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異世界恋愛の短編

苺畑の聖女 〜妖精王の求婚を断ったら家に棲みついて、没落貴族の再興を始めました〜

「かすり傷しか治せないなんて、ショボすぎ」


 クスクスと笑いが起こって、アリスはいたたまれず肩をすくめた。

 皆様のおっしゃる通り、私の力はショボい。

 絆創膏(ばんそうこう)レベルの治癒力だ。


 ここは聖女の卵が集まる貴族ご用達(ようたし)の学園で、治癒の力に()けた子女が集まっている。病や怪我を癒やす力が入学の資格となるが、その力の強弱の格差は凄まじい。


 教師はあざ笑う一部の令嬢達を(たしな)める事もなく、溜息を吐いてアリスを一瞥(いちべつ)した。学費を長らく滞納しているという理由で、教師からの待遇も下の下である。


 アリスも一応、領地を持つ伯爵家の令嬢なのだが、山地に天災が続き、さらにはお人好しの父が領民達の暮らしを優先し続けたため、殆どの財を失って没落貴族となっていた。


 母親譲りの明るく柔らかな金色の髪に、森や泉のような癒やし色の瞳を持つアリスは可愛らしい顔立ちをしている。しかし碌な栄養を取っていないので、痛んだ髪や貧相な体が没落ぶりを現していた。ヨレヨレとサイズが合っていない制服は(みじ)めで、からかいの対象にはうってつけだ。


「明日から春休みか……次学期はもうお金が無いし、休学か退学かなぁ」


 アリスは暗澹(あんたん)たる気持ちで学園を出て、帰路に着く。馬車も無いので徒歩で1時間以上かけて帰る道すがら、豪華な馬車で楽しげに、または(さげす)む目線を投げて帰る同級生達が羨ましい。


 同じクラスの優等生で、裕福な伯爵家の令嬢ベサニーは、わざわざ馬車からアリスにお声を掛けてくださる。


「ご機嫌ようアリス。休暇はどちらでお過ごし? 高原で? それとも、海岸かしら?」


 アリスが苦笑いを向けると、ベサニーの隣に座っている姉妹のビヴァリーが吹き出した。


「お姉様、失礼よ。ジャングルのお庭に決まってるじゃない」

「あら、そうでしたわ」


 オホホホ、と高らかな笑いと共に、豪華な馬車は去って行った。車輪で()ねたオマケの小石が、アリスの脚に当たる。


 トボトボと自宅の屋敷に辿(たど)り着くと、ビヴァリー令嬢の言うとおり、ジャングルが(おお)(しげ)った中に、我が家は埋もれている。庭師を雇えず、庭草がボーボーになっているからだ。


 (やぶ)をこいで屋敷の扉を開けると、玄関では一番に、母の肖像画が迎えてくれる。アリスは笑顔を作って、美しく優しい母の顔を見上げた。


「お母様。ただいま」


 幼い頃に難病で亡くなった母は、アリスが聖女を目指すきっかけとなったが、残念ながら、アリスが生まれ持った治癒の才能は微弱であった。


 アリスはさらに笑顔を作って、元気に父の部屋のドアを開けた。


「お父様、ただいま!」


 父はベッドの上から、満面の笑みをこちらに向けた。


「おお! おかえり、アリス! 春休みになったんだね」


 父の声は元気いっぱいだが、身体は動かない。2年前、鉱山の土砂災害に巻き込まれて、命は助かったものの、頚椎(けいつい)の神経を傷めてしまったのだ。


「お父様。春休みの間は私がお世話をするから、安心してね」

「アリス。すまないね……本当だったら、学生らしく休暇を謳歌(おうか)してほしいのに」


 父は涙を浮かべている。

 アリスと交代で暇を取った介護役の使用人も、もう雇い直すお金が無いのだ。

 元々がんばり屋で思いやりのある父が一番辛いであろう状況に、アリスは胸が痛んでいた。


「何言ってるの! 私は勉強よりも家事が好きなんだから。任せてよ」


 アリスは気合を入れて腕を(まく)ると、窓の外の茂みを見渡した。


「まずは庭ね。せっかく広いんだし、耕して畑にしようと思うの。自給自足って、やってみたかったのよ」

「アリス……」


 泣き出しそうな父を笑顔で牽制(けんせい)して、アリスは元気に庭に飛び出した。


 が、あまりのジャングルぶりに、内心で引く。

 幼い頃にあった美しい芝生は、野蛮(やばん)なほどワイルドに茂っていた。虫どころか、ネズミや猪まで()んでいそうだ。


 気を取り直して、使用人に準備を頼んでおいた苗の器を、ひとつ選んで持ち上げた。


「本当はお芋や豆から育てるべきなんだろうけど、最初は苺、って決めてたんだ」


 それは亡き母の好物で、アリスの思い出の果物だった。

 アリスは(くわ)を持つと、慣れない手で雑草を掘り起こし、小さな畑を作り出した。


 苺の苗を植えると、おまじないように声を掛けながら、水をやる。


「スクスク美味しく育つんだよ~。よ~しよし」


 ちっぽけな家庭菜園だが、あの学園での不遇や惨めさを忘れられる時間は、アリスを穏やかな気持ちにさせてくれた。


 しかし。満足して苺の苗を見つめていると、何かがおかしい。


「あれ? なんか……もう育った?」


 植えたばかりの苗は、グングンと急成長していった。

 みるみるうちに葉が茂り、縦に伸び、横に広がり……白い花がポンポンポン! と乱れ咲く。時の流れが狂ったような現象だ。


「う、うそ!? 苺が実っていく!」


 花はどんどん実を結んで、あっという間に真っ赤な苺が、わんさかと実っていた。言葉通り、鈴なりだ。

 アリスは驚きのあまり(かま)を落として、硬直した。


 苺が実った喜びよりも恐怖が勝って、大きくなり続ける茂みを凝視していると、苺の葉の奥に、何かがいた。

 実った苺を、早速ネズミが盗みに来たのだろうか。

 アリスは咄嗟(とっさ)に葉の奥に手を突っ込んで、ネズミを掴んだ。茂みから引き抜くと、それはネズミではなく、人……小さな人だった。


「んんっ!?」


 思わず地面に叩き落としそうな衝撃を受けたが、辛うじて掴んだまま、再確認する。

 それはキラキラと透明の羽根を背中に付けた、小さな男の子……まごうことなき、妖精だった。


「わぁん、ごめんなさい」


 妖精はパタパタと手足を動かしてもがくので、アリスは慌てて掴んだ手を緩めた。妖精は絵本や伝記の絵で見たことはあるが、本物を目撃したのは初めてだ。


 妖精の男の子はアリスの手の上から、恐る恐るこちらを見上げている。驚きで絶句しているアリスに、妖精から話しかけてきた。


「あの。勝手にお庭に入ってごめんなさい。あまりに美味しそうな苺だったから、一粒食べたくて」

「え、えっと、ど、どうぞどうぞ! いっぱい食べて大丈夫だよ!」


 ネズミと間違えて掴んでしまった罪悪感と、妖精のあまりの可愛らしさに、アリスは大盤振(おおばんぶ)る舞いをしたい気分だった。


「わぁ~、ありがとう!」


 妖精は満面の笑みになって、楽しそうに苺を摘み出した。


 アリスは茫然としたまま立ち上がると、フラフラと歩いて屋敷に戻った。



「おや、アリス。畑作りはどうだった?」


 アリスが幽霊のように部屋に戻って来たので、ベッドの上の父は不安げに(たず)ねた。


「う、うん。大丈夫。お芋は明日、植えようかな……」


 アリスは庭で起きた全てのことが信じられずに、動揺していた。

 苺が急激に育ったのも、妖精が現れたのも、己のストレスが見せた幻に違いないと、恐れ(おのの)いていた。ファンタジック脳な自分が怖い。


「お夕飯のスープを作ってくるね。あんまり材料も無いけど」

「アリスが作ってくれるなら、何でも嬉しいよ」


 アリスはぎこちなくキッチンに行くと、具無しの貧乏スープを作りだした。


 キッチンの窓から、そっと苺畑の方向を見る。

 夕方の庭の中、苺の茂みは物置ほどの大きさに育っていた。そこには蛍のように、小さな光が沢山集まっている。


「あはは。妖精さんが増えてるよ……」


 いよいよ末期の幻覚から目を()らして、粛々(しゅくしゅく)とスープを煮込んだ。


 父の部屋に質素な食事の盆を運び、食事の介助をすると、アリスはキッチンに戻る途中で我慢できずに、そっと庭に出た。


 夜になった暗い庭には、光が彼方此方で輝いていた。妖精たちが苺を手に、ふわふわと飛んでいる。苺のパーティーをしているようだ。


「みんな楽しそうだね~……」


 引きつり笑いをするアリスを、妖精たちはキャッキャとはしゃいで囲んだり、肩に乗ったりしている。幻なのに、可愛すぎる。


 苺畑に行くと、辺りはより一層、明るい光が満ちていた。


「だ、誰!?」


 そこには人間と同じサイズの男性が、摘んだ苺を手にして眺めていた。

 羽は無いけど、身体がキラキラと輝いていて、銀色の長い髪には金細工の冠が飾られている。青色を帯びた銀の瞳は神秘的で、アリスがこれまで見たことが無いほど、美しい人だった。


 アリスの肩に乗っている、先程ネズミと間違えた妖精の男の子が説明してくれる。


「彼は妖精王だよ。僕たちの国の偉い人」


 確かに、豪華なマントと高貴な服を身につけて、王族らしき優雅な佇まいだ。


 妖精王はこちらに目を向けた。冷たいほどの無表情な顔は美麗さを際立てて、アリスは緊張で動けなくなる。


「この苺を育てたのは、君?」

「え……あぅ……はい」


 情けないほど返答がぎこちないアリスに、妖精王は近づいて来た。

 近くで見ると、輝かしくて目が眩む。幻の親玉のようだ。


「私は妖精国を統治する妖精王ジェラルド・オルブライト・フェアリーだ。私の可愛い民たちに、素晴らしい実を与えてくれてありがとう」

「えっと、私はアリス・ベリーです。苺って、美味しいですよねぇ……」

「この苺はただの果物ではない。食した者の魔力を高める魔法食だ」

「は、はぁ……」


 言われて周囲を見回すと、妖精たちは生き生きと、妖精の粉と言われる魔法の光を発して、飛び回っている。


 目線を妖精王に戻すと、うやうやしく、(ひざまず)いていた。


「貴方は豊穣の女神だ。アリス。私と一緒に、妖精の国に来てもらえないか」


 妖精王が手を指す方向には、夜のジャングルの中に切り取られたようなドアの形の光が現れていた。妖精国の入口だ。


「い、いやいやいや! 無理ですよ! 私は人間ですから!」


 テンパるアリスの手をそっと支えているジェラルドの手は温かく、これはもう幻ではないと、思い知らされていた。


「ただで来てほしいとは言わない。王妃として、貴方をお迎えしたい。貴方の力は妖精国に相応しい」


 手の甲にキスをしてこちらを見上げるジェラルドの眼差しは美しく、アリスは胸がキューンとときめくが、言われている内容がぶっ飛びすぎていて、汗が止まらない。


「いや、ちょ、ごめんなさい! 妖精の国に行くとか、怖すぎて無理ですぅ~」


 半泣きのアリスを労るように、ジェラルドは手を握ったまま立ち上がった。


「そうか。確かに、突然異国へ嫁げなどと、恐ろしく感じるに違い無い。それでは私がこちらの世界に婿(むこ)入りしよう」

「えっ?」

「妖精の国にはいつでも出入りできる。問題は無いよ、アリス」


 アリスの頭上に「?」が飛び交ううちに、ジェラルドは颯爽(さっそう)とマントを翻して、屋敷の玄関に向かった。


「そうと決まったら、君のご両親にご挨拶をしないと」

「ちょ、ちょっと待ったぁー!」


 アリス自身も訳がわからないのに、いきなり自称妖精王が現れたら、父は卒倒するに違い無い。浮世離れしすぎている。


「さあ、君も一緒に」


 ジェラルドはダンスをするようにアリスの手と肩を支えてエスコートした。身軽で、優雅で、楽しげだ。この御方は見かけはクールだが、案外無邪気な性格なのかもしれない。アリスは内心で分析しつつ、「待った待った」とわめきながら、あっという間に父の部屋に辿り着いてしまった。



「初めまして。ジェラルド・オルブライト・フェアリーです」


 ポカーンとしたベッドの上の父に、ジェラルドは王子様のように、優雅な挨拶をしている。


 隣でアリスは、爆発しそうな赤い顔に、笑顔と真顔が入り交じって震えていた。ジェラルドが纏う妖精界の輝きがアリスの身体に移って、アリス自身も幻のように輝いている。


「ジェ、ジェラルド・オルブライト……フェアリー?」


 豆鉄砲を食らったような父の顔に、アリスは思わず吹き出しそうになるが、父の顔はだんだんと、真顔になっていた。


「君は……ロレンスフォート公爵閣下のご子息、ジェラルド・オルブライト?」

「はい」


 アリスだけが、会話から置いてけぼりになる。父はまるで、ジェラルドを知っているような様子だ。だが確かに、アリスも聞いたことのある家名だった。


「そんなまさか。神童と(うた)われたあのご子息は、8歳の時に神隠しにあったはず」


 父は青ざめている。アリスの知らない事件が昔、公爵家であったらしい。

 ジェラルドは悲しげな顔で頷く。


「訳あって、10年の間身を隠していました」

「まさか……だが、面影がある! 私は一度、ジェラルド君が幼い頃に、社交の場でお見かけした事があるのだよ」


 ジェラルドはベッドサイドに跪くと、父の動かない手を優しく取った。


「ベリー伯爵。このようなお怪我をされているとは存じませんでした」

「ああ。通常の治癒では治らないほど、神経を損傷してね。お恥ずかしい話だが、高度治癒医療の莫大な報酬を支払うあても無くて」


 父は不甲斐(ふがい)なく笑い、アリスは涙が滲んだ。

 自分に高度な治癒力があれば、父を治せたのだ。


 ジェラルドは頷いて、父の手を両手で握った。


「私に治癒させて頂けませんか。お義父(とう)様」

「お、お義父様?」


 再びポカーンとした父の顔は溢れる光に埋もれて、部屋の内部すべてが、真っ白に光った。

 アリスが眩しさで顔面を隠し、再びベッドの上を見た時には、父が上半身を起こして、ジェラルドを見つめていた。


「そんな、まさか……身体が……動く!」


 父は両手の指を動かし、首を振り、脚を動かした。

 震える瞳でジェラルドを見上げると、間髪入れずに、ジェラルドは言った。


「娘さんを、私にください」


 父は一切の迷い無く、ジェラルドに抱きついた。


「婿殿ー!!」


 アリスはずっこけて、笑いと涙がドッと溢れた。


「ジェラルド! あなたは高度な治癒ができるのね!?」


 ジェラルドの代わりに、父が毅然として答えた。


「オルブライト家は治癒の能力に優れた名家だ! 中でもジェラルド君は、神童として名を()せたんだよ。正に、この婿殿は本物のジェラルド君だ!!」


 もう婿に迎える気満々の父は、ジェラルドを離さない勢いだった。


「ちょっとお父様、私を抜きにして婿だなんて……」

「アリス。こんな福音(ふくいん)のような申し入れは、貧乏貴族には有り得ない縁談だ。ジェラルド君。娘を任せたよ」


 ジェラルドは優美に微笑んだ。


「お任せください。お義父様」



 夜も深まり……。


 ジェラルドは用意された2階の客室の窓辺に立ち、ジャングルの庭を見下ろしている。苺の茂みはまた大きくなって、妖精たちの光が綺麗に灯っていた。


 アリスはシーツを抱えて、茫然とベッドの横に立っている。

 薄暗い室内で、月光を背に佇むジェラルドは神秘的で、まるで尊い絵画を鑑賞しているようだ。


「あの……お父様を治してくださって、ありがとうございました」


 深々と頭を下げるアリスを、ジェラルドは窓から振り返った。


「お義父様とは家族になるのだから、当たり前の事だよ。それに、あの苺を食べたおかげで、私の治癒力が最大限に(みなぎ)ったんだ」


 ジェラルドはアリスの側に来ると、シーツを受け取った。


「つまりは、君の力のおかげでお義父様は治った。初めての共同作業だね」


 アリスはその言い回しに思わず笑ってしまうが、内心は嬉しい気持ちが込み上げていた。自分が作物を育てる力を持っていたなんて知らなかったし、それが父の助けになったなら、救われる思いだった。


「ジェラルドは……どうして妖精王に? 何故、10年も妖精国に隠れていたの?」


 ジェラルドは昔を思い出すように、遠くを見つめた。


「10年前……公爵家の城で、私は治癒の訓練に日々明け暮れていた。そんなある時、中庭で怪我をして倒れている、小さな妖精を見つけたんだ。酷い怪我だった」


 客室の窓の外では、ジェラルドを慕って妖精たちが集まり、手を振っている。ジェラルドはそれを振り返り笑顔を見せて、続ける。


「妖精の怪我を治癒して逃したところを公爵家の関係者に見られて、私は罰せられた。無償で他者を治癒する行為を、家訓で厳密に禁止しているからだ」

「そんな……」

「仕置きで閉じ込められた牢に妖精は再びやって来て、妖精国に来てほしいと誘われた。妖精国では、人間を(さら)って国政を任せる慣習があるんだ」


 小さな妖精達を統べる妖精王が、羽の無い人間である理由をアリスは理解した。秀でた力を持つ子供は妖精に(さら)われる、という昔からのお伽話(とぎばなし)は、本当だったのだ。


 ジェラルドは当時を思い出して、無表情な顔をそっと(しか)めた。


「公爵家は治癒力で巨富を得て、政治に利用する。そんな家柄に嫌気が差して8歳の自分は妖精国に逃避した。そして妖精たちを治癒するうちに、王となった」


 窓の隙間からあの男の子の妖精が中に入って来て、ジェラルドの肩に座った。


「あのね。僕たち、妖精王のお妃様を探してたんだ! そうしたら、町の中にこんな豊かな森と魔法の苺畑があって……みんなも、絶対アリスがいいって言ってるよ! 妖精の国に魔法の果樹園を作ってよ!」


 興奮気味におねだりする姿が可愛らしい。

 アリスが笑うと、妖精はアリスの肩に飛んで来て座った。


「妖精さん、ごめんね。私は妖精の国に行く覚悟が決まらなくて……でも、果樹園ならこのお庭に作るよ」

「本当!? やった~」


 妖精は浮かれて、みんなに報告するために庭に飛び出して行った。

 急に室内が静かになって、アリスは再び緊張する。


「あの……今日はもう、遅いので……」

「うん。おやすみ、アリス」


 ジェラルドは優しくアリスの肩を抱き寄せると、頬にキスをした。銀色の髪が(わず)かに(まと)う心地良い香りは、妖精国の花や森の芳香だろうか。

 このような甘美な挨拶を男性から初めて受けたアリスは、全身がのぼせて、ぎこちなく客室を出て行った。



 翌朝。


 (よみがえ)った父は元気いっぱいで準備運動をした後、埃の積もった仕事場の書斎を、ひっくり返す勢いで漁り始めた。


 ジェラルドは父の肩に優しく触れた。


「お義父様。まだ回復されたばかりですので、ご無理はなさらず。夜にまた、リハビリとして治癒の時間を設けましょう」

「おおぉ、婿殿! 何と心強い! しかし身体が動くからには、領民のためにも鉱山の事業を再開せねば!」

「鉱山ですか。私にもお手伝いさせてください」


 ジェラルドはすっかり父に取り入って、まるで本当の息子や部下のように、父に(した)われている。

 アリスはその様子を唖然として眺めて、ジェラルドの周到な囲い込みに舌を巻いた。


 美しく有能で優しいジェラルドには何の落ち度も無いが、アリスはやはり、妖精国の王妃という、ぶっ飛んだ申し入れに怖じけづいていた。未だにあのような美しい青年がこの屋敷にいることが、幻のように感じるのだ。


 アリスは父とジェラルドが書斎で仕事話に夢中になっている間に、(かま)を持ってジャングルの庭に出た。


 あの苺の茂みは信じられない規模に成長して、爛々(らんらん)と真っ赤な実を咲かせていた。妖精たちは茂みの中を出たり入ったりしている。

 そのうち妖精たちはアリスが来たことに気付いて、艶やかな苺をお神輿(みこし)みたいに担いで持ってきた。


 食べて食べてとはしゃぐ妖精たちの純粋な笑顔に、アリスは苦笑いする。

 なんだか怖くて食べていなかった苺だが、差し出された手を無下にできず、苺を口に入れた。途端に芳醇な香りが口内に満ちて、瑞々しく甘い果汁が、澄んだ泉のように身体に流れ込んだ。


「な、なにこれ……おいひい……!」


 ジェラルドの言うとおり、これは本当に魔法の果実なのかもしれない。アリスは具無しのスープでは得られない栄養を得て、力が漲るようだった。


 (かま)を振り下ろし、雑草を掘り起こし、妖精たちが応援する中、アリスはジャングルの庭を猛烈な勢いで開拓していった。



「ふー!これで全部の畑ができた!」


 芋、豆、人参、南瓜、ハーブ……準備していた苗をすべて植え終えて、アリスは汗を拭う。妖精たちが喜んで踊る中で、苗は苺と同じようにグングンと、冗談みたいな早さで急成長していった。


 アリスはひとまず休憩しようと、屋敷に戻った。

 書斎をノックして入ると、ノックにも気づかないほど、父は白熱していた。


「な、なんとこの一角に、これだけの鉱石が!? すべて希少な原料じゃないか!」

「ええ。間違いありません。偵察隊からの報告ですので」


 どうやらジェラルドは妖精たちを鉱山に飛ばして、山脈の内部を偵察しながら仕事を進めているようだ。

 鉱山内部の地図を指しながら、父に助言している。


「ここの地盤は危険ですので、このルートから掘って、ここに辿り着きます。この尾根を使って線路を引くと良いでしょう」

「むむむ、なんと! それなら最短で採掘場に運べる!」


 アリスはまったく話に入れずに佇むが、白熱の合間にジェラルドはこちらを振り返り、麗しいウィンクをした。

 アリスは赤面して、何故か男らしく頷いた。愛のウィンクに慣れていないのだ。



 その日の夕食は、久しぶりに豪華だった。

 とはいえ、畑の野菜ばかりのメニューだが、芋も人参も栄養が満点で、父も喜んでくれた。


「アリスの畑は凄いな! いつの間に豊作になったんだい!? こんなに濃厚なマッシュポテトは初めて食べたよ!」


 アリスはジェラルドと目を合わせて笑う。ジェラルドも南瓜のスープを大事そうに食している。


「お義父様。アリスは特別に可愛らしく優秀な女性ですから、野菜にも愛されているのでしょう」

「おお、ジェラルド君、その通りだよ!」


 食卓は湯気と笑顔で溢れていて、ベリー伯爵家は久しぶりに幸福な家族の時間を過ごしていた。

 温かい食事と会話はアリスの胸を満たして、食後にお皿を洗う間も、身体が浮かれるように舞い上がっていた。


「これで食器は全部だよ。私がお皿を拭こう」

「ジェラルド! お仕事で疲れているでしょう。ゆっくりしていて」


 慣れない手つきでお皿を拭く、輝かしい妖精王の姿が微笑ましい。


「私はアリスを手伝って力になりたいのだ。それに共同作業で早く片付けて、アリスの作った畑を2人で見物したい」

「畑は、ただの畑だよ?」

「特別な、アリスの魔法の畑だ」


 お皿を手にこちらを見つめるジェラルドの瞳はやはり麗しくて、アリスは泡だらけのまま、胸が高鳴ってしまう。


 庭は苺と野菜が豊穣の森を形成し、妖精たちがそこかしこで輪になって踊っている。

 妖精王と初々しく手を繋いで畑を見物するアリスは、我が家の庭がこんなにもファンタジックで素敵な場所になるとは、思いもよらなかった。



 それからベリー伯爵家の領地は鉱山の開発が再開されて、ジェラルドの助言通りに、希少な鉱石がわんさかと産出された。

 生活エネルギーの原料となる鉱石だけでなく、宝飾に利用する鉱物も新たに発見されて、ベリー伯爵家の財成は、うなぎ登りに潤っていった。



 日々の食事の質が向上して、健康的な肌艶となったアリスは玄関のロビーに佇んだ。

 母の肖像画に、ベリー伯爵家の復興の成り行きを報告している。


「だけどやっぱり、お父様らしいわ。得た収入はまず先に領民のためにって、福祉や職の安定を優先させて。自分は未だにヨレヨレの服を着ているのよ」


 ひとり語りかけるアリスのもとに、ジェラルドがやって来た。


「アリスのお義父様は領主には珍しく、優しく利他心(りたしん)のある方だ」

「うふふ。お人好しなのよ」

「私は好きだ。自分の家族だった人達よりもね」


 それは公爵家の過酷な内情を表す言葉で、アリスはジェラルドの過去に思いを馳せた。若干8歳にして妖精国に逃げ出すだなんて、どれほどの思いで幼少期を過ごしたのだろうか。


 ジェラルドは優しい眼差しで、母の肖像画を見上げている。


「お義母(かあ)様にもお会いしたかった。君に似て、美しい方だね」


 アリスは涙が溢れた。

 もしも、もっと早くジェラルドに逢えていたら。誰もが匙を投げた母の難病を、この人なら治せていたかもしれない。

 ジェラルドはアリスの涙を丁寧に拭った。


「本当は貴族も平民も、誰もが平等な治癒を受けられるべきなんだ。病や怪我で苦しむ人が、少しでも救われるように」

「ジェラルド……優しいね」


 ジェラルドは跪いて、ベルベットの箱を取り出した。アリスに開けて見せた中には、森のような泉のような、澄んだ水色の宝石が輝く、美しいリングが入っていた。


「アリス。これはお義父様の鉱山から僅かに発見された、新しい貴石だ。報酬の代わりに原石を頂いて、妖精国の職人にリングに仕立ててもらった」


 それはアリスと、母の瞳と同じ。そして妖精たちの輝く羽と同じ色の宝石だった。


「私はベリー伯爵家の事業を復興し、この世界の治癒の不平等を改革する。それには君の魔法の果実が必要だ」


 理屈を述べながら、途中でジェラルドは言葉を止めて、首を振った。


「いや……小賢(こざか)しい御託(ごたく)はやめよう」


 再びアリスを見上げると、真っ直ぐな眼差しで言葉を続けた。


「私はアリスが愛しい。どうか、私の愛を受け取ってくれ」


 アリスは震える手で、ジェラルドのリングを捧げる両の手を握った。


「私も……ジェラルドが好きだよ」


 妖精国に行くのが怖いとか、王妃の立場に戸惑うとか、アリスの中にある雑音のような迷いは、誇り高いジェラルドの眼差しによって、消え去っていた。


 ジェラルドが薬指に嵌めてくれたリングは、石の中からなのか、妖精の粉なのか、キラキラと幻のように輝いて、いつまでもアリスの心を捉えた。



 * * * *



 春休みが明けて。


 アリスは新しい制服を着て、馬車に乗っている。

 隣には、高貴な正装をしたジェラルドが座っている。


 あれからジェラルドは、正式な婚約者としてベリー伯爵家に棲み続け、アリスを存分に愛でつつ、事業を再興していた。

 滞納していた学園の授業料も一括で支払えることとなり、今日ここに、父の代理人としてアリスに付き添っている。


「だからって、学園にジェラルドが来るなんて」

「授業料の支払いだけでなく、利息代わりの寄付と、治癒の未来について学園長とお話があるのでね」

「神隠しの神童が現れたら、みんなびっくりしちゃうと思うけど……」


 アリスの心配を乗せた馬車は学園に着き、ジェラルドはお姫様のようにアリスをエスコートして、学園長室に向かった。


 案の定、学園長並びに教師達は全員がジェラルドが現れたことに驚愕(きょうがく)し、治癒の未来についての高説を、背筋を正して聞いた。


 学園長室を出て、ジェラルドがアリスを教室に送る最中に、廊下は騒然としていた。

 あの貧乏貴族の落第生のアリスが、まるで春休みデビューを果たしたかのように艶やかなお嬢様になって、しかも有り得ないほど美しい貴公子を連れていると。


 嬌声の中から、(とげ)のある笑い声が聞こえた。

 アリスが振り返ると、そこにはベサニーとビヴァリー姉妹が仁王立ちしていた。苛立ちから、顔が引きつっている。


「ベリー伯爵家は金脈を当てたらしいわね。まるで成金じゃない。お金で男も雇ったのかしら?」


 何がなんでも蔑みたい姉妹の根性に、ある意味感嘆してしまったアリスだったが、ジェラルドはアリスを(かば)うように姉妹の前に歩み出た。

 姉妹は美麗な迫力にビクッと体を硬直させると、目を丸くしてジェラルドを見上げた。


「失礼。私の大切な婚約者と、お義父様になられるベリー伯爵を侮辱するとは許せない。私はジェラルド・オルブライト。貴方がたのお名前も教えて頂こう」


 オルブライトの名は聖女を目指す生徒なら誰でも知っている公爵家のものであり、悪名として家名を問われるのは、これ以上なく不味いことだった。

 姉妹は真っ青になると、ジェラルドの軽蔑の眼差しと、周囲の好奇の目に縮むように小さくなって、スゴスゴと後退した。


「あ、あら……ごめんあそばせ……ちょっとした冗談でしたのよ。オホホ……」


 尻つぼみの言い訳を残して、退散してしまった。


 アリスはジェラルドの腕を掴んで、こちらに向かせる。

 ジェラルドは途端に優しい顔に戻っていた。


「愛しいアリス。授業が終わったら、迎えに行くよ」

「帰ったら、ジャガイモのグラタンを作るから。みんなで待っててね」


 ジェラルドは嬉しそうに微笑んで、アリスの頬にキスをした。



 ベリー伯爵家の庭は豊かな森の果樹園となって、苺や葡萄、オレンジなど、色とりどりの魔法の実を咲かせている。


 いつしかここは、幸せを呼ぶ妖精の果樹園と、人々に呼ばれるようになっていた。

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