第5話 黒い影
暗い路地裏に、電灯の明かりが差し込んでいる。
私と管理者さんは、なぜか換気扇の轟音が鳴り響く場所に立っていた。
「着いたぞ」
その声にはっとして、思わず掴んでいた管理者さんの袖から手を離す。
ここは、京の都というには、どこか騒々しい場所だった。
人の話し声が、どこからともなく聞こえる。
裏戸口の開いた場所から突然大きな笑い声が聞こえ、私は場違いな場所へ来てしまったように思えた。
「その反応を見るに、想像とは違っていたか?」
驚いて管理者さんを見上げると、彼は《ハザマの世界》にいたときとは違って、黒い布を頭から被っていた。
闇に溶け込んでいるからか、綺麗な瞳が自然と目を惹かれる。
すると彼は私にも同じように、黒い布を私の頭の上から被せた。
「これを被っておけ。同業者に見つかると面倒事が増える」
「同業者がここにいるんですか?」
「ここは神社などの要所が多い。ということは、俺と同じように力を持つ者が多くいる。まあ、力を持っていたとしても弱いんだが、限って面倒な奴らの部下なんだ」
管理者さんと同じ、力を持つ人。
神社が多いことと関係があるというのは、どういう意味だろう。
私は先を歩き出した彼のあとを追った。もしかするとこの人は、相当凄い人なのかもしれない。
「あの、管理者さん。この布、被っていたら余計に目立つと思うんですが」
私の言葉を聞かずに、管理者さんは路地裏から抜け出してしまった。
彼の姿が人の波に溶け込み、すり抜ける。
輪郭が交わらないのか、接しているはずの部分がぼやけて見えた。
もしかして。
そう思った私は、路地裏から飛び出す。
行き交う人の波に飛び込んだ私の身体は、誰にも触れることはなく、視線が交わることもなかった。
不気味な感覚が、身体中を巡る。
誰も私を見ていないし、気にしてもいない。
無意識のうちに、身の毛がよだつような気がした。
「大丈夫か」
街頭の影に紛れた管理者さんが、こちらを見ていた。
どこか、雰囲気がいつもと違うようにも見える。
彼もまた他の人には見えていないのか、私たちの様子を気にとめるような人はいなかった。
「……しっかり俺についてくるように。あと、今回お前は、怪我をせずに《ハザマの世界》へ帰ることが目標だ。気を引き締めろ」
「は、はい!」
管理者さんはそう言うと、車通りの多い交差点を赤信号で突っ切って行った。
いくら身体がすり抜けるからと言って、そんなに堂々と歩く人がいるだろうか。それでも、彼は後ろにいる私の様子を気にかけている。
管理者さんの行動に習って、私もあとに続くように駆けた。
「あの、回収する依頼っていうのは、結構難しいんですか? その、タチの悪いっていうのも気になるんですが」
その背中に問いかけたとき、彼はその場で立ち止まった。
「あれを見れば分かる」
管理者さんが私を前へと促したので、私はその先を覗いてみた。
でも、その先に見えたものに、私は口をおさえた。
見ては、いけないものだった。
黒い影が、白装束を着た人に襲いかかっている。
襲われた人は逃げようともがいて、でもそれは軽い抵抗にしかならず、強い力で吸い込まれていった。
そして、黒い影がゆっくりと、こちらに狙いを定めるようにして向き直る。
酷い悪臭と、とてつもない殺気に、私の身体は何ひとつ動けなかった。
パンッ!
「……!」
弾けた音がして、目を開ける。
乾いた銃弾の音が、夜の闇を切り裂くように響き渡っていた。気付けばその黒い影は、私に手を伸ばしかけたまま、どろどろと溶けていくように消えていく。
隣にいた管理者さんが、赤い紐のついた銃を持ち、静かにその様子を見下ろしていた。
街灯に反射して、瞳が薄く赤を纏ったようにも見える。でも私の方へ向き直った彼は、いつもの透きとおった目をしていた。
「怪我はないか? 気分は?」
その声に、私はどこかで胸をなでおろしていた。
「あ、はい、私は……」
「そうか。まあ、弱い奴だったな」
弱い奴だったの!?
管理者さんは平然と言って銃を仕舞う。
それにしても、銃を扱えることも、それが黒い影を難なくやっつけてしまえるのも驚きがすぎる。
「管理者さんって、銃が使えるんですね?」
「言っておくが、これは生者用ではなく死者用だ。先程の奴は、まあ……死者の魂が悪い方へと変化したものだな」
消滅した黒い影のいた場所へ、私は目を向けていた。
そこは見渡せる限りでも、街灯のない暗い場所だった。どこか、以前よりも空気が良くなっている気がする。
「もっと強いのは、生者と変わらない姿見で襲ってくる。それが、タチの悪い奴だ」
無意識のうちに私の手先が震えている。
生者と、変わらない姿。
それはきっと、警戒も何もしていなかったら、知らずに襲われる可能性があるということだ。
管理者さんは伸びをしつつ、伸ばした腕をぐっと前へと振り下ろした。
「だから面倒だと言っただろう。消滅させる方が何倍も楽で良い」
彼はそう言って、川の流れる橋の上を歩いていく。
私はまた、颯爽と歩いていく彼のあとを追って、一歩を踏み出そうとしていた。
「……?」
気配を感じて、振り返る。
その先に見えたのは、誰もいない京の都の風景だった。




