判断には、影が落ちる
低層受付に、珍しく列ができていた。
騒ぎではない。怒号もない。
ただ、声が低く、言葉が短い。
その種類の列は、だいたい厄介だ。
「……今日は、入れなかった」
「撤退が早すぎる」
「安全なのは分かる。でも」
職員が一人ずつ話を聞き、紙に書き留めている。
誰もルール違反はしていない。
誰も無理を言っていない。
それでも、空気は重かった。
受付の女が、こちらを見る。
「少し、時間いい?」
「はい」
“謝ってほしい”目ではない。
“聞いてほしい”目だ。
奥の机で、紙を広げる。
「苦情、というほどじゃないわ」
彼女は言った。
「でも、不満は溜まる」
「内容は?」
「撤退で素材が取れない日が増えた。
稼ぎが減った。借りを返せない、って」
俺は頷いた。
「……事実ですね」
「ええ。正しい運用の結果よ」
“正しい”。
その言葉が、今日は少しだけ重い。
「どうする?」
「決める立場じゃありません」
「分かってる。でも……聞かれてる」
期待は、依頼より断りにくい。
第三層の入口で、職員が立っていた。
「今日は、低層の入場制限を」
「判断は、基準どおりで」
「ええ。……ただ、その基準が“厳しい”と」
俺は図面を見る。
音の重なり、再湧き、先行数。
基準は、妥当だ。
「厳しいから、安全です」
「……そうですね」
職員は頷く。
だが、その返事で誰かの生活が軽くなるわけじゃない。
昼前、低層で小さなトラブルがあった。
事故ではない。
撤退は早かった。
怪我人もいない。
だが、戻ってきた探索者の一人が、膝をついた。
「……素材、ゼロか」
「今日は、仕方ない」
「分かってる。分かってるけど……」
言葉が続かない。
肩が落ちる。
エルネがそっと声をかける。
「命は、守れました」
「……ああ」
それで終われる人と、終われない人がいる。
酒場に行く前に、呼び止められた。
昨日も低層に入れなかった男だ。
装備は古く、剣の柄が擦り切れている。
「……あんたのやり方で、助かってる」
「ありがとうございます」
「でもな……今日は、返す金が足りねえ」
責める声じゃない。
訴える声でもない。
ただ、事実だ。
「俺が無理したら、死ぬ」
「はい」
「無理しないと、暮らせない」
答えは、ない。
ギルドに戻り、短い話し合いが持たれた。
「低層の安全性は維持」
「事故は減っている」
「ただ、稼ぎは落ちている」
誰かが言う。
「何か、緩衝策はないのか」
視線が集まる。
俺は、首を振った。
「俺は、撤退判断までです」
「……それ以上は?」
「責任を取れません」
言葉は、冷たい。
だが、線を引かないと、飲み込まれる。
「生き残る判断はします」
俺は続けた。
「生活まで、保証はできない」
沈黙。
異論は出ない。
納得も、されていない。
夕方、酒場は静かだった。
噂は、広がらない。
広がらないから、薄まらない。
「低層は、安全だ」
「でも、儲からない」
「……どっちも、事実だな」
エルネが水を飲みながら言う。
「……全部、救えないんですね」
「はい」
「でも……見捨てても、いない」
「それは、違います」
俺は首を振った。
「見捨てない、とは言いません。
背負わない、と言っているだけです」
リュシアが短く頷く。
「線を引け」
「はい」
夜、迷宮前を歩く。
風は冷たい。
掲示板の紙は、きれいに並んでいる。
低層は、安全に回っている。
それは、確かだ。
だが、その安全の影で、
誰かが立ち止まっている。
正しさは、誰かを救う。
同時に、誰かを置いていく。
俺は、深く潜らない。
だから、全部は見えない。
それでも、決めた線は動かさない。
生き残る判断はする。
その先は
各自で、選ぶしかない。




