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実家のような安心感

 俺は首筋を押さえながら小さく息を吐き出した。恐怖は確かにあった。だがそれ以上に目の前でガタガタと震える小夜の姿があまりにも痛々しかったのだ。俺は恐怖を無理やり飲み込み、彼女に向かってゆっくりと口を開いた。


「大丈夫だ小夜。俺は生きてる。君は俺を食わなかったじゃないか。だからそんなに自分を責めないでくれ。俺は君のことを許すよ」


 俺なりの精一杯の慰めだった。だが小夜の表情は晴れない。彼女は自分の内に潜む、骸徒としての本能がどうしても許せないようだった。


「だめよ」

「私はあなたを傷つけようとした。この忌まわしい牙であなたの命を奪おうとしたのよ」

「これ以上あなたのそばにいたら私は本当にあなたを壊してしまうわ」


 小夜はポロポロと涙をこぼしながら後ずさりした。そのまま踵を返して逃げようとする彼女の細い手首を俺は咄嗟に掴んだ。その肌は氷のように冷たかったが、絶対に離してはいけないと直感が告げていた。


「待ってくれ小夜、お願いだから逃げないで話してくれ。俺は君のことが知りたいんだ」


 俺が必死に引き止めると小夜は悲しげに瞳を揺らした。そして絞り出すような声で呟く。


「私はもう……」


 その言葉に込められた圧倒的な絶望と自分自身への諦めに俺は言葉を失った。彼女の痛みがそのまま俺の胸を貫いたようで、無意識のうちに手に込めていた力が緩んでしまう。俺が手を離したのを確認すると、小夜はふっと儚く微笑んだ。


「ありがとう空」


 次の瞬間だった。小夜の身体が足元から黒い靄のように崩れ始めたかと思うと、そのまま当直室の壁の影へとズルズルと沈み込んでいった。まるでインクが水に溶けるような光景だった。俺はただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。影に潜って消えるなんて、そんなこともできるのか。骸徒という種族のすごさっぷりをまざまざと見せつけられ、俺はしばらく虚空を見つめていた。


 だが感嘆の余韻に浸る暇はなかった。

 ドタバタドタバタ。

 バンッガシャンッ。

 外の廊下から何かを派手に破壊しながら近づいてくる異常に騒がしい音が響いてきた。なんだなんだ。さっきまでの重苦しい雰囲気を完全にぶち壊すようなけたたましい足音と怒鳴り声だ。俺が身構えていると当直室のドアごと吹き飛んだ。


「だから私が先に見つけるって言ったじゃないですか!結花先輩は目が節穴なんですから!」


「うるさいわね。中学生は黙ってなさいよ、空くんの匂いを辿ることくらい私には朝飯前なんだから!」


 土煙の中から現れたのは理を除く二人のヒロインだった。結花と澪が互いの髪を引っ張り合いながら俺のいる部屋へと雪崩れ込んできたのだ。二人とも病院中を駆け回ったのか、服はボロボロで息を切らしている。相変わらずの陰湿な煽り合いを繰り広げながら二人は俺の姿を認めるや否やパッと顔を輝かせた。


「あぁ空くんやっと見つけた!私がいなくて寂しかったでしょ!」


「先輩ご無事でしたか!理系の女は私が物理的に処理しておいたので安心してくださいね!」


 なんだその物騒な報告は。理はどうやら彼女たちの手によってどこかに沈められたらしい。凄惨な死の恐怖や小夜との悲しい別れを経験した直後だというのに、この二人のあまりにもブレない狂気と異常な執着を目の当たりにするとどういうわけか俺の肩からすっと力が抜けた。さっきまでのヒリヒリするようなシリアスな感情が、二人の騒音のせいで完全に上書きされていくのを感じる。地獄のような状況に変わりはないのだがこのどうしようもなく騒がしい日常の延長のような空気に、俺はだいぶ気持ちが楽になっていた。


「お前ら……本当にどこまでもしぶといな」


 俺が思わず呆れたように笑みをこぼすと、二人はさらに勢いづいて俺の左右の腕に抱きついてきた。再び湿度が急上昇し重すぎる愛の洪水が俺を飲み込もうとしている。だが今はなぜかその息苦しさすら少しだけ頼もしく感じてしまう自分がいた。

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