋敷で暮らすようになりましたが、ほとんど顔をあわせる事はなかったそうです」

話の先の想像がつかないリゼイラは、黙って話を聞き続ける。

その無垢さにライドールは告げるのを止めるべきか迷う。

そっと目を伏せて思うのは、歪んだ美しさに固執し続ける令嬢の姿と貴族の娘に嫌悪に近い感情を抱いているこの屋敷の主人。

全ての原因は、あの時からだ。

艶やかに花開いた少女は恋に落ちたのだ。

高潔な青年へと成長した若き公爵に、血の繋がった実の兄に。

「……マリーニエ様は、デイル様の事を…とても大切に思っているのです」

躊躇して、結局ライドールは事実をそのまま告げる事は出来なかった。

希釈して伝えた言葉に、リゼイラは疑問も抱かずに素直にライドールの言葉に頷いた。

きっとだから、いきなりやって来た自分は疎まれているのだろう。

嫌われること自体は悲しい事に慣れてしまっていた。

特に表情を変えることもなく黙って受け入れたリゼイラに、ライドールはそれ以上何も言えなかった。

飲み下した紅茶は、苦かった。




その日、ベルリードは不思議な光景を前に珍しくどうしたものかと頭を悩ませていた。

迅速、的確が信条の自他共に認める有能な側近の前にいるのは、若くして国王の右腕と目されている公爵、である筈だ。

ちなみに自分の主でもある筈なのだが。

開け放たれた日の差し込む窓辺で、腑抜けたように頬杖をついているデイルに才気煥発な公爵の姿は見当たらない。

何があったのか。

最後に会った昨日の夕方までは、普通だった。

何かあったとしたらその後。夜半に起こったのだろう。

「……夜這いでも掛けられたんですかねぇ」

あり得ない事を呟いて、このままだと仕事にならないとわざと足音を立てて窓辺に近づく。

手にした資料を珍しく乱暴に置くと、物音にハッとしたかのようにデイルが我に返った。

「何だ、お前か」

「お前か、じゃないですよ。何腑抜けた顔をさらしてるんです?まるで、戯曲の恋に落ちた道化師みたいですよ」

何気なく皮肉ったベルリードの言葉に、デイルは予想以上に衝撃を受けたらしい。

沈着で年不相応に落ち着いた若公爵は、見事に座っていた椅子から転げ落ちた。

呆気にとられたベルリードは、床に手を着いたまま顔を真っ赤にした主人を、見つめる。

「は、はは……。ちょっと本当ですか!いつのまにそんな事に?」

「な、何がだ」

「何がも何もないでしょう。まさかとは思いますが、どこぞの女性に夜這いでもかけられたんですか?」

「馬鹿!そんな人じゃない!」

嬉々として詰め寄ってきた悪友に、デイルは思わず口を滑らした。

にんまりしたベルリードの笑顔に気付いて悔やんでも遅い。

「それで、好きになったんでしょう?」

一転して優しい口調で問いかけられてデイルは、昨夜の事を話し始めた。

自分で言いながらもあれが夢ではないのかと疑ってしまう。

けれど、ずっとあの何処か寂しげな雰囲気をまとった美しい神族の姿が離れない。

かき消すように去っていった人に、もう一目で良いから会いたくて仕方がないのだ。

全てを語り終えて、デイルはまた物憂げに外を見つめだす。

事の次第を聞いたベルリードも、まさか相手が神族だとは予想も出来なかったため、驚いていた。

この恋愛沙汰には鈍い主人が恋に落ちたのが、神に最も近しいと謳われる一族だとは。

まだ相手が人間であるなら、いくらでも協力するのだが、相手が悪い。

デイル自身、判ってはいるのだろう。

遠くを見つめる眼差しは、甘さを含まずただ切ない。

こんな状態のデイルに追い討ちを掛けるのは気が進まなかったが、早急に伝えねばならない事があるのだ。

私情を抜きにした側近の顔でベルリードは、封書を差し出した。

「……案内状?」

「マリーニエ様からお預かりしました」

その名前にデイルはハッキリと不快を示した。

何かある毎にまとわり付いて来ては、仕事の邪魔をする妹をデイルは好んではいなかった。

たった一人の血の繋がった妹であるから我慢をしているだけで、無関係であるなら傍に寄らせる事もなかっただろう。

「来るマリーニエ様のご誕生の宴に、ぜひ花嫁さまとお揃いでご出席を、との事です」

「花嫁……?あぁ、あれか」

そう言えば、そっちの問題もあったか。

すっかりと忘れていたもう一人の顔も知らない令嬢を思い出して、デイルは鬱陶しそうにため息を吐いた。

「断れば、また煩いな。とりあえず、出席するとだけ伝えておけ」

「リゼイラ様はどうなさいますか?聞けば、既に約束は取り付けてあるそうですが」

皮肉な笑みを乗せて伝えられる言葉に、デイルは眉間の皺を深くさせる。

貴族の娘同士、さぞ話に花が咲いただろう。

「そっちは何か言ってきているのか?」

「今の所は、何も。その内、衣装や宝飾品のおねだりは来るでしょうから、その分の予算は組んでありますよ」

抜け目のない側近を労って、少し考えた後で指示を出す。

「子爵の方の案件もある事だからな。仕方がないだろう。お姫様に宴会用の衣装でも適当に贈っておけ」

「承りました」

慇懃に一礼して、ベルリードは退室した。

残されたデイルは、また外を眺める。

恋焦がれる眼差しに、愛しい人の姿は映りはしなかった。


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