万の場合
世の中の理不尽には色々あるが、俺が一番許せないと感じるのは、才能のある人間がそうでない人間に足を引かれて堕落することだ。
運動神経は良かった。野球部に入ると瞬く間にレギュラーに任命された。当然と言えば当然で、勝つことを目標にするならより使える、動ける選手を選ぶべきだろう。気持ちや精神論だけでやっていけたらプロの世界もそもそも成り立たない。
部内にも、俺が唯一尊敬できる先輩がいた。明らかに同世代の中で飛び抜け、実際、高校に上がってからは甲子園のマウンドにも立った。
実力者の中の実力者。
掃き溜めに鶴とはこういうことを言うんだろう。
「なんで野球なんですか?」
野球は、言わずもがなチームスポーツだ。
いくら一人が強くても、チーム全体が機能しなくては意味がない。
周りが雑魚で固まってしまっては、どんな才能も輝けない。
卒業する前、不躾な後輩からのそんな質問にも先輩は真面目な表情で考え込んでくれた。
でも結局、納得のいく返事は返ってこなかった。
「お前も、もうちょっとチームに馴染んでくれば分かるよ」
結局、俺は中学で野球を辞めた。
運動が嫌いな訳でも、できない訳でもなかった。むしろ好きだしできる方だ。
でも、俺は先輩の言うように「分かる」日が訪れるとは思えなかった。
あの中学での部活は、どう考えても掃き溜めでしかなかった。
実際、先輩はそんな環境を抜け出してから夢を掴んだ。
俺はあの中にいたらもっと堕落して、生ぬるい友情ごっこに溺れていただろう。
くだらない。
努力だなんだを美徳に語る奴ほど、人から見える部分しか取り繕おうとしない自堕落な人間だ。
でも……。
もし俺が、先輩が見ているような世界の一歩手前で立ち止まっているのだとしたら?
あのまま続けていれば、俺もあのマウンドで充実した汗を流していたかも知れない。
いや……。
そんなのは都合のいいタラレバだ。
俺にチームスポーツは似合わない。
才能のある人間が、そうでない人間に足を引かれて堕ちていく。
俺にはそれがどうしても許せない。
別に、野球が嫌いな訳じゃない。
だったら俺は、中学時代のチームメイトたちが心底憎かったのだろうか?
そういう訳でもない。
ただ、なにかモヤモヤしたものが残ってしまう。
なあなあな環境に甘んじて、自分自身を棒に振ること。
そんな人生を送るくらいなら、苦しみ抜いてでも目標を手にする生き方を選ぶ。
野球が嫌いな訳でも、あいつらが悪かった訳でもない。
ただ、俺には合わなかったんだ。
適材適所。
向き不向きはある。
「もうちょっと馴染んでくれば……」
ふとした瞬間に、先輩の言葉がよぎることがある。
俺には合わない。
俺には向いていない。
でも、もうちょっとだけ我慢して。
もうちょっとだけ馴染んでくれば……。
「万!!一人瀕死っ」
耳によく馴染んだヘッドホンから、物騒な報告が鮮明に届く。
「はははっ、圧倒的ではないか、我が軍は!!」
「おい調子乗んな、お前今回なんもやってねえだろっ」
騒々しい罵り合い。
涼しい室内で、汗水垂らすことのない遊興に耽る。
キーボード、マウス、ディスプレイ。ボールやバットから離れた俺の放課後の暇潰しは専らこれだ。
「なんもやってないことないし。物資運んだりしたし。他にも物資運んだり物資運んだり……。物資運んだり」
「結局、物資運んでるだけだな……。まあ、お前のエイムでフレンドリファイアされても怠いし、適材適所かもな」
「おおい、チームメイトに対してなんて言いようっ。万さんもなんか言ってやってよ」
「まあ、あれだ……。俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」
「おい馬鹿やめろ」
「式場はどこですかっ!?」
チームプレイだとか、なんだとか。
生ぬるい環境と、望まない堕落を甘んじた先にしかないご褒美だと言うのなら、俺は敢えてそんなものはいらない。
だけど……。
そうじゃないものも、あるのかも知れない。
流石先輩、俺より長く生きている先輩なだけはある。
俺よりよく、物事を知っている。
ハンドルを握る手が汗で滑りそうになる。
硝煙と血と、錆びた鉄の臭いと。生命に無機質が容赦なく混在する戦場は、もはやあの快適な一人称遊戯とは乖離してしまっている。
いや……。あのいかれたゲームマスターは、これはゲームだと言った。
ゲーム、マスターなんだから当然か。
ははっ。
「おいお前、免許とか持ってんの!?」
助手席で、旭が叫ぶ。
「それ、この状況で気にしてる余裕あるかっ!?」
正直、家の近くの農道を爺ちゃんの軽トラで走らせてもらったことは何度かあるが、そこまでの経験を詳細に語っている暇はないだろう。
「えーっと……。こちら、斥候の岬!敵の数、沢山……。めちゃくちゃ後ろから追ってきているであります!!」
「んなもん、見りゃ分かんだよっ」
後部座席の岬にすかさず旭が突っ込む。聞き慣れた流れだが、今回ばかしは余りにも緊迫度が違う。
こんな状況なのに、脳内だけは妙にクリアで冷静だ。
あのゾンビみたいな……。化け物たちは、確か風骸とか言うらしい。
元は、サンドバンドに住む人間だとか。
糞っ。
ハンドルを急激に切って、生きた屍の群れをダイナミックに回避する。
「ああ……。こんなことになるなら有金全部、推しのフィギュアに注ぎ込んでおくんだった」
「落ち着け、こんな時こそ落ち着け。落ち着いて素数を数えるんだ」
匂いがする。
痛みが走る。
これは紛れもない、現実だ。
だけど、いつもの様子と変わらない、いや、無理にそう振る舞っているであろう仲間たちを乗せて。
なんだろうな……。
なんだかこれは、楽しいぞ。
「ゾンビを親玉を倒せば、鍵は手に入るらしい」
四駆を停めて唐突に降ろされた二人は、怪訝で、そして訝りを遥かに上回る不安そうな表情をしていた。
「じゃあ、お前はどうすんだよ」
「奴らを引きつける」
「無理だって、数が多すぎるよっ」
「かもな……。でも、やるしかない」
俺たちは幸い、三人もいる。
誰かが生き残って、目標をクリアすればいい。
「それに……。元が人間。分かっちゃいるけど、いくら戻らないからって、そのまま撥ね飛ばしたら夢見が悪いだろ」
俺もいずれ、あの大群に呑まれて自我を失うのかも知れない。
リアルかゆうまとか、マジで勘弁だぜ。
もう、四の五の言っていられるような状況ではない。
俺は無言でエンジンをかける。
「この戦いから帰ったら、結婚するんだろっ!?」
馬鹿な隊長が、人に聞かれたら赤面ものな問いかけを叫ぶ。いつもはすかしている癖に、こういう時に本性が透けるんだよな。
「再会は二年後とか……。そういうこと言ってよ!!」
そんな金切り声をあげたら、斥候としては失格だぞ。
ああ、やっぱり俺にチームプレイは向いてないかもな。
自分から、仲間を悲しませるような選択ができる。
仲間?
ああ、そっか……。
仲間か。
「もうちょっと、馴染んでくれば……」
口癖のようになってしまった、例のフレーズが口走る。
いや、先輩。
もういいです。
もう、答えは見つかりました。