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【全年齢版】本当は怖い、星街すいせい。【転載厳禁】

 うだるような、暑い夏の日だった。


「ここが、戌亥本家?」


「せやで」


 軽井沢にある戌亥分家の邸宅から軽トラを走らせること、約四時間半。(運転は戌亥)


 苔生した渓流、未舗装の泥道、首の捥げたお地蔵様……。


 およそ生きた心地のしない旅路の中、戌亥とこは延々とあんスタの推しについて語っていた。


 戌亥本家に到着後、僕は遥か以前に食べた冷やし中華を付近の茂みに盛大に戻した。


「うわ。閲覧注意やな」


 蜩の鳴く、真っ赤な夕暮れのことだった。


「なぜ……。星街すいせいを隔離してるんです?」


 口元を拭いながら、満身創痍で僕は問い掛ける。


「戌亥家の方針やねん。類稀なる歌唱力を持ったVtuberは、本家地下の座敷牢で隔離する。忌み子としてな」


「他のVtuberを保護する目的か……。それとも、星街自身を希少財産として保有したいという思惑か」


「後者やろうな」


「血生臭いなあ……」


 日本の夏は、湿気が多いから敵わない。


 早く、ボリビアにある渋谷ハルの別荘に帰りたいところだが……。


「兎に角、星街すいせいを調査せよというのが上司からの依頼でね。それを果たさない限り、僕の首が飛ばない保証はない」


「どうなっても知らんで?本家地下の座敷牢に近寄る阿呆なんぞ、私含めて一人もおらんねやから」


「ここ、本当に法治国家?」


「放置国家かも知れへんな」


 笑える。


 この村は、平成の大合併にも巻き込まれず、人口の著しい減少からか、ほとんど行政からも見放された状態にある。


 その証拠に、なんと国土地理院の地図にも載っていないというのだから驚きだ。いつ水溜りボンドが取材にきてもおかしくない。


「暑いなあ……」


 夕方だというのに、一向に暑さが収まらない。


 茜色の空に、真っ白な入道雲が浮かぶ。


 昔は、あのなんてことない風景に浪漫を感じていたりしたな。


 いつから、湿気と温度に不快感を漏らすだけのつまらない大人になったのか……。


 午後五時の放送が鳴って、辺りを虫取り網を担いだ少年たちが走り抜けていく。


「ははっ、令和にもああいう子供はいるんだなあ。ちょっと安心しました」


 小粋なトークのつもりだったが、不意に戌亥の表情が曇る。


「令和……?」


「え?」


「令和って、なんどす?」


 ……。


「あれ」


 気の所為だろうか。


 既視感がある。


 頭を強く、締め付けられているような……。


 足元が泥濘む。


 どこからか、僕を呼ぶ声が聞こえる。


「……。めだ」


「……。ちゃ、めだ」


「行っちゃ駄目だ」


「行っちゃ駄目だ!!」


 鼓膜が破れそうな程に巨大化したその声に驚いて、僕の身体は激しく震えた。


「……!!」


 いまのは……?


「馳河はん?」


「ああ、いや……。すいません。なんでもないです」


「そか。ほなええわ」


 軽いな。


 でも、そのさばさばした性格に助けられた。僕の精神が任務遂行に能わないと見做されたら敵わない。


「……」


 ちなみに、一応。


「今日って、何日ですか?」


「はあ?決まっとるやろ。二千二十一年の、八月三十一日や。さっきの餓鬼んちょども、宿題はちゃんと終わっとるんやろか」


「令和、ですよね?」


「当たり前やん」


 よかった。


 正常な現実だ。


 ……。


 よかった、のか?


 じゃあ、僕がさっき感じたアレはなんだったんだ……?


 駄目だ。


 これ以上、深く考えちゃいけない。


 理性じゃなくて、本能がそう訴えかけている。


「ほな、いこか」


「はい……」


 本家地下の座敷牢に続く階段は、外の灼熱地獄とは無縁の快適さだった。


 というか……。いくらなんでもこの涼しさは異常だ。


 薄気味が悪い。


「なんで、本家がこんなボロボロで、分家があんなに立派なんです?普通、逆では」


 震え出す両脚を気取られないよう、僕は必死に話題を捻出する。


「知らんわ。骨董趣味とか、なんかそういうアレなんちゃう?」


 この女……。いつ如何なる状況でもクール。この期に及んでは助かるが。


「ひっ!?」


「なんやねん」


「か……。壁がすごい、ぬるぬるしてて」


「苔とかなんか、その手のアレやろ。知らんけど」


「はは……。なんか、純日本製ホラゲの世界に埋没しちゃったみたいだ」


 暗がりから能面なんていきなり現れたら、僕は戌亥の眼前だろうとなんだろうと失禁して失神する自信がある。


 それにしても……。


 暗い。


 それに、壁に触れて付着したぬらぬらしたソレは、ずっと右手に纏わりついたまま消えてくれない。


 とても不快だ。


「ここやで」


 座敷牢の前に着いたらしい。


「その前に、もうちょっと灯りを増やしてもらっても宜しいですか?」


「あかん。星街は光に敏感でな、ちょっとの光源でも命取りになり得るんや」


「ええ……」


 やっぱり、化け物じゃないか。


 引き返すなら、いましかないか?


 でも……。


 ここまできて、尻尾を巻いて逃げたんじゃコスパが悪い。


 それに、まるでびびらない戌亥の前でその失態を晒すのは、シンプルに恥ずかしい。


「……。めだ」


「え?」


 また、幻聴。


「どしたん」


「いや……。なんでも」


「……。ちゃ、めだ」


「……!!」


 また、幻聴だ。


「行っちゃ駄目だ!!」


「五月蝿いなあ、黙ってろよ!!」


 僕は、咄嗟にその声に怒鳴り返してしまった。


 余りにも、心臓の外側をくすぐるような……。心を不安定にさせる声音だったから。


「怖あ……。いきなり叫び出すとか、あんたが一番ホラーやで?」


「いや、すいません……。本当に。どうにも、暑さが頭がやられてるらしい」


「ほんまにそれだけか?さっきから、明らかにおかしいであんた」


「いえ、大丈夫です。大丈夫なんです、僕は……」


 何故だろう。


 本心では引き返したい筈なのに、なにかえも言われぬ引力に喋らされている気がする。


「星街すいせい……。その姿を拝むまでは、僕は帰れないんです」


「まあ、片道四時間半も掛かっとるしな」


「はい……」


 本当にそうか?

 

 僕は、本当にそれだけの理由で行動しているのか?


 上野動物園のパンダを一目見たいとか、そんなレベルの好奇心でここに立ってるのか?


「ええか?ここで見た、聞いた、知ったことは門外不出。絶対に他人に話したらあかんで」


「もちろん、心得ています」


「あんたの上司は、星街接触後のあんたの精神状態を観察したいだけや。理解わかっとるか?毒味係にされとるんやで?自分」


「……」


 そうだ。


 認めたくないことだが、僕は組織の中では下っ端だ。


 決して口外してはいけない、禁忌の都市伝説……。星街すいせい。


 危険極まりない調査任務に僕が駆り出されたのも、僕が一介の使い捨ての駒に過ぎないからだろう。


 糞っ……。


 見返してやる。


 ここで見た、聞いた、知ったことを、黙っている気なんてもちろんない。


 さっさと独立して、ここで得た情報を商材に新規事業を始めるんだ。


 怪異、伝奇、都市伝説。


 それらをビジネスとして扱っている輩は少なくない。


 僕も、その一員になってしまえばいい。


 そして、いつか見返すんだ。僕を見下した組織の連中を……!!


「私は先に外に出る。篝火を焚いたら、身代わりの肉人形をその近くに置き。それから、一度も振り向かずに出口へ向かうこと。ええか?どんな声を聞いてもや。大爺様から聞いた話やと……。ああもう、こんな時にヘルエスタから電話や。なに?リゼがまた脱走した?ちょっと待っとれ、電波のええとこに向かうから……」


 戌亥がいなくなり、しんと静まり返る地下空間。


「星街……?」


 本当に、この座敷牢の中にいるのか?


 さっきから、まるで人のいる気配を感じない。


「……」


 日和るな。


 なんの為にきたんだ?そうだ、星街すいせいに会いにきたんだ。


 日和るな……。


「……」


 チャッカマンを持つ手が震える。


 治まれ……。


 どうにかして、着火。


 ……。


 え?


 僅かな光源で、星街は襲ってくると戌亥は言っていた。


 しかし、なにも起こらない。


 右手を見る。


 なにも、付着していない。


「……?」


 スマホを見る。


 電波が通じない。


 というか、電源が切れている。


「さっきまで、ほとんどフル充電だったよな……?」


 長丁場に備えて、朝からまるで触れていないのに。


「戌亥?」


 呼びかけても、当然返事はこない。


 先に外へ出ているのだから。


 篝火を灯し、座敷牢の中を照らす。


 なにもいない。


 騙された?


 全て、悪趣味な組織幹部たちの嫌がらせで、戌亥もその仕掛け人だった?


 いや……。


 それにしては、手間が掛かり過ぎている。


 僕は、階段を引き返した。


「誰か……」


 何度も躓きながら。


 何度も、後ろを振り返りそうになりながら。


「誰か……!!」


 入口に辿り着いた。


 開かない。


「戌亥!?俺だ、馳河だ!!星街はいなかったっ。ここは……。酸素が薄い、早く出してくれ!!」


 思わず、素の一人称が出る。


 しかし……。


 ……。


 返事がない。


 聞こえていない?


 いや、そもそも、戌亥本家の玄関は、こんなに強固なロックが掛かる構造だっただろうか。


 しんとして冷たい、閉鎖空間。


「……」


 星街すいせいは、ここにはいなかった。


 いや……。そもそも、そんなVtuberは最初から、この世に存在していなかったのかも知れない。


「誰も、いなかった」


 そう。


 そうだ。


 この場所には、誰もいない。


 誰も……。


 ただ、一人。


 僕を除いて。


「……」


 なぜ、誰も管理していない戌亥本家に、星街すいせいが生きたまま隔離されることができるのか。


 なぜ、どこぞの馬の骨とも理解らない男を、戌亥は四時間半も掛けてこの場所へ運んできたのか。


 なぜ、後ろを振り向いてはいけないのか……。


 僕は。


 僕は……。


「僕は、何人目の僕なんだ?」


 強烈に染みついた既視感。


 嘘みたいに白い入道雲。


 午後五時の放送。


 虫取り網を持った少年たち。


 行き掛け、軽トラのラジオで聞いた海難事故の一報。


 蜩の鳴き声。


 元号を知らなかった戌亥。


 地図にない村。


 口外してはいけない忌み子。


 時代錯誤な座敷牢。


 密閉された空間……。


「誰か……」


 聴いたことがある。


 すてらー、すてらー……。


 脳内に染みついた歌声。


 星街すいせいは存在しない。


 存在しない筈なのに、歌声だけがそこに在る。


 苔生した渓流。


 未舗装の悪路。


 首の落ちたお地蔵様……。


 その全てが、たった一点に帰結している。


 この場所は、どこにもない。


 地図にも載っていない。


 鍵は開かない。


 空気も入らない。


 ここには、誰もいない。


 僕以外は、誰も……。


「誰かあ!!」


 僕は、声の限りに叫んだ。


 返事は……。


 なかった。










































































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