証の場合
証の父親は県市内で産婦人科医を営んでいる。ゆえに、彼の同級生はあらかた彼の父親、榊が出生に携わったと言っても過言ではない。
休日は親子二人で釣りに行くことが多い。特に、特別な行事という訳ではない。ごくごく当たり前の光景。そして父親というものの大半がそうであるように、なにかと息子の為になるような話をしようとする。そして息子というものの大半がそうであるように、父親の話は内容如何に関わらずとにかく鬱陶しい。
榊はよく話す。俺はお前の人生の、長くても最初の三分の一くらいしか一緒にいられない。だけど心配することはない。その頃には既に、大人になったお前の仲間たちがお前を支え、導いてくれる。
だからお前自身も、仲間を支え、導いてやれるような大人になるんだ。
お経かなにかのように何回も聞かされている為、なんの感慨も証には湧かない。だけど、その言葉を咀嚼して、嚥下して、徐々に理解できるようになってきた自分自身に証は気づいている。
「駄目だな、今日は釣れない」
証はただ、ぼんやりとした意識の中で父親と釣りをしていた。ぼやく父親。どこか風景が霞み、現実味が薄い。
「親父」
「お前に親父と呼ばれる筋合いはない。パパと呼びなさい」
「俺は……。どうすべきだったんだろうな」
存在しない記憶を思い出すかのように、水面に沈む釣り糸を一心に見詰める。別に返答を期待した問いかけではない。独り言を呟いたらたまたま人がいた。くらいのイベントだ。
「大人だって、正しいことがどうかなんて分からない。それでも、やらなきゃいけないことをやらなきゃいけない時はくる。生きる為だ」
「じゃあ俺は、その真逆の選択をしたのかも知れない。なにがなんでも司たちを待って、規定通りの攻略法を……」
不意に、自分がなにを喋っているのか分からなくなって、証は黙った。
どこか遠くで耳鳴りがする。
ひどくうるさい。
「駄目だ……。釣れないな」
現実味のない父親の呟き。
ああ、
俺は……。
「行かなくちゃいけない場所があるんだ」
唐突な、屹然とした宣言にも、榊は驚かなかった。
「行くといい。その頃にはきっと……」
「仲間たちが導いてくれる」
父親は満足げ微笑んだ。
息子にとっては、その表情は実に憎たらしい。
騒乱の只中にあるリーズブルで、証は怪我人の手当てをしていた。
知らない土地。
縁もゆかりもない人々。
それでも、勝手に体が動いている。
目の前に、妊婦が運ばれてきた。
命が二つ。
一人につき、命は一つ。
当たり前のことを考えながら、証は自分が高揚していることに気がついた。
ああ……。
命を救い、
命を助ける。
傲慢だとも思っていたこの行為が、こんなにも尊く、己を突き動かすものだったとは。
「縁!!」
心配して様子を見にきた仲間に、証は叫んだ。
「潮と一緒に、先へ行け。俺はここで、やるべきことがある」
かっこつけてんじゃねーよ、と、縁は表情だけで訴えた。だが、そうなった証はテコでも動かないことも知っている。
魔王はもうすぐ、そこにいる。
あとは、仲間たちに託すしかない。
俺には俺のやるべきことがある。
「気を確かに。大丈夫です、すぐに……」
空を舞う飛竜たちの一匹が墜ちて、そのダンプ何台分かはくだらないであろう重量が眼前に迫る。
親父。
俺は、俺の役割を果たせたかな?
憎たらしい顔が浮かんで、証は苦々しい思いになる。
轟音が全ての逡巡を掻き消した。