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『迷宮は壊すものじゃなかった』 ― 生還率一〇〇%の探索者が世界を変えるまで ―  作者: 低層在住
生還だけが才能だった

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5/10

役に立たない才能なんて、迷宮にはない

酒場の昼は、夜より厄介だ。


笑い声がうるさいわけじゃない。むしろ逆で、酔いきれない人間の声が、妙に生々しく耳に残る。宿代の愚痴、素材の相場、昨日死んだ奴の話、湿った空気に混じって漂うのは、生活の匂いだ。


俺はカウンター端で水を飲んでいた。ジョッキを傾けるより、喉を冷やしたほうが頭が回る。リュシアは少し離れた席で剣の手入れをしている。刃に布を滑らせる所作が、慣れている人間のそれだ。


「おい、回収!」


背後から、バルの声が飛ぶ。振り返ると、あいつはもう半分笑っていた。


「今日の噂、知ってるか? 低層で“事故を減らす奴”がいるってよ」

「俺じゃないです。杭が増えただけです」

「はは。じゃあ誰だよ。杭が勝手に増えるのか?」


笑いが起きる。俺は肩をすくめて水を飲む。


噂は、勝手に育つ。俺が欲しいのは噂じゃない。明日の撤退ルートだ。


そう思った瞬間、酒場の奥で、声が割れた。


「……私が悪いって言うんですか!」


女の声。高いけれど、張り上げるには疲れが混じっている。空気が一瞬だけ止まり、すぐに薄い笑いが乗った。


「だってよ、詠唱が遅ぇんだよ」

「魔力だけ多くても意味ねえだろ」

「足引っ張るくらいなら、最初から入るなよ」


野次が、軽い。軽いから、重い。


俺は音の方向を見た。ローブ姿の女が、酒も飲まずに座っていた。肩が小さく震えている。長い髪が少し乱れて、指先はカップの縁を白くなるほど握っていた。


「……私だって、わかってる……! でも……!」


相手は男二人。探索者の服。泥の染み。酒場でよく見る顔だ。怒鳴っているのは正しさのためじゃない。弱いものを落として、安心したいだけだ。


「置いていかれたんだろ? なら諦めろよ」

「迷宮は優しくない。才能ない奴は死ぬ。それだけだ」


その言葉に、ローブの女の目が泳いだ。怒りでも悲しみでもなく、恐怖だ。


(……死ぬって言った)


俺はいつの間にか立っていた。


バルが「お?」と目を細める。リュシアも手を止めた。彼女は俺の背中を見て、何かを察したようだった。


俺は酒場の奥へ歩いた。床が少し粘つく。足音がやけに大きく聞こえる。


「……すみません」


俺が言うと、男二人が振り返った。


「なんだ? 回収の噂のやつか?」

「お前が口出す話じゃねえ」


彼らの目は、からかいと軽蔑の中間だった。俺はローブの女を見る。泣いてはいない。ただ、息の仕方が浅い。


「あなた、迷宮に入るつもりですか」

「……入らなきゃ、生活できない」


答えは、すぐ出た。声がかすれているのは、喉じゃなく心の方だ。


俺は男たちに向き直った。


「この人、今日あなたたちの代わりに死ぬ予定なんですか」

「は?」


男が眉をひそめる。俺は言葉を続けた。


「才能がないなら死ぬ、って言いました。……死ぬの、あなたたちじゃなくてこの人ですよね」

「当たり前だろ。足手まといなんだから」


その「当たり前」が、この街のルールだ。だからこそ、変えられる余地がある。


俺はローブの女に視線を戻した。


「名前は?」

「……エルネ」


息を吸う音が小さく震えた。


「エルネ。低層なら、死なないやり方があります」

「……そんなの、あるわけ……」

「あります。戦わない。無理しない。戻れる範囲だけ。撤退を基準にする」


男たちが笑った。


「何それ。迷宮に入る意味ねえじゃん」

「帰るために入るんだよ」


俺は即答した。自分でも驚くほど、迷いがなかった。


「迷宮は金を取れる場所です。でも、死んだら、金も何もない。まず戻る。次に稼ぐ。順番が逆だと死ぬ」


エルネは俺を見ていた。目の奥に、まだ疑いがある。でも、縋る場所を探している目だ。


「……私、役に立たないって言われました」

「言われたんですか」

「うん。詠唱が遅い。判断が遅い。魔法が当たらない。……迷宮では、向いてないって」


男たちが「ほらな」と肩をすくめる。俺は、彼らを無視した。


「詠唱が遅いなら、詠唱する時間を作ればいい」

「……そんなの」

「作れます。距離と罠と撤退で」


エルネの指が、カップの縁から少しだけ離れた。呼吸がわずかに深くなる。


「……本当に、教えてくれる?」

「条件があります」

「……条件?」


俺は一息置いた。


「俺の指示で止まれること。撤退と言ったら、疑わずに戻ること。……それができないなら、俺はあなたを連れて行けません」

「……わかりました」


返事は小さかったが、迷いが少なかった。


その時、リュシアが近づいてきて、男二人を一瞥した。


「まだ何か言うなら、剣で“黙らせる”」

「……冗談だろ」

「冗談に聞こえるなら、目が悪い」


男たちは舌打ちして去っていった。酒場の空気が、少しだけ元に戻る。


バルが遠くで笑っている。


「回収係、今度は魔術師拾ったぞ!」


俺はため息をつき、エルネに言った。


「今日は迷宮の入口だけ見ます。入るのは明日でもいい」

「……今日、行きたい」


エルネはそう言った。視線が、逃げていない。


「見せてください。……死なないやり方」


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