聖女はひとりで『聖女』と成れない
この世界の『聖女召喚』というものは“この世界”のどこかに存在する聖女を召喚するパターンと、“異世界”から召喚するパターンが存在する。この世界に聖女が生まれているのならこの世界から。まだ生まれていないのなら異世界から。
召喚を行う理由は、瘴気や疫病の終息の為。それが通例だが、稀に王家に連なる者の死病や不治の病の治療の為に行われた過去もある。
召喚された聖女には突然の召喚を謝罪し召喚理由を説明し、理解と信頼を得て初めて王家が治療を希える――と徹底されている。
それは例え貧民街の者であっても、異世界からの者でも。例外なく。
そうするべきではなく、そうしなければならない。
なぜなら聖女には――
「……バカ?」
シンプルな罵倒を溢した彼女――モモカは、神聖な空間で厳重に護られている石板を「読め」と。そう指示されたので読んでみたが、……なるほど。
これは私に“聖女の力”が発現しないに足る理由だ。把握把握。
理解と納得。現状――モモカの現状ならば、蔑みに嘲笑しても不思議ではないのに。
「やはりその箇所からが聞き取れぬか。無能なりに使ってやろうとの、余の慈悲を無駄にしおって」
「まったくですな」
蔑みを隠さず剥き出しにするは、豪華な服と装飾品を纏うこの国の王。それに同調するのは静謐な服を纏いながらも、欲が透けて見えるこの国の教会の神官長。
やっぱりどこかでこういうバカが必ず現れるんだよなあ。人間だも、おっと著作権著作権。
傲慢な王家に傲慢な教会。
ナイスなタイミングで重なったなんて、流石『聖女召喚』という名の拉致。ド偏見です。
そもそも召喚理由が『王家と神殿の繋がりを強固にする為』なのが頂けない。明白な私利私欲。癒着。
……あーあー。前略、この世界の“神”とやらへ。
その私利私欲に加担して異世界から召喚するなんて、地球の“神”とやらがブチギレても文句言えないからね。地球の全ての生命体は“神”の所有物なんだから。いや知らんけど。
手前ぇ絶対若い神だろ。信仰集める為に手っ取り早く人間を優遇してんだろ。バカじゃねえの。手前ぇナメられてて利用されてるだけだからな。神なら神らしく理不尽で居ろや。人間如きに媚びんじゃねえよ。おっと、お口が悪くなった。
どうせ更に“上”が在るなら、そろそろお叱りと罰が届くと思います。
世界を越えた神々の戦争楽しみですねー!
震えて眠れ。草々。
いや草。
……などと巫山戯た事を考えるモモカは、何かを思案していた王が口を開いたことにより――
「――っと、云う訳で。厄介払いとしてこの公爵家――あなた方の息子さんに嫁がされました。浮き名を流し婚期が遅れた事も聞いています。私は貴族の知識は皆無なので社交界に出る気はありませんし、公爵夫人としての仕事をする気もありません。しかし直系の跡継ぎが必要なら頑張りますし、パートナーが必要な場は仰ってくだされば出席します。高貴な血に、下賤な異世界人の血が混ざってしまいますが」
「貴女は『冷めている』と言われないか?」
「ストレス社会に揉まれ荒みまして。早々に察して頂けたので、良い関係を築けそうです。――えぇと、それで。息子さんにご挨拶をしたいのですが」
モモカの言葉に目を泳がせる公爵夫妻。不思議に思いながらも言葉を待っていると、――がちゃりっ。ノックも無しに開かれたドア。
そこから入って来たのはこの公爵家の跡取りで、浮き名を流していた……
「サムエル!」
叱責に似た声を上げた公爵に一瞥を送った、サムエル。その美しい顔を利用してきたのだろう。百人斬りを達成したのかが少しだけ気になる。
今では“その美しい顔”は健在ではないが。
モモカに近付いたサムエルは、見上げて来る焦げ茶色の双眼。それが見開かれた事実に、ばんっ――テーブルを叩き口角を上げた。
自嘲の表情で。その皮膚を隠していた仮面を取って。
「火事に巻き込まれこのザマだ。悍ましいだろ。俺の美しい顔はもう戻らない。こんな化け物に嫁がされて、あんたも可哀想にな」
「――はあ? 小学校から高校まで毎年被爆者の写真見まくった私がその程度で怯える訳ないだろ。被爆地の平和学習ナメんな。半分も綺麗な顔残ってんのに何ほざいてんだよ。顔の凹凸すらなくなった人達に謝れや」
「、……ぇ」
狼狽えた声。狼狽え、落ちた口角。
重度の火傷によりケロイド状となった、顔の半分から側頭部。奇跡的に毛根が残ったのか、側頭部にまばらに数本生えている髪。
だというのに『その程度』だなんて。
困惑と混乱がこの部屋に居る者達に伝わり切ったと、ほぼ同時。困惑するサムエルは数歩後退り、それは無意識の行動だったのだろう。
その睨み上げて来る焦げ茶色の双眼に、臆した――のかもしれない。その“お口の悪さ”にも、少し。
しかしモモカは腰を上げ、サムエルへ向き直り頭を下げた。
「申し訳ありません。私が育った地は過去に殺戮兵器で焼け野原にされた地で、その悲惨さを他所の地よりも深く勉強してきたので……つい熱くなりました。だからと言って、貴方の苦痛と苦悩も知らずに口にして許されることではないですよね。少し考えれば分かる事なのに、本当に失礼な事を申しました。以後気を付けます。許さなくて構いません。私が不躾を反省していると、それだけをご理解頂けると幸いです」
「……ぇ、ぁ……ぅ、ん。りかい、する」
「ご理解ありがとうございます。改めまして、モモカと申します。バカ王家の横暴で既に籍を入れられたので、不本意でしょうが夫婦としての関係を築けると嬉しいです」
「それは……あんたは、良いのか? こんな悍ま……酷い火傷痕の男が、夫で……」
「特には。私はあのバカ王家と腐敗した教会から離れられて、貴方は公爵家の嫡男として次代へ血を繋ぐことが出来る。お互いにメリットがあるかと」
「……本当に冷めているのだな」
「盗み聞きですか。大層な教育を受けたようで」
「……ふっ、ははっ。あんたも中々の教育を受けたらしい。サムエルだ。好きに呼んでくれ。楽に話して良い」
「あ、そう? 疲れるから有り難い。宜しくね、サムエル」
「あぁ。よろしく。モモカ」
モモカが差し出した手を握るサムエル。本来、握手は高位のサムエルから求めることが常識。
しかしモモカは一応にも『聖女』で在り、そもそも異世界の人間。異世界の者へこの世界の常識を押し付けるのは、僅かにも心苦しいものがあったのか……
その“心苦しさ”は、先程までの絶望していたサムエルには持ち得なかったものだったのかもしれない。
「、お母様?」
「――ぁ……ご、めんなさいね。その……まさか、サムエルがまた……笑顔を見せてくれるなんて。嬉しくて、涙が」
「え……ぁ」
「えぇ……サムエル、こんな優しくて素敵なお母様が居ながら性に奔放って。性根腐ってるんじゃない?」
「……否定が出来ない」
「自戒は大切だと思うよ」
「あぁ……うん。そうだな。これからは心を入れ替えて、モモカだけに愛を伝えるよ」
「あい」
「この火傷痕を受け入れてくれた。今の俺が心を奪われるには、充分な理由だろう?」
「遊び人の切り替え、凄い」
純粋に感心するモモカ。この辺りは常識云々とは別に、モモカ個人の感覚がズレているのだろう。
面白い人だなと思うサムエルは手を差し出し、不思議そうなモモカへ口を開く。
「お母様自慢の庭園を案内したいのだけれど。俺がエスコートしても良い?」
「是非」
「良かった」
その手を取れば安堵の表情。
一応公爵夫妻――義両親を見ると、ハンカチを握り締めこくこくと頷く義母。と、ぐっ……とこっそりガッツポーズをするも『微笑ましい』と笑む義父。どちらも“期待”の表情。
不躾の連発だが、どうやら義両親はモモカを大層気に入ったらしい。
恐らく。絶望し卑屈になっていたサムエルには、こうやって強く叱責する女性が合っているのだろう――その判断により。
ふたりが部屋を出て行ったことを確認した夫人は、堰が切れたように涙を溢れさせた。嬉しい、と。浮き名を流していたとはいえ、それでも可愛く愛しい息子が幸せになれるかもしれない……と。
その『幸せ』が実現するまで、モモカの思考に何度も驚かされるのだが。
毎日の、全員での朝食と夕食。それはモモカからの「テーブルマナーを早く覚えたい」との申し出によるもの。
そんなに焦らなくても……と皆気を遣ったが、「テーブルマナーが格好良いので」と目をキラキラさせたので即掌を返した。貴族にとって常識のこんな些細なことを褒められて、むず痒さと同時になんだか嬉しさを覚えたらしい。
しかも。指導されながらの食事をちゃんと楽しんでいるので、努力を楽しめる性質なのだと。公爵家の使用人達も、モモカの努力を支えようとしているそうな。
「モモカちゃん。今日は、サムエルが仕立て屋と宝石商を呼んだのよね? ちゃんと楽しめたかしら?」
「はい。ドレスの配色選びのアドバイスをサムエルからしてもらって。私の肌や髪の色に合う配色と、骨格と体型に合うドレスの形で。とてもセンスが良いなと感心しました。勿論、お義母様から頂いたドレスも素敵です」
「あらっ……まあ。ふふっ」
「モモカも俺の服を選んでくれましたよ。色も、お揃いに見えるように調整しています」
「まあっ! 早く届かないかしら。お揃いのふたりを早く見たいわ。――ねえ、あなた?」
「そうだな。とても楽しみだ。――モモカさん。装飾品は好むものはあったかい?」
「えぇっと……正直、装飾品に興味が無くて。なのでサムエルに選んでもらいました」
「俺の髪のピジョンブラッドと、目のピンクダイヤモンドを中心に選びました。どちらもモモカの黒髪にとても映えるので、やはり俺達は運命なのだと確信しましたね。モモカは……俺と“運命”だなんて嫌だろうけど」
「サムエル……いや。素晴らしい買い物が出来たようだな」
弾んだ声からの急降下。
恐らく。浮き名を流していた頃の癖で『運命』と口にしたが、酷い火傷痕がある自分なんかが……と考えてしまったのだろう。
こうやって口説きながらも卑屈な思考となってしまうことは、サムエルの立場では仕方ない。両親もその心境を察し目は伏せるが、その卑屈さに触れることはしない。
親として子の心を守る為に。
しかし。モモカがその卑屈さを享受するかは、また別の話である。
「その卑屈な口説き、凄く面倒臭い。夫婦なんだから堂々と口説いてよ。そのお綺麗な顔は飾りなの?」
「……ハァ。モモカ、本当に格好良い。泣いてしまいそう」
「良いよ。慰めるから」
「一晩中甘える」
「流石に寝たいかな」
「慰めてくれるんだろう?」
「抱き枕にして良いから寝かせて」
「わかった」
上機嫌。にんまりと笑うサムエルは食事の続きに戻り、ぽかんっ……と固まっていた義両親も小さく笑み食事の続きを。
彼女に任せておけば大丈夫――なのだと、心から信頼して。
親としてモモカに協力すべきだとは理解しているが、“親”だからこそ子で在るサムエルに甘くなってしまう。心を傷付けないように耳に優しい言葉を口にしてしまい、そもそも自虐の言葉に触れることすら出来ない。
モモカに負担を掛けている事実も理解している。しかしモモカは言葉通り『夫婦』と認識しているので、妻で在る自分が対応することは当然だと認識。
ならば。自分達がやるべき事は、モモカに快適に過ごしてもらうこと。精神的に、は勿論――
――肉体的にも。
「サムエル。モモカちゃんが優しいからと、無理をさせてはいけません」
「……いやです」
「サムエル」
毎晩。モモカから許可を貰い夫婦の営みを続けているサムエルは、この歳で母親からの説教中。連日の“運動”によりダウンしたモモカの部屋で。
視線を逸らした先の父親が呆れにより小さく頭を抱えていて、なんだかとても居た堪れない。
強い語気で名を呼ばれたので視線を戻したが、それは反省ではなく……
「だって途中で仮面が外れても少しも嫌な顔をせず、寧ろ優しく撫でてくれるんですよ? その都度愛しさが溢れてしまい止められません! 俺だって半年くらいモモカと部屋に籠もりたいのを我慢しているんですっ」
思いっ切り開き直った。変に潔い。
反射的に。それでもゆっくりと額に手を当て長い溜め息を吐いた夫人は、くすくすと可笑しそうなモモカへ眉を下げ口を開く。
「モモカちゃん、本当にごめんなさいね。こんな、節操のないおバカな息子に育ててしまって」
「いえ、大丈夫ですよ。次期公爵として相応しい能力があるので、下半身事情は許容します」
「、聞きましたよねお母様っお父様! 半年籠もります!」
「仕事を投げ出すなら軽蔑する」
「ちゃんと仕事する。嫌わないで」
「いい子だね」
いきなり興奮し、いきなり冷静になる。我が子ながら本当におバカだな……と、義両親の心の声が一致した。恐らく澄まし顔のメイド達も『おバカすぎる』と思っているだろう。
なんとなく。それが空気に出ているので、モモカはまた小さく笑ってしまう。
でも直ぐに口を開き、確認。
「初日に『公爵夫人としての仕事をするつもりは無い』と失礼を言いましたが、公爵家の名に傷が付くようなら仰ってください。“仕事”ならば私も頑張ります」
「あらっ。いいのよ、気を遣わなくて。あの時のモモカちゃんがそう言ってしまうことは、境遇としても仕方ないもの。それに――家政はその時の物価や政治バランスで大きく変動するの。この世界に慣れていないモモカちゃんには、とても難しいことよ。でも安心して。私達が領地に下がる時には、公爵家の家政を任せるに足る者も育つから」
「領地……行っちゃうんですか?」
「残るわ。――あなた」
「そうだな。領地はこれまで通り、代行と定期的な視察で問題は無い。彼等は優秀で誠実。皆、忠義に厚い者達だからな」
「私も、モモカちゃんが侮られないように社交を頑張らないと。異世界の人だからと公爵家を侮辱する者には、潔く“療養”してもらいましょうか」
「モモカ、社交界出るの? じゃあ俺も出る。虫がたからないように守るからね」
「似た者親子過ぎて超面白い」
言外に『過保護』と伝えてみたが、こてりと揃って首を傾げたのでつい笑ってしまう。親子揃って不思議そうな表情なので尚更に面白い。
「サムエルは無理しなくても良いのよ? その……また心ない視線や言葉に晒されては、貴方が……」
「問題ありません、お母様。有象無象が何を言おうと些末なこと。例え嘲笑されるのなら、モモカに甘える理由が出来るだけです」
「仲睦まじいのは良いことだけれど。これではモモカちゃんに押し付けてしまうわね。……ごめんなさいね」
「あ。サムエルを止めるの諦めましたね」
くすくすっ。やはり、可笑しいと笑うモモカ。ほっ……とする周りは、モモカの優しさに付け込んでいる自覚はあるのだろう。
大抵の事は受け入れるモモカは、使用人達からも『ほんわか優しい若奥様』と人気がある。それはこの世界に無知である異世界人だからこそ、許され享受されている評価。
その享受も、早々に現公爵夫人から「モモカちゃんの素直さを気に入っているの」と通達されたことが、享受出来た最大の理由。微笑んでいたのに圧があった。流石、奥様。公爵夫人の威厳。
例えば、この世界の令嬢ならば『公爵夫人と成るのに威厳の欠片すらない無能』――そう見下されても不思議ではない。貴族社会は善意だけでは渡れないから。
なので。何度か顔を覗かせる、モモカによる“サムエルへのお口の悪さ”も大変好評らしい。
その“お口の悪さ”を我が身には受けたくはないが。ほんわか優しい若奥様からの辛辣な言葉……普通に、ショック。へこむ。
若奥様、どうかそのまま“無知”で在ってください。
静かに待機するメイドの心中やいさ知らず。
「知ってます? ■■■■■■■■■■■だと」
「? すまない、モモカ。今、何と?」
「あ。やっぱり聞き取れないか。えぇっと……つまり。聖女は、ひとりでは『聖女』に成れない。ってこと」
「うん? つまり?」
「サムエル。顔を」
反射的に。腰を上げたサムエルはモモカが差し出す手へ顔を近付け、仮面を取るその手に対しては不安も恐れも無い。特に感情を動かすことでもない。
モモカにとってこれは『その程度』でしかないから。
撫でてくれるのかな。モモカの撫で方、気持ち良いから好き。
そう心を弾ませていると、期待通り柔らかく撫でてくれる小さな手。気持ち良いな……と目を閉じ堪能する中。
いつもより、あたたかい感覚。むず痒いような、なのに不快ではない感覚。心地良さ。
「サムエル。見て」
次にモモカの声が鼓膜を揺らし、目を開けると目前には手鏡。そこに映る“顔”は……
「、――……ぇ」
「この公爵家が私を『聖女』にしたんだよ。皆にお礼、言わないとね」
「っ……ぅ」
「ほんと甘えたさん」
モモカを抱き締め、嗚咽を溢すサムエル。その聴覚には「ああっ……奇跡が……モモカちゃん、ありがとう……本当にありがとうっ」と、泣きながら感謝する夫人の声は届いているのだろうか。
例え今届いていなくとも、数時間後には祝いの宴が開かれるので些細なことか。
「サムエル。顔、見せてよ」
苦しい。その言葉の代わりにそう言ったモモカを、名残惜しそうに解放したサムエル。その顔は涙と鼻水でくちゃくちゃで、モモカはまた笑ってしまった。
「髪。生え揃うまで、こっちだけ刈り上げとく? この綺麗な顔ならどんな髪型でも似合うよ」
両頬を包んで来る手。変わらず真っ直ぐと見て来る双眼。
その焦げ茶色に映る自分の“顔”は、先程手鏡で見たものと変わらず――火事に遭う前の『美しい顔』……を崩す涙と鼻水は見なかったことにしたい。
「うぅ……こんな、情けない顔……モモカに見せたくなかった」
「それ程に嬉しいってことでしょ。力になれて良かった」
「……かっこよすぎてしにそう」
「サムエルが死んじゃったら、公爵家の別の男の人と跡継ぎ作らなきゃいけなくなる?」
「いきるぅっ」
「面白くて可愛いんだけど」
再び。モモカを抱き締めるサムエル。次は腕の力に気を付けながら。
心に溢れる、愛しさ。感謝。信頼。安堵感。……崇拝。
今日。この場で。最初の『信奉者』が生まれた事実を、モモカは生涯気付かないのだろう。
本当に過保護な親子だな。と、そう思うだけで。
その危うさもまた、この世界に無知で在ることの証明である。
公爵家が揃って舞踏会へ参加する。
その情報を聞き付けた貴族達は参加を決め、意気揚々と舞踏会へ足を踏み入れた。
悍ましい火傷痕を仮面で隠す、浮き名を流していたサムエル。その化け物へ嫁がされた無能聖女、モモカ。――そのふたりを影で嘲笑う為に。
その為に来た、のに。
「まあっサムエル様! 私ずっと心配を、」
「近寄るな」
「ぇ……ぁ、あの。サムエ、」
「俺の名を呼ぶな。それが許される女性は母とモモカだけだ。妻がいる男に近寄ろうとは、なんとも……悍ましい」
「ちょっと、サムエル。女の子にそんな言葉、」
「ごめんね、モモカ。変なとこを見せてしまったね。俺の我が儘で参加させてしまったけど、今日は踊る? モモカはこの空気感には慣れていないから、気後れするなら別室の軽食を楽しもうか」
「え。あれ? こういう場の軽食って建前で、会を彩る飾りのひとつなんじゃ」
「モモカは異世界の人だから、そんなこと気にしないで良いんだよ。別室なら座ってゆっくり出来るし、モモカに餌付……食べさせ合いも出来るから、俺は別室が嬉しいな」
「『餌付け』って言おうとしたよね。そう言われたくらいで、嫌な気持ちにならないよ」
「餌付けしたいっ!!」
「はいはい。じゃあ――お義父様、お義母様。別室で、餌付けされていても宜しいですか?」
「あぁ。いつもすまないな、モモカさん。サムエルの世話を頼む」
「こちらは私達に任せて。サムエルを宜しくね、モモカちゃん」
「分かりました。お願いします」
「俺がお世話するんです!」
「その体たらくで?」
「ぅ、ぐ……っ」
サムエルの抗議は、実の母親から鼻で笑われ却下された。
辛辣な言動で令嬢を袖にしたかと思えば、ころりと態度を変えての“妻溺愛”を披露。その溺愛も、なんとなく……嗜好が歪んでいるようにも見える。
しかし普段からモモカが『それくらい』と受け入れているので、サムエルの暴走は止まることを知らない。最早この暴走が通常運転でさえある。
モモカの腰を抱き寄せたサムエルは、ハートを飛ばしながら別室へ。サムエルを見上げるモモカの表情も、愛しい夫を見るもの。
なんとも微笑ましい。
その微笑ましさに困惑する貴族と、モモカを『無能』と捨てた王族の聴覚に届いたのは――
「歴代の聖女様のように大切にしていれば、我が家が『聖女』を独占するような事にはならなかったものを。――愚かな」
「まあっ、あなた。いけませんよ。いくら我が公爵家が王家の血筋だとしても、そのような……『貴族院の可決によりいつでも王家の挿げ替えが出来る』との真実を仄めかしては。きちんと明言しませんと」
「こらこら。本来『王』とは国の象徴で在り、それ故に国が倒れる際の生贄なのだ。そんな重責を負う立場を、モモカさんと出逢ったサムエルが受け入れる筈がないだろう」
「そうね。あの子は国よりも、モモカちゃんに尽くしてしまうから。あら? だとしたら『傾国の聖女』とならずに済んで、寧ろ良かったのかしら? 流石、陛下と神官様ですわ。王家が『聖女』に狂わないように、公爵家を身代わりに立てたのですから。――ねえ、陛下。何か間違っています?」
唐突に。話を振られた王は、口元を扇子で隠し目元を緩める公爵夫人から不穏なものを感じ取り……感じ取ってしまったので、引き攣りそうな頬を必死に緩め口を開いた。
「い、やまったく。貴殿達はいつも頼りになるな。これからも我が家臣として、共にこの国を繁栄させていこうぞ」
「陛下のご慧眼に感服致しましたわ。私からも、くれぐれも宜しくお願い申し上げます。くれぐれも」
「そう云えば、陛下。城の裏にある塔は随分と老朽化していましたな。陛下へ仕える家臣として、私の私財で改修を手配しておきましょう。家臣として」
ぱしんっ――扇子を閉じ素晴らしい『貴族の微笑み』を披露した公爵夫人。その横では、鋭い目で王を見据える公爵。
これは……
『サムエルが王に成らずとも、現公爵で在る私にはその覚悟があるからな。王位なぞ簡単に奪い、いつでも幽閉してやる』
その牽制。釘刺し。念押し。
自分達が王位簒奪してサムエルに公爵家を継がせ、現王家は幽閉させれば良い。次代の王には、まだ伸び代のある次男か三男を教育すれば良いだけ。
それは、愚王の排除としてはありふれたこと。何も難しいことは無い。
この国の公爵家がそう宣言してしまったので、この瞬間から勢力図も変わり始めるのだろう。
最低でも、現王が退位するまで。貴族達は『聖女』を手にした公爵家におもねる選択肢のみを、提示された状態となってしまったのだから。
果たして、サムエルを『悍ましい』と侮辱していた者達はどのような行動をとれば正解なのか……
そんな、まるでお通夜状態の大ホールの現状などいさ知らず。
「モモカ。これも好きだと思うよ。ほら、あーんっ」
「ぁ、む……うん。本当だ。美味しい」
「だよね。モモカ、素材を活かした料理が好きだか……ハッ! 複雑な工程が無いなら俺でも作れる……? だとしたら俺が作った食事が、モモカを生かすことになって……」
「調理中は離れ離れだね」
「やっぱりプロから仕事を奪うなんてダメだよね。公爵家の人間として、模範にならないと」
「そうだね。上に立つ者としてちゃんと考えてて偉いね」
「撫でてっ」
「いいこ、いいこ」
「あー……モモカ、優しい。落ち着く。好き過ぎて幸せ」
「私も、面白くて可愛いサムエルが好きだよ」
「顔は? 俺の顔好き? 綺麗過ぎて鬱陶しくない?」
「ん……ふふっ。好きだよ。綺麗なものは愛でる主義だから」
「この顔で良かった」
安堵の笑みで次の小皿を取るサムエルは、このように料理が乗る小皿をテーブルに並べる行為が意地汚いと知っている。知ってはいるが、モモカに餌付け中なのでマナーなどどうでも良い。
最愛の、溺愛している妻への餌付け。とても、たのしい。
「ありがとう、モモカ。俺に嫁いでくれて。愛してるよ」
「いきなりだね」
「改めて思ったから。モモカは?」
「んー……もう少し焦らしてみようかなって思ってる」
「意地悪なモモカも好きっ! はい、あーんっ」
「ぁ、ん。……これも美味しいね」
「だよね!」
餌付けで上機嫌なサムエル。そんな彼を可愛いと面白がるモモカは、神殿で読ませられたあの石板――
『聖女の力を発現させ持続させるには、純粋な感謝と親愛が必要である』
――そう書かれていた事実を、これからも広める気は無い。広めようとしても周りは認識出来ない。謎の力に妨害されているので、恐らくは神の采配なのだろう。
『聖女』は神のものだと。人間達が傲慢になりきらないように。定期的な見せしめを作る為に。今回の、この国の王家のように。
……なんとなく。漠然とだが確信するモモカは、まあ……
サムエルに逢えたのは私としても良かった。この暴走した愛は、ストレス社会で荒んだ心を癒やしてくれるから。めっちゃおもろい。
それでも私利私欲に利用されて召喚に加担しやがった神手前ぇコノヤロウは許さねえからな。神なんざ信じてねえが、神ならちゃんと『神様』らしく傲慢で理不尽で神聖で在れ。謝罪は要らん。兎に角、改心しろ。
――あ。拝啓、地球の“神様”とやら。私はこの世界で楽しく暮らすので、神々の戦争起こすのなら庇護は宜しくお願いします。早々。
え……このフロマージュめちゃおいしっ!
餌付けされているのに上機嫌。美味しいものは手軽に幸せを実感出来る。持論。
これからも。こうやって不穏さを滲ませながら暴走するサムエルを「面白くて可愛い」と受け入れ、助長させていくのだろう。
遊び人が本気になったら、重い愛による深い執着を向けてしまうのに。
先が思いやられる。
閲覧ありがとうございます。
気に入ったら↓の☆をぽちっとする序でに、リアクションやブクマお願いしますー。
大暴走サムエルのセコムおもろそうだなと観察したい作者です。どうも。
主人公ちゃんに近付く男性は、全員もれなくサムエルからの冷たい睨みと威圧を受けます。
相手が王家でも隣国の重役でも関係ない。
愛しい妻に近寄る男は全て“虫”。害虫。
排除。排除。
浮き名を流した過去はありますが、次期公爵としての教育はしっかりと受けてますからね。
こっわ。
王家は公爵家に睨まれたのでこれからは自重します。
と云うか、自重するように公爵家が誘導します。
『いつでも王位簒奪可能』と宣言されましたし、『幽閉先整えとくね☆』と暗に伝えられたので自重するしかないよね。
王家は傲慢になりすぎた。
王家と結託した神官長ですが、サムエルが快癒したことを聞き付け公爵家に訪問を取り付け……たまでは良かった。
通された応接室では公爵家勢揃い+いつの間にか味方に付けていた貴族院の重鎮から迎えられ、一切の発言を許されませんでしたね。
生きた心地がしなかったし、モモカを溺愛するサムエルの姿を延々と見せられただけに終わった。
胸焼けした。砂糖吐きそう。
貴族院の重鎮は「王家より公爵家に付いた方が利がある」と判断したようです。
何人かは身内の病を治してもらったり。ね。
『聖女』がいるから、そらそう。
とは言え。
公爵夫妻は現状での王位簒奪&幽閉は実行しません。
脅しているだけてす。
まあ、モモカに危害が及びそうになった瞬間にGOサインを出せるように整えてはいますが。
貴族怖い。
ふと思い付いて書き殴った短編でした。
※『サムエルへの暴言と原爆を描写した』ことに不快に思った方は、抗議を書く前に活動報告を一読ください。
では、またいつかの短編で。
※追記。2025/09/23。
誤字報告にて『耳触り』は『耳当たり』ではないかと指摘されましたが、どちらも造語なので『耳に優しい』と修正しております。
修正して満足していたので説明が遅くなってしまいました。すみません。