素晴らしい商品 3
ある日、テレビで新商品が紹介された。
それを見た人はすぐにその商品を買いに店へと出かけた。
その名も、「過去が消せるハンコ」。
人々は騒然となった。
忘れたいことがある。なかったことにしたい過去がある。やり直したい失敗がある。そう思っていた人たちがこぞって店へと殺到した。
ハンコは一瞬で売り切れた。
その日から「過去が消せるハンコ」は伝説の商品となった。 再入荷されるたびに完売。
オークションでは定価の百倍以上の値が付き、買い占めた者たちは笑い、買えなかった者たちは泣いた。
政府は「倫理的に問題がある」と発売停止を求めたが、メーカーは「個人の自由です」と言って譲らなかった。
人々はハンコを押すたび、誰かとの過去を消し、失敗を消し、記憶を修正し、世界を塗り替えていった。
自分が誰なのかも曖昧になるほど、多くの人が多くの過去を消していった。
それでも人々は、「消せる安心」がある限り前を向けると信じていた。
そんななか、一人の若い女性がいた。
彼女は毎日、自分の過去をノートに丁寧に記録していた。失敗も、怒られたことも、誰かに傷つけられた言葉も、そのまま書いていた。
人は彼女に言った。
「何でそんなことするの? あのハンコ買えばいいのに」
「過去なんて、無かったことにした方が楽だよ」
彼女はただ首を横に振った。
「私は、覚えていたいの」
それ以上彼女は何も言わなかった。
ある日、彼女はふと本屋に立ち寄った。
そこに1つだけ残っていた箱を見つけた。埃をかぶったその箱には、あの有名な「過去が消せるハンコ」の文字。
箱は開いていた。中身は空だった。
彼女は何気なく、空箱をレジに持って行ってみた。
「これ、売り物じゃないです。中身がなくて、展示品なんです」
と店員は言った。
彼女が空箱を買わせてほしいと言うと、店員は店長を呼んできた。
もう空箱にようはなかったのか店長は無料で空箱を渡してくれた。
部屋に戻り、空の箱を見つめながら彼女は小さく笑った。
「みんなが欲しがったものって、こんなものなのね」
そしてノートを開き、今日のことを一行だけ書いた。
『今日も過去は、消えずに残った』
彼女は、生まれてからの記憶が全てしっかり残っていた。
みんなが消せたと思っている『過去』の出来事も全て覚えていた。
ハンコを使って誰かが起こした交通事故をなかったことにしたって車は壊れたままだし、怪我人がいたら怪我はしたままだ。
ハンコで消し去ったと思っていても過去は、してきた事実は絶対に消えないことを彼女はわかっていたのだ。