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04* 植え替え

昏々と眠り続けたリゼイラを診た医師は、過労と診断した。

「過労、ですか?」

問い直したレジーナの声が戸惑いを帯びる。

眠るリゼイラは聞いた所では、周りから大事に大事に育てられてきたお姫さまのはずだ。

流行の形に結われた髪を解いて眠る姿も、レジーナなど見たこともない程に可愛らしいのに。

過労などと言う言葉なんて縁がないはずなのに。

それでもまだ幼い顔が青白く染まっているのを見ていると痛ましい思いもする。

「寝ていれば治る。足の方も、暫らくは無理をさせないようにすれば問題あるまい」

恰幅の良い医師は長く公爵家に仕えてきた人間だ。

言葉遣いに難はあるが、気の良いお爺さんである。

「ありがとうございます」

「滋養のある消化に良い物を食べさせてやりなさいな」

そう言って部屋を出て行った医師にレジーナは深く頭を下げた。

姫に与えられた豪奢な部屋を出ると医師は、豊かな顎に指を添えて思案深く顔を曇らせた。

か細い腕に、血色の悪い肌、筋肉の殆どついていない足。

似たような身体をした人間を医師は見た事があった。しかし、今の患者はそんな身分の人間ではないはずだ。

「最近は、食事制限が流行っていると言うしな」

そう呟いて医師は目を閉じた。

微かに発せられていたか細い信号は、誰にも受け取られる事はなかった。

医師の去った部屋でレジーナは、眠る主人の枕元に立ってそっと流れる髪を撫でる。

綺麗な亜麻色は滑らかで大切に扱われてきた人なのだと思う。

癖っ毛が悩みのレジーナにはちょっと妬ましくも思えてしまった。

「……ぅ」

気持ちの良い手触りに、手放しがたく何度も梳いているとリゼイラの密な睫毛がふるりと震えた。

「あ、目が覚めました?」

微かに開いた唇から真珠の様な歯が覗いたが、そこから声が出ることはない。

何か書くものをと慌てて辺りを見回したレジーナだが、近くには紙もペンもなかった。

『ハクラン……』

「え……?」

半分夢の中にいたリゼイラは、視界に映った影をいつも傍に居てくれた精霊だと思った。

ふわりと甘い風が部屋に流れ込む。

「リゼイラ様?」

『……ちがう』

「リゼイラ様?」

『だぁれ…?』

焦点の合わない視線を虚ろに彷徨わせるリゼイラにレジーナが心配そうに顔を曇らせた。

「大丈夫ですか?私が判りますか?」

強く問いかけると、ハッとした様に瞬いてリゼイラは目の前にある少女の顔を見た。

そして、一瞬だけ落胆の顔をして目を閉じた。

思い出した。此処は公爵様のお屋敷。

「まだ、お加減がよろしくないのですか?」

おろおろとしたレジーナの声にふっと目を開けて小さく首を振った。

起き上がろうと腕に力を入れればレジーナが手を貸してくれる。

「無理はなさらないでくださいね」

そんな言葉が出たのは、支えに触れた腰が余りに細かったから。

触れるのが怖くなるくらいにリゼイラの身体は華奢だった。

サッと蒼褪めたレジーナにリゼイラは労わるような笑みを向ける。

気遣うはずが気遣われてしまったレジーナはこんな事じゃいけないと気合を入れなおす。

「お医者様は疲れが出たのだと仰っていましたから、疲れに効くお茶を持ってきたんです」

朗らかな笑みを浮かべてレジーナは部屋の小さな円卓に飛びつくとテキパキと白磁の茶器に琥珀色のお茶を注ぐ。

受け取った白磁の仄かな温かさにリゼイラの口元も綻ぶ。

くるくると回してみれば甘い香りが立ち上る。

「見てるだけじゃなくて、飲んでください。味も良い筈ですよ」

勧められて一口飲む。

甘い香りが口中に広がって、爽やかな苦味が後を引かずに通り抜けていく。

レジーナの言うとおり、とても美味しかった。

表情を見てそれが判ったのかレジーナも満足そうだった。

「美味しいでしょう。私の一番のお気に入りなんです」

楽しそうに話すレジーナを見てリゼイラも何だか楽しくなる。

そうやって二人が笑いあっていると扉を叩く音がしてライドールが顔を覗かせた。

手には水差しを持っていた。

どうやら代えの水を汲みに行っていたらしい。

起き上がっているリゼイラを見て強面の顔が小さく安堵に和らいだ。

「レジーナ、病人の傍であまり大きな声を出さないように」

「だ、大丈夫よ」

注意されたレジーナは少しだけ胸をそらして嘯いた。

「お前が大丈夫でもリゼイラ様は違うだろう」

「え、私煩いですか?」

慌てたように聞いてきたレジーナに驚いて首を横に振る。

こんなに話しかけてくれる人を知らなかったから、むしろレジーナのお喋りは楽しかった。

「ほら、大丈夫って言って下さってます」

「お前は……」

呆れたように肩を落としたライドールの表情がほとほと困っていてリゼイラは思わず吹き出した。

声の伴わない笑い声だったが、初めてリゼイラの見せた年相応の屈託のない笑顔は二人の心を突いた。

そして、二人はこの先決して幸せとは言えないだろうリゼイラに心から尽くそうと決心したのだった。




夕食の後、休憩を取っていたデイルはそこでふと今日来たと言う深窓のご令嬢の事を思い出した。

あれから緊急に入った仕事に追われていて、そこまで思いやる余裕がなかったのだ。

ベルリードに適当に任せるとは言ったものの、短期間とは言えこの屋敷に住まう事になる人間だ。

知っておく必要はあった。

酒肴を手に入って来た侍女にベルリードを呼ぶように伝える。

辛口の蒸留酒を手に窓を眺めれば、夜空に細い三日月が架かり星々が無数にきらめいていた。

こうして一人でゆったりと時を過ごすのがデイルの何よりの楽しみだ。

時には冒険譚などの娯楽小説を捲る事もある。

落ち着いた貫禄を漂わせる見た目からは想像のつかない趣味であるが、少年の頃からの数少ない楽しみだ。

最近は落ち着いて読書も出来ないので、手に入れたまま読めないでいる書籍が積みあがっている。

もう少ししたら時間も取れるだろうから、思う存分読書に耽溺できる。

臣下が聞いたら別のことに耽溺してください、と涙を流しそうである。

「失礼します。お呼びと伺いましたが」

この時間になってもキッチリとした服装のベルリードを向かいの椅子に掛けさせてまず酒を勧めた。

気の置けない友人である側近は笑って盃を受け取る。

「相変わらずこの酒がお好みですか」

「味覚なんてものは早々変わらないんだろう」

多くは庶民に親しまれている蒸留酒をこんなに旨そうに飲む公爵も珍しい、とからかえば何でもないようにデイルは杯を干した。

「それで、私を呼んだ用件は?」

「判っているくせに聞くのはお前の悪い癖だな」

「ははは、高く買ってくださっているようで」

「茶化すな。それで、今日来た令嬢とやらはどういう人間だ?」

酔いなど知らぬ風情で酒を酌み交わしながらベルリードは指で盃の縁を弾いた。

キンッと硬質でかすかな音が立って消える。

「お名前はリゼイラ様。少々、花嫁にしては幼いですが見た目は噂どおりのお美しい方でしたよ。あれは一見の価値ありです」

「…早々に落第した理由は?」

皮肉気な口振りにデイルが促せば側近はニッコリと笑顔を見せた。

余程親しい間柄でない限り騙されるであろう凶悪な笑顔だ。

「自分の足で歩く事も知らないようなご令嬢なんてお伽噺の中だけかと思っておりましたので」

日の強さなど知らないだろう白い足に、怪我などした事のないだろう薄い皮膚。

きっと大事に大事に、真綿で包むように育てられたのだ。

足と手はその人間の生きてきた道を最も明確に現す部分だ。

あのお姫さまの足は自らの力で長く歩く事を知らない足だ。

重い荷物を担ぎ、素足で砂利を踏み締めて生きる強さをまるで知らない足。

ベルリードは己自身が自らの手で道を切り開いてきた自負があるだけに、形もない地位だけで安穏と生きてきた人間を心底嫌っていた。

それはデイル以上に根深い憎悪。

吐き捨てるような側近の口調にデイルも眉を顰めた。

「そんな人間がいるのか」

これは想像以上に厄介な人間を押し付けられたらしい、とデイルは重いため息を吐いた。

「とりあえず、レジーナとライドールの二人を傍につけてますので滅多な事はないでしょう」

「そうか。彼らならしっかりやってくれるだろう」

やれやれと頷いたデイルに幾分の同情を込めて酒を注ぐ。

「ところで、計画の方はどうです?」

「後は調査の報告待ちだな。だいたいあの男の罪状は明らかだ。証拠を集めるのも馬鹿馬鹿しいくらいにな」

「ほんっとに地位だけだったんですね」

「お陰でこっちは助かったがな。決行日までまだある。ゆっくり詰めていくさ」

グッと伸びをしてデイルは不敵な笑みを口元に浮かべた。

応えるようにベルリードも盃を軽く掲げる。

こうしては、最初の夜は更けてゆく。



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