春な忘れそ(三十と一夜の短篇第77回)
今は昔、陸奥国の川上に桑島長者と呼ばれる者が住んでいた。長者と妻の間に息子はおらず、娘が三人いた。三人とも器量に恵まれ、気立てがよく、糸紡ぎや機織りが巧みな姫たちだった。長者と妻は男児に恵まれないのを嘆くよりも、珠のような娘たちを慈しみ、いずれ婿を取るであろうから、その婿に跡を継いでもらおうと先を夢見て話すのであった。
長女の舘世、二女の滋世、三女の幾世は両親の願いを聞かされつつも、いつになるか知れぬことと真剣に考えもしなかった。三人仲良く、機織りや裁縫をし、楽を奏したり、歌物語を読んで語り合ったりしているのが楽しく、夫を迎える行く末は、我が身が百年経て白髪の老婆に変じてしまうくらい、うつつと思えぬ姿と言えた。
春の終わりのさわやかな風が吹く日、機織りで杼を操りながら、ふざけながら三人は代わる代わる調子よく声を出す。
「ほととぎす おのれかやつよ 言わでたもう」
「早苗植えるよ 空の下」
「いつかは主の飯となる」
そこへ知らぬ声が加わった。
「都の人は 田を知らぬとかや」
三人の姫は驚き手が止まった。滋世が突き出し窓に近寄り、外を見遣った。
「何者ですか!」
滋世は窓辺に立つ者を認めて、袖をかざして顔を隠した。舘世と幾世は外から見られないようにと体をかがめながら滋世に縋り付き、外を窺う。
涼やかな声に相応しい涼やかな風体の青年は礼儀正しく返答した。
「怪しい者ではございません。それがしは山城国の住人、山上師清が一子雄幸と申します。父の言い付けで久慈まで参る途中でございます。華やいだお声が聞こえましたので、歌を詠むのに加えていただきたくて、つい……。お許しください。
桑島の長者のお住まいはどちらかお教えくださいませんか? 一夜の宿を求めております」
舘世が身を隠しつつ答えた。
「ここが桑島長者の屋敷です。案内できますかどうか尋ねてまいりますので、しばらくお待ちになってください」
舘世が去ると、滋世と幾世は機織りに戻らず、じっとしていた。山上雄幸と名乗った青年は思案顔をして佇んでいる。
やがて家令が外に出てきた。家令は頭を下げ、雄幸は再び淀みなく用件を告げた。家令はぜひお上がりになってくださいと、館に招き入れた。
「お客様だったのね。山城国なら都のことかしら?」
「都の方なら歌をお詠みになるのは得意でいらっしゃるでしょう? わたくしたちの機織りの戯れ歌を聞かれてしまうなんて、恥ずかしい」
後ろから声が掛かった。
「都の方なら都から来たと仰言るのではないかしら」
いつの間にか舘世が戻ってきた。
「いきなり端近に来て声をお掛けになるなんて、雅な都の方とも思えません」
「都の人が雅やかとは限らないのではないかしら?」
「男の人に軽々しく姿を見せてはいけないと言われていたのに、わたしたち、見られてはいなかったかしら? なんだか怖いわ。先日笠島で盗賊が出たなんていうもの」
「笠島よりもこちらは人数が多いから守りが堅いと、お父様が仰言っておられたわ。お客様のお相手だってお父様がなさるはず、わたしたちが案ずる必要はありません」
姫たちは機織りに取り掛かろうとしたが、もう戯れ歌は口から出てこないし、杼を動かす手も止まりがちだった。不規則に機が音を立て、布地の目がむらになり、仕事が進まない。はかどらぬ日もあると舘世が言い、妹姫たちも同意して、今日の勤めは終わりとした。
女性たちで夕餉を済ませた頃合いに、家令がやってきて告げた。
「お館様からおいでいただくよう言付かってまいりました。お客様に姫様方をご紹介したいそうです」
三人は戸惑いながら、父の言い付けならと大座敷に入り、衝立の陰に座った。
桑島の長者は上機嫌で娘たちを客人に紹介した。
「娘たち、こちらにおられるのは山上師清殿のご子息雄幸殿だ。師清殿は都の御所に出入りされておられて、儂の所領安堵にもお力を添えてくださった方。隠れていないでご挨拶せよ」
改めて父から聞かされ、昼間は無礼がなかったかと今更ながら思い出されて、姫たちは顔を赤くし、小さくなったままお辞儀をした。
「不調法で申し訳ない」
「いえいえ、突然現れた者に親し気に振る舞われる深窓の姫などいらっしゃいません。それがしをむくつけき賤の男と恐れていらっしゃるのでしょう」
「何を仰言る。実にさわやかな男ぶり、雄幸殿と比べられたら誰でも賤の男」
「それがしなどまだまだ若輩に過ぎませぬ」
姫たちは衝立を除けてしまいたかった。しかし立ち上がる勇気もなく、そわそわと姉妹で目配せし合うのみだった。
「お耳汚しに一つ奏しましょう。お心が和めばさいわいです」
雄幸は笛を取り出し吹き始めた。澄み渡る音色に一同は聞き入った。柔らかく、時に鋭く響く笛の音は雄幸の心映えを表すかのようだった。笛の音には何の邪念も含まぬはずなのに、魔法をかけられたように姫たちは動けなくなった。
雄幸が笛をしまうと、長者は娘たちは琴や琵琶を嗜むと言ったが、見事な演奏を聞かせられては気後れがすると三人とも尻込みした。
歓迎の席がお開きとなり、灯が消され、皆は眠りに就いた。
深更、板が割られ、金属が打ち合わされるような音が続いた。叫び声や、怒鳴り散らす声がして、姫たちは目を覚ました。聞こえてくる物音に怯え、灯りを点けることもできずに身を寄せ合って、息を潜めた。ぱたぱたと足音がして、母が入ってきて、襖を閉めた。
「狼藉者です。お父様たちが追い払いますから、ここから出てはいけません」
「はい!」
刃物を打ち合い、物や人がぶつかり倒れるような音がする。生きた心地がしない。数人が争うようにこちらに駆けてくる。
どうか、どうか父の配下の者でありますようにと祈ったが、どうやら違った。
がらりと襖を開けて松明を掲げたのは、腹巻姿の見知らぬ男たちだった。
「こりゃあ長者の妻と娘たちだ!」
「無礼は許しませんよ」
母が男たちを睨みつけたが、構わず男たちは手を伸ばす。母が振り払おうとすると逆に突き飛ばした。
「歯向かっても無駄だ」
姫たちは悲鳴も上げられず、ただ亀のように縮こまった。
「待て! 夜盗どもめ!」
駆け込んできたのは雄幸だった。
「青二才が何をほざく!」
「物取りには負けぬ」
野党は松明を投げ捨て、刀を構えようとしたが、雄幸の方が早かった。峰を向けて肩に担いでいた刀でそのまま夜盗に斬りつけた。首筋から血が噴き出して一人が倒れ、もう一人が斬りかかってきた。雄幸は刀で受け止め、力を込めてぱっと飛び退いた。
幾世ははっとして投げ捨てられた松明を拾った。何をしているの、と姉たちが言うのも聞かず、野党の足元めがけて投げつけた。命中こそしなかったものの、野党は足元近くの火の熱さに飛び上がり、その隙を突かれて雄幸に斬られた。
「助かった!」
雄幸は松明を外に投げ捨て、残る夜盗が掛かってくるのを斬り捨てた。
「お怪我はございませんか!」
夜盗に突き飛ばされた母に雄幸が問い掛ける。
「大事ございません。雄幸殿こそお怪我を!」
「かすり傷です。まだ賊が潜んでいるやも知れません。油断はなりません」
血刀を下げ、すっくと立つ雄幸が厳しい眼差しをあたりに投げ掛けるのを、母も姫たちも頼母しく見上げた。
夜が明ける前に、夜盗の一党は桑島館の手勢と雄幸に倒され、生き残った者たちは皆縛り上げられた。
「残党はおらぬか」
「見苦しきものは疾く片付けよ」
日が差してくるにつれ、災いが去ったと安心できた。
「此度の雄幸殿のご活躍、感謝の念に堪えません。雄幸殿がいらっしゃらなかったら、我が家は夜盗どもに蹂躙されておりました」
「いえ、それがしがまいってお騒がせしたことで夜盗を引き付けたのかも知れませぬ。かえって申し訳ございません」
「謙遜なさいますな、雄幸殿のお働きあってです。先月も近隣で盗賊が出たばかり。その一味に違いありません。
雄幸殿、手傷を負われたようですな。妻女に手当させます。お召し替えもどうぞ。刀も手入れが必要です。どうかごゆるりと逗留なさっていってください」
こうして雄幸は桑島長者の屋敷でしばらく滞在することとなった。
長者も妻も我が家の恩人と雄幸をもてはやし、刀傷や火傷を負った雄幸は屋敷の者たちから下にも置かぬ扱いをされた。手傷が全快せぬとはいえ、若い雄幸は退屈した。笛を吹くにも手指が利かぬと、つれづれを紛らわせるにはどうしたらと長者に持ち掛けた。ならば、と長者は言った。
「娘たちが雄幸殿のお話し相手になりましょう」
姫たちは琴や琵琶を聞かせて差し上げろ、機織りの調子を上げる戯れ歌の要領で良いから連歌をしてみよと父から言われて、雄幸の前に連れてこられた。四人とも緊張して声を発せられないでいたが、やっと雄幸が口を開いた。
「姫様方、ご機嫌はいかがでしょう。
あの夜はとんだ災難でした。夜盗の足元に松明を投げてくださって助かりました。今一度お礼を申し上げます」
幾世は雄幸の言葉に舞い上がり、顔を袖で隠した。雄幸はその仕草で、松明を投げたのはこの姫であったかと、見詰めた。雄幸の視線の行方を見てとって舘世が言った。
「妹がお役に立ててよろしうございました」
「男でもいざという時は身がすくみます。ご気性がしっかりしていらっしゃる」
舘世も滋世も幾世を見た。幾世は身がすくむ。姉たちがこんな目で自分を見たことがあっただろうか。
滋世は済まなさそうに言った。
「わたくしなど恐ろしくて動けませんでした。何もできなくて口惜しうございます」
「いえ、心根のやさしい方が夜盗など目にされたら当然でしょう」
褒められたと感じたのか、滋世は微笑んだ。今度は舘世が言った。
「わたくしは夜盗に突き飛ばされた母に縋っておりました。山上様がいらっしゃらなかったら、わたくしたちはさらわれていたかも知れません。お礼を申し上げなければならないのはこちらです」
「こちらこそ手当てを受けて、充分なもてなしを受けております。有難いことです。
もうやめましょう。
川上は豊かで素晴らしい土地ですね。桑島長者はひとかどのご仁ですし、奥方様も姫様方もお美しい」
どうにか会話が続き、雄幸は再び幾世に目を向けた。
「松明を投げた姫、どうしてあなたは黙っているのですか? それがしと話をするのがお嫌ですか?」
幾世は顔を隠したまま、ますます小さくなった。
「この子は末っ子で、まだ子どもなのです」
と舘世は言った。
「残念ですね。お声を聞かせて欲しいのに」
幾世は袖から雄幸を覗き見た。雄幸はその様子に片頬笑んだ。
舘世は琴、滋世は琵琶を、そして幾世も促されて琴を奏で、姫たちの楽に雄幸は聞き入った。
「お見事でございます。心洗われる思いです。お声も楽の音も心地よく響きます。
それがしが訪れた日に、機織りで詠っていたのは『枕草子』の一節を引いてなのでしょう? 田植えの唄でほととぎすをけなすとはと、清少納言が嘆いている段の?」
「戯れごとを聞かれてはずかしうございます」
「いいえ、姫様方は音曲だけでなく、書を読むのもお好きなのだと、それがしは感心しております」
「わたくしどもは女文字の書しか読めませんが、殿方は四角い漢字の書を嗜まれるのでしょう?」
「わたくしたちの知らない、素晴らしい知識をお持ちなのかと存じます」
「何、どこそこの国の広さ、都までの道のりは、といった程度です」
はじめこそためらっていたが、三人の姫たちはお喋りを止められなくなった。
桑島長者の姫たちは山上雄幸が現れてから変わった。三人が三人とも危機を救ってくれた若者の姿が眼裏から離れない。少しの間でいいから側にいたいと願い、姉妹の誰かと雄幸が語らうと胸がざわついた。抜け駆けされてはならないといつも一緒にいようとするので、息が詰まりそうだ。仲の良かった姉妹はもう優しい気持ちで互いを見られない。
幾世は母から、紡いだ糸を染めるから一緒にいらっしゃいと声を掛けられた。母が一緒だからといいでしょうと舘世と滋世は横柄に促した。幾世は母と生糸を持って別の室へと入った。姉たちは二人で雄幸の側に行ってお喋りをするのだろうか、幾世は心あらずで染めに使う鍋に張った水色を見る。
「この頃あなたたちの様子がおかしいですね。雄幸殿が原因でしょうか?」
ずばり言い当てられて、幾世は返答に困った。母は溜息を吐いた。
「雄幸殿は実に立派な殿御です。父上はあなたたちのいずれかの婿にできたらと仰言っています。
でもわたくしの考えは違います。今は憧れもあって語らうのは心躍るものなのでしょう。しかしあなたたちがいがみ合うのでは母は心が苦しい。都を知る人と鄙に住まう者は何かと暮らしに差があります。親しみが狎れ合いになって失望することもあるかも知れません。雄幸殿は旅の途中、心通わせれば別れは辛いもの。
雄幸殿にはお怪我が治り次第、早々に去っていただきましょう」
どうにか染色を終え、幾世は涙ぐみながら部屋に戻った。姉たちは妹の様子に何事かと問いただした。幾世は母から言われたことを伝えた。いつかは雄幸がこの屋敷から立ち去る日が来る、そう判っていても、心乱れる。まして母が出立を望むとは。
「お父様が雄幸殿をわたくしたちのいずれかの婿にしたいと仰言っているのに、お母様は反対なさっておいでなのね」
「わたくしたちはお父様の申し付けに従って雄幸殿のお話し相手を務めました。お母様はそれが良くないと仰言るの? ご縁が生じるかどうかは、それこそ出雲の神様がお決めになることなのに」
「争うのは嫌です。わたくしたちの誰が一等雄幸殿に気に入られようと、わたくしたちははらからですよね?」
姉妹で言い合っていても埒が明かない。わたしたちのいずれが好もしいか雄幸殿に選んでいただきましょう、雄幸殿がお決めになるのなら誰であっても納得できると、姫たちは雄幸のいる棟に向かった。
雄幸は姉妹の言い分を聞かせられ、必死の形相で見詰められるのに困惑した。桑島の長者がやたら娘たちを近付けようとしている魂胆に気付かぬではなかったが、姫たちがこれほど己に夢中になっているとは思ってもみなかった。
「それがしはこの屋敷に来るべきではなかった」
雄幸は続けた。
「姫様方、それがしはあなた方が機を織りながら歌う声が好きでした。どれほど仲睦まじく、微笑ましい方たちかと焦がれる思いがしました」
姫たちは雄幸の言葉を何一つ聞き逃すまいと真剣であり、雄幸も生半なことは言えない。
「それがどうでしょう? それがしにあなた方から一人を選べとお迫りになる。
それがしにはお一人を選ぶなどできません。それがしが好もしいと思うのは桑島長者の三人の姫様方の仲の良いご様子です。ただ一人になど決められません。
お判りですか? それがしは旅の途中です。いずれ去る者が旅先で深い縁を結べましょうや。同じ枝に咲く花々、同じ巣に育つ鳥の雛たち、まれびとが気紛れに選んで手に取るのは罪となります。
それがしはお三人が仲良く機を織り、楽を奏する姿が好ましい。誰かを格別にとは思っていない。
それがしは白鷺の群れに飛び込んで和を乱した玄鳥です。渡りの鳥は跡を濁さず去りたいと存じます。どうか玄鳥が去れば元の通りに長者の羽の許、睦まじくお暮しください」
姫たちはいつの間にか下を向いていた。
「姫様方のお心を傷付けました。お詫びいたします。それがしにできるのはそれしかございません」
幾世は一人面を上げて雄幸を真っ直ぐに見た。
「雄幸殿を悩ませることはもう申しません。
燕ならば季節が廻り春になればまた来ます。雄幸殿も久慈でのご用が終われば山城国にお戻りになるのでしょう? お帰りの折にはぜひ桑島屋敷にお立ち寄りください。わたくしたちは皆で歓待いたします。決して決してお困りになるような真似はいたしません」
舘世も滋世も妹に肯いた。
「ええ、雄幸殿のお言葉はもっともです。得心いたしました。桑島長者のもてなしは真心から、お疑いなきよう」
「雄幸殿のお言葉をいただいたのですから、胸のつかえが取れました。お帰りの際もぜひお立ち寄りを」
姫たちは雄幸に返答を迫った無礼を謝罪した。
山上雄幸は傷が癒え、刀の研ぎも終えると長者に礼を言い、旅立った。
雄幸の不在に姫たちは嘆いたが、ひととき涙を流して憑き物が落ちたように心は凪いだ。まれびとが去れば日常が戻る。姫たちはまた睦まじく糸を紡ぎ、機を織った。明るい声で調子を合わせて手を動かす。
長者は雄幸を婿にできずに残念がったが、奥方は娘たちにはまだ早かったのですよ、と一蹴した。
一年が過ぎ、春には燕が勝手知ったる軒に巣作りし、子を育てては巣立った。秋には雁や白鳥が空を行き、水辺に憩う。雄幸は川上に現れなかった。久慈での用が長引いているのか、川上に寄らず帰郷したのか、桑島長者の館の者には判らない。舘世は陸奥国の守護に見初められて妻となり、滋世も常陸国の代官から縁組を持ち掛けられて嫁いでいった。残った幾世に婿を取ってもらわなければと長者は娘に言い聞かせるが、なかなか話がまとまらなかった。姉たちと機を織り、物語を語らった日々ばかりが懐かしく、婚儀は姉妹を引き離すだけだと幾世は寂しくてならなかった。誰も選ばなかった雄幸は正しかったと、ただただかなしい。
冬が終わり、春の兆しを感じ始める時期になっても幾世の心は晴れず、姉たちが残していった小物や文を胸に抱いて泣きしおれた。心が弱るように体も力を失い始めた。
床から起き上がれなくなった幾世を父と母は必死に看病したが、湯水も喉を通らぬほど容態が悪化し、明日をも知れぬ身となった。外は新緑が輝き、燕が陽光を受けて翼を翻して飛んでいる。命の謳歌の季節なのに、幾世は共にできない。
屋敷の者が慌てた様子で勢い込んできた。
「失礼申し上げます。山上雄幸様がいらっしゃいました。お通ししてよろしいでしょうか?」
長者と妻は少しでも幾世の心を慰められればと、雄幸を屋敷に招き入れ、幾世の病床に連れてきた。
「お久しうございます。渡りの鳥は再びまいりました」
「お会いできて嬉しうございます。笛をお聞かせねがいます」
雄幸は願い通りに笛を吹いた。哀調を帯びた笛の音を聞きながら、幾世の魂は幽世に去った。長者夫婦も雄幸も館の者たちも皆嘆き、涙を流した。
弔いの後、雄幸は片袖を切って幾世の墓前に供えた。
雄幸は後ろを振り返り振り返り、山城国へ帰った。桑島長者は長く土地を治め、死後は地縁の者が領主となった。
雄幸は若くして亡くなった姫への愛惜の情が絶ちがたく、生涯独り身を通したと伝えられている。
宮城県名取市に「幾世姫と小佐治の墓」がある。




