霊的霊式-02
2.
……M市B町。
子供の頃は、どんな奴だったろうか?
アイツは…。
僕はそれを思い出してみようとする。子供の頃からの付き合いなんだ。アイツとは… でも、僕はそれをよく思い出せなかった。
――変わってしまった。
でも、それだけは確実だった。何しろ、僕とアイツは当時仲良く遊んでいたのだから。今では考えられない状況下だ。
アイツが変わり始めたのは、いつの頃の事だったろうか?
次に僕はそれを思い出そうとしてみる。もちろん、昔がうまくイメージできないのだから、それも曖昧なのだけど、それでも、手がかりだけはあった。
アイツと僕が一緒に、遊ばなくなっていた時期………。
しかし、その記憶を辿っていく内に僕は、とても嫌な、忘れたい過去に行き当たってしまう事に気が付き、あわててそれを止めようとした…… が、しかし、それは、既に手遅れだった。
僕は明確にそれを思い出す。
水死体……
まさか、あんな事になるなんて、僕達は少しも考えていなかったんだ。
仲良しグループ。友人の一人… 新島聡。彼が行方不明になり、水死体になって発見をされた……。そう。あの事件からだ。あの事件から、アイツと僕は少しずつ遊ばなくなっていったんだ……。
中央森林公園。
半ば森のように大きなその公園には、大きな池があった。僕たちはその池で、ザリガニやカエルなんかを捕って、よく遊んでいたのだ。
そして、ある日の事だ。
仲間の一人の、新島聡という子供が、その池から水死体となって発見されたのは。
確か、小学校三年くらいだったはず。
そう。そうだ。
あの事件から、アイツは変わり始めた……。
同じ制服を着た諸々が、ゾロゾロと高校の校舎を同じように目指している。毎朝何も変わらない登校の風景。制服という名の匿名性。それが無個性の象徴みたいに思えるのは、この僕に原因があるのだろうか?
後もう少しで、校舎というところで捕まった。
「よぅ、中目〜」
アイツ… 戸田猛が僕の名をそう呼び、近付いてくる。そして、僕の首に腕を回して顔を近付ける。至近距離。
もちろん、親交を深めているのではない。むしろ、その逆。脅しているのだ。
戸田は、顔を更に近付ける。そして、耳元で小さくこうささやく。
「金、用意できたか?」
「アハハハ」
と、笑って誤魔化しながら僕は思う。
――本当に、どうして、こんなに変わってしまったのだろう?
これは、俗に言うかつ上げで… つまり、僕は金を脅し取られているのだ。今の僕と戸田は友好関係などとはほど遠い、脅迫者とその被害者という間柄だったりする。
「もう、ちょっと…」
僕がそう答えると、戸田は「ふん」と妙な含み笑いをし、周囲からは気付かれないような角度で、僕の脇腹にボディブローを叩き込んだ。重いやつ。僕はそれで脇腹をかかえこんでしまう。
「早くしろよ」
戸田の奴は、それだけを言うと、苦しそうにしている僕を置き去りにし、そのまま校舎へ向かって歩いて行った。
……全く、困ったもんだ。
この脅しは、登校時の毎朝のイベントになってしまっている。金を払えば数日間は大人しいが、時間が経てばまた再開。重い、ストレスだ。
最初は、何が切っ掛けだったっけ?
確か、僕がアイツの靴を踏んだとか、踏まないとかそんな話だった気がする。それで、金を要求されて払ってしまったのが、そもそもの始まりだったか……。
少額から始まったそのかつ上げは、徐々にエスカレートしていき、今や僕の小遣いからでは払えきれない額にまでなっている。
月毎に納めなければ、殴られるのだ。
ここで親の財布からくすねてしまえば、楽だったのだろうが、それはできなかった。僕にそんな度胸はなかったし、それに、我が家の親達のガードは堅いのだ。簡単には盗めない。が、もしかしたら、それが幸いしたのかもしれない、とも思っている。幾ら金を払っても、際限なくアイツらは要求して来るような気がするんだ。限界は、こちらから教えてやらなければならない……。
……と、えらそうな事を言ってみたけど、恐喝され続けている事実に変わりはない。僕は親に黙ってバイトをし、それで稼いだ金をアイツらにセッセと貢いでいる訳だ。……とても、情けない話だけど。
こっちが、どうしてもそれしか払えないと分かると、アイツらもそれ以上は要求をしてこなくなった。
アイツらが、不良だとかなんだとかいった類の連中なのかというと、実は違う。恐喝行為を行っている連中は、表面上は一般の生徒を装っている。戸田だって、そうじゃなければ連中とつるんだりはしないのだろう。何しろ、アイツの父親は、今度の市長選挙に立候補していて、その関係で、息子のアイツもイメージを重視しているからだ。
――これを、ばらしてやろうか?
そう考えた事もあるけど、できなかった。ばらしたら、更に酷いいじめが待っているかと思うと… 本当に情けない話だけど。
アイツが変わり始めた事件…
水死体。
僕はそこでぼんやりとそれを思った。そんな事を思ったところで、この事態が解決する訳でないのは分かってる。でも、思わない訳にはいかなった。
アイツが変わってしまった原因、それが分かれば或いは… なんて甘い事を考えているのだろうか? 僕は。
新島聡が、池で溺死をした本当の理由は分かっていない。分かっていないけど、僕らはあの時、あの森林公園でかくれんぼをしていたのだ…… そして、その日、何処かに隠れた新島聡はいくら探しても見つからず、数日後に水死体になって発見をされた。
だから、誤って足を滑らして池に落ち、そのまま溺れてしまったのだろう、という事になっている。
或いは、僕らが探していた時には既に……。
死体。
そういえば、その時からだったのじゃないだろうか? あの、中央森林公園の大きな池から、水死体が度々発見されるようになったのは。年に1〜2回は、そんな事件が報道されている。
二回目の水死者の時は鮮明に覚えてる。まだ、新島聡の事件から、一年と経っておらず、しかも綺麗な女性の人で、何かの研究者という肩書きがあったからだ。流石に、それ以降は慣れてしまったというのもあるし、数が多くなっていったという事もあって、印象にあまり残っていないけど。
噂では…… というか、怪談だけど、怪談では、水死者達の霊が仲間を欲しがって誘うのだ、という事になっている。
僕はそこで思い出した。
……そういえば、戸田の父親。戸田太久郎という名前だが、戸田の父親は、市長選挙への立候補で、森林公園を潰してしまう公約をかかげているのだった。少なくとも、池はなくしてしまおう、と。
もちろん、それが新島聡のあの事件に直接関わっているとは思えないけど…。
景観が損なわれてしまう、という反対意見もあるのだが、年に水死体が最低でも一回は上がる、という物騒な場所だけにそれほど一般の人達からの反発はない。ただ、その理由はそれだけじゃなくて…
ホームレス。
いつの頃からか、どういう訳なのか、この中央森林公園には、ホームレスの皆様方が住み着いてしまっているのだ。
僕が子供の頃… 戸田とだって仲良く遊んでいた子供の頃、つまり、まだ新島聡が生きていた頃。彼らがそこに住んでいた記憶は僕にはないから、少なくとも、僕が小学校低学年の頃はまだいなかったという事になる。
当然の話かもしれないが、彼らを嫌がっている住民も多くいて、できれば移転願いたいらしい……。それが、森林公園を潰すというその主張が認められている理由のもう一つ。森林公園の跡地を、戸田太久郎氏は、自分が梨園を営む豪農である事も手伝ってか、市営の梨園にしようとしている。
しかし、現市長の志水尚人は、その意見に真っ向から反対をしているのだ。
ホームレス達を追い出すのは、重大な人権侵害に他ならない………。
と、そんな事を言っているが、もちろん、そんなのは建前で、本当は、ホームレス達を養うために支給される国からの予算が削減されるのを嫌がっているだけ、というのが通説である訳だけど。
まぁ、中央森林公園のホームレス達は大変にお行儀が良くて、実害はほとんどないから、追い出してしまうのは悪い気がする。治安が乱れるといった事もない… といか、むしろ逆に、治安を護ってくれたりもしているし。公園にいるホームレス達が、痴漢から女性を救った事なんかが過去にあるのだ。それと、住所は不定なのだけど、しっかりと彼らには仕事が市から与えられていて、森林公園は元より町中のゴミ拾いをして、衛生管理をしていたりもする。
格安で、町が綺麗になっている訳だ。
だから、経済にも少しは貢献している。
なんか逆のイメージなのだけど、そんなに汚くはないのだ。ただ、やっぱり、ホームレスはホームレスで、それなりには、それなりなのですが……。
駄目だ……。
と、そこまで考え、僕は思った。
思わず現実逃避をして、色々な事を考えてしまったけど、こんな事を幾ら考えたところで、僕の抱えている問題は解決しないのだ。
どうすれば、アイツらの恐喝といじめから逃れられるのか、それを考えなくちゃいけないのに。
だけど……。
もう一つ、そこで僕は思い出していた。
そういえば、ホームレスに関する噂話で…… それこそ、怪談みたいな変な噂話で、こんなのがあった。
本当は存在しないアドレス… Hakaba@111に、お願い事を書いたメールを送ると、このB町に住む者である場合に限って、その願いを叶えてくれる事がある。そして、その願いを叶えるのが、森林公園のホームレスの内の不思議な誰かなのだという……。
何処から持ち上がった噂話なのかは分からない。ホームレス達は、僕らにとってある種の異文化だから、想像が膨らんで、そんな都市伝説も生まれたのかも……。
教室。
雑然とした雰囲気。
楽しそうに笑う声が聞こえてくる。
そんな中でも、僕は一人憂鬱だ。アイツらが絡んでこないかと、不安で堪らない。
金の支払いが遅れている時期、アイツらの嫌がらせはより酷く、そして頻繁になるのだ。だけど、今日は朝の戸田の脅し以外、特に何もされていなかった。でも、だからこそ怖い。絶対に、アイツらは何かをやって来るはずだ。
そこで、僕は机の中の異変に気が付く。
あれ? おかしい?
なにか、荒らされている気配。
慌てて英語のノートを出して、開けてみる。次の時間は英語だから。すると中は、案の定、メチャクチャに悪戯書きがされてあった…
教科書じゃないだけマシか…
そんな酷い事をされても怒りを覚えるでもなく、そう思ってしまう、とても情けない自分がそこにはいた。
願いを叶えるホームレス……
もちろん、そんなものに頼ろうと思うなんて馬鹿げている。馬鹿げているけど、でも、駄目で元々、リスクがないのなら、別に試してみてもいいかもしれない。
僕は漠然とだけど、その時そう思ってしまっていたのだった。
ワラにもすがる思いで……。
『Hakaba@111』に、助けを求める内容のメールを送ったのは午前中だった。しかも、そんなに早い時間じゃない。四時間目の前の休み時間だから、11時ちょっと過ぎくらいだったはずだ。
アイツらをできる限り避けるのに一生懸命で、メールを送っている時間がなかったのだ。
しかし、それなのに、午後の1時には既に返信が来ていた。ただし、その元のアドレスは、『Hakaba@111』では、なかったけれど。
普通の携帯電話のアドレスだった。
もっとも、やはり『Hakaba@111』なんてアドレスは存在していなかったらしくて、アドレス不明、の返信が来ていたから、それも当然なのかもしれない。ただ、だとするのなら、どうして相手に僕のメールが届いているのかが謎だ…。
もしかしたら、ただの悪戯なのかもしれない。
とも、考えたけど…
………でも、届いていなければ、そもそも悪戯なんかできるはずもない。メールを送った時に内容を見られていたなら分かるけど、そんな気配はなかった。
だったら、一体、これはどういう事なのだろう?
僕は考え込んでしまった。
……どうしよう?
返信されてきたメールの内容は、神社に来るようにというものだった。そこで、待ち合わせをして、詳しい話を聞くというのだ。
もし、これがニセモノからのメールだったとするのなら、単なる悪戯ではなく、罠である可能性もある。僕は更に酷い事をされてしまうかもしれない……。
……本当に、どうしよう?
僕は心の底から悩んでいた。
そして、放課後。
連中に捕まらないように、急いで学校を脱出した僕は、まだ結論を出せなくて、しばらく街をさまよっていた。
……でも、
――結局、神社に来てしまっていた。
さんざん悩んで街を巡った後、やっぱりどうしても無視しきれずに、神社を目指してしまっていたのだ。好奇心もあったのかもしれない。何が待っているのか。アイツらから逃れたいという思いだけじゃなくて。
そのお陰で、約束の時間は過ぎてしまっていた。もう、暗くなり始めている。薄暗い神社は、それだけで少し不気味だ。それこそ、妖怪変化が現れてもおかしくないくらいに。
神社の前で、僕は様子を窺った。
いきなり踏み込むような馬鹿な真似はしない。境内をそっと覗き込み、そこに誰かがいないかを確認する。もしも、罠であるような雰囲気があったら、一目散に逃げるつもりだった。
だけど、境内には、誰の気配も感じられない。
誰もいない?
やはり悪戯だったのか、と僕はそれを見て残念に思いながらも反面、安堵していた。もしかしたら、待ちくたびれて、もう何処かに行ってしまったのかもしれない。
“悪戯なら悪戯で別に良いんだ”
それから僕は、そう自分に言い聞かせる。でも、安堵をすると気が大きくなって、もう少しくらい冒険してもいいかとも思ってしまった。それで僕は、それから神社の中に向かって足を忍ばせたのだ。罠である場合、何処かに隠れているという可能性もあるから、慎重に、ゆっくりと、表は回避して裏に回る。
誰もいなかった。
裏にも。
次に僕は表に回った。さっき見た時には誰もいなかったはずの表に。
辺りは静かで、暗くなっていた。僕は、まだその暗さに目が慣れていない。だから、ゆっくりと周囲を見渡す。
先ずは、神社の本堂。お賽銭箱が置いてある所…… 木の階段。誰もいない。それを確認してから、境内を見渡して一回り。最初に見た神社の本堂に視線が戻る。
あれ?
その時。違和感。何かがさっきとは違う。何か小さなものがいる。僕はそう思った。色がくらい。だから、暗さに紛れて最初に見た時には気が付かなかったんだ… でも、神社を見渡し一周して目が慣れて… それで見えるようになったのだろうか?きっと、そうだ。そんな推測を刹那にする。だって、そうじゃなければ、それはそこに突然に現れた事になる。そんな不思議を、僕は自分の世界に許さない。
(でも、不安は残る)
そして、
その小さなものは動いていた。
来ている服は、とても濃い茶色だった。後ろの神社の色に近い。きっと気が付かなかったのにはそれもある。保護色になって見えなかったんだ。
その小さなものは、僕に向かって近付いてくる。どんどんと、どんどんと迫ってくる。とても低い身長だった。幼い子供くらい。その低い身長のものは、分厚いコートを纏わりつかせ、マフラーをぐるぐる巻きにして、そして大きな帽子を深く頭に被っていた。
だから、当然顔は見えない。
だから、当然確認できなかった。
それが、果たして、何歳くらいの人間であるのか……。
人間なら… だけど。
“分からない” その事が、僕の妄想を暴走させていた。
お化け…… なの、かもしれない。
そう思っても、身体は動かなかった。逃げなかったのじゃない。逃げられなかったのだ。つまり、竦んでしまっていた。
本当に、僕は情けない。
そしてそれは、気付くと、僕の直ぐ目の前にまで来ていた。言葉が聞こえた…。
『随分、遅かったね』
とても幼いその声に、僕は腰が砕けてしまった。