第12話 朱色のリボン
溢れんばかりの人が通りを歩き、街は活気に満ちていた。周囲を見渡すと、仲の良い者同士が軒先でご飯を食べ、談笑している。先程までの静寂が嘘のように、この場所は賑やかだった。
「可愛らしいそこの方。もしかして貴方、ここに来るのは初めて?」
突然声をかけられて顔を上げると、背の高い黒髪の女性が立っていた。黒のロングドレスを着ていて、お化粧をした綺麗な人だ。赤い口紅が目を惹かれて、思わず見つめてしまった。
「私が案内して差し上げましょう。おひとりでは心細いでしょう?」
弧を描いたような笑顔に、思わず後ずさる。あまり良くなさそうな人だ。ここに来た途端、捕まってしまったかもしれない。
「私、お使いを頼まれていて。地図もあるので大丈夫ですよ」
「まあ、いやねえ。お手伝いしてあげるって言ってるじゃない。そんなにすぐ断らなくても……」
女性が私の方へ手を伸ばしかけたとき、ばちんと弾けた音が響いた。まるで電流が走ったような音と同時に、女性は手を抑えてうずくまる。
私が慌てて声を掛けようとしたところで、女性から睨み返されてしまった。今までの態度が嘘だったように、その目は怒りと焦りの混じった色が映っている。
「あんた、連れがいるなら早く言いなさいよ! 私に恥をかかせるつもりだったの!?」
「え」
「私ったら運の悪いこと。道案内して、金を巻き上げて喰ってやろうと思ったのに」
その女性は言いたいことを私にぶつけ、人混みのなかへと消えてしまった。まず、私にはそもそも連れなんていない。背後を咄嗟に振り返ったが、誰かがいるはずもなかった。
連れとか怖いことを言われて気になるけど、まずは頼まれたことを達成しないと時間がない。
「……気にしたら、駄目だよね」
胸元のポケットに入れていたメモを取り出す。書かれていたのは、ごく簡単なもの。まず書店に行き、取り寄せていた本を受け取りに行く必要がある。
文字をじっくり追っていった先に、私は受取人の名前が、自分の指で隠れていることに気付いた。
(もしかして、ここに管理者さんの名前が書かれていたりして)
私はここに来てから、管理者さんの名前を教えてもらったことがない。というより、名前を明かさないようにされている気もする。
だから私は、ゆっくりと、紙から指を離していく。
無意識のうちに薄目で遠くから見ていた私は、それを見てあんぐりと口を開けてしまった。そこに記されていたのは、なぜか観月さんの名前だったのだ。
(なんでここに観月さんの名前があるの!?)
もしや、私が助手になる前までは、観月さんが頼まれごとを全部引き受けていたりして。結構あり得る。管理者さんは面倒なことは極力避ける人だ。
やろうと思えば仕事は早い人なのに。
―――アイツの方がもっと上手いことするぞ。
管理者さんの言葉を思い出すと、怒りたくなくてもイライラが蓄積されていく。私は人で溢れた街を横断していった。石畳は雪解け水で濡れていて、足先から冷えていく。
立ち並ぶ店の看板を1つずつ目で追いながら、私は目的の書店を見つけた。雪が薄く積もった階段を上がったところで、入り口に誰かが立っている。
その人は、茶色のコートに両手を突っ込んだまま、白い息を吐き出していた。そして、こちらを見てぱっと笑顔を浮かべる。
「あ、来たね。待っていたよ」
「観月さん!?」
書店の入り口に立っていたのは、あろうことか観月さんだった。彼は先程とは違って白衣を着ておらず、代わりに大量の紙袋を手に持っている。観月さんはそれを私に掲げ、にこっと嬉しそうに笑ってみせた。
「これ君の服ね。もう片方はあの人に頼まれたもの。今は持っておくから」
「あ、あの。観月さんはいつ、お買い物を頼まれて……」
「建物から出る直前に。あの人はいつも人使い荒いから」
どうやら私が行こうとしていた場所を、全て観月さんが先回りして済ませてくれたらしい。彼がなぜそこまでのことをやっているのか分からないが、ひとまず私が迷子になる心配はなさそうだ。
「観月さんって、専属の医者だとおっしゃってましたけど、助手ではないんですか?」
管理者さんと付き合いが長く見えて、関係は良好。助手だったら私よりも仕事ができる気がする。すると観月さんは苦笑混じりに笑った。
「助手なんて無理だよ。僕の専門は治すことだから」
そう言って観月さんは階段を下りて行くと、私の方へと手を差し出す。エスコートに慣れていそうな自然さだった。
「実はもう1つ、頼まれていることがあるんだ。ついて来てくれる?」
「え、どこに行くんですか?」
「内緒。でも、これは菫ちゃんがいないと駄目だから」
私の手を取ると、観月さんはゆっくりと階段を降りていく。彼の迷いのない背中について行きながら、私は見慣れない街並みを眺め始めていた。
どこに行っても人がいて、《生の世界》と変わらずに、ここで普通に人が生活している。以前、京の都へ行ったときと違って、飲食店の呼び込みなどでも私の存在を認識してる人が多かった。
《ハザマの世界》の住人と《生の世界》の住人の違いは、たぶん人の生死に関わっているかもしれない。
そのとき、どこからか重量感のある低い鐘の音が、遠くから聞こえてきた。
その音は途切れることなく響き、その反響で地面や建物が揺れている。でも私だけが驚いていて、この場所にいる人たちは特に気にする素振りも見せなかった。
そのとき、通りすがりの小さな子供が、頭上高くを指差す。
私もその指先につられて顔を上げた。雲のなかに見えたのは、月明りに照らされた黒い門だ。鉄製のような重厚感のある門は、雲のなかに浮かんでいて、鐘の音とともに開き始めている。
だけどその音は段々と、歪な音に変わっていった。恐怖だろうか。身体の底から、嫌な感覚が這い上がってくる。
私は思わず立ち止まってしまった。目が離せない光景に吸い込まれそうになったところで、誰かの手によってそれは隠される。門から目を離すと、観月さんが立ち止まり、私を見ていたことに気付いた。
「あんまり見過ぎたら駄目だよ、菫ちゃん。連れてかれるから」
酷く静かな声だった。観月さんの目は、嘘を言っているようには見えない。今も上空で鐘の音が鳴り響いている。
観月さんは私の手を強く掴み、何かを願うように私の手を両手で掴んでいた。だけど鐘の音が鳴り止んだと同時に、観月さんはゆっくりと目を開ける。私から手を離した観月さんは、なぜか私を見て安堵したように笑った。
「良かった。菫ちゃんが無事で」
その安心した声とともに、街中に悲鳴が響き渡る。咄嗟に振り返った先には、先ほど上空を指差していた子供の母親が、その場で膝から崩れ落ちていた。
何が起こったのかは分からない。よく見ると、その子供が固く目を閉じたまま倒れているのが見えた。私はすぐに観月さんを見た。彼は何事もなく、私を心配そうに見つめ続けている。
(今の、もしかして)
私が無事で、あの子供が無事でなかった原因は。
「観月さん、もしかして今……私の身代わりに、あの子のこと使いました?」
私は観月さんから無意識のうちに手を離していた。すると、目の前にいた彼は悪意のない微笑みを浮かべている。それが今は、とても恐ろしかった。
「さすが、助手ちゃんなだけあるね」
観月さんはぱちんっと両手を合わせる。
「僕は今から君に、あの人の代わりに大事なことを話さないといけない。今起きたこともね」
観月さんの持っていたものは途端に消えてなくなり、代わりに彼の手には見覚えのある色違いのリボンがあった。管理者さんの瞳を彷彿とさせその色は、血濡れたような朱色の赤だった。




