第九話 暖かいスープ
「ただいま」
俺は「木漏れ日亭」の屋根裏部屋に戻った。
ドアを開けると、ルナはベッドの隅で膝を抱えたまま、俺が投げ捨てた瓦礫の山を呆然と見つめていた。
俺の声を聞くと、ビクッと肩を震わせて顔を上げる。
「あ……お、お帰りなさい、です」
「待たせて悪かったな。ほら、飯だ」
俺は屋台で買ってきたサンドイッチと、温かい野菜スープが入ったカップを、部屋にあった古びたテーブルに置いた。
「え……?」
ルナの瞳が揺れる。
湯気を立てるスープから漂う、肉と野菜のいい香り。
ルナの喉が、ゴクリと鳴るのが聞こえた。
「食べていいぞ。腹減ってるだろ?」
「で、でも……」
ルナは伸ばしかけた手を、慌てて引っ込めた。
「私、お金持ってないし……それに……」
彼女は視線を逸らす。
「私が触れたら……食べ物が腐っちゃうかも……」
【不幸招来】のスキル。
今まで、彼女が手にしようとした食べ物は、腐ったり、虫が湧いたり、泥の中に落ちたりしてきたのだろう。
そのせいで、まともな食事なんて何日も……いや、何年もしていないのかもしれない。
「……大丈夫だ」
俺はサンドイッチの一つを手に取り、ルナの目の前で大きく一口かじってみせた。
「ほら。俺が買ってきたもんは、そう簡単に腐ったりしない」
俺のステータスは桁外れだ。
おそらく「運」の数値もとんでもないことになっているはずだ。
ルナの「不幸」スキルが干渉しようとしても、俺の「強運」がそれをねじ伏せているんだろう。
「……本当、ですか?」
「ああ。毒見もしたしな。ほら」
俺はもう一つのサンドイッチとスープを、彼女の手元に押しやった。
ルナは恐る恐る、震える手でサンドイッチを掴む。
腐らない。
崩れない。
彼女は小さく口を開けて、それを齧った。
「っ……!」
その瞬間、ルナの目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「……おいしい」
「そうか」
「おいしい……です。温かい……」
ルナは涙を流しながら、夢中でサンドイッチを頬張った。
スープを啜り、その温かさにまた涙を流す。
「うっ……ううっ……」
よほどひもじかったのか、それとも、誰かに優しくされたのが久しぶりだったのか。
彼女は嗚咽を漏らしながら、それでも必死に食べ続けた。
俺はその様子を、黙って見ていた。
勇者パーティーにいた頃、俺たちは高級な宿に泊まり、豪華な料理を食べていた。
でも、あの時の食事よりも、今、こうして安宿の屋根裏で、訳アリの少女と一緒に食べるサンドイッチの方が、ずっと美味く感じるのは何故だろうか。
「……ごちそうさまでした」
あっという間に完食したルナは、服の袖でゴシゴシと涙を拭くと、真っ直ぐな瞳で俺を見た。
「カイさん。……私を、助けてくれて、ご飯までくれて……本当に、ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。俺も一人じゃ寂しかったしな」
俺が笑うと、ルナは少しだけ頬を染めて、もじもじと指先を合わせた。
「あ、あの……私、お金も持ってないし、何もお返しできませんけど……」
彼女は必死な目で、俺を見上げた。
「その代わり、何でもします! 掃除でも、洗濯でも、荷物持ちでも……! なんでもやりますから……!」
彼女の声が震える。
「だから……私も、雑用係として……貴方の仲間に入れて下さい……! もう、あんな独りぼっちは嫌なんです……」
必死にすがりつくような目。
彼女にとって、俺のそばが唯一の「不幸にならない安全地帯」なのだ。
だからこそ、必死に自分の価値を証明して、ここに置いてほしいと懇願しているんだ。
「……『何でも』なんて、安売りするもんじゃないよ」
俺はルナの頭にポンと手を置いた。
猫耳が柔らかく手に触れる。
「雑用係が欲しいわけじゃないんだ。……ただ、俺もこれから旅をするのに、話し相手がいないのは寂しいと思っててさ」
「え……?」
「『相棒』になってくれるなら、嬉しいかな。……これからもよろしくな、ルナ」
「…………! は、はいっ!」
俺たちの「スローライフ」は、まだ始まったばかりだ。
(まあ、ステータス5000の俺と、不幸体質のルナじゃ、静かに暮らすのは難しそうだけどな……)
そんな予感を覚えながら、俺はスープの残りを飲み干した。




