霊的霊式-08
8.
「――と、こんな話がありましたよ。探してみたら…」
紺野ナノマシンネットワーク研究所。
僕が『梨子様』を梨園で見かけ、そして梨子様が紺野さんを知っていたらしい話をすると、山中さんは独自に調査をして、『梨子様』に纏わる、女性の生首を池から救い出して梨園に埋めるという、珍しい妙な内容の怪談を見つけ出して来たのでした。
僕は紺野さんによって、頭にコードをたくさん貼り付けられた状態で、その話を聞いていました。そのたくさんのコードはコンピューターに繋がっていて、そのコンピューターを、紺野さんはディスプレイを見ながら操作しています。
何をやっているのか、というと、別に僕が病気とかいう訳じゃなくて、これは、こないだの調査で僕の体内のナノマシンが、どういった影響を受けているのかを調べているのですね。それで、色々と分かるのだそうです。
紺野さんは山中さんの話を聞き終わると言いました。
「ふーん その話を聞く限りでは、どうも私の予想は正しかったみたいですね」
「私の予想?」
「いえ、実は知り合いからメールが来たのですけどね、ちょっと前に。中央森林公園の池の中を調べてみろって」
「知り合いから……」
「それで、その知り合い。もう七年くらい前に死んでいるもので。しかも、中央森林公園の池に落ちて」
ああ、とそれを聞いて僕は思いました。
その話ならば前に聞きました。警察の死体安置所で聞いた話です。
「これは彼女、ナノマシンネットを構成する何らかの“霊”になっているのだなって簡単に予想がつきましたよ。ただ、池の中のナノネットだとすると少し話がおかしい。わざわざ、自分の不利になるような報告をする訳はないでしょう? だから、彼女の“霊”は、あの池からは逃れているのじゃないかと考えました。あの池には水死者が毎年のように出ています。ナノネットがその原因だと分かれば、僕が退治するだろうと考えるのが普通ですから」
「なるほど、それで池以外の場所に形成されているナノマシンネットを探したのですね。それで、それらしいのは、『梨子様』くらいしか見つからなかった。……そして、今回私が見つけてきたこの怪談ですか。でも、どうして『梨子様』は、紺野先生にメールを送ったのでしょうか?」
それを聞くと、紺野さんは少し黙ります。いえ、返答を拒否したわけじゃなくて、どうやら機械の操作に熱中をしているだけみたいでしたが。
紺野さんは、一通り打ち込みを終えると、「ふぅ」と息を漏らし、そして「なるほど、なるほど。あの池に構成されているナノネットはかなり強力なものであるようです…… 生態レベルだけを見るのならば、『梨子様』に勝ち目はありませんね。あと、やはり例の神社には何もなかったようです。二つ以外に影響の痕跡はありません」と、そんな事を独り言のようにいいます。
その独り言のようなものを聞くと、山中さんは言いました。
「……勝ち目がない? もしかして、生存競争ですか?」
紺野さんはそれを聞くと、にっこりと笑います。
「そう考えるのが妥当でしょうね」
僕には初め、その意味が分からなかったのですが、その後で紺野さんが続けてこう説明してくれたので、その意味が分かりました。
「ナノネットの中核である “霊” 『梨子様』…… 恐らく、高木則子は、僕を利用して生存競争に勝とうとしているのですよ。彼らはある意味、生物で、どちらも繁殖をしようと必死です。そして、それにはお互いの存在が邪魔だ。だから、その為に人間社会をも利用し相手を排除してしまおうとしているのです。まぁ 多少悔しいですが、ノってやるしかないですかね…」
つまり、『梨子様』にとっては、敵である池に巣くっているナノマシンネット… 仮に『水神様』と呼ぶことにしますが… 水神様を、彼女は紺野さんを利用して倒してしまおうとしている… のでしょうか。
「高木則子…… って、『梨子様』の生前の名前ですか?」
そこで、僕はそう尋ねました。
ちょっと思い付いた事があったからです。
「その通りですよ。彼女は、生態系についての研究をしていた人で、ナノマシンネットにも興味を持っていた……。それで、私とも知り合いだった訳ですが」
僕はそれを聞いて「そうなんですか…」と、言います。どうも納得ができない事があったからです。ある疑問が消えなかったのです。そして、再び口を開きます。
「あの……、その『梨子様』は、どうやって紺野さんにメールを送ったのでしょうか? いくらナノマシンネットワークが拡がっていても、インターネットと繋がっている訳じゃないのでしょう?」
「恐らくは、誰かの意識を乗っ取って、それでメールを送ったのでしょう。完全にその人間を取り込んでしまえば、ナノネットの“霊”にはそんなことも可能なんですよ」
「それは確かですか?」
「いえ、推測に過ぎません。ただ、不思議ではないって程度ですね」
僕はそれを聞いても疑問が消えませんでした。
すると、紺野さんはそんな僕の様子を察したらしくこう質問をしてきました。
「どうしました? 何かおかしな点でもありましたか?」
僕はそれを聞くと、やや恐縮しながら…
「いえ、大した事ではないのですが… その梨子様……じゃなくて、高木則子さん。もしかしたら、何処かで生きているって可能性はないのですかね?」
と、そう問い掛けてみました。
「いえ、それはないでしょう。彼女の死体は、七年前にあの池から上がっています。生きている人間の人格がコピーされ“霊”が構築される場合もあるのですが、彼女については違いますよ」
「そうですか…」
「本当に… 一体どうしたのですか?」
「いえ、僕が見た『梨子様』ですけど、どうも僕は一度、あの女性を見たことがあるような気がするんですよ。しかも、つい最近」
「見た事がある? 気の所為じゃないとするなら、それは、確かに変ですね…」
それを聞くと山中さんが言いました。
「梨子様の霊から、アクセスを受けた時に、そんな風に感じるようにされてしまったのじゃないですか?」
「え? そんなこともあるのですか? でも、だとしたって、そんな事をする意味が分かりませんよ」
僕は詳しく知らないので、何とも言えませんでした。紺野さんはそれについてこう言います。
「うーん まぁ 有り得なくはないですが…… 考え難いですね。或いは結果的にそうなってしまっただけ、というケースもあるかもしれませんが……」
ところが、それから、紺野さんは何かに思い至ったのか、突然机の引き出しを開けると何かを探し始めたのです。そして、
「あ、有った。ありました。いやー まさか、本当に役に立つとは思いませんでしたよ」
と、そんな事を言います。
「どうしたんですか?」
僕がそう尋ねると、紺野さんは机の中から写真を数枚取り出して、そのうち一枚を僕に見せてきました。
「星君。この人物に見覚えは?」
そこには中年の男性が写っていました。しかも、何故だか僕には見覚えがありました。何処で見たのだっけ?
しばらく考えて思い出しました。
「ああ、そうか。あの警察署に行った時に見た、水死体の…」
確か、お医者さんだったはずです。
「そうですね。野田さんです」
紺野さんは僕の答えを聞いて頷きました。
「では、次にこの写真です」
今度はお爺ちゃんの写真でした。名前は分かりません。しかし、何故だか僕は、この人も見た覚えがありました。
「分からないです。でも、なんだか、覚えがあるような…」
紺野さんはにっこりと笑いながら、頷きます。
「そうですか。では、次です」
今度は子供の写真。
それを見て、僕は驚きを隠せませんでした。
「この子は!」
頭にコードを貼り付けたままで、思わず立ち上がってしまいます。
「ああ、落ち着いてください。コードが頭に付いてるのですから」
紺野さんはそう言いつつ、僕の反応に何処か満足げでした。
「……で、なんですか?」
「僕があの池で、ナノマシンネットに憑かれた時に見た子供はこの子です…間違いなく。一番、印象に残っているから分かります」
紺野さんは僕の返答を聞くと、少しだけ含み笑いを浮かべ、それから、もう一枚僕に写真を見せました。
「では、この女性も見覚えがありますか?」
そこに写っていたのは、梨園で見かけたあの女性…… つまり、『梨子様』でした。
僕はその写真を見終えた後で、こう言います。
「…あります。この女性も、あの池で見ました。紺野さん。つまり…?」
「その通りです。警察から借りていたのですけどね。その写真の人たちは、皆、あの中央森林公園の池で死体となって発見をされた人達なんです。憑かれた時に幻として見た人たちを、君は覚えていて、それで『梨子様』を見た時、見覚えがあると思ったのでしょう。神秘体験… というか、印象深い不思議な体験だったでしょうから、無理もありません」
そのやり取りを、興味深そうに山中さんは聞いていました。
……多分、羨ましがっているのだろうと思います。きっと、僕みたいな体験をしてみたいのでしょう……
………代わってあげたいです。
「でも、どうして、『水神様』の幻の方にも、彼女が出てくるのでしょうか?」
それを質問したのは、山中さんでした。
「彼女の“霊”は、梨園でナノマシンネットとなっているはずですよね?」
「そうですね。恐らく、部分的には喰われてしまっているのでしょう。高木則子の記憶や思考、自我は。あの池の『水神様』に。あなたが探して来てくれたあの怪談で、女性の生首は“自分は喰われているから早く逃がしてくれ”とそう訴えていたはずですよね」
「……だとするのなら、あの池の主。水神様の軸になっている“霊”は、やはり星さんが見たという子供なのでしょうか? 高木則子さんは、あの池で発見された二つ目の死体ですから、必然的にそうなってしまいます。子供が高木則子さんの人格を喰った?」
「新島聡くん という子だそうですが……、ナノマシンネットに、子供も大人もありませんよ、山中さん。彼らは、生前の人格を、一見は受け継いでいるように思えますが、実態は別物なんです」
新島………
あれ?
その時、僕はその名前を聞いて、妙に思いました。
何処かで聞いた名だったからです。でも、今度は流石にあの体験が元になっている訳じゃないでしょう… 何しろ、視覚情報じゃないんだし…。
僕は頭に貼り付けてあるコードを「取っても良いでしょうか?」と、紺野さんに尋ねつつ、テーブルの上に広げられてある新聞に目をやりました。そして、そこで思い出したのです。
「ああ、そうか!」
思わずそう言ってしまい、その声に二人が反応します。
「なに?」
新島………、それは今朝の新聞に載っていた苗字だったのです。
僕は新聞を捲って、二人にその記事を見せます。
「これ! この写真の、眼鏡をかけている新島って人! 僕が池で見た霊達の中にいました!」
それは、行方不明者を報道した小さな記事でした。
先日、盗まれた、巨額な資金を費やして研究開発されていたロボット。R―28。その研究室の担当責任者、新島成行氏がその責任感から失踪したのか、行方不明となっている。
二人は、目を大きく開いて驚いていました。