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霊的霊式-11

 11.

 

 予想通り、中央森林公園の後に紺野さんが向かったのは、戸田梨園でした。

 ――梨子様… いえ、紺野さんにとっては高木則子さんでしょうか? その霊が軸になって構築されているナノマシンネットが、あるはずの場所です。

 前回来た時もそうでしたが、戸田さん宅はほとんど警戒せずに、僕らを招き入れてくれ、しかも紺野さんが梨園を見学したいと言うと快くそれを承諾してくれました。

 ……前は、その柔らかい対応を受けて、随分とのんびりとした家だな、と僕は思っていたのですが、この人たちがナノネットの影響を受けているのだと考えると、少し感じ方が変わってしまいます。

 もしかしたら、『梨子様』の“霊”の影響を受けて、本人たちも知らずの内に、操られているのかもしれない。

 そう考えると少し怖い。

 梨園の見学に、戸田さんの家族は誰一人として付いてきませんでした。今、暇がないのだそうですが、それにしても、少しおかしな話です。ところが、紺野さんはそんな事は予想していたようで、そのまま涼しい顔で「そうですか」、と少しも訝しがることなくそう言ったのでした。

 少しだけ、不敵に笑っています。

 そして、それから、山中さんに『梨子様』の場所を訊くと、そのまま自分たちだけで梨園の中を歩いて行ってしまったのでした。

 「どうやら、私達を歓迎してくれているようですね… 高木さん」

 歩いている途中で、紺野さんはそう言います。言うまでもないかもしれませんが、高木は、梨子様の人間だった頃の苗字です。

 山中さんがどういう事なのか尋ねると、「恐らく、高木さんが私たちだけで、彼女に逢えるように、気を遣ってくれたのですよ。先の、戸田家の方達の対応は」と、そう紺野さんは説明しました。

 そのうち、僕が前来た時に『梨子様』を見かけた場所を通り過ぎます。

 「あ、紺野さん。さっきの場所辺りですよ。僕が『梨子様』を見たのは」

 僕がそう言うと、紺野さんは「そうですか… とっくに高木さんの影響力の範囲内に入っているのですね」と、そう言います。

 くまさんは…… と、僕はその時に思いました。くまさんならば、その影響力に感付いているはずです。しかし、くまさんを見てみると、どうにも様子が違いました。

 大きなくまのぬいぐるみを持った少女が、物珍しそうな様子で、梨園の中を歩いている。そんな光景にしか見えません。

 その時の彼女は、どうやら、すっかり森里佳子に戻っているようなのでした。梨園は初めて来るのかもしれません。少し、嬉しそうにしています。

 やがて、山中さんが声を上げました。

 「あそこですよ。紺野先生」

 指差した先には、神棚のような小さな社があり、高木則子の絵が飾ってあります。

 「おや、まぁ 高木さん、随分と偉くなりましたねぇ」

 それが面白かったのか、それを見ると紺野さんは笑いながらそう言いました。そして、その後で急に真面目な表情になると、

 「――さて、星君。まだ、何も見えてはいませんかね?」

 そう僕に尋ねてきました。

 「いいえ、まだ何も」

 僕が答えると、紺野さんは「そうですか。なら、恐らく、私を待っているのでしょう」とそう言って、例のあのナノマシン・カプセルを取り出しました。そして、「山中さんも、一応、呑んでみますか?」と、それを山中さんにも手渡します。

 ……それから、二人ともカプセルを呑み込みました。既に僕は呑んでいますから、この場で呑んでいないのは里佳子ちゃんだけです。元々体内にナノネットを形成させている里佳子ちゃんがどうなるのかは分かりませんが、つまり、僕ら全員、これでナノネットの影響を受ける事になるのです。

 紺野さんが呑み込み、少しの時間が経過しました。

 急に、辺りが曇よりと暗くなります。しかも、それは普通の暗さではありません。現実のビジョンと夢を二重で重ねたような空間が、そこに急速に現れたのです。やがて、青のまだらが辺りを覆い始めます。

 これは、あの時… 僕が池でナノマシンネットに憑かれた時の感覚と同じです。

 紺野さんは動じていません。山中さんはわずかに難しそうな顔をしていました。

 やがて、紺野さんが口を開きます。

 「そろそろ、姿を見せたらどうですか? 高木則子さん。そんなに、客を待たせるものじゃありませんよ」

 すると、

 『客ねぇ…』

 そう、声が。

 『無理に、あなたを招いたつもりはないわよ… 紺野君』

 何処から?

 僕が戸惑って辺りを探すと、樹に生っている梨の実に目がいきました。……山中さんも同じ様に迷っていたようですが、その梨の実には気が付かなかったようです。

 梨の実の一つが、女の人の顔になっている。

 それを発見すると、それから幾つも実っている梨が、徐々に徐々に、全て女性の顔に変わっていきます……。

 「あまり、好い趣向とは言えませんね…」

 紺野さんにも同じものが見えているのでしょう。そう言いました。

 『……あら、だって紺野君ったら意地悪言って笑ったのですもの… 好きで、こんな風に祀られているって訳でもないのに… それに、あのくまちゃんは何? 旧い友人を訪ねてくるにしては、随分なんじゃないかしら?』

 女性の顔の全てが一斉にそう言います。そして、それだけではありませんでした。

 顔の他にも、ゆっくりと、足や手が、梨の樹からは生えて来ているのです。

 当然、僕はそれに恐怖します。

 「くまさんには、森林公園の方で少し手伝ってもらっただけですよ。あなた用じゃありません。さっき笑った事なら謝りますから、もう少し話し易い姿で、お願いできませんかね? ほら、連れも怯えていますよ」

 その連れというのは、当然、僕の事でしょう… なんでか知りませんが、山中さんにはどうやらこれが見えていないようなのでした。そういえば、彼女はナノマシンに感応し難い体質でしたっけ……。

 紺野さんがそう言うと、梨子様は(もう、僕には今の彼女を人間の名前では呼べません)、

 『あら? この前の可愛い坊やじゃない。すっかり歳をとっちゃった紺野君なんかの為じゃなくて、この子の為にだったら別に良いかしらね?』

 と、そう言いました。

 それから、手や足が、更にニョキニョキと伸び出します。何が僕の為なのでしょう?これではもっと怖いです。ある程度まで伸びると、手足はポロッと落ちました。しかし、落ちた手足は消えてしまいます。見ると、手のうちの一本だけが、まだ消えないで梨の樹からぶら下がっていました。

 そして、

 ずるぅり、と、そこから人影が落ちてきます。

 地面に倒れたその人影は、それからゆっくりと立ち上がると、

 『さぁ これで、どうかしら?』

 と、そう言います。その姿は、どう見ても普通の女性のものでした。

 白いワンピースを、頭からすっぽりと被っている。

 紺野さんは苦笑します。

 「演出が余計ですよ」

 まったく、同意見です。

 それから、二人は会話を再開しました。

 梨子様の姿は女性のものでしたが、夢と現実が重なり合ったようなその空間は元に戻ってはいません。

 視覚はクリアなのに、なにかが澱んでいる…… しかし、そんな場所でも、二人は平気な顔でした。梨子様は分かるにしても… 紺野さんは経験の成せる業でしょうか?

 「聞きたいことはたくさんあるのですが、まずは順を追って質問をしますね」

 まずは紺野さんがそう言います。すると、梨子様は妙な様子を見せました。

 『ちょっと待って… どうして私が、紺野君の質問に答えなくちゃいけないのかしら?』

 「………」

 紺野さんはそれを受けると、少しだけ困ったような目をし、

 「私に協力を頼んできたのは、高木さんの方でしょう?」

 と、ため息混じりにそう言いました。

 『あら? 私は協力なんて求めてないわ。ただ、あの池を調べてみろってメールを送っただけよ』

 「でも、それで、私があの池の主を消去すればあなたは助かる」

 『そうね。でも、それがあなたの仕事じゃないかしら? 私は確かに助かるけども、それとこれとは話が別よ』

 「高木さん。僕の仕事はナノマシンネットの研究であって、その退治ではありませんよ。本当は…。退治したって少しもお金は稼げない。まぁ 例外はありますけどね」

 そう言ってから、紺野さんは何か考えるような感じで、少し黙り、それから再び口を開くとこう言いました。

 「私の許へのメールに、あなたの居場所が記されていなかったのは何故ですか?」

 その質問には、梨子様は答えません。

 なにか、誤魔化しているような感じです。紺野さんは更に問い詰めます。

 「あなたは、不安だったのでしょう? もしかしたら、私があなたまで退治してしまうのじゃないかって… だから、場所を隠した。簡単に見つけてしまいましたけどね」

 『どうかしら?』

 それを聞くと、梨子様は澄ました表情でそう言います。

 『居場所を伝えなければ見つけられないなんて、そんな甘い事考えるかしら?』

 紺野さんは、構わず続けました。

 「本当は、あなたは自分の名前も使いたくなかったのかもしれませんね。しかし、自分の名前を出さなければ、私が動くかどうかは分からなかった、だから仕方なく自分の名前を記した………」

 『……何が言いたいのかしら?』

 「つまり、私は退治しようと思えば、あなたの事だって退治できるっていう話ですよ…… “梨子様”。そして、もちろん、それをあなたも分かっている」

 それを聞くと、梨子様はいきなり凶悪な表情を見せます。そして、

 『この状況下で、よくそんな事が言えるわね 紺野君!』

 ……この状況下。そうです。今、僕らは彼女の世界に取り込まれている。要するに、彼女の支配下にいるも同然なのです。

 しかし、梨子様からそう脅されても、紺野さんは全く動じませんでした。

 「私を甘く見てもらっては困りますね、高木さん…… 何の対策もしないで、自ら進んで相手の手の内に入るなんて馬鹿な真似はしませんよ」

 それから、少し、間。

 「何なら、試してみればいい」

 そしてその後で、紺野さんがそう言うと、まるで緊張の糸が切れたみたいに、梨子様は表情を元に戻しました。

 『友人を消そうだなんて、酷いわね、紺野くん』

 おどけた調子でそう言います。

 その言葉を聞くと、紺野さんは満足気な笑みを浮かべました。

 「私は何も悪影響を及ぼさないナノマシンネットを無闇に消去するような野暮な真似はしませんよ、高木さん。だから安心をしてください… ただ、その為にも情報は提供してもらいます。………戸田家の人達を、あなたは既にそのネットワークの中に取り込んでいますね?」

 『仕方ないわねぇ…』

 遂に梨子様は降参をしました。

 『ええ、そうよ。取り込んでいるわ。ただ、その影響範囲は限られてるけどね。この辺りから離れられると、コントロールする事は難しい。それでも、ここにいる間に意志を刻印付けさせておけば、市長選挙に立候補させるだとかいった事くらいなら可能ね。もちろん、本人は自分の意志だと思ってるけど』

 「なるほど、市長選挙に立候補させて、森林公園を潰すという公約を掲げさせる事も、だから、可能… と、そういう訳ですか」

 僕はその話で、そういえば、と思い出します。この戸田梨園を経営している戸田さんは、市長選挙に立候補しているのです。ただ、森林公園を潰す公約をしているとは知りませんでした……。どうやら、そういうカラクリだったようです。紺野さんは更に質問を続けました。

 「……ここの息子さんは、ナノマシンネットの影響を受け難いタイプだったのですか?」

 『……あら、その事も知ってるのね。ええ、それもあったわ。ただ、それだけじゃない。こっちも油断してたのよね。だから、あんな罠にかかっちゃった』

 ……これは、この戸田家の息子さんが、ホームレスを殺害して捕まってしまった事件を言っているのでしょうか?

 罠?

 あの事件は罠だった?

 そういえば、殺されたのはホームレスです。そして、ホームレスたちは、あの池の主に取り込まれてしまっている。

 「その醜聞の所為で、選挙に勝てそうにもなくなった… それで、私を頼ろうと思った訳ですね、あなたは」

 『まぁ そんなとこ』

 梨子様はにこやかに笑います。それを聞くと、紺野さんは応えます。

 「なるほど、大体分かりました。では、最後に…… あなたをあの池から、この梨園に運んだという怪談が残っていました。だから、どういう経緯であなたがここへやって来たのかの凡そは見当がついています。そして、その後の経過から、あなたがナノマシンを取り込んだコウモリや小鳥、肉食の虫たちを呼び寄せて、病害虫の駆除を行い、この梨園を護ってきただろう事も…」

 『病菌の退治は、直接、ナノマシンを使ったのよ、因みに』

 「環境学を専攻していたあなたに、それはそれほど難しくない作業だったでしょうね…… しかし、何故、この戸田梨園だったのでしょう? あなたが、ここを選んだその理由は何なのでしょうか?」

 その質問を聞くと、梨子様は怪訝そうな表情を見せました。

 『さぁ? あの時の事は、特に覚えていないわね。偶然じゃないかしら?』

 それを受けると、紺野さんは「そうですか……」と、考え込みます。そして、

 「あなたは池にいた頃、池の主に侵食をされていたはずでしょう? その状態から逃げ出せたのは、賞賛に値する強力な自我でしょうが、それでも、あなたの記憶や思考能力の一部は彼らに喰われてしまった」

 『そうね、一部は喰われたわ』

 それを聞くと、再び紺野さんは少し考えました。

 『どうしたの?』

 梨子様は、その様子にわずかばかりの不安を感じているようでした。

 「……いえ、何でもありませんよ。ただ、あなたの記憶が喰われているとなると、私の事を池の主が知っている可能性があるので、そうなると少し厄介だな、とそう考えていただけです。警戒されてしまいますからね」

 それを聞くと、梨子様は『ふーん』と、やや煮え切らない返事をしましたが『まぁ いいわ。これで、質問は最後なのよね?』と言って、それからフッと姿を消しました。彼女が姿を消すと、続いて景色から澱みが急速に失われて、元のクリアな青空が返ってきます。どうやら、これで会合は終わりなようです。

 僕は紺野さんの様子が気になったのですが、結局はそれを尋ねませんでした。梨園で尋ねると、梨子様に聞かれてしまう可能性がありますし、タイミングを外すしてしまうと、後は尋ねる機会がなかったからです。

 ……山中さんは、この後でとても悔しがっていました。

 「声は、なんとか少し聞こえたのですけど……。姿は、全然、何も見えませんでした。やっぱり、私にはナノネットに感応する才能ないのかなぁ?」

 本当に、代わってあげたいです。

 因みに、里佳子ちゃんは、僕らがあの世界に取り込まれている間中、一人で梨園を楽しんでいたそうです。

 一人でも十分楽しかった、とか。

 案外、強い娘なのかもしれません。

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