十一月十五日 手毬寿司
三歳の時に、手毬を授けられる。
五歳の時に、手毬を天高く投げ上げて地面に落とさないように受け止める。
七歳の時に、手毬を歌に合わせて思うままに動かし寿司を作れるようになったら一人前。
酢、米、魚、貝、海藻、卵などのすでに食べられるように調理された具材を生かすも殺すもそなたたち次第。
そして、
その年まで生きて来られた感謝の気持ちを伝えられるかどうかも。
両親、姉妹兄妹、親戚、近所の人たちがそれぞれ集まる中。
無事に七歳を迎えられた子どもたちは、思い思いに手毬の中に寿司の具材を入れて糸で縫い合わせ固定してのち、それぞれの家に伝わる歌に合わせてついたり、高く上げて受け止めたり、時には子どもたち同士で投げ合ったりして、一生懸命思考を張り巡らせて手毬を動かし寿司を作り出して行く。
人の世に対してだけではない。
地、水、森、空気、動物などの人以外の世に対しても感謝を伝えるのだ。
生かしてくださってありがとうございます、と。
そして、覚悟も伝える。
己も人の世も人以外の世も護って行きます、と。
米と酢が巧く交わったり交わらなかったり。
具材がきれいな形を保っていたりぐちゃぐちゃに潰れていたり。
色合いがきれいだったりきたなかったり。
味が美味しかったり不味かったり。
形がまん丸だったり波を打っていたり。
子どもたちは集まってくれた人と人以外の世に少しずつ手渡してすべてに行き渡るようにして、微かに残った最後の手毬寿司を掴んで口に運び味わい、深々と頭を下げるのであった。
子どもたち以外の世も深々と頭を下げて言うのであった。
味や形などに対して評価を下しはしない。
ただただ。
ありがとう。
ごちそうさまでした。
ようこそ。
と。
(2022.8.5)