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独りから一人へ

 気づくと、みかどは涙を流していた。


 いつぶりだろう。


 なにが、悲しいんだ。


「帝。大丈夫か?」


 夜。


 焚き火を囲んでいる。


 ミオミオと帝。


 え。


 誰?


「誰だ?」


「誰でもよくないか」


「よくないが」


 誰なんだ。


 いや……。


 でも。


 人の肌のぬくもりを、感じる。


 いつぶりだろうか。


 これは、血の涙だ。


 本心からそう思う。


 セックスの為ではなく、


 四肢を満たす為ではなく、


 真心からの、抱擁。


 温かい。


 ああ……。


 そうだ。


 母さん。


 俺は、これを求めていたのかもな。


 金なんてなくても。


 力なんてなくても。


 名誉なんてなくても。


 ぬくもりさえ、あれば。


 途方もない、未来への欲望ではなく。


 目一杯の、今という瞬間を生きる。


 愛がある。


 心がある。


 ああ……。


 いつぶりだろうか。


 多分、こいつはずっとここにいたんだ。


 救いの手を、撥ね退けていたのは俺だった。


 癒しの歌から、耳を塞いでいたのは俺だった。


 つかさ……。


 違う。


 そうじゃない。


 俺だ。


 俺が、生きている。


 隣に、誰かがいる。


「ミオミオだ」


「はい」


 名前がある。


 心臓がある。


 生きている。


 俺も、そうだ。


 なんでそのことを、忘れていた?


 あの悲鳴。


 あの夜。


 あの絶頂。


 あの孤独。


 現実感が薄まった世界。


 救いは、ある。


 いつか。


 いつか……。


 願ったはずだ。


 小説に描かれているような世界が。


 そんな展開が。


 見てみたい。


 この目で。


 この体で。


 そして、


 俺の体は、一つしかなかった。


 脳も。


 心も。


 なにもかも。


 ここにいるこいつも、そうだ。


 初めて会う。


 でも。


 俺が、あの地獄の夜を過ごしたあの日。


 こいつは、きっとぬくもりを切らさずに生きていてくれたのだろう。


 狡い。


 俺は狡い。


 全てを人のせいにして。


 全てを司のせいにして。


 あいつを、殺しかけた。


 俺は狡い。


 起きてしまったことは、もう巻き戻せない。


 でも……。


 あれは、犯罪だ。


 それを割り切らないと、俺は終わる。


 罪には、しかるべき罰がある。


 ルール違反者には、ルール違反者の為のルールがある。


 そして、


 分別を弁えて、


 そして、


 その先で……。


 大人になって。


 なにも知らない頃は、ミスっても許してもらえた。


 俺だって、それは許す。


 けれど……。


 大人を。


 社会を。


 司を。


 俺を。


 知ってしまった。


 情報、だけじゃなく。


 この心臓で。


 あの日から、容赦なく齎される情報の束が、怖くて怖くて仕方がない。


 痛みを知らなかったあの頃に、無邪気に観ていたワイドショーも。


 もう、観れない。


 心が、壊れてしまう。


 綺麗事が嫌いだったあの頃。


 あの頃。


 あの頃は、無邪気に笑っていたな。


 全部、鼻で笑っていた。


 あの日から。


 一度も、心から笑ったことがない。


 心が、死んでいる。


 今まで俺は、なにに笑ってた?


 目の前の人が、笑ってくれることに。


 そうだ……。


 それで俺は、笑ってた。


 一人だけで充分だった。


 親だけで。


 姉さんだけで。


 司だけで。


 それで、心の全てが満たされていた。


 哀れな道化じゃない。


 確かに、あの笑顔には心があったんだ。


 本気で殺し合った。


 愛し合った。


 笑い合った。


 もう、あの日々は返ってこない。


 痛みが激しい。


 俺は……。


 素晴らしい人間じゃない。


 生きてちゃいけない、人間なのかも知れない。


 関わらなければ、よかったのかも知れない。


 フィクションじゃない。


 フィクションじゃないんだ。


 どうすれば。


 過去に魂を殺されず。


 未来を……。


 未来を。


「帝」


「おい」


「帝」


 はい。


 誰?


「聞いてるか?」


「ああ……。聞いてる。お前は誰だ」


「ミオミオだ」


「はい」


「悲しいことが、あったんだな」


「そう、だな」


「全部、私に話してみないか?」


「え?」


「聞くことくらいなら、できるぞ」


「いや……」

  

 駄目だ。


 あんな、最低な日々を。


 こんな、最低な本性を。


 打ち明けられるはずがない。


 でも……。


 ぬくもりが、ある。


 すぐ隣にある。


 俺は、司の心臓を知った。


 そして、俺の心臓を知った。


 ここにある心臓が、偽物だなんて思えない。


 無邪気に傷つけあった。


 そんな女が、何人いるだろう。


 あの頃はまだ、心臓を知らなかった。


 膣と、


 乳房と、


 唇しか知らなかったんだ。


 でも、


 その全部が本物で。


 心があって。


 心臓があって。


 傷つけてしまったことは取り返しがつかなくて。


 もう、二度と戻れなくて。


 でも、その全部が。


 今となっては、過去だ。


 空想の中でしか、会えない。


 会おうとすれば……。


 また、


 膣を、


 乳房を、


 唇だけを求めて会おうとすれば、


 俺たちは必ず、どちらかが死ぬ。


 それか、どちらも。


 ああ……。


 こいつは、


 誰だ?


 誰だっていい……。


 訳じゃない。


 でも、全然、まだ、知らない。


 まだ、知らない。


 こいつが歩んできた道を、俺は知らないから。


 俺が歩んできた道を、こいつは知らないから。


 途方もない作業になる。


 でも、


 もしかしたら、それは、


 この先の、途方もないほどに遠い、この先の。


 未来へ歩む為の、道標になるのかも知れない。


 くだらねえ。


 ラブコメなんて、くだらねえ。


 やめろ。


 出てくるな。


 悪魔。


 俺は……。


 もう、


 戦いたくない。


「また、泣いてるのか」


 また、泣いてるらしい。


 ああ……。


 俺はまだ、泣けるんだな。


 人は、泣き叫んで、産まれる。


 泣くことしか、できないから。


 知らなかったんだ。


 習ってきたことの全てに、意味がある。


 知らなかったんだ。


 俺たちの一人一人に、心臓があること。


 知らなかったんだ……。


 もう、人と関わりたくない。


 心を、預けたくないんだ。


「帝」


「……」


「おい、帝」


「な」


 に、を言いかけた瞬間、俺は強烈な右ストレートで吹き飛ばされた。


「お前はこれまで、初々しい青春物語を描いてきたはずだ」


「でも、それじゃ誰にも……」


「違う。それで救われていた人間はいるんだ」


「あいつには、届かない」


「知るか。昔の男のことなんか」


「俺は、救えなかった」


「当然だ。自分の心を救おうとしてこなかったんだからな」


「誰も、助けてくれなかった」


「当然だ。助けを呼ばなきゃ、助けはこない」


 ミオミオは帝の右手をとり、胸の辺りにそっと押し当てた。


「私にも、心臓があるんだ」


 あたたかい。


 命を、感じる。


 人は鏡だ。


 人の命を感じられなければ、自分の命がどこにあるのかも分からない。


「お前の物語に救われていた人間が、ここにいるんだ」


 ああ……。


 嘘じゃ、ないんだな。


 臆病な俺の。


 子供だった俺の。


 それでも、諦めたくなくて。


 なにかを、諦めたくなくて。


 ただ無邪気で。


 がむしゃらで。


 そんな、ゴールデンタイムのバラエティみたいな世界に生きていたはずなんだよな。


 戻りたい。


 あの頃に、戻りたいよ。


 みんな。


 みんな。


 司も。


 俺が傷つけてしまった人、全て。


 取り敢えず、夜は集まって、同じなにかを共有し。


 昼間は、ばらばら。


 夜は、みんな一緒に……。


「みんな、一緒に」


 俺には夢がない。


 そう思っていた。


 違った。


 姉さんがいて。


 父さん、母さん。


 婆ちゃん、爺ちゃん。


 犬。


 テレビでは、夕方のアニメ。


 あの頃は、夕方の情報番組に心を殺されることに、こんなにも怯えていなかったはずだ。


 老人たちは死んでいって。


 それでも、


 親戚一同が、集まって。


 みんながいて。


 俺がいて。


 あたたかかった。


 あたたかかったんだ。


 いつしか、成長していって。


 そんな子供の情景は、捨て去らないと大人になれないんだって。


 違った。


 大人になるほど、強く強く思う。


 大切なものを、失いたくない。


 命を。


 心を。


 親友を。


 家族を。


 なにもかも。


 それが、無理だと分かってしまって。


 それから……。


「帝」


「はい」


「私にも、語れない過去はある」


「そうなのか……」


「なにが、お前を一番に苦しめる」


「それは、あの日」


「どの日だ」


「いや……」


 言えない。


 あの日の司を。


 あの日の俺を。


 あの日を、俺はまだ受け止めきれていないんだ。


「一人で無理なら、二人だ」


「二人」


「お前が吐き出してくれないと、お前が抱えているものがなんなのか、分からないんだ」


「でも……」


「でも、じゃない」


 あの日。


 あの日……。


「あの日、誰が悪かったんだ」


 ようやく、俺は少しだけ本心を吐き出せた。


 罪。


 罪だよ。


 あの日、俺と司は罪を背負った。


 法の埒外。


 愛することを知らない、野良犬たちの殺し合い。


 その先での、地獄。


 心臓は、生きている。


 けれど、あの罪は消えやしない。


「馬鹿か?」


 ミオミオが遮る。


「悪いのは、そのレイプ魔だ」


「そう、だな。そうかも知れない」


「違う。かも知れない、じゃない。そうなんだよ」


「でも……」


「なんだ。なにに怯えてる」


「俺は」


「言ってみろ」


「司が、怖い」


「なんで」


「あいつは……」


「自分と、同じじゃないからか?」


「……」


「傲慢だな」


「そう、だな」


「お前は悪くない。そいつも悪くない。理性で考えれば、分かる」


「でも」


「なんだよ」


「あんな、理不尽に」


 あんな理不尽に。


 もう俺は、出会いたくない。


 俺と司は、じゃれあっていた。


 青春の日々だ。


 かけがえのない。


 その、エピローグが……。


 あの日に、穢された。


「お前とそいつが別れたのは、その出来事のせいじゃない」


「……」


「それぞれの道に、歩き出す日がきたってだけなんだ」


「そう、なのか」


「そうだ。そして、お前はその先で私に出会った」


 ミオミオ。


 誰だか知らない。


 けれど……。


 空気で、なんとなく分かる。


「私も、別れは経験してきた」


 そうか。


 そうか。


 そうだよな。


 確かに、そうだろう。


 あの日、凍える心で家に帰り、せめてもの慰めに点けたバラエティの芸人は、今日も元気に司会をしている。


 俺と、


 司の世界は、


 確かにあの日、音を立てて崩れ落ちた。


 だけど、世界は続いている。


 終わっちゃいない。


 まだ、心臓がある。


 知らない心臓に怯えるだけの日々は、もう過ぎたんだ。


 いくつもの、知らない心臓に出会い。


 別れて。


 同じペースで動いている、心臓を。


 ようやく、見つけたのかも知れない。


「俺の心臓を……。握ってくれ」


 俺は、司に心臓を握られている。


 違う。


 それならば、俺は地獄まであいつについていった。


 他の心臓を知らないままなら。


 俺の心は、あいつの船に乗っていたはずだ。


 でも、もう、そうじゃない。


 ずっと、心臓のリズムがおかしいのは。


 ここにある、


 こいつの、


 華奢な体に秘められた、強靭な心と。


 その心臓と。


 その心に、がっしりと掴まれてしまっているからなんだろう。


 知らない。


 知らない、心臓だ。


 人生の、地獄を経験して。


 そんな俺は、穢れた大人だ。


 もう、子供みたいな幸せを願っちゃいけない。


 そう思ってた。


 けれど、


 こいつは、


 なんなんだろう、


 こいつは。


 もう、


 痛みを知りたくない。


 無邪気に、人と関わりたくない。


 でも、


 多分、


 既に、


 薄々、


 気づいている。


 夕方のワイドショーが怖いのは。


 司が、被害者名簿に載っているかも知れないから。


 じゃ、ない。


 俺の、心臓を握っているこいつが。


 どこを見てんだ、と。


 こっちを見ろと。


 俺の腐りかけの心臓に、新鮮な息吹を送り続けているからなんだ。


 俺は……。


 狡い。


 もし、こいつと俺が同い年なら。


 ただ、無邪気に貪り合うだけの関係に終始しただろう。


 けれど、俺が幼かった頃、こいつはもうちょっとだけ幼かったから。


 俺の痛みも、


 穢れも、


 ちょっとだけ、知らないままで。


 それでも、それを受け止め切れるだけの強さがあるから。


 守りたい。


 殺し合って、なにかを獲得するのではなく。


 絶頂の為に、口説き文句を浪費するのではなく。


 守られたい。


 この、俺を心底、見透かしてくれる心の強さに。


 縋りたい。


 依存するのが、嫌だ。


 それは、孤独の始まりだ。


 けれど、


 心臓を知ってしまった俺は、


 もう、電脳空間の影に、心を見出せない。


 目の前の命の尊さが、痛いくらいに突き刺さる。


 本当に、痛い。


 あの日、傷ついた少年は。


 あの日、傷ついた少女は。


 無事に、大人になれただろうか。


 人の心配、してる場合か?


 俺も、


 俺だって……。


「沢山、傷ついてきたんだ」


「うん」


「頑張ったんだ。頑張ったんだよ……。でも、届かなかった。救えなかった。俺が、弱いから」


「うん」


「もう、心が痛くて仕方ないんだ。狂気に染まりそうになる。誰かに縋りたくなる」


「なら、私に縋れ」


「駄目だ……。そうしたらお前がっ」


 強烈なボディブローが、帝の腹部を突き刺す。


「がっ、はあ」


「暴力に、屈するな」


「暴、力」


「私を侮るな」


「侮ってなんか……」


「お前が私を信じられないのは、お前が暴力で人と関わろうとするからだ。こんな華奢な娘が。こんな小さな体で。なにも、できるはずがない。俺よりも弱い。殴ったら、すぐに折れてしまう。そんな弱い相手に、縋りつけるはずがない。お前が、そう思うからお前は弱いんだ。人の強さを知らないから。私の、心の強さを勝手に決めるな」


「俺は」


「黙れ」


「はい」


「言葉が通じない暴力に、心を殺されるな」


「心、を」


「心臓が、まだ動いているだろうが」


 そ、

 

 そうだな。


 確かに、誰も死んじゃいない。


 だから、心が痛いんだ。


「心臓が動いている限り、私たちは幸せにならなくちゃいけないんだ」


「幸せ」


 最も、俺の心の地獄から遠い言葉。


「過去だな、お前は」


「ああ……」


「未来のことなんて、私にも分からない。お前にも。だからこそ、一緒に行けるとは思わないか?未来が分からないからこそ、未知数を共有できる。もう、私の心臓も、お前の心臓も。止められないんだよ」


「ああ」


「私が、怖いか?」


「……」


「私と一緒にいることで、お前はもっと涙を流すことになる。温かい場所でしか、人は涙を流せないから」


「涙を、流したら」


「心が軽くなる」


「お前の心は、どうなる。その度に、どんどん穢れて……」


 今度は、強烈な左フックがクリーンヒットする。


「女を侮るな」


「は、はい」


「女は、強い。なんでか教えてやろうか?」


「教えて、ください」


「お前たち男は、暴力で力を試そうとする。強さを証明しようとする。馬鹿か?それ以前に、女だけが持つ最強の特権を知らないか?」


「なんだ、それは」


「私たちがいなければ、お前たちは存在すらできていないんだよ」


「な」


「腹を痛め、産んだ子供を生涯、守り続けることができる。こんな最強のカードは、他にない」


「理不尽だ」


「そうだな。男は種を吐き出して、終わりだ」


「そうして、また野良だ」


 そして、またあの地獄の日々へ。


「だったら、それが嫌なら」


「嫌なら」


「私に、飼われてみる気はないか?」


「か」


 飼われる。


 ちょっと待て……。


 これ、そういう話だったっけ。


「心臓の強さに、女も男も、ない」


「ああ」


「それが分かったなら、諦めろ」


「……」


「諦めて私と、幸せになれ」


 なんだ。


 なんだこの展開。


 俺が一番に嫌いな、ラブコメラノベみたいな展開。


 でも……。


 その手を無邪気に拒めるほど、俺はもう子供じゃない。


 独り法師で生きていけると錯覚できるほど、子供じゃないんだ。


「心が、痛い」


「そうだな」


「あの日から、現実感が希薄なんだ」


「うん」


「縋りたい」


「縋れ」


 もう、白旗をあげたい。


 武装を放棄したい。


 血を、流したくない。


「負けた……」


 俺は、負けた。


 世界に、負けた。


 勝てなかった。


 だから……。


 だから、


 幸せになりたい。


 勝てなかったなら、せめて、


 幸せになって、しまいたい。


 心からの願い。


 もう、自分の心を傷つけたくない。


 生きたい。


 生きたいと、願ってしまった。


 理屈じゃなくて。


 言葉じゃなくて。


 そこに、心臓があるのを知ってしまったから。


「心を殺すな、帝」


 ああ……。


 そうだな。


 俺、完全敗北のお知らせ。

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