王の眷属
鼎には妹がいる。
「篝。妹を、頼む」
「なに。これから死ぬの?」
私は昔から、妹ちゃんの面倒を見ることが多かった。
そういう意味じゃ、妹ちゃんの存在には感謝してる。
けど、
問題は……。
私にも、兄貴がいるんだ。
だから、
鼎にとって、
私も、
妹ちゃん、の範疇に収まってしまっている、
かも、知れない。
それが、大問題なんだ。
ここは、ポートビス海峡。
その水底に、深く深く、沈み込みながら、篝は穏やかな走馬灯を眺めていた。
「帝ってさ。将来、どんな女と結婚するんだろうね」
「そりゃあ、お前、覇王みたいな女に決まってるだろ」
「それまでは、私たち家臣が帝キュンの貞操を守らないと」
「じゃあ、寝首を掻かれないようにまずは、お前に貞操帯をつけよう」
「きっしょ。死ねば?」
私と鼎を繋ぐのは、帝の存在だ。
その帝の気まぐれで、この【煉獄】なんていういかれた世界で、私は溺死しかかっている。
最悪。
マジで。
でも、
こんな時に思い出すのが、鼎との思い出ばっかだってのが、
最悪を超えて、
超、最悪。
その日は、
私がダンス教室のババアと揉めて、半殺しにして帰ってきた日のことだった。
「篝。妹に算数、教えてやってくれ」
「絶対、頼む相手、間違えてるから」
ボロボロの私には一切、触れず、あほみたいにあったかい放課後がそこには待っていた。
「篝ちゃん。泣いてるの?」
「ううん、大丈夫。ただの生理痛」
「兄貴、篝ちゃん泣かせたら、マジで殺すからね」
「俺の周りの女、怖すぎない?」
ああ……。
あったかい。
だから、
だからこそ、
柔らかいものに触れる度に、怖くなるんだ。
優しくない自分が、怖くなるんだ。
でも、
そんな、私でも、
誰かにとっての、なにかになれたなら。
深く深く、深海に沈む。
水底の歌姫、ナーサの歌声は、優しく、ひたすらに優しく、篝の意識を天国へと導いていく。
かつて、ジャレ大陸とヴルム大陸を結ぶポートビス海峡は、多くの交易船で賑わっていた。
しかし、ヴルム大陸を支配する帝国が、ドワーフを使った奴隷貿易に乗り出し、交易船の船員に多くのドワーフを登用していたジャレ大陸の国家連合は、協議により、帝国との一切の交易、人々の行き来を禁止事項にした。
それ以来、ポートビス海峡は濃い霧が立ち籠め、幽霊船の伝説が流布する不気味な海域と化してしまった。
「なに、読んでんの?」
「知らんのか。【転校生が超人気声優で異母妹で転生したハーフエルフだった件について。】ラノベ界隈じゃ一番、流行りのキラータイトルだぞ」
「なにそれ……。人間関係、終わりすぎじゃない?」
私と鼎は、いつも屋上でさぼってた。
帝は、いたりいなかったり。
海の底って、そんなに青くないんだね。
瞼の裏に映るのは、あの日に見た、
どこまでも澄んだ、青い空。
そして、
鼎の眼、
鼎の鼻、
鼎の耳、
鼎の唇、
鼎の手、
鼎の血管、
鼎の声、
鼎の言葉……。
鼎の、ことばかり。
ああ……。
もう、いっそのこと、
その心臓を、抉り取って、
耳を、引き千切って、
瞼も唇も、使わない間は縫っちゃって、
手足をへし折って、
手錠と首輪をつけて、
私がいないと、生きられない体にしてしまえたら。
兄貴みたいなきしょい男を、私が好きになるはずがない。
鼎は、兄貴とは違った。
だから、
鼎。
私も、妹ちゃんとは違うんだよ。
私を、
私を見てよ。
そのままの、私を。
深く、深く、
篝は、ナーサの胸元に手を伸ばした。
この人の、心臓を、
ぶち抜けば、私は生きて帰れる。
手を伸ばせば、届く位置にある、
心臓。
でも、
脳裏に浮かぶ、鼎の背中には、
私がいくら、必死に手を伸ばしても、
届かない。
そんな、想像しかできない。
悔しい。
悔しい。
悔しいよ。
水の中だから、いくら泣いてもばれやしない。
でも、きっと、
この、恐ろしく優しい歌声を響かせるこの、歌姫だけは、
きっと、私の心の慟哭も、見抜いちゃってる。
そんな、気がする。
「平行線だ……」
深海なのに、なぜか、息できる。
喋れる。
きっと、この人のお陰なんだろう。
そう、
平行線、なんだ。
私と、鼎は。
私が、兄貴の面影を、
鼎が、妹の面影を、
互いに重ねてしまっている。
認めたくは、なかった。
でも、
それでも、
私は……。
「諦めたく、ないんだ」
もう、薄々、察してはいるんだよ。
鼎は、私にとっての、【運命の心臓】じゃない。
でも、
この腕が、ある限り、
あの、真っ青な日々が私の胸を動かす限り、
手を伸ばすことを、やめたくないんだ。
篝の体とともに、ナーサもまた、深い深い水底へと沈んでいく。
手を、伸ばせば、
届くのかな?
ナーサは、ただ、優しく微笑んでいる。
きっと、
このまま、この歌声に魂を委ねて、
そのまま逝ってしまえば、私はきっと、
二人だけの花園で、鼎といつまでも、笑い合っていられるだろう。
それでも、いいのかも知れない。
だって、人っていつか、死んじゃうらしいよ?
だったら、幸せな最終回が、あったってさ……。
糞っ。
いつかって、いつだよ。
帝は、言ってた。
私たちは、諦めないことだけが唯一の美徳なんだって。
ああ……。
糞がっ。
むかつく。
なんか、なぜか知らないけど、心底、
腹が立つ。
「気に喰わねえな……」
思い出すのは、鼎の顔だけじゃない。
あの日、ぶん殴った、ダンス教室のババア。
兄貴。
鼎の、妹ちゃん。
それから、ガタコーのみんな。
この【煉獄】には、賢しらぶった最終回が用意されてるらしい。
そのネタバレを、読んだ。
私は、このしみったれた海の底で、溺死して終わる手筈だったらしい。
なんか、
なんか、随分と、
舐められてんじゃねえか。
篝は、水中で身をよじらせ、ナーサの胸元にしっかりと、右手をあてがう。
鼎。
あんたがこの世界で、一番にかっこよくて、理想の男で、お嫁になれたら、きっとハッピー!
なんて、糞みたいな妄想も、
そんな妄想を、微塵も疑わなかった糞な私も、
そんな、過去の苛立ちの全てを、
全部を全部、
なかったことにはできないから。
この世界の粗筋も、
押しつけられた死に様も、
全部が全部、
「気に喰わねえ」
ナーサの姿が、消えかかっている。
間に合わなければ、私は死ぬ。
間に合うか?
届くのかな、
私の、この腕で、
この期に及んで思い出す、あの広い背中に。
「違う……」
いい加減に、夢から醒めろ。
平行線だろうが、なんだろうが、
私は、私なんだ。
私の心は、
私の傷跡は、
私だけが決められるものなんだ。
くだらねえ粗筋なんて、
全部を全部、ぶっちぎってやる。
ナーサが、ゆっくりと瞼を閉じる。
ああ……。
ザムザ。
私はもう、歌わなくていいんだね。
ナーサが抱いていた亡骸が、そっと、深海の泡となって消えていく。
こいつ、
こいつも……。
消えない面影を抱いたまま、この深海で苦しんでいたんだ。
私には、理解る。
篝の体に、一気に水圧が加わり始める。
肺が圧迫され、ほとんど四肢の自由も利かない。
届くのかな?
過去の私が、それでも足を引こうとする。
うるせえな……。
届くのか?
じゃ、ねえだろ。
帝、
「聞いてんだろ?」
あんたに言われなくても、理解ってんだよ。
私の【本懐】くらい、私が一番。
だから、
届くのか?
その返答も、決まってる。
「届かせるんだよ!!」
篝は、ナーサの心臓をぶっちぎった。
瞬間、
眩い瞬きとともに、凄まじい海流が巻き起こり、篝の体をポートビス海峡の浜辺まで打ち上げた。
最後に、篝はナーサの、強い意志を秘めた瞳を捉えた気がした。
そんな、気がした。
「ぶっ、はあ」
息が、できる。
生きてる。
やった。
「勝ったぜ、帝」
私は私を、諦めなかったよ。
篝は浜辺に横たわったまま、高らかに拳を天に突き上げた。
ああ……。
なんつー、いい天気だ。
あの日の空より、
ずっと、ずっと。
「父ちゃん、霧が晴れたよ!?」
「なぬ!?なにごとだっ」
騒々しく、近くの小屋にいたドワーフの親子、バニキとキータが駆け寄ってくる。
「ねえ、誰か倒れてるよ!?」
「ききききき、キータ、取り敢えず、【白亜の騎士団】に連絡だっ」
うるせえな……。
こちとら、疲れてんだよ。
篝は、ひょいっと体を持ち上げ、照りつける砂浜の熱さ、どこまでも広がる大海原、そして、ぴんぴんしている自分の四肢を確認して、
それから、盛大に腹が鳴った。
「おい、おっさん」
「え、俺か?」
「父ちゃん、呼ばれてるよ!!」
「この辺りに、マ○クある?」
篝の、【絶望】。
そして、その【火花】。
そう。
それが、
それこそが、【歌姫の真珠】。




