第8話 赤紐の蝶々結び
「何か言うことは?」
普段からあまり表情の変わらないこの人が、今は無表情すぎて怖い。
「ごめんなさい……」
「謝罪はいらない。この怪我は、こいつにやられたのか」
とんっと頬を軽く押され、私は怪我をしていたことを思い出す。
管理者さんは、靴底でその人を強く踏み付け、足元の人を指差していた。
踏み付けられたその人は、口から泡を吹いたまま呆気なく気絶している。
私は、すぐに頭を横に振っていた。
人差し指を静かに、ゆっくりと前へと示す。
管理者さんが振り向いた先には、いまだ倒れたままの人物が寝こけていた。
「……分かった。あの餓鬼を始末してくる」
そう言い、管理者さんが颯爽とそちらへ行きそうになったところで、私は止めていた。
「ちょっと待ってください! 怒らないであげてください!」
「はあ?」
「あの人も一応、被害者、ですよね? この人に従者にされていたって……」
「人を攫っている時点で加害者だろうが」
私が必死に管理者さんの足を掴み止めたところで、すごく嫌そうな顔をしたままやめてくれた。
この人、強くて尊敬できる人なのに。なんでこうなるんだろう。
「おい、起きろ。ここは寝床じゃないぞ」
管理者さんが、石畳で気を失っている彼の肩を軽く揺らす。
すると、何度か声をかけたところで、ゆっくりと瞼が開いた。
「あ、起きましたよ管理者さん」
「寝ぼけていないで起き上がったらどうだ。お前の姉がどうなったか、知りたくないのか」
その発言に、ついさっきまで気絶していたとは思えない俊敏な動きで彼は立ち上がる。警戒心剥き出しで、私たちに刃物を向けて構えていた。
ほとんどの敵意が、私に対してなのがおかしいと思うけど。
「敵意を向けずとも、姉は先に還った。お前は姉が成仏しないことに死後囚われ続け、還れなくなった者だろう。お前はこちらの保護対象になっている」
淡々と話す管理者さんに、彼は一語一句飲み込んだのか、持っていた刃物が手から抜け落ちていった。
どさりと、地面にしゃがみ込んだ彼の手は、小刻みに震えている。
私が手を差し伸べるようとすると、横にいた管理者さんに止められてしまった。
「……やっと、やっとだ。姉貴がやっと還ってくれたっ」
そのとき、管理者さんが一歩前へと踏み出し、彼の前へとしゃがみ込む。
「話はまだ終わっていない。お前は、姉とは別の場所へ還ることになる」
そう言うと同時に、彼の首元に、地面に落ちた刃物が当てがわれていた。
管理者さんの方へ、ゆっくりと見上げた彼の目は、徐々に恐怖へと染まっていく。
言葉を発しようと開いた口が、はくはくと、息を吐き出すばかりだった。
刃物の先が首に当たり、ぷつりと血が首筋を流れていく。
「本来であればお前の魂を消滅させるべきなんだが、助手の言うことに免じて、罰を軽くする」
その瞬間に、ビィッと血飛沫があがる。
私はその光景を見て足がすくみ、膝から地面に崩れ落ちた。管理者さんは躊躇うことなく、刃物に付いた血を弾き落とす。
ぐったりとして倒れた彼にはモヤがかかり始め、その場から跡形もなく消えていった。私はその様子を、じっと見ることしかできなかった。
管理者さんの目がこちらを向いたとき、私は両手を強く握りしめる。
怖くて、正直涙が出そうになったところを、私は我慢して耐えるしかない。
「あの餓鬼の処罰は俺の管轄内だ。もうあれ以上、痛い目を見ることはない」
目を向けられずにいた私の横を、管理者さんは通り過ぎる。
私が振り返ったときには、彼は壊れ落ちた銃を拾い、赤い紐を手にかけていた。
硬く結ばれていた蝶々結びが解かれていく。その解き方が、とても優しい手付きだった。
「……その赤い紐、大事なものなんですか?」
そう問いかけると、管理者さんは私を見て、それから赤い紐を持ってこちらへとやって来る。彼は私に左手首を出すように言うと、その赤い紐を私に付け始めた。
固く解けないように蝶々結びにして、管理者さんは私の問いに答えないまま、こちらの顔を覗くように見上げる。
少し長い前髪から見えた黒い瞳に、私は恥ずかしくなって一歩下がった。
管理者さんの目は、いつも心を覗かれているみたいだ。
「そろそろ帰るか」
管理者さんの差し出された手を見て、私は顔を上げる。
彼は最初から、ずっと私のことを見ていた。
その手を取ると、周囲の景色にモヤがかかり、管理者さんの姿だけが鮮明に浮かぶ。
だけど一瞬だけ、私は彼の背後に広がる光景を見た。
炎だった。燃えて、灰になって、何もかも消えていくような光景。
それは夢で見るようなものと似ていて、どこか現実味を帯びているように見えた。
だけど、目が覚めたときのように、見覚えのある室内に帰ってくるとその光景は消えていた。
戻ってきた場所は《ハザマの世界》で、助手として契約した場所。
「まずは手当てだな。こっちに来い」
管理者さんの手が離れ、こちらに背が向けられる。
それと同時に、全身の力が抜け、私の目に映った景色はぐらりと傾いた。
地面に倒れかける寸前で、私の身体は支えられる。
「おい、しっかりしろ!」
管理者さんの声がすぐそばで聞こえたのを最後に、私は暗転した。




