第14話 思い出ばなし
私は踏み込んだ問いをしたらしい。ほんの少し間が空いて、気付いたときには観月さんから参りましたと言いたげな苦笑がこぼれ落ちていた。
「実は名前を知ってはいるんだけど、他の奴には絶対言うなって、釘を刺されているんだよ」
「悪用とか、そういうことがあったりするんですか?」
「あるにはあるみたいだよ。名前を使って呪い殺されそうになったって言ってたから」
観月さんが躊躇うことなく言う内容が、あまりに過激すぎた。名前を知られただけで呪い殺されそうになるって、どういう状況なのか。
ぞっとする私のことをつゆ知らず、観月さんが両手をぱちんと合わせ、思い出したようにあっと声をあげる。彼は面白おかしいと言った様子で、思い出し笑いを始めてしまった。
「あ、そうそう。ちょうどそのときね、近くに僕がいたんだよ。急に建物が揺れ出して、目の前にいたあの人が立ち上がってさ。すぐに罵詈雑言で呪い返し始めちゃって。あれは笑ったなあ」
いや、笑ってる場合じゃないでしょ!?
「待ってください。管理者さんって、声を荒げて怒るイメージがつかないんですが」
「呪い殺されそうになったら、誰でも怒るものじゃない? でも、あの呪い返しの言葉の数と言ったら、人前で聞かせられるものじゃあなかったね」
脳内で再生される2人の絵面が、簡単に想像できてしまう。突然立ち上がって怒り始める管理者さんと、ゲラゲラと屈託なく笑う観月さん。
あまりにも、チグハグな関係すぎやしないだろうか。でも、こういう話を聞けたのは、たぶん観月さんと話ができたおかげでもある。
ここに連れて来られたときは逃げた方が良いと思ったけど、今になっては観月さんの優しさが伝わってくる。だから、そう思うほど、私がなぜ2人のなかに入れたのかが分からない。
助手にしてくれたのは、あの管理者さんの優しさでもあるから。
「管理者さんって、本当に凄い人なんですね。なんで私が助手になれたのか、余計に分からなくなっちゃいます。《ハザマの世界》の住人でもないのに」
机の下で親指をぎゅっと握りしめる。ついこぼしてしまったのは、私の弱い部分だ。でも、観月さんは私の言うことに、何ひとつ嫌な顔をせずに微笑んでいた。
「それは、菫ちゃんがあの人の心を動かしたからだよ」
すんなりと返された言葉に、私はなんて言えば良いか分からず、観月さんを見つめたままだった。でも彼の表情は私に向けられているようでいて、別の誰かを見ているようでもあった。
観月さんはあまり、私に対しても、長年そばにいるであろう管理者さんに対しても、あまり本音が見えてこない。ときどき、観月さんが何かを思い浮かべるような、そんな表情をしている気がする。
それは、この世界に来たばかりの私が、まだ踏み込んではいけない部分だと思うけど。
「あの人は、今僕たちがいるこの《ハザマの世界》を管理してる人だよ。前までは助手をつけるような人じゃなかったからね。でもそんなときに、菫ちゃんが現れた」
観月さんはそう言って、手を伸ばして私の両手を掬い上げる。その手はとても温かくて、包み込むようにして私の手をぎゅっと握った。
「もっと自信を持って良いと思うよ。これから僕と菫ちゃんは仲間だし、何かあれば相談くらいは聞くから。僕は生前、精神科医だったんだ。聞くことに関してはプロだよ」
その言葉を聞いて、私たちのいる空間に無言の空気が流れた。観月さんは堂々と言いのけたが、私は咄嗟に手を離す。観月さんの、拍子抜けた声がこぼれる。
それは、全然安心して良い理由になっていないからだ。
「治療できないじゃないですか! なんで私が倒れたとき、部屋にいたんですか!?」
そう、私は詰め寄るしかない。初めて対面したのは、私がベッドで横になっているときだ。心のケアはできるかもしれない。話を聞くという治療なら。でも、寝ている私にできるはずがない。
なんのために部屋に入る必要があったのか。
「今それ言う!? 頼まれたんだよあの人に!」
観月さんは焦ったように、私にまた弁明を始めていた。
「僕は力を持ってないから。正直、あの人が強すぎて怖いんだよ。菫ちゃんもあの人に似てるから助手になれたんだよね? 黒い影のこともだけど、君は肝が常人より良い意味で据わってるから!」
「さすが助手なだけあるって、あのとき、そういう意味で言ったんですか!?」
「そうだけど!?」
そのとき、とてつもない勢いで襖が開け放たれた。
お婆さんの宥めるような声がかすかに聞こえる。だけど、その人はずかずかと土足で入ってきて、私は言いかけていた言葉を完全に飲み込んだ。観月さんの顔色も、徐々に悪くなっていく。
私たちの前に立ったのは、管理者さんだった。
「観月、遺言は?」
開口一番に発して良い言葉じゃない。観月さんは立ち上がって、なだめるように管理者さんのやろうとすることを抑え込んでいた。
「待って、誤解だから。黒い影に狙われて、黒門に引き込まれそうだったんだ。それから君の説明不足を補うために、菫ちゃんをここに連れてきた」
「密室で話す必要はあったか?」
「あった! この世界の大事な話だから! これは君の説明不足が引き起こしたことだよね? 菫ちゃんが怖い思いをしたんだからね?」
私よりも観月さんの方が怖がっていたと思うけど、ここは黙って様子を見る。そして、不意に管理者さんが私を見下ろしたとき、私は息の根を掴まれたように声が出なくなった。
それは、目を向けられた途端だった。身体が接着剤で塗り固められたように、動かなくなったのだ。初めてだった。管理者さんが何も言葉を口にすることなく、私に術をかけたのは。
「菫は危機管理を怠っていたようだが。何か言いたいことはあるか」
いざ術を向けられると、とてつもなく怖い。でも、心配をかけてしまったのは十分伝わってくる。申し訳なさと、自分のままならない行動に反省するしかなかった。
「……すみません。これからは、気を付けます。でも、観月さんは何も悪くなくて」
観月さんは嬉しそうに顔を綻ばせ、私を見ていた。その様子を管理者さんが見て、しかめ面をしていたのは私しか知らない。
「言いたいことは分かったが、観月はあとでじっくり話を聞く」
「ええ!?」
「もうすぐ夜が明ける時間帯だ。早く帰るぞ」
管理者さんが早々にこの場をあとにしたいようなので、私たちもお開きすることになった。だが、襖から覗いていたお婆さんに、管理者さんは鼻をつままれたように立ち止まる。
なんだか、あまり見たことがない反応だった。
「あんた兄ちゃんかえ? まあ! 大きなってえ!」
そのとき、後ろで観月さんが盛大に吹き出した。
私は開きかけた口元を、咄嗟に手で隠す。お婆さんが身軽な様子で和室に上がったかと思いきや、管理者さんの背中や腕を叩き始めていた。
「がっしりしたとちゃう? 元気してんのか?」
管理者さんは叩かれるがままだった。手で払いのけることもなく、顔を抑えてじっと固まっている。どうやら管理者さんは、このお婆さんにされるがままになるほど、弱いらしかった。
「すまないが、急いでいる。あと、俺はお前の孫になった覚えはない。何千回と言っているはずだ」
「何言ってんのあんたはあ! 顔も全然見せにこんでえ!」
急にお婆さんが怒り始めたので、管理者さんは部屋から出ようにも出られるはずがなかった。
「菫ちゃん。あのお婆さんのお孫さん、あの人とすごく似てるんだってさ」
腹を抱え、声を押し殺しながら笑う観月さんが説明してくれた。だからか。どうりで、早々に部屋を出たそうにしていたわけだ。
「……分かった。十分言いたいことは分かった。これをやるから、落ち着いてくれ」
私と観月さんが後ろから覗いていたところで、管理者さんの手元にピンクのカーネーションが現れる。まさに手品のように出てきたそれは、摘みたてのようにみずみずしくて綺麗だった。
それをお婆さんが受け取って見入っているところで、管理者さんが私たちの方へと振り返る。口パクで、今のうちに帰るぞとジェスチャーされた。
早々に出ていく管理者さんに、私と観月さんは顔を見合わせて笑ってしまう。人違いでも、心配してもらったら無下にしないところが、管理者さんの優しさなんだろう。そう温かい気持ちになりながら暖簾をくぐり、店を出たところだった。
「え……」
視線を向けたその光景に、咄嗟に立ち止まる。
ほんの一瞬の、出来事だった。
出た先に管理者さんが見当たらないと思って、不意に気配を感じて見てみたら。
「菫ちゃん、急に立ち止まってどうし……」
観月さんの言葉も途切れる。店を出た、そのすぐそば。先に出ていたはずの管理者さんは、店の壁にもたれ、血濡れた状態で座り込んでいた。




