霊的霊式-12
12.
二回目の調査から数日後、僕らは再び紺野さんの研究所に集合しました。もっとも、里佳子ちゃんはいませんが。
「大体の情報が集まってきて、かなり今回の事件の全貌が分かってきました」
紺野さんは開口一番、そう言いました。「あ、あと、藤井さんから、連絡がありましたよ。二点ほど新情報です」
藤井さんというと、例のあの探偵さんです。前に、ここに来ていた。
「まず、彼の依頼主… 子供のホームレス“ハカバ”に遭遇していた高校生ですが、血液検査を行ってみたところ、血液中からナノマシンが検出されたそうです。つまり、私たちの予想に反して、彼は幻を見ていた可能性がある、という事ですね。そして、次に、私たちの調査の後の話らしいのですが、戸田梨園で放火騒ぎがありました。さいわい、大事には至らず無事鎮火したようですが、その火を点けた犯人が、どうも子供のホームレスであるようなんです…」
「子供のホームレス……」
山中さんが発言します。
「それって、つまりハカバですよね? という事は、やっぱりハカバは存在していたのではないですか? いくらナノマシンが検出されたとしたって。星さんも、ハッキングの時に見たと言っていましたし…」
それを聞くと紺野さんは、山中さんを制するようにこう言いました。
「まぁ 待ってください。結論は急がない方が賢明です」
僕は山中さんの言葉を聞いて、実は口を挟もうかどうか迷っていましたが、結局、黙っていました。
……僕は確かに、あの時に“ハカバ”らしきものを目撃しましたが、だけども、自分の見たものが本当に現実に存在するものなのかどうかは、かなり疑っているのです。
あの時の、あの不思議な感覚体験が、僕の中のリアリティを徹底的に曖昧にさせていたからです。無理にあの感覚を表現するのなら、なにか、前もって、思い込みで形成された他人の世界を見させられているような感覚、とでも言うべき…… でしょうか?。
……もしかしたら、やはり“ハカバ”は幻なのかもしれません。あんな子供が存在するなんて、どう考えてもおかしいです。
「取り敢えず、まずは今までの話を整理してみましょうよ」
紺野さんはそう言って、ノートを開きました。
「今回の件に関っているナノマシンネットは、二つです。一つは、中央森林公園の池を巣としている、池の主『水神様』。そして、戸田梨園を巣にしている護霊『梨子様』。高木則子さんですね」
ノートにメモでも取ってあるのかと思ったら、ノートは白紙でした。発言しながら、今、そこに書き込みをしています。
どうやら、紺野さんは、前もって整理する為に書き込みをするようなタイプではないようです。頭の中で、纏め上げてから、初めて文章にする人なのでしょう…。
「そして、『水神様』の方は、森林公園のほぼ全域…… 或いは、それ以上の範囲をテリトリーとし、森林公園に住むホームレスたちを取り込んでいる… そして、あの池から、毎年死体が上がっている事を考えても、頻繁に人間を誘っている、と考えられます。恐らく、自分たちの繁栄の為に」
「ちょっと待ってください」
そこで僕は質問をしました。
「あの池で、人を殺すことは、ナノネットにとって、どんなメリットがあるのでしょうか?」
僕は、それがずっと不思議だったのです。紺野さんは淡々と答えます。
「まず、単純に、人間の死骸は、彼らにとっての栄養分になりますね。ただ、もちろん、それだけじゃなくて、人の人格を取り込めば大いに役に立つのですよ。それは、ナノマシンネットの軸となる“霊”を増やす、という事でもありますからね。それに人間の脳のデータも盗めます。知識や経験。そういったものを。だから、知識のある人間があそこの池で死んでくれるのは、彼らにとってプラスになるのです。例えば、高木則子さんや、医者の野田さんのような」
「なるほど…… 分かりました」
それで僕も誘われたのです。そのやり取りを聞いていた、山中さんが独り言のようにこう言いました。
「仲間を欲しがり誘う悪霊……。『水神様』というよりは、まるで『引亡霊』ですね。あそこのナノネットは」
「ひきもうれん?」
「生者を誘う、水死者の霊ですよ」
「……なるほど」
ほぼ、そのまんまじゃないですか。
紺野さんは、続きを語ります。
「この件に関して、留意点を挙げておくと、池の主の主軸になっている霊は『新島聡』という子供である可能性が大きくて、その父親でロボットの研究開発をしていた『新島成行』も、その霊に加わっているらしい、といったところでしょうかね」
新島成行…… 父親の霊は、僕が池で憑かれた時に見たのです。彼は現在、行方不明であるそうですが、既に死んでいる可能性も、だからある事になります。
「『梨子様』の方は、戸田梨園とその周辺がテリトリーですね。池の主に比べれば小さいですが、それでもかなり大きい。取り込んでいるのは戸田家の人々… と、後は恐らく、梨園の生態系に関っている動植物達でしょう。そして、『水神様』とこの『梨子様』は敵対関係にあって、生存競争をしている」
そこまでを聞いて、再び僕は質問をしました。
「あの… 梨子様が、人を殺さないでいる理由は何なのでしょうか?」
ナノマシンネットにとって、人を殺して、その人格を霊として取り込む事はメリットがあるはずです。なら、何故それを彼女は行っていないのか。
「それは簡単ですよ。まず、梨子様は水中を巣にしている訳ではないので、人を殺してもその人格を取り込む事ができない。あと、梨園で人死にがあれば、明らかに戸田梨園にとってマイナスです。つまり、それは梨子様にとってもマイナスであるって事になります」
僕はそれを聞いて納得しました。
なるほど、ナノマシンネットの研究には環境や生態系などの自然科学的知識の他、社会科学的な知識も必要な訳です。
「話はここからですが……、テリトリーやその影響力の巨大さでは太刀打ちできない『梨子様』は、生存競争に勝つ手段として、人間社会を利用しようとしました。具体的には、戸田太久郎氏を市長選挙に立候補させ、森林公園を潰す公約を掲げさせた… しかし、そこで邪魔が入ってしまった」
「戸田家の一人息子、戸田猛君がホームレス殺害の容疑で捕まってしまったのですね」
罠である、と、そう梨子様が言った例のあの事件です。
「そうです。それが本当に罠であったかどうかは分かりませんが、この事件の裏で糸を引いていたのは“ハカバ”と名乗る謎の、子供のようなホームレスの可能性があります。ここでの留意すべき点は、この“ハカバ”が実在しないかもしれないといった事でしょうね。ナノマシンネットによる、幻かもしれない」
紺野さんはノートに書き込みをしながら喋っていましたが、見てみると、もう何が何だかよく分からないものに、それはなっていました。
やっぱり、紙に書いて纏めるのは苦手なタイプのようです。
「この後で、直ぐに梨子様は、次の手段に出ました。つまり、この私にメールを送り、私を利用して、池の主のナノネットを消去しようとした。で、先日、私はその為の調査をして、彼女とも話をして来た。そしてその後で、子供のホームレスが、戸田梨園に火を点ける事件が起きた。小火で済んだそうですが。更に、ハカバと接触した藤井さんの依頼主から、血液検査でナノマシンが検出をされたと報告があった…… と、これで全部でしょうかね?」
山中さんも何も言いません。
……どうやら、重要な話は、これで全部なようです。
紺野さんは、そこまでを説明すると、それから先を中々語り出しませんでした。それにしびれを切らしたのか、山中さんが口を開きます。
「あの… 池のナノマシンの種類の分析作業等はもう終わっているのでしょうか? もし、そうなら、紺野さんは直ぐにでもあの池の主を退治できるのでしょう? なら、早く行動に出るべきではないですか? あそこの池からは、もう既に被害者が何人も出ているのですから……」
それを受けると、紺野さんは言いました。
「そうですね。それは、その通りなのですが… 少し、気になる点が私にはあるのですよ」
気になる点?
なんでしょう?
「……でも、」
山中さんが何かを言おうとしましたが、紺野さんはそれを手で制しました。
「分かってます。できる限り早く動くつもりでいますよ。ただ、今回はそのテリトリーの範囲、影響力の強さを考えても、少々危険な相手なのです。ホームレスたち。あれだけの人数を取り込んでもいるし、私の事を相手が知っている可能性もある。だから、ちょっと準備に時間がかかる…… 準備が終わり次第、行動を開始するつもりでいます」
それから、紺野さんは再び黙りました。考え込んでいる…… のでしょうか? そして、ふと僕の方を見るとこう言いました。
「星君。野田さんを覚えていますか? 野田さんは、他の死体とは違い、溺死ではなかったはずです。頭を殴打され、池に放り込まれたらしいですから… それでは、一体どうして、医者の野田さんは、殺されてしまったのでしょうか? それに、高木則子さんだって、どうしてあの池で死んでしまったのか、それも分からない……」
「………」
僕はそれを聞くと言いました。
「……それは『梨子様』本人に訊けば良いのではないでしょうか?」
「いえ、恐らく、彼女はそれを知りませんよ。その部分の記憶は、削られてしまっていると考えた方が無難でしょう。じゃなければ、そんな自分にとって有利になる情報を黙っている訳はない…」
自分にとって有利になる情報?
どうして、それが梨子様にとって有利な情報になるのでしょうか?
「あの… もしかして、紺野さんは、誰か生きている人間が、何らかの目的で森林公園のナノネットに関与している、とそう考えているのですか?」
山中さんが言いました。
「つまり、人間の犯人がいる、と」
紺野さんはそう言った山中さんを、チラリと見ると答えます。
「まだ、分かりませんよ。或いは、野田さんを殺したのは、操られたホームレスのうちの誰かなのかもしれない。どうして、殺されなくてはならなかったのか、その理由は分かりませんがね」
紺野さんは、どうにも優れない顔をしています。その表情を見て、僕は見当違いな事を考えてしまいました。
「すいません… ちょっと、あまり関係のない質問かもしれないのですが…」
「ん? 何ですか?」
「『梨子様』…… つまり、高木則子さんって生前と性格が変わっていたりしたのでしょうか?」
それを聞くと、紺野さんは変な表情をします。
「ああ、変わっていましたよ、そりゃ。生きている頃から、冗談が好きな人ではありましたが、あそこまでじゃなかった。普段は真面目で大人しそうな感じの人でした。それに、第一、ナノネットは、人間と同じ人格を持っているように見せてはいますが、その本質は別物ですからね… 」
紺野さんはそこまで言いかけて、止めます。
……僕は、もしかしたら、紺野さんの表情が優れないのは、『梨子様』に出会ったことで、生前の彼女を思い出し、少なからずショックを受けている所為かと思ったのです。が、どうもそれは違ったようです。
紺野さんは、僕に説明している最中で、何かに思い至ったのか「そうか…」と、呟きました。そして、それから、
「星君、君が妙な心配をしてくれたお陰で、答えが見えて来たようです」
と、そんな事を言ったのです。
どうも、僕の質問の意図は見抜かれていたみたいでした。
僕には紺野さんの言う事の意味が分かりませんでした。その続きも紺野さんは説明してくれない。それで僕は「はぁ」と返すしかなかったのです。