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『迷宮は壊すものじゃなかった』 ― 生還率一〇〇%の探索者が世界を変えるまで ―  作者: 低層在住
生還だけが才能だった

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9/9

撤退を真似ても、安全は真似できない

迷宮前が、少し騒がしくなっていた。


露店の呼び声が重なり、同じような札を下げたパーティがいくつも集まっている。

低層専門。

撤退重視。

見覚えのある言葉だが、並び方が軽い。


俺は少し離れた位置で、ランタンの芯を整えていた。今日は同行を受けていない。エルネも、リュシアもいない。様子を見るだけの日だ。


「お、見ろよ。あれも“低層専門”だってさ」

「最近流行りだな」


声の先に、三人組のパーティがいた。装備は新しい。札に書かれた撤退基準を、声に出して確認している。


「二体以上で撤退、な」

「視界不良で撤退」

「魔力七割で撤退」


復唱は揃っている。だが、足が止まらない。


(基準を覚えただけ、か)


俺は何も言わない。言う立場でもない。仕組みは、守る人間が守って初めて意味を持つ。



第三層の入口付近で、遠くから様子を見ていた。


酸の滴る通路。床の湿り。音の重なり。

条件は、悪くない。だが、良くもない。


「まだ基準内だろ」

先頭の男が言う。


「二体じゃないし」

「音も見える範囲だ」


彼らは進む。杭の位置を見ているが、その先を見ていない。


低い唸りが響いた。鼠犬。奥でもう一つ、音が重なる。


「……二体だ。行ける」

「まだ、行ける」


基準は守っている。だが、判断が遅い。


俺は視線を逸らした。助けに入らない。入れない。

撤退は、他人に代行できる判断じゃない。


角を曲がった先で、短い悲鳴が上がった。


「うわっ――!」


すぐに収まる。矢の音。剣の音。慌ただしい足音。

そして、撤退の声。


「戻る! 戻るぞ!」


遅い。だが、間に合った。


三人は地上に戻ってきた。鎧に傷。軽い出血。命に別状はない。

顔色は悪い。


「……くそ」

「基準、守ってたのに」

「なんでだよ」


誰も答えない。俺も答えない。



酒場の前で、噂が立つ。


「低層で、事故未遂」

「撤退したけど、怪我人出たらしい」

「“低層専門”名乗ってたって」


言葉だけが先に歩いて、意味が追いついていない。


ギルドの掲示板の前で、職員が紙を貼り替えていた。

さっきまでの【撤退基準(暫定)】の下に、小さく追記がある。


【補足】

※基準は“目安”。状況判断を省略しないこと。


それを見た探索者が、首を傾げる。


「同じ言葉なのにさ」

隣の男が言った。

「……あの人たちの“撤退”とは、違うよな」


誰の名前も出ない。だが、違いは伝わっている。



夕方、迷宮前は少し静かになった。


俺は道具を片付け、帰り支度をする。

今日は入らなかった。だが、無駄でもない。


撤退基準は、魔法の呪文じゃない。

唱えれば守ってくれるものじゃない。


迷う前に止まること。

止まるために、先を見ること。


それが抜け落ちれば、同じ言葉でも意味は変わる。


掲示板の前を通り過ぎると、さっきの三人組が立っていた。

一人が、紙をじっと見ている。


「……“目安”か」

「俺たち、数字しか見てなかったな」


誰も責めない。誰も褒めない。

それでいい。


低層専門は、真似できる。

だが、安全は積み重ねないと、真似できない。


俺は外に出た。

迷宮の風が、今日も冷たい。


明日は、誰かが正しく止まるかもしれない。

そのために、仕組みは置いていく。


次に動くのは、制度だ。

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