第20話 またね、
「管理者さんが、術を?」
「彼は書庫の番人とも言われていたの。知策に富んでいらしてね、一度目の創世期の頃なんて数多くの実績を残されて、それはもう大層慕われていたのよ。当時の私もよく助けられていたわ。でも、今はその……」
そこで口をつぐんだ女性に対して私が顔を覗かせたところで、彼女は花がほころぶように笑った。
「気にしないで。昔話を本人がいない前でするのは、駄目ね」
女性は机に置かれたままだった本を、指先で軽く動かし、片付け始めていた。女性から話を逸らされたんだと、私でも分かった。
でも、何も言えなかった。助手の私が深入りして聞くものじゃないと思う。でも、聞きたいと思う気持ちが消えることもない。
女性のことを少しだけ見遣ってから、私は本棚にあった気になるタイトルの本を手に取っていた。黒色の表紙に金字で『一度目の創生期について』という本がある。分厚くて、私がすぐ読めるようなものじゃなかった。
「……あの、先ほどから”創世期”という言葉が、気になるのですが」
私がその本を女性に見せたところで、彼女は驚く。
「まあ、彼から聞いてないの? そうね、説明するとなると難しいけれど……創世期というのは、噛み砕いて言うと世界が新しく生まれ変わることを言うの。今は四度目の創世期なのよ」
「え、四度目なんですか。それって、同じことを繰り返していることじゃ」
「繰り返すというより……待って、誰か外にいるみたい」
突然、私の口は塞がれる。女性の肩から白銀の髪がするりと流れ落ちて、その毛先が私の頬に落ちていく。薄い唇がきゅっと閉じられていて、私も開きかけていた口を、反射的に閉じていた。
咄嗟の出来事に息を止める。そのとき、女性は少し顔を上げた。
「あら、この音は……」
入って来た扉の方へと目を向ける。私には物音ひとつ聞こえてこないのに、女性はじっと、扉の外へと耳を澄ませていた。それから誰かが扉の取っ手に手をかけたと思ったところで、それは静かに開かれる。
相手の視線が不意にこちらへと向けられたところで、その人は驚いたような表情を浮かべていた。その人は、転送されてから会えなかった管理者さんだった。
「まあ! やっぱり、貴方だったのね!」
女性はそう言って私の肩を抱き寄せ、嬉しそうな声を上げていた。途端にユリの優しい香りに包まれる。香水のような、それとも自然と溢れるこの女性からの香りだろうか。
いや、それより、私の首がぎちぎちと鳴り始めている。あの、首が軽く締まっているんですが。私が腕に手をかけたところで、女性は私の反応に気付くことなく、そのまま楽しそうに話し始めていた。
「ねえ、この子すっごく可愛いの。貴方の助手ちゃんでしょう? どこで知り合ったの? もっとお話ししたいから、借りちゃってもいいかしら? あ、でもそれだと貴方が1人になっちゃうわね。私の助手と交換っこする?」
顔を見上げた先にいた女性はにこやかだった。でも、管理者さんからすぐに答えは返ってこなかった。
「……無理な相談は、やめてくれないだろうか」
管理者さんからこぼれたのは、突き放すような冷たい声。
そのとき、私はいつの間にか女性と離れた位置に立っていた。隣にいたはずの女性が、驚いたように前にいる私を見て、口元に手を当てている。横を見ると、そこには管理者さんが立っていた。私の立ち位置が、気付く間もなく変わっている。
「俺は取引以外で、お前と話をすることはない」
管理者さんの声が、普段とはまるで違っていて鋭い。それ以上に、一切の感情を捨てた声にも聞こえる。女性は私を見てから、管理者さんへと静かに目を向けた。そこに浮かんでいた表情は、少し寂しそうだった。
「……そうね、ごめんなさい。気を悪くさせるつもりは、なかったの」
私は管理者さんの横顔を見上げていた。でも彼は私に目を向けることはなく、女性のことをじっと見ている。私の視線に気付いていないのだろうか。そっと視線を落とした先に、管理者さんの右手が剣の柄に添えられているのが見えた。そこで私は、あることに気付く。
もしかして、管理者さんはこの女性のこと、相当警戒しているんじゃないだろうか。
女性は姿勢を正して、髪を耳元に掛け直していた。
「……もう行くでしょう? ひとつ、言っておくべきことがあるの。聞いてくれる、かしら?」
女性が私に対して少し微笑みかけたので、私は咄嗟に、管理者さんの代わりに頷き返していた。
「私には時間がないの。だから貴方は、私の分まで、その子を大事にしてあげてね。えっと、私が言うまでもないと、思うのだけれど」
管理者さんはそんな女性に対して何も言うことはなく、踵を返してしまった。私は驚いて管理者さんへと振り返る。こんなにも人を拒絶するような感じの管理者さん、初めて見た。
何も言わない管理者さんのあとを私は追う。でも、最後に書庫に残された女性が気がかりで、私は振り返っていた。そこに見えたのは、優しく微笑む聖母のような笑顔。
「またね、可愛い助手ちゃん」
扉が閉じる間際まで、その女性は私に手を振っていた。その扉が閉まると、術が遡るようにして書き換えられ、錠が完全に閉まる音が響く。確認するように手を置いていた管理者さんが、そっと手を離したところで、彼は私に向き直っていた。
「大丈夫だったか。転送の際に、ひとりにしてしまっただろう」
その声に、私の胸の奥底はざわついていた。管理者さんの様子が、全然違う。その違いに小さな違和感を持った私は、そこから目を逸らしていた。
「私は、特に何もなかったですよ。先ほどの方が助けてくださったので」
「そうか」
管理者さんは私に背を向け、どこかへと向かって歩き始める。前から管理者さんの靴音が、規則正しくはっきり聞こえていた。書庫にいたときは全然聞こえなかったのに。
「あの、審判所ってどこに」
私が言葉を言い終える前に、管理者さんがカツンと靴音を大きく鳴らした。私の視界がガクンと下がる。歩いていた床が突然なくなったとき、私の身体はバランスを崩すように背中から倒れた。
「わあっ!?」
身体が、空いた黒い穴へ、吸い込まれるようにして落ちていく。目の前にいた管理者さんが、振り向きざまに私を見たような気がした。




