風の街で
風骸。
風の街と呼ばれるサンドバンドには、そう呼ばれる原因不明の奇病がある。
風骸に罹れば自我を失い、周囲の人間に見境なく襲い掛かるようになる。もうそうなったら手遅れで、相手が誰であろうと、肉親であろうと、害獣と同じ扱いで葬ってやるしかない。
けれど、そこまで侵蝕が甚大でなければ風骸を患っていても生活は可能だ。もちろん支障は大きいが、影響が自我にまで及んでいなければ人としての一線は保たれる。
「ナイラ、患者用の点滴をまた補充しておいてくれ」
「はい、先生」
私はこの街で、ボーネン先生の助手として風骸患者の手当てに当たっている。
原因不明の奇病。
そう聞くと、多くの人々は眉を顰め、遠巻きに立ち去ろうとする。けれど、この地に住む住人は遥か昔から向き合い続けてきた馴染みのある病だとも言える。
強い西風を浴び続けると風骸に罹ると言われているが、実際のところは定かではない。その言い伝えにも由来はあって、かつての支配者が領土を広げようと征伐に向かったのがサンドバンドから西、深い峡谷の向こう側だったからだそうだ。
当時、峡谷を住処にする巨大な大鷲の化け物がいたそうだ。
街の遠征隊は総力を上げ、その化け物を亡きものにした。その死体が谷底に沈み、深い怨嗟となって呪いの風を運んでくるのだ……。
そんな噂。
正直言って、本当でも嘘でも、私にはどっちでもいい。
私は、そんな大昔の噂話の為にボーネン先生の手伝いをしている訳ではない。
サンドバンドには、生活がある。
この瞬間に生きている人々が沢山いる。
長年、風骸に侵され、それでも懸命に生きている人々が目の前にいるのだ。
元々はリーズブルで医学を学んでいた。
なんでそんな危険なところに?
と、かつての学友たちは言うだろう。
なぜだろう。
はっきりとした答えは分からない。
けど……。
やり甲斐とか、生き甲斐とか。
当分、私には縁もゆかりもないであろうと思っていた言葉が、案外深く関係していたりするのかも知れない。
「今日は風が静かだな……」
ボーネン先生が窓を開く。
「風の街にも、凪の時間はありますよ」
ささやかだけど、確かな生の実感を得られている。
私はこんな瞬間が、堪らなく好きだ。