第9話 密室ホラー事件
ザァァ……
見渡す限り一面に、強く雨が打ちつけている。
地面は水浸しで、小さな波紋が無数にも広がっていた。
灰色の景色のなかには何もなく、ただ雨が降っているだけ。
ただ、1つだけおかしなところがあった。
私には、雨粒が当たっていない。
振り続ける雨に向かって、頭上高く掲げた手には水の膜ができていた。
その水が頬に落ちると、それは肌をするりと伝うようにこぼれ落ちる。
(変な場所……)
黒いブーツの踵を鳴らし、私は何もない空間を歩き始めていた。
風もなく、寒さも感じない場所で、ふと視線を向けた先に何かが落ちているのが見える。
(あれって、もしかして)
駆け寄った先には、やはり見覚えのある白いリボンが落ちていた。
拾おうとしゃがんだところで、手がすり抜け、ぽちゃんと水に浸かる音が空間に響き渡る。
まさか、地面も水でできているのだろうか。
そのとき、背後から心地の良い靴音が聞こえ、咄嗟に私は立ち上がっていた。
でもそこにいたのは、見覚えのある人物よりも、やや幼なげな私と同い年ぐらいの人物で。その人の手には剣があり、もう片方の手には、あの白い人が血だらけで引きづられていた。
管理者さんと、秘密を交わしたあの人だ。
管理者さんはその人を乱暴に放り出すと、彼に向けて剣を向けていた。
鋭利な切先が、その人の首元へと当てがわれる。
それは、つい最近見た光景と、ほとんど同じで。
(待って!)
私が走り止めようとしたところで、管理者さんが素早くこちらを向いた。
朱色の目だ。でも、私とは目が合っていない。ただ咄嗟に、こちらを向いただけ。
管理者さんは私の方から目を逸らすと、目の前の彼のことをじっと見下ろしていた。
「さよならだ。××」
躊躇うことなく、振り下ろされる。私は、咄嗟に目を閉じていた。
でも、そこから酷い音は聞こえなかった。静寂が広がって、無音の空間へと放り出される。
遠くから、優しい声が聞こえた。呼びかけるような声で、ずっと、肩を叩かれている。私は、強く瞑っていた瞼を、ゆっくりと開けていた。
「あ、目が覚めたね」
見えたのは部屋の天井だった。ふと横を見遣れば、頬杖をして、にこりと笑う知らない人がいる。白衣を着ていて、聴診器をぶら下げていた。彼は、ふんわりと柔らかい髪を耳にかける。
眩しいくらい良い顔なのに、近すぎて、私は固まっていた。
「大丈夫? 助手ちゃん」
その人が横になる私の額に手を当てて、顔を近付けたとき。
「わあああああ!?」
私はその人を押し除け、飛び起きていた。
毛布を掴んだまま起きたせいで、部屋に置いてあった家具が散らばる。
そのなかに、強く頭を打ったその人が、痛みにうずくまっていた。
「いたた……」
面識のない人が密室の部屋にいるなんて、怖すぎるんですけど。
私は身なりを気にすることなく部屋から飛び出し、階段から1階へと顔を出していた。
「管理者さん! 人が、知らない人がいるんですが!」
すると私の声を聞いてか、奥のキッチンから飲み物を飲みながら管理者さんが出てきた。以前と変わらず、ブランケットを羽織ったまま、のんびりとした様子で。
「ああ、起きたか。良かったな目が覚めて」
「……私の言ってる意味分かってます?」
「こら。目が覚めて急に動いたら、また体調崩すよ?」
両肩に手を置かれて、恐るおそる振り返る。そこには、つい先ほど見たあの笑顔が。咄嗟に手を振り払い、私は1階へと駆け降りて、管理者さんの背後へと隠れた。
悪意のない笑顔がこんなに怖い人なんて、今まで見たことがない。
「お前、相当嫌われているが……頼みの裏で何をした?」
「え、何もしてないけど。……ちょっと君、殺気出さないでよ怖いから!」
医者という言葉どおり、彼は医者らしい格好ではあった。
それに管理者さんの少し気さくな感じ。こういうところは初めて見る。
「紹介が遅れたな。こいつは倒れたお前を診察した医者紛いの者だ」
「それ勘違いさせるように言ってる?」
管理者さんは医者の人を気にも止めず、椅子に座り始める。
マグカップに口をつけたままちらりと私を見上げては、すぐに目を離したようだった。
「お前はまず身なりを整えてこい。年頃の女性だろう」
その発言に、私は拍子抜けする。
いや、年頃の私の部屋に、男性の医者を入れている方がどうかと思うんですが。
私と同じことを思ったのか、おかしいと言わんばかりに医者の人が笑っていた。
「助手をつけたなんて言うから、変なものでも食べたと思っていたんだけど。相変わらず変わらないね君は」
「変わらないのはお前もだろう」
よく分からない2人の関係性に引き目で見つつ、私は階段を上がる。
身支度を終えた私がそろりと階段を降りると、まだその医者は椅子に座って談笑していた。
「今すごく忙しいんだよ分かる? 僕の言ってる意味ほんとに分かってる?」
「ああ。だがそれとこれとは別だ」
「全然分かってないよね?」
項垂れるお医者さんを気の毒に思いながら、私が静かにまた階段を上がろうとすると、トンッと鋭く机を叩く音が聞こえた。ゆっくりと1階を見ると、管理者さんがこちらを見上げて目を細めている。
「菫、お前はどこに行こうとしている?」
怖い。気配を消していたのに、気付かれるなんて。
「えっと、親睦の邪魔を助手がするのは、どうかと思いまして……?」
「俺のためにも早く来てくれ。こいつの相手は面倒なんだ」
「君がそれ言う?」
お医者さんに見えないところで、管理者さんが嫌そうな顔をしている。
見かねた私はしぶしぶ1階に降りることにした。
一応私のことを診てくれたお医者さんのために、ココアを入れて持ってくることにした。机に置くまでその人は、ずっとにこにこして私のことを見ている。
「あの、視線が痛いんてすが……」
「助手ちゃん、名前は?」
彼はそう言って、笑って首を傾げた。




