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なんやこのバケモン!

 目を覚ますとそこは見慣れない白い天井だった。

 ツンと鼻を突く消毒液の匂い。どうやら病院らしい。


 頭がガンガン痛むし状況がまったく飲み込めない。

 体を起こそうとした瞬間右腕にズシリとした重みを感じた。


 視線を落とすと見知らぬ黒髪の美少女が俺の腕を両手で抱え込むようにして眠っている。


 誰だこの子。


 俺が身じろぎした気配で彼女はバッと顔を上げた。

 その目はバキバキに血走っていて目の下にはくっきりクマができている。


 怖い。シンプルに怖い。


「あぁ空くん、目を覚ましたのね。良かった、本当によかった」

「私ずっと心配で胸が張り裂けそうで。空くんが屋上から飛び降りたって聞いたときは目の前が真っ暗になって心臓が止まるかと思ったんだよ」

「だって私と空くんは運命で結ばれていて空くんがいない世界なんて私には意味がないし、息をするだけでも皆苦しいのに空くんが一人でもっと苦しんでいたなんて、私本当に自分が許せなくて」

「これからは私が二十四時間ずっと空くんのそばにいて何から何まで全部お世話して絶対に空くんを一人ぼっちにさせないから安心しておやすみしてね」


 息継ぎどこいった。

 怒涛の早口アタックに俺の脳処理は完全にフリーズした。情報量が多すぎる。


 どうやら俺は屋上から落ちてここに運ばれたらしい。つまりは自殺未遂だ。でも俺にはそんな記憶が一切ない。

 なんで死のうとしたのかも思い出せない。

 というかあんた誰だ。


「申し訳ないんだけども、君は誰?」


 俺が恐る恐る尋ねると彼女の表情がピシリと固まった。


「え……?私だよ。幼馴染の結花だよ?嘘でしょ、空くん。私のこと忘れちゃったの……?」


 絶望に染まる顔。しかし次の瞬間彼女の瞳の奥にどろっどろに濁った歓喜の光が灯った。


「そうか、私のことすら忘れるくらいに追い詰められていたんだね。でも大丈夫だよ。記憶がないなら私が一から全部教えてあげる」

「私たちがどれだけ愛し合っていたか空くんの体が私の触れる感触をどれだけ求めているか全部最初から刷り込んであげるからね」


 いや待って。絶対愛し合ってないだろ、その目。

 俺が戦慄していると病室のドアがバーンと勢いよく開いた。


「たのもー!」

「先輩が目覚めたと聞いて飛んできましたが、結花先輩が独占しているなんて許せません!」

「先輩の心の傷を癒やすのは後輩である私にしかできない絶対的な使命であり、先輩が記憶を失っているというのなら私が先輩の脳細胞の一つ一つに私との美しい思い出を刻み込んであげます」

「先輩が二度と私以外の女のことなんて考えられないように純白のキャンバスを私の色だけで染め上げて差し上げますから覚悟してくださいね!」


 現れたのはまたしても見知らぬ後輩らしき美少女だった。

 彼女も信じられないほどの早口でまくしたてながら俺の左腕にガシッと抱きついてきた。

 両腕を完全にホールドされ身動きがとれない。


「いやだから君も誰。俺マジで何も覚えてないんだけど」


「私は後輩の澪です!先輩が私のことを忘れてしまったのは悲しいですが、逆に言えば今の先輩は私色に染め放題の無垢な存在ということですよね?」

「これからは私が先輩の新しい記憶のすべてになってあげますから安心してください、ね?」


 ポジティブすぎる。そして愛が重い。言葉が長すぎる。

 俺がなぜ自殺未遂をしたのかその原因を探るよりも先に、この湿度の高すぎる密室から脱出しなければならない。

 じゃないと俺は別の意味で窒息死してしまいそうだ。


「二人ともストップ。俺の両腕が千切れる」


 俺がたまらず叫ぶと二人はハッとしてパッと腕を離した。しかしその顔は異常なほどに赤い。


「ごめんね空くん……でも私空くんの温もりが愛おしくてたまらなくて」


「先輩の温かい体温を感じて私の中の愛が暴走してしまって」


「お前らちょっと黙ろうか」


 ツッコミが追いつかない。なんだこの空間。湿度がアマゾンの熱帯雨林を超えている。誰か助けてくれ。ガラッとそこに救いの女神が現れた。白衣を着た若い看護師さんだ。


「あら空くん気がついたのね。よかったわ」


「看護師さん!助けてくださいこの二人を今すぐ……」


 俺が助けを求めようとした瞬間看護師さんは頬をほんのりと赤らめ、スッと俺の顔を至近距離まで覗き込んできた。


「空くんが目覚めない間私が毎晩空くんの寝顔を特等席で眺めながら、どれだけ甘い妄想を膨らませていたか誰も知らないでしょうね」

「空くんの無防備な唇を奪いたい衝動を抑えるのに必死で夜勤のたびにナースコールが鳴らないかワクワクしながら待っていたのよ」

「これからはリハビリと称して二人っきりの時間をたっぷり作ってあげるから、誰にも邪魔されない秘密の病室で私と濃密な時間を過ごしましょうね」


 終わった。


 この病院も俺の周りの人間も全員おかしい。俺はそっと目を閉じた。もう一度記憶ごと全てをリセットしたかった。




 看護師さんが退出した後、俺はベッドの上で深い溜息をついた。ここは地獄か。

 いや地獄のほうがまだ乾燥していて過ごしやすいかもしれない。とりあえず現状を打破するためには過去の情報が必要だ。

 俺は自分の荷物を探そうと周囲を見渡した。


「あのさ、俺のスマホとか財布ってどこにあるか知らない?」


 俺が尋ねると結花と澪はピクッと肩を揺らした。


「スマホなんて見なくていいんだよ」

「空くんの過去には辛いことばかりだったから、全部私が新しい綺麗な記憶で上書きしてあげる」

「昔の人間関係なんて全部断ち切って、私と二人だけの世界で生きていけばいいんだから」


 結花の目が一切笑っていない。スマホを隠しているのは明白だった。そこに澪がススッと身を乗り出してきた。


「先輩は過去の記憶を取り戻したいのですね。それならまずは私との運命的な出会いから思い出してください」

「あれは今年の真夏がピークの頃でしたよね。夏休みの高校説明会で先輩と私は隣の席でした」

「先輩は学校に忘れ物を取りに来ただけなのに事務員さんに中学生と間違えられて私と一緒に説明会を受けることになったんですよね」

「あの時先輩が私の隣に座った瞬間に私はこれが神様が定めた絶対的な運命なのだと確信しました。その時の先輩の顔と、差し伸べてきた手の指を思い出してしまって毎夜、ん///♡」

「中学生の私にとって高校生の先輩はあまりにも眩しくて、その時から私の心も体も先輩の細胞一つ一つにまで惹きつけられてしまったんです」

「わざわざ中学生のフリをしてまで私に近づいてくれた先輩の不器用な愛を、私は一生かけて受け止めると決めたんですよ」


 いや絶対違う。


 ただ間違えられて断れなかっただけだろ俺。

 そもそも高校生が中学生に間違えられるって俺はどんだけ童顔なんだ。

 ツッコミどころは満載だが澪の目は完全に極まっている。過去の俺よなぜそこで適当に話を合わせてしまったんだ。

 自分の首を絞める結果になっているじゃないか。


「あのさ俺のスマホ返してくれないかな。親にも連絡したいし」


「親への連絡なら私がすでに済ませておきましたよ」


 澪が胸を張って答える。


「先輩のご両親には私という未来の妻が責任を持って最後まで看病すると宣言してきましたから、安心してくださいね」

「婚姻届もすでに私の名前は書き込んであるので先輩は目覚めたらサインするだけでいいんですよ」

「あとは私が役所に提出して二人で永遠の愛を誓い合うだけですから本当に幸せですよね」


 話が飛躍しすぎている。

 親もなぜ中学生に息子の命運を託したんだ。

 俺のスマホは完全に彼女たちの手の内にあり外部との連絡手段は絶たれてしまったらしい。記憶喪失の前にまずはこの密室から抜け出す方法を考えなければならない。


 けたたましい電子音が病室に鳴り響いた。澪のスマートフォンからの着信音だ。

 彼女は舌打ちをしてスマホの画面を睨みつけた。


「先輩、家の者がうるさくて少しだけ外します」

「すぐに戻って先輩のすべてを私の色に塗り替えますからね」

「私がいない間、結花先輩の毒牙にかからないよう大人しく待っていてくださいね」


 澪は嵐のように去っていった。

 とりあえず両腕の拘束が解かれてホッと息を吐く。


 しかし安心するのはまだ早い。病室には依然として結花が残っている。

 むしろ邪魔者が消えたことで彼女の瞳の奥にある濁った光はさらに強さを増していた。

 俺はスマホを取り戻すため結花との高度な心理戦を仕掛けることにした。

 真正面から要求しても彼女は絶対に渡さない。

 ならば彼女の歪んだ愛情を利用するしかない。


「結花、さっきはごめん。急に目が覚めて混乱していたんだ」


 俺が少しだけ表情を和らげて声をかけると結花はパァッと顔を輝かせた。


「ううん、いいの。空くんが私の名前を呼んでくれただけで私すごく幸せだよ」


 彼女がベッドの端に座り直す。


 距離が近い。


 俺は彼女の目を見つめながら慎重に言葉を選んだ。


「結花を見ていたら、少しだけ思い出せそうな気がするんだ。君がいつも俺のそばにいてくれた温かい記憶の欠片みたいなものを」


 結花の肩がビクッと跳ねた。食いついた。このまま一気に畳み掛ける。


「でもまだ頭にモヤがかかっていて上手く引き出せないんだ。だから、俺のスマホを見せてくれないかな?多分結花との大切な写真やメッセージを見れば、きっと全部思い出して俺たちの絆を早く確かなものにできると思うんだよ」


 完璧な誘導だ。彼女の「俺との関係を絶対的なものにしたい」という欲求を刺激しつつスマホを取り出す正当な理由を与えた。

 俺は内心でガッツポーズをした。


 しかし結花は小さく首を傾げた。


「空くんがそんな風に言ってくれて私すごく嬉しいよ」

「でもね、空くんのスマホは今、修理に出しているの」

「屋上から落ちた時に壊れちゃって、画面もバキバキだったから私がお店に持っていったんだよ」

「だから今は私の顔だけをずっと見ていてね?」


 嘘だ。

 さっき澪と口論していた時「昔の人間関係なんて全部断ち切って」とスマホを意図的に隠しているような発言をしていた。

 それに修理に出しているなら、なぜ彼女の小さなショルダーバッグがスマホの形に不自然に膨らんでいるんだ。


 だがここで「嘘をつけ」と指摘すれば彼女は警戒し完全に心を閉ざすか暴走する。ここは引くしかない。


「そっか、俺のために修理に出してくれたんだね。ありがとう結花」


 俺はあえて彼女を褒めて承認欲求を満たす作戦に切り替えた。


「修理が終わったら一番に結花とのトーク履歴を見るよ。それまでは結花の言葉で俺たちの過去を教えてくれないか?」


 結花の頬が紅潮し呼吸が荒くなる。俺を完全にコントロールできているという優越感を与え情報を引き出す作戦だ。


「俺はどうして屋上から飛び降りたんだ?結花みたいな素敵な子がそばにいたのに」


 俺が核心を突く質問を投げかけた瞬間、病室の温度が急激に下がった気がした。結花の笑顔がスッと消え無表情になる。


「それはね、空くんを騙そうとした悪い人たちがいたからだよ」

「でも安心してね、もうその人たちは空くんに近づけないように私がちゃんと処理しておいたから」

「空くんはもう二度と傷つく必要はないんだよ、ずっとこの安全な病室で私と生きていけばいいの」


 処理ってなんだ。怖すぎる。


 心理戦を仕掛けたつもりが全く見えない地雷原を裸足で歩かされている気分だ。

 俺のスマホはおそらく彼女のバッグの中にある。しかし力ずくで奪えば彼女は何をするか分からない。

 俺は背筋に冷たい汗が伝うのを感じながら次の手を考えるしかなかった。


 そんな時、病室のドアが勢いよく開き、息を切らした澪が飛び込んできた。いくらなんでも早すぎる。


「先輩!用事を終わらせて戻ってまいりました!」

「これでもう誰にも邪魔されず先輩の純白の記憶を私だけで染め上げる作業に戻れますね」


 澪が俺のベッドに駆け寄ろうとした瞬間、結花がスッと立ち上がり進路を塞いだ。結花の顔には冷ややかな笑みが張り付いている。


「あら澪ちゃん。中学生は暇でいいわね」

「それとも病院の廊下を一人でウロウロして迷子にでもなりかけたのかしら」

「大人の事情が分からない子供は早くお家に帰って宿題でもやっていなさいよ」


 結花のねっとりとした煽りに澪の眉間がピクッと引きつった。


「中学生だからといって舐めないでください結花先輩」

「賞味期限切れの幼馴染という肩書きにすがりついているだけの痛いおばさんより、私の若さと未来の法的な効力の方がよっぽど先輩のためになりますから」

「先輩の隣はすでに私の指定席なので老害はすっこんどいてください」


 陰湿すぎる。互いの痛いところを的確にえぐり合う言葉のナイフが病室を飛び交っている。二人の周囲だけ空気がどす黒く淀んでいた。


「……ちょっと表に出ようか澪ちゃん」


「ええ望むところです結花先輩。ここで白黒はっきりつけましょう」


 二人は俺に一瞥もくれずバチバチと火花を散らしながら廊下へと消えていった。

 バタンとドアが閉まり病室に静寂が訪れる。


 助かった。


 俺はベッドに倒れ込み深い溜息をついた。これでやっと少し休める。そう思った直後だった。


 カツン……ウィーン。

 病室の窓の外から奇妙な機械音が聞こえた。ここは三階のはずだ。俺が警戒して身構えていると鍵がかかっていたはずの窓が外側からスムーズに開けられた。


 白衣を翻し、一人の少女が窓枠に降り立った。銀色のフレームの眼鏡をかけ、知的な双眸が俺を見下ろしている。


 学園でもトップクラスの天才と噂される科学者の少女みたいな感じだ。


「やあ空。生きていたのかい」


 彼女は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま俺のベッドに近づいてきた。


「君が屋上から自由落下したと聞いてね。位置エネルギーが運動エネルギーに変換される過程を、この目で観察できなかったのは非常に残念だよ」

「重力は万人に平等だからね。君の身体組織がどの程度損傷したか確認しに来たんだ」


 その口調は驚くほど淡々としていた。

 結花や澪のような重苦しい執着は一切感じられない。まるで気の置けない悪友のような軽快なやり取りだ。

 俺は今日初めてマトモな人間に出会えた気がして心の底から安堵した。


「お前……びっくりさせないでくれよ。俺ちょっと記憶がないみたいでさ」


 俺が苦笑いしながら答えると彼女は「そうか」と短く呟きベッドの脇に立った。


「ならまずはバイタルチェックから始めようか」


 彼女は唐突に俺の胸ぐらを掴みそのまま力強く抱きついてきた。俺の胸に彼女の耳がピタリと押し当てられる。


「ちょっ、お前何して……」


「静かに。君の心臓の鼓動、RC回路の過渡現象みたいに不規則に跳ねているね。時定数がまったく安定していないよ」


 彼女の冷静な声が耳元で響く。しかし俺の胸に押し当てられた彼女の体温は異常なほどに熱かった。

 そして彼女が顔を上げた瞬間、俺は自分の致命的な勘違いに気づいた。

 眼鏡の奥の瞳が底なし沼のように黒く濁り切っていたのだ。


「ねえ空。君のその命。いつスナッフフィルムにしようか」


 背筋が凍りついた。

 彼女の冷ややかな理性の仮面が完全に剥がれ落ちドロドロの狂気が溢れ出している。


「生きたまま解剖して、君の美しい内臓の配置を隅々まで記録したいんだ」

「空の最期の瞬間に苦痛で歪む顔も、徐々に冷えゆく体温も、すべて私だけのモノだから」

「廊下で喚いている有象無象のメス豚どもになんて、君の細胞一つ、電子一個たりとも渡しはしないよ」

「君の肉体も魂もホルマリン漬けにして、私の部屋で永遠に愛してあげるからね……」


 湿度が限界を突破した。先ほどの乾燥した空気は幻だったのかと思うほどの洪水の如き愛情と殺意が俺を飲み込んでいく。


 俺は廊下の二人とは全く別次元の『化け物』を引き当ててしまったらしい。

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― 新着の感想 ―
重い女の子っていいよね
2026/02/22 18:56 退会済み
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