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『迷宮は壊すものじゃなかった』 ― 生還率一〇〇%の探索者が世界を変えるまで ―  作者: 低層在住
生還だけが才能だった

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2/13

低層回収は、戦わないほうが忙しい

酒場の天井は、朝でも低かった。


昨夜の煙と酒の匂いがまだ残り、床は粘つく。カウンターでは、眠そうな顔のマスターが樽を拭いていた。俺はジョッキではなく、水を頼む。頭が重いのは酒のせいじゃない、迷宮の緊張が、まだ抜けていない。


「生きて帰った新人は珍しい」


昨日のバルが、椅子を引いて向かいに座った。隣にはジグ。二人とも鎧を脱いで、包帯を新しく巻いている。


「今日も行くんだろ?」

「……はい。低層の回収を」


言い切ると、バルが眉を上げた。


「回収、ね。戦わない仕事だと思ってる奴ほど、死ぬ」


わかっている。だから、俺は頷く。


探索者ギルドの倉庫で、貸与品を受け取った。昨日と同じ、ナイフ、ロープ、麻袋、ランタン。加えて、薄い皮手袋と、木製の杭が数本。


受付の女、名前はまだ知らないが、台帳を叩いた。


「今日は第三層まで。回収対象は、落とし物、破損装備、魔物の残滓。持ち帰れない大物は位置だけ記録。無理はしないこと」

「はい」


その「はい」に、彼女は一瞬だけ目を止めた。値踏みではなく、確認。俺は背筋を伸ばす。


迷宮の入口は、昨日より静かだった。朝は探索者が分散するらしい。ランタンに火を灯し、俺は足元から視線を外さない。床の継ぎ目、壁の欠け、湿り方の違い一つ一つを、頭の中にメモする。


(忙しいな、これ)


第三層へ降りる階段の手前で、昨日の罠の通路に差し掛かった。矢は回収され、穴は塞がれている。だが、石の沈み具合は変わらない。


俺は杭を一本取り、石畳の端に軽く打ち込んだ。目印だ。通る人間にわかるよう、だが邪魔にならない位置。


「……ああ、そういうの、助かる」


声に振り返ると、別のパーティが通り過ぎるところだった。女の魔術師が、俺の杭を見て親指を立てる。


(情報は、命だ)


第三層は、空気が重い。湿った土と、古い鉄の匂い。通路の脇に、割れた盾が落ちていた。持ち上げると、内側に乾いた血。修理は無理だが、金具は使える。


麻袋に入れ、壁にチョークで小さく印をつける。回収済み。


奥で、かすかな呻き声がした。


(……人?)


近づくと、崩れた石の陰に、女が座り込んでいた。革の鎧は裂け、左腕を押さえている。剣は握っているが、力が入っていない。


「……近づくな」


低い声。だが、刃先は震えていた。


「戦いません。回収係です」

「……信じられるか」


正論だ。俺はゆっくり、両手を見せた。


「怪我の程度を見せてください。出血が止まらないなら、ここは危険です」

「……ヒールは?」


首を振る。


「持ってない。でも、圧迫はできます」


一瞬の沈黙の後、女は腕を少しだけ緩めた。傷は深くないが、裂け目が大きい。俺は布を裂き、手袋越しに圧迫する。


「……痛む」

「我慢してください。ここで倒れるより、戻るほうがいい」


彼女は俺を睨んだ。が、やがて視線を逸らした。


「……名前は?」

「カナタ。あなたは?」

「リュシア」


剣士だ。腕の筋と、足の踏ん張り方でわかる。だが、疲労が限界に近い。


「単独?」

「……元のパーティに、置いていかれた」


理由は聞かない。聞く必要がない。


「撤退します。罠はこの先にあります。壁際を通ってください」


俺は彼女を先に行かせ、後ろで周囲を確認した。足音。小さい。鼠犬だ。数は二。


(戦わない)


罠の位置まで下がり、杭の印を指で示す。リュシアが気づき、理解した顔で頷く。


俺は石を投げた。鳴き声。突進。罠。矢。短い悲鳴。


彼女は剣を抜いたが、出番はなかった。


「……今の、狙った?」

「……はい」


出口が見えたとき、彼女は小さく息を吐いた。


「助けた理由は?」

「死なせたくなかった。それだけです」


地上の光が眩しい。ギルドに戻ると、受付の女がリュシアを見て眉をひそめた。


「回収係が、剣士を連れて帰還?」

「撤退です。罠の位置、記録しました」


台帳に書き込む。彼女は一瞬だけ口角を上げた。


「……評価、上げとく」


医務室で、リュシアは手当てを受けた。俺は回収品を提出し、受領印をもらう。金は少ない。だが、胸の奥が軽い。


廊下で、リュシアが呼び止めた。


「……次も、回収に行くのか」

「はい。低層だけ」

「……一緒に行け。戦闘は私がやる。撤退は、お前が決めろ」


条件は合理的だった。


「……わかりました」


酒場で、バルが笑った。


「新人、もう女連れてるのか」

「違います。仕事です」


周囲がどっと沸く。俺はため息をついた。


(違う。これは、仕事だ)


だが、生きて帰るための仕事は、思ったより、人と縁を結ぶらしい。


迷宮の風が、今日も街へ吹き出していた。

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