第五話 猫耳の少女
「いやだ! 放してよ! お願い!」
「うるせえ! 逃げられるとでも思ったか、この半端者が!」
路地裏に響く、少女の悲鳴と男の怒声。
そして、ゴッと鈍い音が響く。
俺は足を止めた。
面倒ごとには巻き込まれたくない。
静かに、平穏に暮らす。それが俺の目標だ。
(……でも)
チラリと見えた少女の姿。
ボロボロの服、猫のような耳、そして何より、怯えきったその瞳。
理不尽な暴力に、ただ耐えている姿。
それは、勇者パーティーで「寄生虫」と呼ばれ、文句も言わずに雑用をこなしていた、かつての自分と重なって見えた。
「…………」
俺はため息を一つつき、路地の暗がりへと足を踏み入れた。
「おい」
俺が声をかけると、少女を蹴り上げていた大柄な男が、ギロリとこちらを睨んだ。
「あ? なんだテメェ」
「その子から手を放せ」
俺は静かにそう告げた。
男は俺の姿(武器も持たず、貧相な服)を一瞥すると、ゲラゲラと下品に笑い出した。
「なんだ、ガリガリのFランクか? こいつは俺の『奴隷』だ。逃げ出したから躾をしてるんだよ。邪魔すんなら……テメェから殺すぞ?」
男が、砂埃で汚れた拳を握りしめ、カイに向かって殴りかかってきた。
Dランク冒険者といったところか。
レベル1の俺なら、間違いなく一撃で沈んでいたパンチだ。
だが。
「……遅い」
俺は、その拳を、手のひらで軽く受け止めた。
ミシッ
「は…………?」
男の顔が、驚きで固まる。
自分の拳が、俺の手のひらにピタリと止められていることが信じられない、という顔だ。
「い、痛ででででで! あ!? 俺の拳が! 壊れる! 軋む(きしむ)!」
俺はステータス5000。
力を加減しているつもりでも、相手からすれば鉄の万力で握られているのと同じだ。
「な、なんだお前は!? てめぇ、その力……!」
男が恐怖に顔を引きつらせる。
(やばい、加減が分からない)
これ以上騒ぎになって、ギルドに知られるのはマズい。
「もう彼女に手を出すな。行け」
俺は男の手首を掴んだまま、そのまま路地の壁に「軽く」押し付けた。
ズンッ!
「ひっ!?」
男が叩きつけられた壁に、蜘蛛の巣のようなヒビが入る。
男は腰を抜かし、情けない悲鳴を上げた。
「わ、わかった! もうしねえ! 助けてくれ!」
俺が手を放すと、男は尻餅をついたまま、這う(はう)ようにして路地裏から逃げていった。
「ふぅ……」
さて、と。
俺は、壁際で小さくうずくまっている少女に振り返った。
「大丈夫か? 怪我は?」
俺が手を差し伸べようとすると、少女はビクッと体を震わせた。
猫のような耳が、恐怖でペタンと伏せられている。
「あ……ありがとう、ございます……」
少女は、震える声で礼を言った。
しかし、すぐに顔を伏せて、俺から距離を取ろうとする。
「でも……私に構わないでください。私は『呪われた奴隷』なんです」
「呪われた?」
「私と関わると……あなたも不幸になります。だから、早く逃げて……」
少女の瞳は、助けてもらった安堵よりも、諦めと絶望に満ちていた。
よく見ると、手足には殴られたアザが無数にある。
「……手当てが必要だ。立てるか?」
「え?」
「不幸になるかどうかは、俺が決めることだ。とりあえず、ここじゃなんだ。俺の宿に来てくれ。これから借りるところだけど」
俺は少女の痩せた腕を、今度はゆっくりと掴んで立たせた。
「俺はカイ。君の名前は?」
少女は、俺の顔を信じられないという目で見つめていたが、やがて、か細い声で答えた。
「…………ルナ。名前、だけ……です」
こうして俺は、追放されて早々、スローライフとは程遠い「訳アリ」の亜人の少女を拾うことになった。




