嘘告白の相手は俺……じゃないんかい!
俺の名前は加藤邦雄。
年は17歳で、高校に通いながら将棋のプロ棋士をしている。
凄いねって?
嬉しいこといってくれるじゃん。
そう、凄いんだよ(どや顔)。
高校在学中に奨励会という養成機関を突破してプロになるのってかなり高いハードルだからね。
なのに、学校の連中はあまり凄さをわかっていない……というかたぶん、俺がプロだということ自体、殆どの奴が知らない(白目)
まあ、でも仕方ないよな。そもそも将棋って最近の若者には馴染みの薄いマイナーゲームだし、自分から吹聴するもんでもないし、それにーー
「こんなバグみたいな奴が出て来たんだから……」
ため息を吐きつつスマホを眺める。
画面に映っているのは俺よりも半年早くプロ入りした金髪碧眼のハーフ美少女だ。名を、『小手指アリス』という。
将棋というのは生まれ持った才能が占める割合が非常に大きい。野球など体格がものをいうスポーツの世界では早熟選手というのも多いが、将棋は別。
過去、中学生で棋士になった4人はそれぞれが世代のトップになるなど、基本的に子供の頃強い奴がそのままその世代のトップになる世界だ。
そんな中、小手指アリスがプロ入りした当時の年齢はなんと12歳。小学六年生。
小学生がプロ入りしたのも、女性が『棋士』になったのも史上初で、しかもルックスまで良いもんだからメディアからも非常に注目されている。
高一でプロになった俺もかなり出世は早く才能ある部類のハズなんだけど、小手指アリスのせいで全然注目はされてないのが現状だ。
何せ彼女、俺より若いくせに将棋の実力が現時点でもとんでもないレベルにあるからな。
昔、三段リーグで直接対決した時ですら読みの射程が段違いだったし、プロ入り後にテレビ局が企画した特番『炎の七番勝負!』では早指しルールではあるもののトッププロ相手に6勝1敗。
しかもまだ成長期真っ盛りときたもんだ。
そして……将来俺が一流棋士の証である『竜王』や『名人』といったタイトルを獲得するためにはそんな年下の天才に七番勝負で勝ち越す必要がある(白目)。
「あー……高校やめてぇ……そして一日中将棋の研究に使いてぇ……」
俺の才能は小手指に劣っている。そして時間は有限だ。正直、本気でタイトルを目指すなら高校になど通っている場合ではないだろう。
が、実家暮らしである以上『高校ぐらいは出ておけ!』という親の意向には逆らえない。『お前にアリスちゃんのような才能はないし、プロの世界は不安定なんだから』という正論パンチは実に痛かった。
でも、『タイトル獲得も良いけど、今しかできないアオハルを満喫したら?』っていうのは余計な一言だと思う。
運動も話術も苦手な地味顔が学生時代にモテるわけねーだろ。それが出来るなら俺もシコシコ将棋なんてやってねーよ、言われんでも青春を満喫するわ!的な意味で。
俺のモテ期はきっと将棋でガッツリ稼げるようになった20代半ばからだ、きっと大人の男は顔よりも甲斐性が大切だからな(願望)。
反発して家を出る事も考えたが、現在の年収では一人暮らしをしながら研究用の高性能パソコンを運用する費用が捻出できそうになかったし、家事やその他諸々を全て自分でやると高校に通うより時間も掛かりそうだと断念。かじれるうちは親の脛!と思い直して現在に至る。
とはいえ、実家暮らしを維持した上で学校を辞めたい気持ちに変わりは無い。将棋にかける時間云々を置いても、いじめられてちゃいないが人間関係は希薄だし、学力に問題はないが授業だって退屈だ。
「せめて休学を……何か親の納得する理由でもあれば……」
まあ、そんな都合のいいイベントがあるわけないか、ラノベの世界じゃあるまいし。
とりあえず、基礎トレーニングとして放課後になるまで脳内で詰将棋でも解いておこう。『詰将棋解答選手権』の最後に出てくる様なめちゃくちゃ難しいやつを。
難問を頑張って解くのは読みと集中力を高める良いトレーニングになるからな。終盤戦のうっかりミスを減らすために頑張るぞい。
***
いっけなーい!
ミスっちゃったー!
鞄と財布とケータイと定期をうっかり教室に忘れてちゃったぜ。あと、靴も上履きのまんまだった。
最寄り駅の改札で止められるまで気づかなかったわ。脳のリソースの大半を将棋に振ってる時のあるあるだ。
さっさと教室に入って……ん?
「やっぱり悪いよ、嘘告白なんて……」
「飛鳥は真面目だなぁ、ちょっと夢見させて『罰ゲームでした』って言えば終わる話だろ?」
なんか教室の中から陽キャ集団の声がする。どうやら、男女の一軍グループが放課後合同で遊んでて、その罰ゲームで嘘告白するって流れになったらしい。
「本当にあるんだな、こういうの……」
ラノベみたいなシーンを目撃したことに、思わず呟く。
ちなみに、罰ゲームを受けることになっているのは羽生飛鳥。顔もスタイルも良いから女子の一軍グループにいる女だが、たぶん彼女、自己主張が弱くて周りの空気に流されやすいタイプだ。
よく見てるなって?
そうだよ、俺はクラスの連中の人間関係や性格については普段から結構よく見てるんだ。
『将棋は対人ゲームだ。だから日々、身近にいる相手のことをよく観察しておけ』
って、師匠から散々言われてきたからね。
将棋には、ひたすら最善手を追求するタイプと勝利を追求するタイプがいるんだけど俺や師匠は後者だ。
理論上は最善手を連発すれば勝てるんだけど、人間にそれは不可能だという事を俺はよく知っている。
で、劣勢な場面から相手のミスを誘う『勝負手』を通すためには『挑発に熱くなりやすいタイプ』とか『ここ一番では臆病』とかっていう人となりを見抜くのが大切になるのだ。ここの嗅覚というか勝負勘的な物には、実はちょっとだけ自信がある。
そんな俺だから分かるが、たぶん羽生飛鳥はこのまま押し切られるだろうな。しかしまあ、俺には全然関係のない話だ。
「じゃあ、加藤邦雄あたりにしとく?」
なんですと!?
嘘告の相手として俺の名前が出てきたぞ。
「いいんじゃない?普段から大人しいし、変に騒ぐタイプでもないでしょ」
ぐぬぬ、確かに俺は学校では、というか将棋界でもあんまり目立ってないけどさぁ……舐められてるのがちょっと悔しい。
だが、待てよ?
男子陽キャグループの面々は軽いゲーム感覚みたいだが、これって俺が被害者ヅラして騒ぎ立てれば『イジメをうけた』みたいな感じにできるんじゃなかろうか……そういえばちょっと前にそういう話をカクヨムで読んだ気がする!
俺は学校を休む口実ができてラッキー、ムカつく奴らは問題になってざまぁ、乗り気でない羽生飛鳥はちょっと可哀想な気持ちもするが……まあ強く反対してる訳じゃないし自己責任という事にさせてもらおう。
もしかしたら彼女、そこから罪悪感を拗らせて俺への恋愛感情が芽生えたりしてな……なんていうのは、流石に虫の良すぎる話か。
なんて事を考えているとーー
「いや、アイツはやめて村上にしとこう。なんというか……加藤は腹に一物抱えているというか、性格が悪い気がする」
そんな事を言う奴がいた。
発言者はグループのリーダー格、橋上だ。
失礼な!
なんて事を言うんだ君は!
心の中で異議を申し立てるが……
「ハッシーがそういうなら、まあ」
「確かに、村上君にしといた方が無難かもね」
「じゃあ、その方向で詰めていこうか」
そういう流れになってしまった。
嘘告白の相手……俺じゃないんかい!
なんてこった、これじゃどうやっても被害者ムーブが……どうやっても?いや、待てよ……
要は、『俺に非がない状態で学校を休める理由』ができればそれでいいんだから、嘘告白されること自体は必要条件じゃないんだよな、うん。
そんな事を考えていると、『せっかくだし村上君と数日付き合ってからネタバラシする方向で〜』みたいな所まで話が進んでいた。勝負手を放つなら、きっとこのタイミングだろう。
「待てよ、お前ら」
教室のドアを開けると同時にそう言い放つ。
部屋の空気が固まったのがわかった。
「村上に嘘告白?ゲスいことすんなよ、人の気持ちを弄ぶとか、最低だぞ」
その間に言いたい事を言わせてもらう。
「な、何だよ急に。お前には関係ないだろ」
「関係あるよ、こんなもん見て見ぬふりしてたら、魂が汚れる」
そう伝えると、リーダー格の橋上が顔を歪めた。ふふふ、順調順調。
だってほら、こうやって陽キャグループからのヘイトを集めれば、きっと俺ちゃんってばイジメの標的にされるじゃん?
でもイジメなんてやる側が100%悪いんだし、その理由が逆恨みなら尚更だ。つまり……俺に非がない状態で学校を休める口実になるってことだよ!
とはいえ、正論パンチをかましただけだと敬遠されるだけで終了したり、向こうが反省しちゃうって可能性も微レ存。
なのでここでもう一手、『一見俺が悪者に見えちゃうムーブ』をかます事にしよう。イジメる側も大義名分があった方がやりやすいだろうしな。
「まあどうせ橋上あたりの発案なんだろ?『弱いやつを笑い物にしとく事で自分のポジションを固めたい』とかそんなダセェ狙いでさ」
「な?!」
言葉を失う橋上に、外からみてるとそれ、すげぇカッコ悪いぞ、と続ける。さらにもう一手。
「あと、羽生さんも同罪だよ」
「……え?」
「え、じゃないでしょ。内心で『私は嫌なんだけどこの空気じゃ……』とか言い訳してたんだろうけど、結局のところ君は、我が身可愛さに村上を売ったんだよ」
「っ!?」
そこから、控えめに言ってクソ女のムーブだよねと伝えると口元に手を当てて涙目になっていた。
いかん、ちょっとキツく言いすぎたか……?
しかしまあ、その甲斐あって効果はテキメン。陽キャ集団から「酷い!」とか「なんて事を!飛鳥に謝れ!」とか罵詈雑言が出始めた。グループの中心人物と一番の美少女をディスったんだから当然の反応だね。
が、俺はそれを馬耳東風でスルー。もうお前らと話す事はないって態度で荷物を回収すると、さっさとその場を後にした。
さあ、仕掛けはOK。明日以降、一体どうなるのかワクワクが止まらないぜ。
***
結局何も無かった!
畜生、意気地なし共め。
いや、この二日ほど遠巻きに見られているような感じはするから、アイツら的には『クラスからハブり、孤立させてやったぜ』ってつもりなのかも知れないんだけどね。
しかし、俺の感覚的には以前と何も変わらない。
元々、クラスメイトと休み時間に喋ったりとか殆どしてないしな。こちらから誰かに話しかけた事なんて皆無と言ってもいい。
いやー、アテが外れたわ。
上履きに画鋲を仕込まれたり、机に葬花を置かれたり、黒板に誹謗中傷を書かれるくらいじゃないと不登校の理由としては弱いだろう。師匠との対局中みたいに殺気を飛ばされるって事もないし。
でもまあ、仕方ない。
自分では良いと思った一手に、相手が予想と違う手を返して不発に終わる事なんて将棋では日常茶飯事だしな。
これも一局ってやつだ。
なので今まで通り、普通に通学しながら将棋の勉強に取り組もう。てなわけで、丁度今から昼休みだし一人飯しながら対局アプリで……なんて事を考えていると女子から話しかけられた。
「あ、あの……加藤くん!」
先日、嘘告白させられそうになっていた羽生飛鳥だ。
「どうしたの?」
「一昨日はごめんなさい」
そう言って頭を下げる羽生。律儀だな。
「いや、別にいいよ。あと、俺も君には少し言いすぎた」
「ううん。そんなことは、全然……」
「……」
「……」
そこで会話が止まった。
いやいや、どーすりゃいいのこれ?対局中って10分が一瞬で溶けるのに、この沈黙は10秒でも異様に長く感じるぞ。
「じゃあまあ、お互い頭を下げた事だし後腐れなく和解という事で」
「え、えっと……はい」
流石俺、上手くまとめた!
この件はこれで終了です。対局ありがとうございました。
「か、加藤くん。もし良かったら……これから一緒にお昼食べませんか」
何でだよ!?
声は上げなかったが、内心が顔に出ていたのだろう。先日の事を反省すると共に、キチンと叱ってくれた俺と仲良くなりたいのだと説明された。
いや、俺としてはヘイトスピーチのつもりだったのにそんな上手い話ある?まるで説教おじさんが若い子に惚れられるような非現実的な話というか……
そんな事を思いつつ周囲に目をやると、彼女に近しい一軍女子達がチラチラこちらを見ているのに気づいた。そして、隠している様だがその内一人の口元には笑み。
ははーん、成程……つまり彼女達は、俺とチェリーパイの投げ合いをしたいってわけだね。
きっと、こうやって俺を羽生飛鳥に惚れさせた後で『ぷークスクス、なに本気にしてんの』って笑い者にするつもりなんだ。なんて事を思いつくんだろう、性格が捻じ曲がってるとしか思えない。
だが……いいぜ。
その策に乗ってやんよ。
予めネタが分かっていれば、決して悪い話じゃないしな。
見方をかえればタダでクラス一番の美少女と疑似恋愛できるようなもんだし、最終的には弄ばれたショックで学校に行けなくなりましたって流れにもできる。
読み切ったぞ、羽生飛鳥とその仲間たち。
このゲームの勝者は……俺だ!
「いいよ、でもクラスでは人目があるから中庭にでも行って食べようか」
◇◇◇
あの日、羽生飛鳥は分かっていた。
嘘告白なんて、絶対にしてはいけない事だと。
あの時、あの場にいた誰よりも思慮深かった飛鳥。やられた相手がどう思うのかも、深く傷つくであろうことも分かっていて……それでも、彼女は「やめよう」と強く主張することができなかった。
空気を壊したくなくて?
罰ゲームを受ける立場だったし、期待を裏切るのが申し訳なかったから?
(それもあると思う。でも……本筋じゃない)
自分が『とにかく嫌だ』と主張すればそこで終わったはずなのに、頷いてしまったのは結局のところーー
(私は、『責められるのが怖かった』んだ)
その結果、嘘告白される相手の気持ちよりも、その場の空気を優先してしまった。間違っていると分かっていたのに、それでも止めることができなかった。
(あくまでも自分の都合でーー最低だ)
そして、何より最低なのは
(あの日、加藤君に指摘されるまで自分が最低だった事にすら気づけなかった……目を逸らしていたんだ……)
あの後、教室に残った男子達はひたすら加藤邦雄の悪口を言っていた。飛鳥にあんな酷い事を言うなんて最低な奴だ、なんて正義の味方ぶって。
しかし、羽生飛鳥は思慮深い。
故に自己欺瞞や他責が出来ない。
(それで、クラスの男の子達から無視されて浮いてしまったのに堂々としていて……私の事を慮って和解しようとまで言ってくれた)
飛鳥は思う。
彼は、自分達よりずっと大人なんだと。
(凄いなぁ……やっぱり、将棋のプロとして活動してるからなのかな)
クラスメイトは知らない事だが、彼女の父親は二流のプロ棋士で加藤のデビュー戦の相手でもあった。そして、珍しくネット中継される事になった父の対局を見た事で飛鳥は加藤の事を認知していたのである。
彼女にとって、父親は尊敬する存在だ。
父は物静かだが理知的で、ここぞと言う時はすごく決断力のある人だから。また、かつて母親から、『学校でいじめられていた自分を助けてくれたのが父で、そこから恋愛に発展した』という話を聞いたことも影響している。
そんな父親と、堂々とした勝負を繰り広げていた加藤の人となりについて、以前から気になってチラ見してはいたのだ。
ちなみに陽キャ男子のリーダー格である橋上は羽生飛鳥の事が好きで、彼女の目線の先に加藤がいる事にも気づいていた。『アイツはやめて村上にしとこう』なんて嘘告白のターゲットを変更させようとしていたのには、そんな事情がある。
そんな加藤に対する興味が、今回の件で敬意に変わった。そして飛鳥は、少しでも彼のような強い人になりたいと思った。
幸い、『自分は変わりたい。その一歩としてまず彼に謝りたい、あれは自分が悪かったのだから』と言った時、女子グループの面々は賛成してくれた。
飛鳥ったら立派じゃん、そうだよね、冷静に考えたらアレは私達が調子に乗りすぎてたわ、と。
のみならず、「飛鳥って実は彼のこと気になってるっしょ。気弱な自分を変えたいなら、お昼ご飯一緒にどうって誘ってみたら?」なんて背中を押してくれた。
それは流石に……と思ったが、自己保身ばかり考えてしまう弱気な自分を変えるにはそれくらいの荒療治が必要なのかも知れない。
「か、加藤くん。もし良かったら……これから一緒にお昼食べませんか」
精一杯の勇気を振り絞り、勝負手を放った。
あんな事があった後だし、振られる可能性の方が高く、その時はすごく悲しい気持ちになるだろうが……今の自分には傷つく事を承知で戦う事が必要だと思ったから。
「いいよ、でもクラスでは人目があるから中庭にでも行って食べようか」
結果はまさかのOK。
彼女にとっては天にも昇る心地だった。
そして、恋愛経験ゼロだった彼女は、『どうせ嘘告白なら振られるまで好き勝手やったろ』の精神でガンガン攻めてくる加藤に対して、どんどん沼っていく事になる。
◾️◾️◾️
「わは、また勝ってるー♪」
連盟のアプリで対局結果をみて声を弾ませているのは、小手指アリス。現在時の人となっている将棋界の天才少女だ。
そんなわけで日々、周囲からの視線を一身に集めるアリス。しかし……そんな彼女自身が見ているのはたった一人の男であった。
「でも、当然だよね。だって加藤さんだもん」
自分よりも半歳遅れでプロになった加藤邦雄である。
かつて、アリスは学校で浮いた存在だった。
それは周囲より圧倒的に賢く、可愛く、そしてハーフという存在感があったからだ。低学年男子は『好きな子に意地悪してしまう』者が多く、女子は子供の頃から『女』だったのである。
自分という存在を理解し、肯定してくれる友人がいないと感じたアリスは徐々に不登校気味となる。
そんな彼女に祖父が教えてくれたのが将棋だった。『棋は対話なり。これなら、性別も年齢も関係なく仲間ができるよ』と。
しかし……アリスは強すぎた。盤上ですら対等なコミュニケーションが成立しなかった。
大人達でもまるで歯が立たず、負け惜しみに『いや、子供の……しかも女の子にはどうしても本気が出せないよねぇ』なんて言い出す始末である。
そこで祖父に才能を見出され、また対等に戦える相手を求めてプロの養成機関である奨励会に入ったアリス。
プロの卵達は確かに強かったが、それでもアリスにはまだ二歩程及ばず……また対局内容も『棋は対話なり』とは違うものの様に感じた。
人間よりも強くなった将棋ソフトの影響で、対局は昔よりも『AIを用いた研究勝負』や『最善手の追求』という側面が強くなっていたからだ。
(でも……加藤さんだけは全然違ったんだよね)
そこでアリスは目を閉じて、当時の事を思い出す。
それは上位二名がプロになれるという『三段リーグ戦』の中で、お互い12勝無敗というトップ同士の対局だった。
(この人……凄く強い!)
将棋盤の反対側に座っているのは、加藤邦雄。
史上5人目となる中学生でのプロ入りが期待されている超有望株。
その棋力は大天才のアリスに極めて近いレベルにありーー
(しかもなんか……私の弱いトコロばかりピンポイントで狙って責めてきてる?こんな感覚、はじめてだよぉ……)
加えて彼は、アリスの棋風、性格、癖、強みと弱み、どんな場面でミスしやすいかなどを徹底的に研究し、彼女個人に対してのメタ対策を張ってきていた。
振り飛車という、将棋ソフトがあまり評価しない戦法を採用した加藤に対し、穴熊という対振り飛車戦で相性が良いとされる囲いをアリスが採用することで開戦した対局。
それは、アリスが十二単衣の様に重ね合わせていた守り駒の金銀が、加藤のいやらしい差し回しによって一枚一枚剥がされていく様な流れになった。
(うう、とうとうパンツまで……こちらから脱ぐように仕向けられちゃった……)
なお、彼女の言動はなにもおかしくはない。
穴熊の守りに使っている桂馬を攻撃参加させるのを将棋用語で『パンツを脱ぐ』というからだ。将棋連盟公認の対局アプリには専用エフェクトまである(実話)。
(うう……しかも、『奪われたパンツを使われちゃってる』し)
なお、そんな将棋用語はない。
アリスがテンパっているだけである。
そして、息も絶え絶えになり真っ白だった経歴が汚されそうになった最終盤、秒読みに追われて焦って着手したアリスの一手はーー深く深く読み進めると『詰めろ逃れの詰めろ』という、本人も読んでいない絶妙手になっていた。
形勢逆転である。
結果、アリスは勝利した。
指運という、完全なラッキーパンチによって。
加藤は対局後、『くそ……天才め』と呟いていたが事実は違っていた。
そしてこの勝利は、そして敗北は、双方に大きな精神的ダメージを残すこととなった。
その日の内に行われた次局、ショックを引きずるアリスは前期一位だった奨励会員に、加藤は別の会員に、それぞれ敗北することになる。
そこから約一か月後、最終順位はアリスが17勝1敗でトップとなりプロ入りを決めたのに対し、加藤は16勝2敗の同率二位となり前期からの順位差でプロ入りを逃した。
彼に代わってプロに入ったのは、アリスが唯一敗れた前期一位の……しかし加藤よりは明らかに弱かった奨励会員。彼女は、強い罪悪感に苛まれることになる。
「……でも、流石は加藤さん。次のリーグ戦は一位抜けでプロ入りして、そこから勝ちまくってるもんね」
回想から戻り、アリスはそう口にした。
「早くまた対局したいなぁ……きっと、また私の事をいっぱい考えてくれるんだろうなぁ……」
そう言いながら、頬を染めて身を捩る。
少し年上の、自分の事を見てくれる、将棋のメチャクチャ強いお兄さん。
彼女のストライクゾーンど真ん中である。
ちなみにテレビ企画で対局したトップ棋士達はもう一回り程年配の者ばかりで、しかもあれは『真剣勝負』ではなかった。
故に、現在のアリスにとって加藤は唯一無二の憧れの異性である。
「きっと対局中はまた、真剣な顔でじーっと見つめられたりもして……えへへ」
クッションに顔をうずめ、足をバタつかせる。
加藤が対局中に相手の顔を見るのは相手の心理状態を窺うのと、局面の形成判断の為なのだが……恋する乙女モードに入った今の彼女に常識は通用しない。
「お互いがタイトルを分け合うようになれば、それこそ番勝負で一年中一緒にいられるし……対局日以外にもお互いの事をずっと考えるだろうし……そんなのもう、ほぼ夫婦だよね」
そんなちょっとアレな事を言い始めたアリスの部屋には、大判サイズに引き伸ばされた加藤の写真が多数飾られていた。
***
将棋界にはこんな格言がある。
『人生もまた、一局の将棋なり』
人生は一度きりの真剣勝負であり、将棋と同様、やらかしても途中でやり直したりすることはできないという意味だ。
加藤邦雄、羽生飛鳥、小手指アリス
三者三様の思惑が入り乱れた盤面はこの先、悪手と妙手と勝負手が入り混じる、非常に混沌とした泥沼のような局面へと突入して行くのだが……それもまた、一局の将棋である。




