7話
――途端、耳をつんざく音がしました。
耳を塞ぐ、それと同時に部屋の窓が一斉に割れます。
悲鳴は、その後に出ました。
突然のことで、わたしは呆気に取られてしまいました。
状況を確認しようと、辺りを見渡します。
部屋は、割れた窓ガラスの破片が散らばっていること以外は変わりありません。
窓から空を見ると、夕焼けに染まっていました。
「何なんですか……いったい」
わたしは、恐る恐る部屋のドアを開きます。
少しだけ、外を覗けるくらい開いて。
廊下を窺うと、何人もの近衛兵が前を駆けて去って行きました。
もう誰も来ないことを確認したわたしは、静かに部屋から出ます。
部屋をでて左、すぐのところを曲がろうとすると、
「お前、まだいたのか」
後ろから、声が掛かりました。
振り返ると、先程の案内人がいました。
「え、あー、はい。ちょっと、急に下腹部の腹痛が」
「そんなこと、今はどうでもいい。急いで本部を出るぞ」
彼女は言うと同時にわたしの手を掴み、引っ張るようにして走っていきます。
案内人の走る速度(さすが、近衛兵だけあって速すぎます!)に強制的に付き合わされ、本部の正面玄関から出ました。
正面玄関の先にある広場まで行き、そこでやっと手を解放されます。
もうほんと、止まった途端に汗が一気に噴き出してきました。
息も切れ、肺が苦しいです。
すぐさま、手を膝に付きました。
「はぁ、それで、何で、こんな急いで」
何とか息を整えながら訊ねると、
「本部が、攻撃された」
とんでもない答えが返ってきました。
え、とわたしは口に出ました。
呼吸を整えながら、案内人の話に耳を傾けます。
「建物の一部が、攻撃された。それによって倒壊の恐れがあるから、急遽、全員に避難指示が出たんだ」
そう言われ、わたしは本部を見ました。
夕日が差し掛かって眩しく、はっきりとは見えませんが、確かに建物の左側は崩れているように思えます。
――思った瞬間、今度は建物の中央部に亀裂が生じました。
いえ、と言うよりは何かしらの力が壁を、屋根を抉ったと言ったほうが正しいかもしれません。
間もなく、本部が倒壊し始めました。
重く、低い音が辺りをこだまします。
崩れ落ちる際に立つ煙が酷く、この広場まで届きました。
わたしは咄嗟に目を瞑ります。
音が鳴りやんだ頃に目を開けると、そこには本部なんて跡形もなく。
瓦礫が山になってしました。
建物が崩れて先程よりも開けたせいで、この場所を照らす陽の光が一層と身に沁みます。
「総員、傾注‼」
場の全員が呆気に取られて言葉が出ない中、言葉が響きます。
皆一斉に、声のほうを振り向きました。
わたしも声がするほう……右のほうを向きました。
「持ち場につけ! 王城を守れ! 陛下達の身の安全を保障しろ!」
視線の遥か先で、声の主は更に大声で、
「我々の責務は、王族の身辺警護! 今、王城の敷地内にある本部が襲撃された以上、一時の油断もするな‼ 人員を総動員し、王城周辺を固めろ‼」
その号令と同時に、ぞろぞろと皆が動き出します。
しかし、全員がきびきびと動き、誰一人として緊張感を持っていない方はいらっしゃいません。
わたし一人がおどおどしていると、
「おい、お前!」
後ろから声が掛かりました。
振り返ると、案内人がそこにいました。
「私達は見ての通りだ。お前は早急に、この場を離れろ」
そう言われても、さっきから足が震えて……。
「おい、聞いてるのか? 分かったら早く行け!」
恐怖のせいか、案内人にも返答ができません。
だって、わたし一人が離れて、それで何かないとは限らないじゃないですか!
近衛兵団を狙った攻撃にしろ、この場に居る以上、わたしも近衛兵と判断されかねません!
近衛兵の制服は着ていませんが……でも。
「おい、しっかりしろ!」
何もできないで頭がこんがらがっていると、案内人の後ろのほうを見知った人物が通り過ぎました。
ガスターさんです。
こういった状況で知人を見ると、少しだけ落ち着きます。
――しかし。
次の瞬間、ガスターさんの頭が無くなりました。
「え?」
わたしは案内人を押しのけ、彼の許に駆け寄ります。
うつ伏せに倒れたガスターさんの周りに赤い液体が川のように流れ、彼の体の下には赤い液体が水たまりのように溜まっています。
しゃがみ込み、ガスターさんの体を揺すります。
反応がありません。と、彼の後ろポケットに何かが差し込んでありました。
それを、取ってみました――これは、手記?
今はそんなことを考えている場合ではありません。
手記?を懐に納め、もう一度、ガスターさんの体を揺すります。
「ガスターさん? 大丈夫ですか? 返事してください……くださいよぉ」
体を揺すっていると、誰かに無理矢理、引き離されました。
「止めろ! そいつはもう……ダメだっ」
案内人です。
彼女の声で我に返り周囲を見渡すと、誰もガスターさんのことを気に掛けていません。
どうしてですか?
早く助けないと。
わたしがガスターさんの許に行こうとすると、
「止めろ! お前はいち早く、この場から離れるんだ!」
案内人にがんじがらめにされて動けません。
それでも、何とか拘束を解こうともがきます。
「でも、ガスターさんが!」
「そいつはもうダメだ!」
怒鳴られ、わたしは抵抗を止めました。
そして、倒れたガスターさんの頭部に視線を移しました。
「あっ」
最早、悲鳴は出ません。
ガスターさんの首から上は本当に、本当に無いのです。顔が見当たりません。
出血も、顔と言う蓋が無くなったせいで、首の中からドバドバと出ています。
ああ、赤い川も、赤い池も、彼の血だったのですね。
「おい、しっかりしろ!」
わたしは一気に、体の力が抜けました。
ガスターさんは、死んでしまったのですね。
「クソッ。――私はこの者の安全を確保します!」
「そいつは誰だ!」
「一般人です!」
「何故ここにいる⁉」
「そもそも誰が連れ入れた‼」
「事情があったのです!」
飛び交う声は、私の耳を通過していきます。
もう、何かを考えることはできません。
その後、わたしはどう移動したのか覚えていません。
案内人に背負われたのか、あるいは案内人の肩を借りて歩いたのか。
一つだけ確実なのは、案内人がわたしを貴族街から連れ出し、酒場の近くにある広場に連れて来たことです。
広場に唯一あるベンチに座り、わたしの正面には案内人が立ちました。
「一応は、ここまで運んだ。――私は戻るぞ」
「どうしてですか……」
気付けば、口から言葉が出ていました。
「どうして、ガスターさんが死んでいるのに誰も構わないんですか‼」
わたしは、案内人を睨み付けます。
後から考えれば、彼女に言ったところで八つ当たりだとすぐ分かります。
なのに今は、言わずにはいられませんでしだ。
「我々は、この身を盾にして陛下を、王子や王女を守る。本部が襲撃された以上、王族への危機はすぐそこに迫っているのと同義だ。いちいち、人の死には構っている余裕はない。たとえそれが、同僚だとしてもな」
きっぱりと言った案内人は、身を翻して行ってしまいました。
「そんなの、理由になりませんよ」
わたしは独り、ぼそっと溢しました。
何とも言えない虚しさを胸に、わたしは酒場に戻りました。
珍しく酒場は賑わっていたので、接客時の笑顔を頑張って作り上げます。
そして仕事を続け、客足が引いて一段落したところで、わたしはカウンター席に座りました(いつもの正面のところです)。
そこで、ガスターさんから預かった手記を手にしました。
「それは?」
カウンター内で作業をするマスターに訊かれます。
「先輩、読書なんてする人でしたっけ?」
ニィちゃんも、近寄ってきます。
てか何ですか。その、わたしが読書しないような言い方!
と、普段なら突っかかるところですが、今日はそんな気力もありません。
「これでも教会育ちですからね。小さい頃から聖典には触れています」
そう、わたしは適当に流しました。
「え? あー、はい……。なんかすみません」
「気にしてませんよ。親の顔すら分からないので」
「何と言いますか、人って見かけによらないんですね」
ニィちゃんや、そっちのほうが余計、失礼ですよ。
「で、それは何なんですか?」
「ガスターさんが持っていた手記です」
言うと、作業を止めたマスターが、
「そう言えば、貴族街のほうで凄い音がしたけど、大丈夫だったかい?」
貴族街……。
正直、初めて行った場所にしては、あまり良い思い出にはなりませんでした。
「……いえ、近衛兵団の本部が襲撃されて」
えっ、とニィちゃんが大声を出します。
「先輩、大丈夫なんですか⁉」
今、こうしているのだから、体は大丈夫でしょうよ。
「建物は倒壊しましたが、わたしは生きて出られました」
でも……、
「でも……ガスターさんは、お亡くなりになりました」
心のほうは、結構、応えてます。
「ガスター……?」
「確か、よく来る近衛兵の」
「マスターが仰った、その人です。男性で、無口ではないほうです」
ニィちゃんも分かったようで、ああ、と納得がいったようです。
「てことは、ガスターさんの手記ってことですか?」
「はい。でもこれ、どうすれば良いでしょう」
マスターに顔を合わせます。
マスターは深く考え込んでしまいました。
「そうだね……やっぱりご遺族にちゃんと返すか、近衛兵団に預けるかだろうね」
「先輩、もう中身は読んだんですか?」
「バカですか、ニィちゃん。死者の物を勝手に拝見するのは、墓荒らしも同然ですよ」
「うぅ、だって先輩が持ってるから、これから読むのかと思って……」
これをどうしようかと思って、手にしただけなんですけどね。
とゆーか、近衛兵さんの部屋で読んでいた手記も、持って来ちゃったんですよね。
それはそうと。
ガスターさんのご実家までは分かりかねるので、近衛兵団に届けますか。
「マスター、後は任せても良いですか?」
思い立ったが行動を起こしましょう。
「え、ちょ先輩⁉ 帰るんですか?」
「この手記を届けて来ます。――後は任せますよ、ニィちゃん」
わたしは、店を出ました。
夜道は暗いので、店のランタンを借りて行きます。
店を出、街と貴族街とを隔てる門に着きました。
すると、門のところには先客がいました。
年老いた男女です。ご夫婦でしょうか?
何やら門衛の方と会話をしているようです。
周りが静かなせいか、内容が聞こえてしまいました。
「それではガスターさん。ご遺体は後日……」
老夫婦は嗚咽しながらただ、はい、はい、と悲しそうに声を出しています。
ところで今、ガスターさん、って言いました?
彼らのことを眺めていると、老夫婦がこちらに歩いて来ます。
「あの」わたしは声を掛けました。
「今、ガスターさんって」
老夫婦は互いに顔を見合わせ、再びわたしに顔を合わせます。
「ユールハルト・ガスターさんと、お知り合いですか? あ、近衛兵団の」
きょとんとしている老夫婦に、わたしは訊ねました。
もう一度、彼らは互いに顔を見合わせ、お婆さまのほうがわたしに向かって言います。
「近衛兵のユールハルトは、私達の息子です」
なんと。
でしたら、この手記は持つべき方のところへ返しましょう。
「あの、これ」
手が空いているお婆さまに、手記を渡します(お爺さまは灯りを手にしていました)。
「ご子息が持っていた手記です」
お婆さまは手記を受け取り、
「貴女は、どなた?」
「あ、申し遅れました」
わたしはお辞儀をします。
「わたくし、アーラ・ワックスハイトと言う者です。ご子息には、わたくしが務めている酒場に、良く足を運んで頂きました」
はあそうなの、とお婆さまは手記を開きます。
お爺さまと身を寄せ合い、お二人で内容を確認しているご様子です。
しかし、次のページを開くことはしませんでした。
きっと、帰って見るのでしょう。
わたしがお辞儀をして帰ろうとすると、
「待って」
お婆さまに呼び止められました。
「この手記、息子のじゃないわ」