第15話 取り繕った仮面
ぞわりと、全身に冷たい空気が流れ込む。
管理者さんが手を抑えている部分から、とめどなく血が溢れ出ていた。それは地面を赤黒く染めるように広がっていく。彼の目が虚空を見つめていて、それを見た私は立ち尽くしてしまった。
観月さんはすぐに管理者さんのそばにしゃがみ込むと、彼の瞼をそっと閉じる。
「大丈夫。この人はこれぐらいのことで死なない。僕たちを守るために、力を使っただけだから」
「でも、管理者さんをどうすれば」
「落ち着いて、菫ちゃん。僕が医者だってこと忘れてない?」
観月さんは私を落ち着かせるように笑った。そして、また管理者さんに目を向けると、彼の額に手を当てた。そのとき、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。
管理者さんと観月さんの髪や服が、地面から風を受けたように揺れた。
「風の導きのもとに、在るべき場所へ戻れ」
観月さんがそう言葉を口にしたとき、管理者さんの傷がみるみるうちに治っていく。あっという間に流れ出ていた血が消えていくと、管理者さんが嘘のように、平然とした様子で目を開けていた。
「……お前たち、無事だったか」
開口一番、私たちを心配をする管理者さんの言葉を聞いて、胸が苦しくなる。
「っ、管理者さん!」
思わず駆け寄って、私は管理者さんの懐に飛び込んでいた。嬉しさのあまり、ぼろぼろと涙が溢れ出てくる。良かった。管理者さんが、ここで死んでしまうかと思った。
「……こんなに心配してくれる助手がいて、ほんとに良かったねえ?」
観月さんの声が頭越しに聞こえた。そこで、私は自分の行動に気付いてしまった。私は、飛び込んでしまった。管理者さんの、懐に。
怖くて、そろりと顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、管理者さんが私を支えたまま浮かべていたその表情。私は咄嗟に、恥ずかしくて彼から離れた。
管理者さんは固く口を結んで、赤くなりながら、私から目を逸らしていたのだ。
「ほんとにすみません! ごめんなさい!」
平謝りを繰り返す私に、立ち上がった管理者さんは咳き込みながら私の肩を軽く叩いていた。言わずとも言葉にせず叱られている。そんな私たちの間に観月さんが入ったことで、その場はおさまった。
「……それで? 君はなんで、そんなことになってたの。久しぶりに見たよ、君の死にかけの状態」
観月さんは相当疲れていた。治癒の力だろうか。観月さんの持つ力の話を聞きたいけど、管理者さんも、あの少しの間でそんなことになった理由が知りたい。
管理者さんは私たちの視線を受けて、手を差し出す。そこには薄く文字が書かれていた。なんだか、見るからに呪いのような文字だ。ただ、それは管理者さんのひと息でかき消えていった。
「店の戸を掴んだ際に異変に気付いたんだが、術をかけられたあとだった。色々と術を使って防いだんだが……結果、俺が今立っているのだから、問題ないだろう」
いや、問題だらけだと思いますが。その言葉に、重い息を吐き出したのは観月さんだった。
「君は平然と言うけどね。僕が近くにいなかったら、どうするつもりだったの」
観月さんは顔に出てないけど、結構怒っている。それもそうだ。観月さんの治療がなかったら、死にかけの状態から、管理者さんがこうやって戻ることはなかった。
管理者さんも、観月さんも、相当無理をしたに違いない。
「あの、どんな術を使ったんですか?」
管理者さんは自分の胸の辺りを指し示した。
「自分の命を賭ける術だ」
私と観月さんは顔を見合わせる。管理者さんは私たちを見て、それから静かに、思い出すように目を瞑った。
「賭けなければ死んでいた。四方八方に殺意が視えたからな。対処していなければ、見ていられない惨状だっただろう」
「そんな……」
「誰がやったかは、検討ついてるんだよね?」
観月さんがハッキリとした口調で聞いたのを受けて、管理者さんは頷き返す。そして、上空を指し示した。私が見上げた先には、あの黒門と呼ばれるものがある。その先は《死の世界》だ。
「誰がやったかは分かってる。ただ、関係のないお前たちを巻き添えにしようとしたのは、到底許されることではない。今から俺は、罠にハマった奴らを叩きのめしてくる」
管理者さんは淡々としていた。先程まで死にかけていたなんて、思えないほどに。
「はあ!? 君、自分が本調子に戻ってないのに、いつの間に罠なんて張ったの!?」
「お前が力を使ったときだが」
「嘘でしょ……」
管理者さんは服の裾を払い、手に黒い手袋をはめた。どうやら本気で言っているみたいだ。ただ、観月さんが管理者さんの手を止めた。
「……医者として止めるよ。この際ハッキリ言うけど、君はいつも取り繕うのがうまい。だけど、今の君には心から心配してくれる助手の菫ちゃんがいるんだよ。君だって、分かってるよね」
観月さんの手が、強く管理者さんの手を掴んでいるのが見えた。管理者さんが、後ろにいた私に視線を向ける。ただ、それは少しだけ向けられて、すぐに逸らされてしまった。
「観月の言うことは理解している。ただ、俺には管理者という役がある。……役から逃げることは許されない。それに、役を託されてから守ってきたものを、手放すつもりもない」
管理者さんが観月さんの手をそっと引き剥がすと、そのまま1人、その場へ向かうようだった。大事なときに、目を逸らされたことなんて、今までないのに。
私は咄嗟に管理者さんへと人差し指を向けていた。隣にいた観月さんが、驚いたように私を見たのが分かった。私は貴方の、取り繕った内側を知る術を、知っている。
「貴方の全てを、その場で示してください!」
ぱちんっと大きな音が鳴った。管理者さんの周りに、赤い花弁が弾かれるようにして舞う。舞った花弁はふわふわしていて、今にも弾けそうだった。以前、教えてもらったことがある。
ーーー無理をするのは禁物ということでもある。
驚いて振り返る管理者さんの目と、私の目がかち合った。
「私も連れて行ってください」
「菫、」
「“在るべき場所へ還れ”。私が心を込めてそう言えば《死の世界》の人たちは帰ってくれますよね?」
全て管理者さんが教えてくれたこと。それを今、私が実践しただけ。管理者さんは瞬きを数度繰り返した。そして、管理者さんは私の前まで戻ってくる。
また怒られると思った私は、視線を地面へと向けたが、それでも管理者さんは何も言わなかった。
「……管理者さん?」
顔を上げた私に対して、管理者さんは私をじっと見たあと、隣にいる観月さんへ視線を向けた。
「観月、お前も来い」
「え、僕も!?」
「菫を連れて行く。もしものとき、お前がいなかったらどうする」
「……まあ、それもそうだよね」
私の知らないところで話が進み、2人は黒布を被り始める。観月さんから手渡されたそれを私が急いで着たところで、管理者さんがある物を取り出した。
「……!」
剣だ。夢で見たものと全く同じ。今は黒い鞘に入ってるけど、たぶん抜いたらそこに、鋭利な刀身が見えるはず。地面から風が吹き荒れ始め、ふらつきそうになったところを、管理者さんと観月さんが支えてくれた。
「菫ちゃん。この人、結構喜んでるから」
「え」
咄嗟に隣を見たとき、観月さんはニコニコしていた。
「観月。余計な口を叩くなら移動中に落とすぞ」
「それは勘弁して」
言葉を交わす間にふわりと身体が浮き、それは停止するように止まった。私たちに、黒くて大きな影が差し込む。ふと顔を上げた先に、あの黒門が、目の前に立ちはだかっていた。




